街のお祭りまでの日々、クローディアは婦人会で行う催しの手伝いのため毎日街へ出掛けていた。
婦人会に顔を出せば、あのノルデン夫人とも顔を合わせることになり、胸中は複雑だ。しかし、だからといって屋敷に篭っていても気持ちは塞ぐばかりだろうこともまたわかっていた。
ノルデン夫人は縫い物でもバザーの台の設営作業でも、飾り付けでも、とにかくテキパキとよく働きどれも完璧な仕事ぶりだった。
(私の作った花の胸飾りと、夫人の作った胸飾り……同じ型紙を使ったとは思えない……)
バザーに遊びに来る子供達向けに作った花や可愛い動物の形をした胸飾りは、クローディアのものはどれもよく言えばユニークな出来栄えだった。ランダムに配られるこれらが、子供達の間でアタリやハズレの分類をされそうで心が寒々しくなる。
(やっぱり……ダメなんだわ……私じゃ、ランドリュー様の妻に相応しくないんだ……)
絆創膏だらけの指先を見つめながら、深い溜息を吐く。
ずっと心が晴れない日々。出口のない思考の迷路はいつまでもクローディアをとらえたままだった。
「奥方様、とうとう明日が本番ですわ。庶民の祭りとはいえ、もちろん奥方様もいらっしゃってくださいましね」
ベルゼー夫人がにこやかに言う。
「せっかくですもの、伯爵と共に回られたらよろしいんだわ。今まで一度もお祭りに顔を出されたことがないはずよ」
婦人会の皆がそれは名案と頷き合うのを、クローディアは曖昧な微笑みで濁して帰路に着いた。
(もし……もしも……思い切ってお祭りにお誘いしてみたら……? もし、ご一緒くださるとランドリュー様がおっしゃってくれるなら……)
馬車に揺られながら、クローディアはもう一度婦人会で受けた提案について考えてみた。
ほんのいっときの気の迷い、というのならなにも知らない顔で今までと同じように過ごすのがきっと良いと思えるのだ。
(もし、お祭りにご一緒くださるなら……忘れよう……うん、忘れる!)
心は決まった。
それは、ある意味では逃げかもしれない、とも思いはしたが、クローディアはそう簡単にランドリューを嫌いにもなれないのだ。
「奥様、奥様……? お屋敷に着きましたぜ」
「えっ! あら、まぁ? ごめんなさい、気付かなくて」
深く考え込んでいたクローディアは、馬車が止まったことにも気付かなかった。御者に呼びかけられ、慌てて降りる。
そのまま足早に、ランドリューが居るはずの書斎へと向かった。
――
書斎の前でクローディアはしばし逡巡する。
何度かノックしようと持ち上げた手は、そのまま胸元で留まった。
(どうしよう、いざとなるとすごく怖い……でも……)
キッと顔を上げ、決意を込めて深呼吸をすると思い切ってノックをした。
「ルーグか……?」
扉の向こうからは、ランドリューの低い#誰何__すいか__#の声が聞こえた。クローディアはドキリと胸が跳ねるのを感じる。緊張に喉が詰まった。
「クローディアです。……貴方、ランドリュー様、少しよろしいですか?」
「な、なに……クローディア!? もちろん……いや、待て、しばし待つのだ」
動揺したような上擦った声と共に、ガタガタと何かを慌ただしく動かしたりする音が聞こえてくる。
クローディアは訝しむように眉根を寄せた。
(そんなに、見られては困るようなものが……? あぁ、ダメ! ランドリュー様のお仕事には機密的なことも多いのだから当たり前なのに……!)
一度疑いを持ってしまうと、なにもかもが怪しく思えてしまう。そうした心の動きを自覚し、自制するようにクローディアは自らに言い聞かせた。
やがて、扉が開かれる。ランドリューが厳めしい表情でクローディアを招き入れた。
「少々散らかっていたもので、な。……それで、その、……な、なにかな、クローディア」
薬草園でクローディアがランドリューに強めに反抗してからというもの、ランドリューの態度は今まで以上によそよそしいような、或いはどう振舞えば良いのか戸惑っているようだった。
クローディアは書斎をさっと見渡してから、ランドリューを見上げる。クローディアもまた緊張していた。もう何度目かわからない深呼吸をして。
「あの……この間はごめんなさい。貴方に、失礼な物言いを……」
「いや……いや、うむ。私も、悪かった……と思うのでな。うむ」
クローディアはかすかに苦笑じみた顔をした。そもそもならばランドリューの方に非は大きかったと思うのだが、骨の髄まで貴族的なこの夫は謙虚な心持ちというものとは縁遠い。
それはランドリューの生まれ持った気質でもあり、育ちゆえでもあり、そして彼が築き上げてきた実績に裏打ちされた自信ゆえでもあるのだろう。
「あの……それで。……仲直り、というほどでもないのですが……」
「なに……かな……」
窺うように見上げたランドリューの表情は、相変わらず険しい。以前なら優しく和らげられた眼差しが向けられていたはずなのに、とクローディアの心がチクリと痛む。
「あの、明日は街の方でお祭りがあるでしょう? 私も婦人会として色々お手伝いをして……それで……よかったらご一緒に」
「ならぬ!」
クローディアの誘いの言葉は、しかし全てを言い切る前に強い言葉に断ち切られた。
「クローディア。祭りに出掛けたいという話ならならぬ。良いか、明日は屋敷から一歩も出てはならぬぞ」
「……な、なん、で……」
「理由など必要ない、当主の私がそう言っているのだ」
ランドリューの頭ごなしの物言いに、クローディアは。
今までなら、きっと素直に聞き入れた。
しかし、今は。
「なぜ……わ、私は! 私は貴方の部下でも子供でもありません。妻です……!」
強く拳を握りしめて、鳶色の瞳をしかと見据えながら返すクローディアに、ランドリューはまたもや狼狽えたようだった。
「もう結構です! おやすみなさい!」
「あ、ま、待ちなさいクローディア。夕食は……」
「いりません!」
クローディアは憤然と言って踵を返す。後ろ背に慌てたランドリューの取りすがるような声が聞こえてきたが、それを顧みることはなかった。
――
(ひどい、ひどい。あんな言い方……)
クローディアの胸中に渦巻くのは、しかし、怒りよりも哀しみだった。
以前は気にもしていなかったランドリューの物言いも態度も、今のクローディアには辛いものばかりだった。
「お、奥様……? どうなさいました」
「え……」
その声は、ちょうど廊下の花瓶にいける花を取り替えていた下働きの少年シオンのものだった。
柔らかそうな癖毛のそばかす顔が、心配そうにクローディアを見つめている。
「あ、シオン。……なんでもないのよ、気にしないで」
「でも……奥様……そんな悲しそうなお顔をされて、なんでもないなんて思えません!」
クローディアは、シオンの優しい言葉に微笑んだ。
「ありがとう、シオン。……あなたは、明日のお祭りは行くの?」
「お祭り……行きたかったのですが、ルーグさんに、旦那様のお留守の間に書斎を掃除しておくよう言われて……」
「書斎の……?」
ふいに。
クローディアの心に沸き起こる衝動。或いはそれは、誘惑にも似たものだったろうか。
「そうなの、シオン……。あのね……」
クローディアは、己が恐ろしい罪を犯そうとしていることに内心震えた。
それに、心優しい少年を巻き込もうとしていることにも。
しかし。
「どうしても、確かめたいことがあるの……」
ランドリューの心を確かめないままでは、もういられなかった。
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