※この作品はR-18です。

監獄の女王   作:タカチホ


オリジナル:現代/文芸
タグ:R-18 ボーイズラブ 残酷な描写 BL ホモ ホモレイプ 監獄
「俺が守ってやる。その代わり――」

米国留学中、友人の裏切りにより麻薬密売の濡れ衣を着せられた大学生・柏木裕。彼が堕ちたのは、暴力と欲望が支配する連邦刑務所だった。 同房の凶暴な男・カルロスは、怯える裕に「保護」を持ちかける。その対価は毎夜彼のベッドで慰み者になること。

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プランB

 ◆

 

 僕の名前は柏木 裕。大学生だ。いや、大学生──だった。それなりに良い大学にいって、そしてアメリカの大学に留学して。その後どうなったと思う? 

 

 答えは収監だ。

 

 まあ色々あったんだよ、例えば薬物密売とかさ。

 

 薬物密売なんて言うと、いかにも悪人っぽく聞こえるかもしれない。でも実際のところ、僕は末端も末端、組織図で言えば画面からはみ出すくらい下っ端だった。運び屋ですらない。せいぜい「荷物を預かってくれたら謝礼を払う」という甘い言葉に乗っかったただの馬鹿な留学生である。

 

 友人だと思っていた男がいた。ブライアンという名前でキャンパスで知り合って、よく一緒にバスケをした。彼の部屋で映画を見たり、深夜にタコベルでくだらない話をしたり。そういうごく普通の付き合いだと信じていたんだ。

 

 ある日、彼が言った。

 

「ユウ、ちょっと頼みがあるんだけど」

 

 週末に届く荷物を受け取ってほしい。自分はその日、実家に帰らなきゃいけないから。中身はゲーム機のパーツで届いたらそのまま部屋に置いといてくれればいい──彼の説明はそんな感じだったと記憶している。

 

 疑わなかった。疑う理由がなかったから。

 

 荷物は届いた。僕はそれを受け取った。そして翌日、DEA──麻薬取締局の捜査官が僕の寮の部屋に踏み込んできたとき、僕はまだパジャマ姿でコーンフレークを食べていた。口の中でシリアルがふやけていく感覚を今でも妙に鮮明に覚えている。

 

 ◆

 

 留置所での取り調べは映画で見るようなドラマチックなものじゃなかった。蛍光灯が微かに唸る狭い部屋で僕は何度も同じ質問を繰り返された。ブライアンを知っているか。荷物の中身を知っていたか。組織との関係は。他に関与した人間は。

 

 知らない。知らなかった。ない。いない。

 

 僕の答えはずっと変わらなかったけれど、彼らの目には「末端の売人が必死にシラを切っている」ようにしか映らなかったらしい。そりゃそうだろう。荷物を受け取った時点で僕は法的には共犯なのだから。

 

 日本大使館の人が面会に来てくれたのは逮捕から三日後のことだ。

 

「現時点ではあなたの無実を証明する証拠がありません」

 

 彼は申し訳なさそうな顔でそう言った。日本に帰国することも、保釈されることも難しい状況であると。裁判まで拘置所──いや、連邦刑務所で過ごすことになるだろうと。僕は頷くしかできなかった。

 

 両親には連絡が行ったはずだ。でも、彼らが面会に来ることはなかった。飛行機代が出せなかったのか、それとも息子の不始末に呆れ果てたのか。たぶん両方だろう。父は電話越しに「馬鹿なことをしたな」とだけ言って、それきり黙り込んだ。母は泣いていた。その泣き声を聞きながら、僕は自分がどれほど取り返しのつかないことをしたのかようやく理解し始めていた。

 

 ◆

 

 移送されたのはカリフォルニア州の連邦刑務所だった。

 

 鉄格子越しに見る空は留学初日に見上げたものと同じ青さのはずなのに、まるで別物のように感じられる。当たり前だ。あのときの僕には未来があった。可能性があった。今の僕にあるのはグレーの囚人服と、六畳ほどの独房だけ。

 

