夜も更けてなお、ランドリューの部屋の灯りは消えてはいなかった。
男は羽根ペンにインクをたっぷりとつけると、ガリガリと一心不乱に紙に書き綴る。
それは、つい先程クローディアと言葉を交わしながら見ていた白日夢。
クローディアが語った、晴れた青空のように澄んだ青い瞳の青年と若い妻との許されざる情事の一部始終。
「うぅ、クローディア……クローディアっ……私は……私はッ……!」
ランドリューは頭を抱え、ギシギシと歯を噛み鳴らし、血走った目を剥いて荒い呼吸を繰り返す。
ーー
クローディアの艶めく桃色の唇がうっすらと開かれて、そこから漏れる官能の声。
細い腰、白い肌、柔らかく大きな乳房、引き締まった尻。
なにもかもが男を惑わし、狂わせる。
深く深く、見つめられるとそのまま引き込まれてしまいそうな黒い瞳に、心は囚われる。
何度も抱いて、抱くほどに感慨を深め、美しい妻を娶らせてくれたことを神に深く感謝した。
それが。
「クローディア……クローディア……!」
なぜか。
妻が他の男に抱かれるところを夢想しながら、大きく屹立した己を一心不乱に扱き、その苦しさと痛ましさとに息の詰まる想いを抱きながら。
「嗚呼ッ……!」
手の中に白を飛ばし、果てた。
「……なにを、しているのだ。私は」
呆然と呟いて。
男は、ひとり寝台に横になり眠った。
ーー
翌朝、清々しさとは対極の目覚めでランドリューは身を起こした。
寝たはずなのに寝た気がしない。
愚かな妄想で妻を穢し、独りで果てた虚しさ。
そうしたものが胸中に蟠り、どんよりと凝って沈澱していくような重さ。
ふらりと寝台を降りて身支度を整え、食堂に降りて。
「おはようございます、貴方」
「な、なぜ君が……! こんな朝早くに!?」
待ち構えてでもいたかのように顔を上げた若き妻クローディアの姿に、ランドリューは大いに狼狽えた。
クローディアは悠々と紅茶を飲んでいる。
執事が持ってきたまだ仄かに温かい新聞を手にしながら、ランドリューは席についた。バサリと新聞を広げてみながら、ちらりと妻の姿を盗み見る。
窓から差し込む朝の光を受けて、絹糸のような漆黒の髪が艶を帯びて輝いていた。桃色の唇に運ばれるカップを見ながら、
(嗚呼、いっそカップになりたい……茶でも良い……あの愛らしい唇に啜られるのなら……)
ランドリューが夢想の心地に至る。
執事が運んできた朝食の皿と注がれる紅茶で、はっと正気を取り戻し。
(莫迦な! いま何を考えていた!? 頭が、どうにかなってしまったようだ……)
一瞬とはいえ訳のわからぬ願望に取り憑かれた己を恥じて目頭を揉む。
「貴方……ランドリュー様。今朝もまだお疲れのご様子。あまり寝られませんでした? 目の下にすごい隈が……」
クローディアが心配した顔でランドリューを見つめた。
その声音にも、黒い瞳にも、純粋に夫を慮る色がある。ひたむきな眼差しに、ランドリューの新聞を握る手に力が篭った。そうしなければカタカタと震えそうだった。
「あ、あぁ、うむ。……少々、考えごとを、な。……そ、それより君はどうしたというのかね。いやに早起きではないか。どこか遠出の予定でも……?」
尋ねながら、ふいに、ランドリューの胸の内にまたあの沸々とした、忌まわしい火が点り出す。
もしや街の方へ出かけるのか。誰かと会うのか。それは男か? そうした疑念とも期待ともわからぬ感情が、むくむくと育っていく。
「貴方! 聞いてる!?」
「は、……ん!? い、いや。なんだったかな……」
「もう。あの夜から少し変よ、どこかお悪いのではない? あ、もしやまた胸が痛いのでは? 心臓の病だったら大変。あの時のお医者様はなんて仰って……?」
あの時。
それは、ふたりの初顔合わせの日のことだ。ランドリューは突然の猛烈な胸の痛みに膝を突いた。それを優しく介抱しながら医者を呼んでくれたのが、クローディアとの婚姻の決め手となった。
しかし、あの時の医師の診察の結果はクローディアにはなんとなく濁したままにしてある。
ランドリューは緩々と首を振った。
「あれは……とにかくなんの心配もいらんのだ。……寝不足と考え事で、いささか、な。それで? もう一度言ってくれないか?」
ランドリューの秘密主義めいた言い分に、クローディアは頬を膨らませ不服そのものという顔をした。たまに見せる妻のこうした幼い表情が、ランドリューの心臓をチクチクと苛むのを彼女は知らないのだ。
「わかりました、ひとまずそちらの心配は横に置いておきますね。それで、街の方の婦人会のサロンに顔を出す約束なの。だから遠出といえば遠出よ。……貴方の本日のご予定は?」
クローディアは言外に、ないなら一緒にどうかと誘いをかけるつもりでいたのだろう。それはランドリューにも察せられた。
「相談に呼ばれているところがあってな。自領ながらいささか遠い。帰りはやはり遅くなるだろう。君も、よければその婦人会の集まりとやらで夕飯まで食べてきても良い。独りでここで食べるのもつまらんだろう」
殊更に口をさしはさむ余地を与えずに言い切って、ランドリューは朝食を終えるやいなや立ち上がった。話はここまで、忙しいのだと全身で表明している。
その様子に、クローディアも察したのだろう、眉を下げ寂しそうに微笑むと小さく頷いた。
「わかりました。あまり根を詰めすぎませんように、貴方」
クローディアは聞き分けの良い妻だった。出て行く夫の姿を見送る顔はどうにも寂しげなままで。しかし、それをランドリューが振り返ることはなかった。
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