ガタガタと馬車に揺られ、クローディアは屋敷のある郊外から街へと向かう。
レイズワード領は広大で、端から端まで行こうと思えば時節によっては七日から十日ばかり掛かることすらある。
最も栄える街は、伯爵邸から馬車で一刻ばかりというところで、決して近いとは言えないものだった。
そんな領地であるから、領主であるランドリューは領内の視察程度であっても時に半月以上留守にすることもある。
クローディアは馬車に揺られ街に向かう道すがら、窓からの景色をぼんやりと眺めて物思いに耽っていた。
(やっぱりおかしい、ランドリュー様のあのご様子。あの夜からだわ……いったいどうしたらいいの? お話ししたくとも避けられているみたい……)
はぁ、と思わず大きな溜息がこぼれる。
クローディアは、自分がなにか粗相してランドリューの気分を害したのなら、それを謝りたかった。至らない点があるのなら直したい。
夫の忙しさはよくわかっているから、それを口実に対話を避けられては取り付く島もないようなものだった。
(ランドリュー様には、私は幼く見えるのかしら。まともに話し合う価値もないの? どうしたらいいの……いったい、どうしたら)
出口の見えない思考の迷宮を延々とぐるぐる回っているような気分だった。クローディアはまた溜息をこぼす。
ガタン! と、その時、馬車が一際大きく揺れたかと思うと、ガクンと傾いた。
「きゃっ!?」
「あーこりゃいけねぇ。申し訳ありぁせん奥方様! 脱輪したみたいで」
御者席で男が声を上げ、扉を開けてクローディアに手を差し出した。
「すぐになんとかしますんで、ちょいと外でお待ちくださいや」
三角帽子を被った御者の男に手を引かれ、クローディアは道に出る。ぱちゃ、と足元はぬかるんでブーツの爪先が半ばまで沈んだ。
「ずいぶんと道が悪いのね。しばらく雨が降り続いたから、ぬかるんででこぼこして」
「そんな悪路でもひょいひょい渡るのがウデってモンですが、いやぁ面目ない。奥方様、お急ぎのとこすみません、チャチャっと戻しますんで下がっといてくださいよ」
日に焼けた赤銅色の顔をくしゃっと笑わせ、御者は堂々と請け負う。
「なにか手伝えることあるかしら?」
「とんでもない、奥方様。汚れたらいけませんからね、できるだけ下がって……」
御者は馬の尻をムチでパシンと打つと、馬が動き出すのに合わせて溝にはまった車輪を噛ませた板で掬い上げるようにして持ち上げる。
それを何度か繰り返して、ゴトン、ゴトゴト、と道に戻った車輪が無事に回り出す。
「すごいわ、見事な手並みね!」
「はは、そうでしょう? なんてね。マァこんくらい御者仕事してりゃ朝メシ前ですよ。すみませんねぇ奥方様、お手間取らせて。さ、街へ向かいましょう」
ゴツゴツとふしくれだった御者の手が、再びクローディアに差し出された。その手を取って、タラップに足をかけ、クローディアはまた馬車に乗り込む。
そうして馬車はゆっくり走り出し、やがてグングンと速度を上げていった。
ーー
街からの帰路、馬車がまたしてもガタンと大きく揺れて傾く。
「ひゃっ!?」
すっかり日も暮れなずみ、ウトウトしかけていたところでの衝撃に、クローディアは淑女らしからぬ悲鳴を上げた。
「あークソッ、またか! 申し訳ねぇ奥方様。すぐ戻しますから!」
「い、いいのよ。本当に、困ったでこぼこ道だこと……」
御者に手を引かれ馬車を降りて、また同じように馬車を持ち上げる作業を見守る。
しかしぬかるみが柔らかく深く、作業は思いのほか難航していた。日はどんどん落ちて、夜の色が濃く迫る。
「チッ、なかなか抜けやがらん……」
何度もムチで打たれた馬にも、疲弊の色が窺える。クローディアはソワソワと見守っていたが。
「ねぇ、手伝うわ! ふたりでやればもっと持ち上げられるわよ」
御者がなにかを言う前に、クローディアは彼が持つ板に取り付き、にこりと微笑んだ。
三角帽子の下、日に焼けた顔が困ったように笑う。