 いや、独房じゃないな。同房者がいる。

 

 カルロス・ガルシア。それが彼の名前だ。

 

 移送初日、僕が房に入ったとき、彼は上段のベッドに寝転がって天井を眺めていた。浅黒い肌に短く刈り込んだ黒髪。首筋にはタトゥーが覗いている。腕には筋肉が盛り上がっていて、正直に言えば第一印象は「怖い」の一言だった。

 

「新入りか」

 

 彼は身体を起こしもせずにそう言った。低い声。抑揚のない英語。

 

「ああ、そうだ」

 

「名前は」

 

「ユウ。ユウ・カシワギ」

 

「日本人?」

 

「……そうだけど」

 

 彼はようやく顔をこちらに向けた。黒い瞳が僕を値踏みするように見つめる。数秒の沈黙。それから、ふっと口元が緩んだ。

 

「俺はカルロス。まあ、よろしくな、ユウ」

 

 その「よろしく」が社交辞令なのか、それとも何か別の意味を含んでいるのか、僕には判断がつかなかった。

 

 ◆

 

 刑務所での生活というのは想像していたよりずっと単調なものだ。

 

 朝六時に起床のベルが鳴る。点呼があって、朝食があって、その後は作業か運動の時間。昼食を挟んで午後も似たような流れが続き、夕食後は自由時間。九時には消灯。この繰り返し。毎日が同じ形をしていて、曜日の感覚などすぐに失われてしまう。

 

 最初の一週間、僕はほとんど誰とも話さなかった。

 

 言葉の問題もあったけれど、それ以上にここにいる人間たちと関わることへの恐怖があったのだと思う。囚人たちは人種ごとにグループを作っていて、食堂でも運動場でも、暗黙の縄張りのようなものが存在していた。アジア人は少数派で僕のような日本人となるとさらに珍しい。どこにも属さない存在はどこからも守られない存在でもある。

 

 カルロスはそんな僕を放っておかなかった。

 

「飯、食わねえのか」

 

 ある日の昼食時、彼は僕の向かいに座ってそう言った。僕のトレイには手つかずのマカロニチーズとサラダが載っている。食欲がなかったわけじゃない。ただ、食堂の喧騒が耳障りで周囲の視線が気になって、とても何かを口に運ぶ気分にはなれなかっただけだ。

 

「あまり腹が減ってない」

 

「嘘つけ。朝もほとんど食ってなかっただろ」

 

 見ていたのか──そう思うと、背筋が少しだけ強張った。

 

「食え。ここで体調崩したら誰も助けてくれないぞ」

 

 彼の言葉には脅しではない何かが含まれていた。忠告、とでも言うべきか。僕はフォークを手に取り、形だけでもマカロニを口に運んだ。味はしなかったけれど、カルロスはそれで満足したらしく自分の食事に戻っていった。

 

 ◆

 

 カルロスがなぜ僕に構うのか、最初は分からなかった。

 

 彼はメキシコ系アメリカ人で麻薬がらみの罪で服役中だという。詳しくは聞いていないし、聞くつもりもない。刑務所では他人の過去を詮索しないのが暗黙のルールだと、誰かに教わった気がする。

 

 でも夜の房で二人きりになると、彼は意外とよく喋った。

 

「お前、大学生だったんだろ?」

 

「ああ」

 

「頭いいんだな」

 

「……どうだろう。馬鹿じゃなければ、こんなところにはいない」

 

 カルロスは低く笑った。

 

「そりゃそうだ。俺もお前も、結局は馬鹿だからここにいる」

 

 その言葉に反論する気力はなかった。事実だからだ。

 

「でもな」彼は続けた。

 

「馬鹿は馬鹿なりに、ここで生き延びる方法を覚えなきゃいけない。分かるか?」

 

「……分かる、と思う」

 

「思うじゃ駄目だ。分かるんだ。じゃないと潰される」

 

 潰される。その言葉の意味を僕はまだ完全には理解していなかったのだろう。カルロスの目は真剣で冗談を言っている様子ではなかった。

 

