※この作品はR-18です。

ある伯爵の懊悩   作:無能な葦

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つつがなく

 ドンッ、ドンッ、ドンッ、ドドンッ!

 

 手を繋ぎ輪になって踊る民衆の熱気が上がっていくにつれ、奇妙な地鳴りのような音があちこちで生じつつあった。

 

 街の各所に施された法師による仕掛けが起動していき、強いエネルギーが生み出され街を縦横無尽に貫いていく。

 

 肉眼では見ることのできないその力の流れを、ランドリューは魔力を流した看破術によって見通す。

 

 エネルギーは禍々しい色を帯びた迸るオーラとなって街を取り囲むように張り巡らされると、踊る人々の足元に渦を巻きながら収斂していった。

 

「フィーリス! フィーリス! フィーリス!」

 

 熱狂する民衆の声は天を貫き地を揺らす。

 

「さぁ、皆さま。捧げるのです、あなた方の友愛の心を……!」

 

 舞台の上でローリス法師が、フィーリスのレリーフをあしらった杖を掲げた。

 それがカッと強く眩い光を放つ。

 

「うわぁ!」

「きゃぁあ!」

「うぇ~ん!!」

 

 その瞬間、民衆からは戸惑いや恐れの声が上がった。

 

「痛いっ痛いよぉ!」

 

 小さな子供たちが先ず最初だった。

 頭や腹、手や足など部位は様々だったが、皆一様に痛みを訴え出す。

 

「な、なんだか頭がガンガンして……」

「息苦しいわ、目が回る……」

 

 次は老人。やがて病弱な者、健康な者問わずあちこちから不調を訴える声がする。

 

「さぁ、もっとだ……!」

 

 ローリスは更に杖を振り、レリーフをゆらりと回した。

 

 ズンッ! と地鳴りがして、民衆はますます苦しげに呻き出し、ある者は立っていられず地面に膝を突く。

 

 その石畳の地面が、どぷり、とおぞましく不快な泥濘のような暗黒に覆われつつあった。

 

「う、うわぁ~!? な、なんだこれ……!?」

「きゃぁああ! し、沈んでいくわっいやぁ!」

 

 まるで底無し沼のように広がる真っ暗な地面に、人々は恐怖した。

 

 パリ、パリパリ、パリッ。

 

 そんな彼らの頭上、掲げられた杖のレリーフの先で、何もない中空にヒビが走り出していた。

 

 爽やかな青空が、奇妙な暗黒に侵食されていく。

 

「さぁ、儀は成った! この人々の命を以て、門を開こう! ∮∮∬¢⌘〻⊿§∮∮∮!」

 

 ローリスの口から、常人には聞き取ることのできない音が発せられた。

 魔導師のみが扱うことのできる特殊な音声言語。魔導の術を起動するための合図であった。

 

 ぞ、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、と辺りの空気が重くなる。

 

 にわかに空が掻き曇り、昼でありながら夜のように暗くなっていった。

 

「あ、ぁあ……!」

「お、おわりだ、この街は……!」

 

 パリ、パリパリ、バキン!

 

 空に亀裂が走り、そこからおぞましい獣たちの爛々とした眼が、鋭い牙や爪が覗いていた。

 

 解き放たれるのを今か今かと待ち侘びて、大挙して亀裂へと押し寄せる魔界の獰猛な獣の群れ。

 

 ただの街の民衆に、それらをどうこうする力などあろうはずもなかった。

 

「解き放たれよ、魔界の門……!」

 

 ローリスが杖を振りかざし、言った。

 その瞬間。

 

「ℵ℥ℜℋℛℛℌ℟ℭ℟℟ℶℷℸℷ」

 

 鐘撞き堂の高みから、その音は響き渡った。

 

 街を縦横無尽に貫いていた禍々しいエネルギーを、全く同じルートで上から塗り潰すように清浄なエネルギーが迸っていく。

 

 パシュンッ……!

 

 いままさに開かれんとしたその亀裂へと、光より疾く走る浄化の力が渦を巻き、収斂し、鋭い槍となって貫いていった。

 

 それは、一瞬にも満たないうちの出来事。

 

「……!? な、なにがっ」

 

 ローリスの掲げていた杖が、パァンと弾け飛ぶ。

 

「魔界と通じ、門を開かんと企むは重罪。大人しく縛に着くことだ、ローリス!」

 

 倒れ伏す人々の中に紛れ機をうかがっていたグイードが、剣を抜きざまにローリスの杖を叩き落としたのだった。

 

「な、き、貴様は……これは……な、なぜ……私の計画が……!」

 

 ローリスは大いに狼狽えていた。

 しかしすぐにハッとして、取り落とした杖を掴み術を紡ごうと口を動かす。

 

「おとなしくしろと言ったろうが!」

 

 グイードはそれを許すはずもなく、瞬時に杖を切り捨てると切先を喉に突き付けた。

 

「現行犯だからな、このまま首を刎ねても構わんのだぞ」

 

 ローリスはなおも抵抗を試みようとしたが、ジリ、と切先が喉に埋まる感触に呻き、諦めたように両手を下ろして項垂れた。

 

「な、なにが起こってるんだ?」

「みて! あの方は、グイード様じゃない!?」

「本当!? 噂に違わぬ素敵な方!!」

 

 重く垂れ込めていたおぞましい空気が打ち砕かれ、青空と石畳の地面が戻ってくると、人々はただ困惑していたが。

 

「あの法師、なんて恐ろしい真似を!」

「なにが友愛だ、悪魔の使いめ!」

「縛り首にしろ……!」

 

 状況が次第にわかってくると、落ち着くどころか民衆は怒りを爆発させて舞台の上のローリスにその辺にあるものを投げつけ出した。

 

 玉ねぎ、トマト、的当て用のボール。ありとあらゆるものが飛ぶ。

 

「おいおい落ち着け! 俺にも当たる! おおいそこのアンタ、ロープだ! コイツは王都で正当な裁きを受けるんだからな。的当ては屋台でやれ!」

 

 グイードがテキパキと指示を出し、怒りに震える民衆を宥めながらローリスを縛り上げていった。

 

――

 

「……」

「万事、つつがなくお済みですか」

 

 鐘撞き堂から、グイードらの様子を見守っていたランドリューは、落ちる影から生じる声に驚くでもなく頷いた。

 

「あぁ、深刻な被害も避けられたようだ。ご苦労だった」

「お役に立てたならば、光栄ですわ、伯爵」

 

 ふいに浮かび上がる姿は、婦人会で傷心旅行中の未亡人を名乗っていた女であった。

 

 艶やかな紅の唇が弧を描く様は、妖艶そのものだ。

 

「……まだその姿を?」

「綺麗な未亡人には、皆様親切にしてくださいますもの」

 

 にこやかに語られる打算めいた言葉に、ランドリューは眉根を寄せた。

 

「まぁ好きにするが良い。此度の私からの仕事はこれで終わりだ」

 

 女は優雅に一礼して了解を示すと、再び影の中に紛れていく。

 

「あ、そうそう。伯爵、老婆心ながらご忠告いたしますわね。奥様とは、もっとお話しされた方がいいわ。うふふ!」

 

 トプン。

 

 影が水面のように揺れたかと思うと、女の姿はもうそこにはなかった。

 

 残された言葉にランドリューの眉根はますます寄っていく。

 

「……なんだ、この、胸騒ぎは」

 

 万事つつがなくことは終わったはずだというのに、ランドリューの胸中には終わらぬ不安が生じてきていた。

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