夕刻、治水と街道整備の様子を監督し終えて屋敷に戻ったランドリューを迎えたのは、意外な人物であった。
明るいオレンジ色の髪と翡翠の瞳の甘いマスクの伊達男。ただ右目に走る刀疵が、単なる遊び人とは一線を画す歴戦の武勇の気配を漂わせてもいる。
「ぐ、グイード……! な、なぜ貴様がここに……」
「よぉランディ。いや、レイズワード伯爵とお呼びした方がいいのか? ハハ、半年ぶりに会った旧友にけっこうな物言いだな」
グイードと呼ばれた男は、片目を軽く瞑ってみせながら、髭の蓄えられた顎をさすった。
男の名はグイード・シーヴス、ランドリューが宮仕えしていた頃の同輩である。
共にひとりの王に仕え、国のために武勇を奮った誉れ高き騎士でもあり、ランドリューと並んで王の左腕と称された男でもあった。
先王の退位に合わせ、ランドリューと共に王宮を去っていまは気ままな風来坊だという。
半年前の婚姻の式の際に会ったのを最後に、便りを送り合うこともないままであった同輩の突然の来訪に、しかしランドリューは喜ぶよりも当惑し、また不安の芽の出るのを感じた。
グイードという男は、その見た目の良さと立場からとにかく女によくモテた。
本人もまた無類の女好きで、近年の平穏な王都ではその武勇以上に浮名を流した伊達男としての知名度の方が高いほどでもあった。
そんな男が、主人の居ぬ間に若い妻とふたりきりで談笑していたとあっては、ランドリューの内心は穏やかならざるものになるのも致し方ないことと言えたろう。
「グイード、来るのは良いが先触れの便りくらい寄越しておくのが礼儀であろう。まるで盗人のようにコソコソと主人の留守のうちに屋敷に入り込むなど……」
「貴方……! 旦那様、それはあまりのおっしゃりようでしょう」
ランドリューの棘だらけの物言いに、クローディアの方が先に声を上げた。
グイードはといえば、軽く目を見開いて驚きはしたものの、特に気分を害したということもなさそうに肩を揺らしたのみだ。
「クローディア、君も君だ! このような男とふたりきりになるなど、レイズワード伯爵の妻としての自覚がないのか。慎しみと思慮が足らぬ。君はもっと弁えた女性だと思ったがな」
ランドリューの暴言ともいえる言葉に、クローディアは黒い瞳を大きく見開いて一瞬声も出せないようだった。グイードもさすがに眉を顰める。
「落ち着けよランディ。俺をどうこう言うのは構わんが、ただ客人を歓待してくれただけの奥方にそれはひどい侮辱だろう?」
「……いえ、いいえグイード様。良いのです、旦那様のおっしゃる通り、私に自覚が足りなかったのですわ。……申し訳ありません、あとは……男同士旧交を暖めてくださいませ。弁えのない妻は今宵はこれで失礼致します。おやすみなさい」
クローディアはそれぞれに挨拶をすると、そのまま広間を出て行った。
言葉の端々から静かな怒りが感じられたようにも思う。
「ほら、怒っているじゃないか。伯爵、奥方はお若いがアンタの部下や使用人ではなく、対等な妻という立場なんだ。あんな叱責するような物言い、そりゃ怒るよ」
グイードの呆れたような声音に、ランドリューはむっつりと押し黙る。
「やれやれ、第一線を退いたら早くも朦朧したのかね? 随分と余裕のないことだ。どうやら、奥方の悩みは本当らしい」
「……!? なんだと、クローディアがお前になにか言ったのか!?」
あからさまな動揺を見せるランドリューに、グイードは口端を軽く吊り上げて笑った。
ーー
二人の男は広間から移動し、今はランドリューの書斎に居た。
秘蔵の蒸留酒をグラスに注ぎ、ランドリューが硬く険しい表情のまま旧友に勧める。
「いやぁ、それにしてもひどい顔だな伯爵。宮仕えの頃と同じか……いや、それ以上ではないか? よほど心配ごとがあるようにお見受けするが」
グイードの口調も表情も変わらず軽いものであったが、その声音には確かに友人を心配する響きがある。
ランドリューもそれには気付けた。変わらず険しい顔ではあったが。
グイードという男が、いかに軽薄で軟派で人妻相手にも気ままに浮名を流す男であるとはいえ、友誼には篤いタチだということも同時に思い出したのだ。
「……グイード、……あぁ。いや。やはりなんでもない。クローディアはなんと?」
グイードは軽く肩を竦め、グラスを口に運ぶと片目を瞑って考えるような顔をした。
「どうも、最近旦那様がよそよそしい、と。自分の至らなさにアンタの不興を買ったのではないか、と奥方は不安そうだったぞ。いったいなんだというんだ?」
「そ、そのような……。……グイード、おまえの目に、クローディアはどう見える」
ランドリューは狼狽えながら、思案に沈むように目を伏せた。
問いかけに、グイードは当惑したように一瞬固まり、グラスに口をつけながら慎重に言葉を選んでいるような間を置いて、重々しく口を開く。
「あー……そうだな、美しい女だな。気立ても良いし、明るいし、正直にいえばアンタには勿体ないよ。若くて気の良い娘だ」
グイードという男は、言葉を選びはしても遠慮はしないタチであるようだった。
しかし、その忌憚のない意見を、ランドリューは我が意を得たとばかりに頷くと、ソファからずいと前に身を乗り出して言った。
「そうだろう!? そうなのだ。クローディアは美しい。黒い髪は光沢艶やかな絹織りのように滑らかで、瞳は星夜をそのまま写し取ったかのようにきらめいて輝き、陶器のように白く美しい肌には傷ひとつない」
「お……? ぉん? お、おう……」
「抱き寄せればその腰は細くいまにも折れてしまいそうな儚さを、手首も指も細くしなやかで……爪の先まで愛らしいのだ……そのような、若く美しい女が! 私のようなずっと歳上の男に満足できるか……いつか相応の魅力的な男が現れて、彼女の心を奪っていくかもしれん! ……そう、不安なのだ」
ランドリューの怒涛の吐露に、グイードは神妙な顔をしてごくりと蒸留酒を飲んだ。それからおもむろに口を開くと、
「なるほど、重症のようだな……」
ーー
男たちが酒を飲みながらに旧交を暖めているころ、寝室に引き取ったクローディアは打ち沈んでいた。
すぐに寝る気にもなれず、かと言ってなにかを読んだりという気にもならず、窓辺に腰掛けて夜風に長い髪を遊ばせるまま。
はぁ、と溜息を吐いた。
「いくらなんでもあんまりよ、ランドリュー様! あぁ、でもやっぱり、ランドリュー様にしてみたら私なんてつまらない、無知で愚かなただの小娘でしかないの? 頑張って物分かりの良いお淑やかなレディになったつもりだったのに……。やっぱり……もっと、素敵な方が……」
その言葉は最後までは音にならず、夜風に溶けて消えていった。
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