「いいか、ユウ。ここは外とは違う。法律なんてあってないようなもんだ。大事なのは誰と組むか、誰を敵に回さないか。それだけだ」

 

 彼の言葉は僕の胸に鉛のように沈んでいった。

 

 ◆

 

 留学を決めたとき、僕は自分の人生がこんなふうになるとは夢にも思っていなかった。

 

 新しい世界が待っている。可能性に満ちた未来が広がっている。そんなことを考えながら成田空港を飛び立ったのはほんの一年前のことだ。なのに今、僕は異国の刑務所で同房のラテン系の男から生存術を教わっている。人生というのはどこでどう転ぶか分からないものだ。

 

 窓の外では夕焼けが空を染め始めていた。オレンジと紫が混じり合う、美しいグラデーション。自由だった頃、こんな空を見ても何も感じなかったかもしれない。でも今はその美しさが胸に突き刺さるように痛い。

 

「何見てんだ」

 

 カルロスの声に、僕は我に返った。

 

「空」

 

「そうか」

 

 彼はそれ以上何も言わなかった。ただ僕の隣に立って、同じ空を見上げていた。

 

 沈黙が流れる。でもそれは不快な沈黙じゃなかった。同じ空の下、同じ鉄格子の向こう側にいる者同士の奇妙な連帯感。そんなものが確かにそこにはあったのだ。

 

「ねえ、カルロス」

 

「何だ」

 

「どうして僕に親切にしてくれるんだ?」

 

 彼は少し考え込むように顎を引いた。それから、肩をすくめる。

 

「さあな。暇だったからかもしれないし、お前が哀れに見えたからかもしれない。あるいは……」

 

「あるいは?」

 

「ユウが魅力的だからかも、な」

 

 その言葉の真意を測りかねていると、消灯のブザーが鳴り響いた。

 

 鉄格子が遠隔操作でロックされる金属音が重く廊下に反響する。蛍光灯が落ち、世界は濃紺の闇に沈んだ。残されたのは鉄格子越しに差し込む月明かりと、数百人の男たちが発する息遣いだけ。

 

 早く寝よう──そう思っていると、上段のベッドが軋んだ。

 

 錆びついたスプリングの悲鳴が僕の鼓膜を震わせる。重たい気配が降りてくる。カルロスだ。彼の影が僕の視界を覆い、狭い空間から酸素を奪い去っていくようだった。

 

「……起きろ、ユウ」

 

 耳元で囁かれた声は昼間の陽気なそれとは違っていた。低く、湿り気を帯びた獣の響き。僕は毛布を握りしめ、狸寝入りを決め込もうとした。だが太い腕が僕の身体を強引に裏返した。

 

「な、なにを……」

 

 抗議の言葉は肺から空気が押し出される音にかき消された。圧倒的な質量。カルロスが僕の背中にのしかかっている。熱い。囚人服越しに伝わる体温が不快なほどに生々しい。

 

「静かにしろ。看守が来る」

 

 首筋に熱い呼気が吹きかかる。ぞわりと肌が粟立った。逃げようと腕に力を込めるが彼の手は鉄の万力のように僕の手首を掴み、頭上で固定してしまった。バスケットボールで鍛えたはずの僕の筋肉も、この男の前では枯れ枝同然だ。

 

 ズボンのゴムに指がかけられる。

 

 嘘だろ。頭の中で警鐘が鳴り響く。ここは刑務所で男しかいなくて、そういうことがあるという噂は聞いていた。けれど、まさか自分が。移送されてきたその日の晩に。

 

「力を抜け。怪我したくなきゃな」

 

 優しい口調だった。それが余計に恐ろしい。彼は僕を傷つけようとしているのではない。ただ、食事を摂るように、あるいは排泄するように、当然の権利として僕を犯そうとしているのだ。

 

 下着が引き下げられる。冷たい空気が尻に触れた瞬間、喉の奥から悲鳴がせり上がった。だが分厚い掌が口を塞ぐ。

 

「シッ。いい子だ」

 

 熱い楔がねじ込まれた。

 

