ランドリューは、フィーリス教についての内偵方法、各地の魔獣の痕跡にフィーリス教がどの程度関わっているのかの裏取りなどについて頭を悩ませていた。
宮廷仕えだったころは、配下に内偵などを得手とする者を多数抱えていたが、退官した身では自由に扱える草の者などそう数はない。
共に宮廷を辞し、隠遁生活をする者が片手の指で足りるほどだ。そのうちの半分は各地の魔獣の痕跡探しに飛び回る現状である。
(さて、どうしたものか……やはり、ひとり呼び戻すか……)
そう思案に暮れているところに、控えめなノックの音が響いた。
「旦那様、少々よろしいでしょうか」
「ルーグか。構わん、入れ……」
ノックの主は執事のルーグであった。彼はランドリューの父の代からローデン家に仕える古株であり、ランドリューが最も信を置く人物だ。
ダークグレーの髪をきっちりと撫で付けピンと伸びた背筋は、伯爵家に仕える執事としての矜持を窺わせる。
「どうした? なにか問題でも……」
「いえ。……いや、問題といえばそうかもしれません。旦那様に折り入ってご相談させて頂きたく……」
「私と君の仲だ、遠慮はしないでくれ」
ランドリューは改めてルーグに体ごと向き直り、話の先を促すように顎をしゃくった。それを受けてルーグは感謝の言葉を述べつつゆっくりと口を開く。
「実は……私の古い友人から、忘れ形見を託されまして……」
ルーグの話はこうだった。
彼の古い友人が先ごろ天寿を全うした。ずっと胸を患っていたから、余命の幾ばくもないことは本人は覚悟の上だったという。
しかし彼には、夭逝した息子夫婦が遺した愛する孫が居た。孫はまだ十代の少年である。己亡き後、孫の今後を思うとあまりに無念が募り心配だ、と。そうしたことをルーグ宛の便りにしたためていた。
そしてその少年が、祖父の遺言をしたためた手紙を手に遠路遥々ルーグを頼ってやって来たのだという。
「それで……?」
「もし、お許し頂けるのなら、この屋敷に下働きとして雇い入れたいと……。いえ、給金などなくとも、衣食住だけでも保証できたら、と」
「雇い入れるのに給金なしでは成り立つまい。ルーグの紹介ということなら身許も確かなのだ、良い。元より屋敷の人員の差配は執事の仕事だ。よくしてやりなさい」
「旦那様……! 感謝いたします」
ルーグは深々と頭を下げ、心からの感謝を口にした。
ランドリューには考えねばならないことが山積している。実のところ、一介の使用人のことなどいちいち気を回してもいられなかった。
ルーグは用件が終わると静かに礼をして退室しようとする。それを制止し。
しばらく黙然と沈思して、ふと顔を上げると椅子から立ち上がった。
「やはり呼び戻すか」
ルーグが外套をランドリューの肩に掛け、杖を差し出すのを受け取って。
「出掛ける。帰宅は未定だ、留守の間のことは頼んだぞ」
「ハ、畏まりました」
――
クローディアは悩んでいた。
もうずっと悩み続けている、ともいえた。
快活だった表情はすっかりと曇り、沈みがちになった。
以前は使用人たちのちょっとした心配りや丁寧な仕事振りをよく褒めたが、最近はそうしたことに気付きもしないようだった。
すっかり精細を欠いたクローディアの様子に、使用人たちも心配してはいたが、解決する方法など下々の者にあろうはずもない。
「奥様、すっかり元気をなくされて……」
「旦那様がお忙しいから、お寂しいのよきっと」
「でも、うまくいってるの? あのお二人。最近様子が変じゃなかった……?」
「まさか……旦那様が……浮気?」
使用人たちの食堂ではクローディアの心配をするという体でありながら、少しずつ好奇心を疼かせた噂話へと発展していく。
「でも、あの旦那様に限って?」
「わからないわよ、若い奥様を貰われたことでお目覚めになったのかも。自分もまだまだいけるんだ! なんて」
「やぁだ~!」
キャアキャアと笑い合う若い使用人たちの、罪のない噂話は。
しかし、クローディアの心配とも合致してはいた。
クローディアもまた、そう疑っていたのだ。
(まさか、あのランドリュー様に限って……)
とは思う。
ランドリューはずっと仕事一筋に生きてきた、気位も高く気難しく、浮いた噂ひとつない男なのである。
(でも、あのグイード様とは意外と気が合うみたいなのよね……)
グイードは誰もが認める男前で、無類の女好きである。行く先々で浮名を流した男だ。
(共に王に仕えた仲だもの、そりゃ、仲良くするわよね……)
クローディアの思考はもやもやとして堂々巡りで、出口のない迷宮の様相を呈していた。
はぁ、と溜息をこぼしたとき。
「わ、わぁ……!」
ガチャン! と何かの割れるような音が響き、クローディアの思考を断ち切った。
「な、なにごと!?」
部屋から出たクローディアの目に、廊下に飾られていた花瓶の惨状と、それを前に青い顔をして呆然と立ち尽くす見慣れない顔の少年が居た。
「どうしたの、大丈夫? 怪我はない?」
「あっ……ァア! お、奥様っ!? ぼ、僕っ……」
「いいから、落ち着いて。新しく入った子かしら。花瓶なんて割れ物だもの、仕方ないわ。それより早く片付けてしまいましょ、私得意なのよ。よく割ってたから」
クローディアが片目を瞑り茶目っ気たっぷりにそう言うと、少年は緊張が解けてほっとしたような顔をした。
「よく割っていたって……?」
「そこは流してちょうだい、レディの過去は必要以上に掘り返すものではないのよ。あなた、お名前は?」
「し、シオンです奥様! ルーグさんの、ご紹介で……」
「あら、そうなの。ではよろしくねシオン。ほら、箒とちりとり、それと布巾もね」
シオンと名乗った少年は、十代も半ばだろうか。まだ頬の赤みも引けきらない幼なげな顔立ちで、そばかすの浮いた小柄な体躯だった。
柔らかそうな癖毛は、小走りとともにふわふわと躍り、その様子にクローディアの顔もつい綻んだ。
そのひととき、胸の中に渦巻いていた暗い気持ちはどこかにいっていた。
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