「奥方様にやらせていい作業じゃねんだけどな。しかたねぇ、そんじゃ……イチ、ニノサン! でいきますよ」
御者が馬にムチをくれ、動き出す馬に合わせて「イチ、ニノサン!」と号令を出す。それに合わせてクローディアも板にぐんっと体重を乗せ、馬車の車輪を溝から浮かせることに成功した。
「やった! ほらね、ふたりでやればすぐなのよ!」
「や、こいつは参った。おみそれしやしたよ、奥方様」
キャアキャアとはしゃいで喜ぶクローディアに、御者はまた困ったような顔で笑った。
「お衣装が泥まみれだ。申し訳ねえ」
「あ、……本当。でも、仕方ないわよ。気にしないでちょうだい。さぁ、もう暗いわ。急いで帰らくちゃ」
ーー
馬車が屋敷に着いたのは、とっぷりと日も暮れきって夜も深まった頃だった。
「奥方様をこんな遅くに送り届けるハメんなるとは。伯爵様にゃオレから謝罪申し上げましょう、遅くなってさぞかしご心配でしょうから」
クローディアが馬車から降りるのに手を貸しながら御者が言う。それにほんの微か翳る顔でクローディアは微笑んだ。
「ありがとう、でもきっと大丈夫よ。今日は遠出をすると仰っていたから……旦那様はまだお帰りにはなっていないと……」
全てを言い切らないうちに、扉がバタンと開かれた。明るい光が扉の形に切り出され、馬車とクローディアたちを浮かび上がらせる。
「お、お、奥様! よくぞご無事のお帰りで!」
心配しすぎて朝に比べると少しやつれて見える執事が、息急き切って迎え出る。
「旦那様、旦那様! 奥様が無事にお戻りになられましたよ!」
その執事の後ろから、のそりと姿を見せたのは渋面険しい伯爵ことランドリューであった。
「あ、貴方、もう帰っていらしたの!?」
クローディアが驚いて目を丸くする。
御者の手に重ねたままだった手を借りて身軽にタラップを降りると、泥だらけのスカートの裾を摘んで持ち上げ小走りに近づいて行く。
「申し訳ありぁせん、伯爵様。大事な奥方様のお帰りをこんな遅くにさせちまって」
「あら、違うの、違うんですよランドリュー様。悪いのは道よ、馬でも御者の方でもなくて。お、怒ってなどいらっしゃらないでしょう?」
三角帽子を取って深々と頭を下げる御者の言葉を途中で遮り、クローディアは必死に夫に言い募った。相変わらずの険しい顔をしたランドリューが、クローディアの黒い瞳を見下ろして。
「無事で良かった。もう少ししたら捜索隊を出そうかと、ルーグと話していたからな。……しかし、道、か」
ランドリューは思案げに呟いて顎をさすると、問いただすような目を御者に向けた。
飄々として見えた御者も、切れ者で名を馳せた伯爵の鋭い眼光には緊張しているようで、しきりに赤茶の髪を掻きながら頷いた。
「長雨で道がすっかりぬかるんで、そこを何台も馬車が通るから変な轍の溝ができちまってんで。そこに車輪がハマるとこう、ガタンガクンと……」
手振り身振りを加えながら語る、やはり泥まみれの御者の話にランドリューは頷きを返した。
「道の整備の予定と予算を見直しておこう。ご苦労だった……よければ湯浴みと食事を。ルーグ、あの者に着替えを用意してやってくれ、使用人たちの中に背格好の合う者もあるだろう」
ランドリューは執事のルーグにそう告げると、クローディアをもう一度見た。
「君も今日は疲れたろう、先に湯を浴びて、食事にしなさい」
「あ、……はい、貴方」
ランドリューの眼差しも声音も、いつも通りに優しいものだった。クローディアはほっと安堵して思わず顔が綻んでいく。
(良かった、いつものランドリュー様だわ。よそよそしく感じたのは本当に忙しかっただけなのね……)
心持ちもいくばくか軽くなったクローディアは、弾むような足取りで湯を浴びに行き、御者も執事の案内で使用人用の浴場と食堂へ向かって行った。
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