 視界が白く弾ける。身体が弓なりに反る。裂けるような鋭利な感覚。異物が体内を蹂躙し、内臓の位置がずれるような錯覚に襲われる。声にならない嗚咽が喉の奥で詰まり、涙が勝手に滲み出て枕のシミを広げた。

 

 動くたびに激痛が走る。カルロスの腰が打ち付けられるたび、僕は壊れた玩具のように揺さぶられた。やめてくれ。頼むから。心の中で何度も叫ぶ。けれど、口から漏れるのは情けない呻き声だけだ。

 

 彼は僕の耳を噛みながら、呪文のように繰り返した。

 

「俺が守ってやる。俺が守ってやるから」

 

 それは守護の誓いなのか、それとも所有の宣言なのか。痛覚が思考を焼き切っていく中、僕にはそれを判断する余裕さえ残されていなかった。

 

 永遠にも思える時間が過ぎ、カルロスが僕の中に熱いものを吐き出したとき、僕はもう指一本動かせないほど消耗していた。彼は満足げに鼻を鳴らし、僕の髪を乱暴に撫でてから自分のベッドに戻っていった。

 

 残された僕はズレたままの毛布を引き寄せることしかできなかった。尻が熱を持ってズキズキと痛む。粘ついた不快感が内側に残っている。

 

 これが刑務所。これが現実──僕は歯を食いしばり、声を殺して夜明けを待った。

 

 ◆

 

 翌朝、身体中が鉛のように重かった。

 

 特に腰から下は感覚が麻痺し、歩くたびに鈍い痛みが走る。カルロスは何事もなかったかのように洗面台で顔を洗っていた。鏡越しに目が合うと、彼はニヤリと笑い、タオルを放ってきた。

 

「顔を洗え。朝飯の時間だ」

 

 殴りかかりたい衝動が指先を震わせる。だがそれ以上に身体が動かない。僕は無言でタオルを受け取り、冷たい水で顔を洗う。鏡に映った自分の顔は一晩で数年分老け込んだように見えた。目の下には隈ができ、唇はカサカサに乾いている。

 

 食堂へ向かう廊下で僕は足を引きずらないように必死だった。弱みを見せればつけ込まれる。ここはそういう場所だ。カルロスは僕の半歩前を歩き、周囲に鋭い視線を配っている。まるで自分の所有物を誇示するかのように。

 

 事件が起きたのは朝食のトレイを持って席を探しているときだった。

 

 食堂の隅で怒号が飛ぶ。金属製のトレイが床に落ちるけたたましい音。

 

「おい、猿。誰がここを通っていいと言った?」

 

 白人のスキンヘッドの男たちが一人の小柄なアジア人を囲んでいた。僕と同じような、おそらく留学生くずれの青年だ。彼は震えながら何かを弁解しようとしているが言葉は拳によって遮られた。

 

 殴打の音。鈍く、湿った音。

 

 誰も止めない。看守さえもわざとらしく視線を天井に向けている。

 

 青年は床に倒れ込み、鼻血を流しながら這いつくばった。それでも暴力は止まらない。蹴りが腹に入り、顔面に入り、彼はもはや悲鳴を上げることもできずに痙攣している。

 

「見ろよ、この無様な顔」

 

 僕は立ち尽くしていた。足が震えて動かない。次は僕だ。あそこに転がっているのは未来の僕の姿だ。肌の色が同じというだけで標的になる理由は十分にある。英語が拙く、身体も小さく、後ろ盾のないアジア人。格好の獲物だ。おもちゃとして消費され、壊されたら捨てられる。

 

 胃の腑が凍りつく。呼吸が浅くなる。そのとき、大きな手が僕の肩を掴んだ。

 

 カルロスだ。

 

「座れ。飯が冷める」

 

 彼は惨劇を一瞥もせずに言った。その声の響きはあまりにも平坦だった。

 

「でも……あいつが……」

 

「関係ない。あいつは誰の“保護”も受けてない。それだけの話だ」

 

 カルロスは僕を強引に席に座らせた。そして周囲の囚人たちに向かって、低い、獣の唸りのような声で言った。

 

「こいつは俺の連れだ。手出しするなよ」

 

 その一言で僕に向けられていた不躾な視線がいくつか逸れた。明らかに空気が変わったのだ。カルロス・ガルシアという男が持つ影響力。それがどれほどのものか知らないが少なくともこの食堂内においては彼の言葉は一定の効力を持っているらしい。

 

 僕は震える手でスプーンを握った。床に転がる青年がズボンを引き裂かれながら泣き叫んでいる声が聞こえる。耳を塞ぎたい。でも、塞げない。

 

 僕は理解した。昨夜の行為は単なる欲望の処理ではなかったのだ。あれは契約だった。身体を差し出す代わりに、この理不尽な暴力から身を守るという悪魔の契約だ。

 

 カルロスは黙々とオートミールを口に運びながら、テーブルの下で僕の太腿に手を置いた。

 

「食え、ユウ。生き残りたいならな」

 

 僕は喉の奥でこみ上げるものを飲み込み、味のしないオートミールを胃に流し込んだ。

 

 ◆

 

 人間というのは恐ろしい生き物だ。あるいは僕という人間が特別に壊れているのかもしれない。一週間もすると僕はこの痛みに慣れてしまった。

 

 毎晩のように繰り返される行為。消灯後の暗闇の中で僕はカルロスの熱を受け入れる。最初は苦痛でしかなかったものが次第に日常の一部へと組み込まれていく。

 

 抵抗しても無駄だ。体力を消耗するだけ損だ。僕は頭の切り替えが早いほうだと自負している。留学先でトラブルに巻き込まれたときも、即座にプランBを考えた。今回も同じだ。現状を変えられないなら、その中で最適解を探すしかない。ちなみにプランBは「なるようになれ」である。

 

 ある晩、僕は力を抜くコツを覚えた。

 

 身体を強張らせるから痛いのだ。呼吸を整え、筋肉を弛緩させる。カルロスのリズムに合わせて、波に漂うように身体を預ける。そうすると不思議なことに、苦痛の角が取れ、代わりに奇妙な感覚が芽生え始めた。

 

 熱。痺れ。そして奥底から這い上がってくる微かな疼き。要するに、気持ちが良くなったという事だ。

 

「……ん」

 

 思わず漏れた吐息に、カルロスの動きが止まった。

 

「どうした? 痛むか?」

 

 気遣うような声。こいつは根っからの悪党ではないのかもしれない。いや、悪党なのだろうが自分の所有物には愛着を持つタイプなのだ。

 

「いいや……大丈夫。続けて」

 

 僕は枕に顔を埋めたまま答えた。カルロスは喉を鳴らし、再び腰を動かし始めた。さっきまでとは違う。より深く、より粘着質に。彼が昂っているのが分かる。そして彼が喜ぶような反応を返せば、僕自身の扱いも丁寧になることに気づいた。

 

 僕は試してみることにした。彼が強く突いてきたとき、わざと甘い声を上げてみる。背中に爪を立ててみる。するとカルロスは興奮し、より情熱的に僕を抱く。そこには暴力的な支配ではなく、歪んだ形ではあれど、相互の快楽の追求があった。

 

 マゾヒズム? 違う、これは適応だ。

 

 前立腺を擦られる感覚に脳髄が白く弾ける。

 

「あっ、そこ……」

 

「ここか? ユウ、ここがいいのか?」

 

「……あ、ああ……もっと……」

 

 自分でも信じられない言葉が口をついて出る。頬が熱くなる。プライドが粉々になる音も聞こえる。でも、それ以上にこの瞬間の「気持ちよさ」に縋りつきたかった。

 

 この冷たい刑務所の中で唯一感じられる温もり。肌と肌が触れ合い、心臓の鼓動が重なる瞬間。外の世界では決して交わることのなかったであろう二人の男が汚いベッドの上で一つになる。

 

 僕はカルロスの首に腕を回した。

 

 汗の匂い。男の匂い。

 

 守られるというのはこういうことだ。自由を失い、尊厳を捨て、それでも生きていくための温床を手に入れること。

 

 果てる瞬間、僕は確かに充足を感じていた。それが薬物による幻覚のような、偽りの多幸感だと分かっていても。

 

 ◆

 

 カルロスとの関係が安定すると、刑務所内での僕の立ち位置も確固たるものになった。

 

 ──「カルロスの女」

 

 陰でそう呼ばれていることは知っている。屈辱的な呼び名だ。だがその称号があるおかげで誰も僕に手出しをしない。食堂で足を引っかけられることもないし、シャワー室でレイプされる恐怖に怯えることもない。

 

 僕は図書館係の仕事を手に入れた。冷房の効いた静かな部屋で本の整理をするだけの簡単な仕事だ。他の囚人たちが炎天下の運動場で草むしりをさせられているのを窓越しに見ながら、僕はシェイクスピアの背表紙を撫でる。

 

 適応力。それが僕の最大の武器である。

 

 ある午後、図書室のカウンターで本を読んでいると、カルロスがやってきた。手にはボロボロになったノートを持っている。

 

「よう、プリンセス」

 

「その呼び方はやめてくれ」

 

 僕は本から目を離さずに答えた。カルロスはニヤニヤしながらカウンターにノートを放り投げる。

 

「仕事だ。計算が合わねえ」

 

 ノートを開くと、そこには刑務所内の賭け事や物資の取引記録が汚い字で殴り書きされていた。タバコ、缶詰、切手。地下経済の帳簿だ。

 

「……字が汚すぎて読めないよ」

 

「うるせえ。ここだ、ここ。足し算が合わねえんだよ」

 

 彼が指差した箇所を見る。単純な計算ミスだ。僕はペンを取り、余白に正しい数字を書き込んだ。ついでに在庫管理の杜撰さを指摘し、より効率的な記録方法を提案してやる。

 

「こうすれば、誰がどれだけ借りているか一目で分かる。取りっぱぐれもなくなるはずだ」

 

 カルロスは目を丸くして僕を見た。

 

「お前、すげえな」

 

「僕は経営学部だったんだ。これくらい基本だよ」

 

 彼は満足げに頷き、僕の頬を指で撫でた。

 

「いい拾い物をしたぜ。頭のいい女房を持つと助かる」

 

 女房。その言葉に以前ほどの嫌悪感は湧かなかった。むしろ自分の価値が認められたことへの歪んだ優越感が胸を満たす。僕はもうただの性処理係じゃない。彼のビジネスパートナーだ。このヒエラルキーの中で僕は自分の頭脳を使って居場所を確保したのだ。

 

 カルロスが去った後、僕は窓の外を見上げた。カリフォルニアの青空──かつては遠く感じたその色が今は少しだけ鮮やかに見える。

 

 僕はここで生き延びる。どんな手を使ってでも。身体を開き、知恵を絞り、この猛獣の手綱を握り続ける。

 

 夜になり、再びカルロスが僕を求めてくる。

 

 僕は彼を受け入れる。いや、誘うように脚を開いた。

 

「今日は随分と積極的だな」

 

「カルロスが喜ぶと思って」

 

 僕は彼の耳元で囁き、舌先で耳たぶを甘く舐めた。彼の身体がビクリと跳ねる。

 

 主導権はどちらにあるのか。

 

 力でねじ伏せているつもりの彼か、それとも快楽で彼を縛り付けている僕か。

 

 激しいピストン運動に揺さぶられながら、僕は自分自身について思いを馳せた。柏木裕は死んだ。でも、新しい何かがここで生まれようとしている。それは以前の僕よりもずっと強靭でずっとしたたかな生き物だ。

 

 快感の波が押し寄せる。僕は目を閉じ、その暗い悦びに身を委ねた。

 

 ここが地獄だとしても、住み心地を良くする方法はある。

 

 僕は生きる。

 

 この檻の中で王の隣に侍る、賢い女王として。

 


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