クローディアが寝付いたのは明け方近かった。
その為だろう、起こしに訪れた侍女が何度呼びかけても揺すってみても一向に目を覚まさず、ようやく起きた頃には日もかなり高い位置だった。
「そ、そんな……たいへんな朝寝坊を……フェザーさん、旦那様は……?」
何度目かでやっと起きたクローディアが呆然として侍女に尋ねる。
「シーヴス様とお出掛けになられました。お帰りは夕刻のご予定だそうですよ」
「そう、……そうよね。わかったわ、ありがとう」
久しぶりに訪れた旧友に領地を案内しているのだろう、思えば当然のことだ。仮にクローディアが早く起きられたとしても、グイードが居る間はゆっくりとランドリューと話す時間は取れないだろうとも思えた。
クローディアは肩を落とし、朝食というには遅すぎる食事を摂りながらまた物思いに耽る。
(グイード様が、うまくとりなしてくださるかもしれない……)
ほんの微か、クローディアが期待できることといえば今はグイードだけであった。
ランドリューに忌憚なく意見できる同輩の男は、男女の機微に長けている。堅物のランドリューと経験の浅いクローディアよりはずっと頼りになりそうだ。今は焦らず時を待つべきだろう、とクローディアは己に言い聞かせて。
気を取り直したようにひとつ息を吐くと。
「昼から街に行くわ。婦人会のお手伝いをするから、動きやすい格好にしてちょうだい」
侍女に支度の指示を出して、クローディアは温くなったミルクティーを飲んだ。
ーー
二人の男は、馬に乗り深い森の小径を進んでいた。
「よく手入れの行き届いた良い森だな、さすがは遣り手の切れ者だ。アンタを領主に戴く領民は幸せだろうね」
鮮やかなオレンジの髪に顎髭の、右目に刀疵走らせた伊達男が軽やかな声で言う。その賞賛を聞きながら、しかしランドリューは僅かに片頬を持ち上げて苦笑にも満たない顔をした。
「よく言う。……どこの領地にも身を置かぬ流れ者が。退官する時に拝領する話も断ったのだろう?」
「ハッ、俺はな。俺を領主に戴く民は哀れだろ、統治だ政だのは俺の性に合わん。知っているはずだろ、伯爵殿?」
グイードは王に仕える直属の騎士ではあったが、その出自は一庶民であった。
卓抜した才能と胆力によって若くして武勲を立て、王直々に取り立てられたという経歴を持つ。
王侯貴族に対してひとかたならぬ複雑な想いを抱いてもいるようだったが、不思議とランドリューとグイードはウマが合った。
グイードの恐れを知らぬ口さがない物言いは、ランドリューには新鮮で衝撃的であり、妙に心地よくも思えるのだ。
「ランディ、昨夜はウッカリ言い忘れていたのだがな。俺がアンタに会いに来たのは、なにもタダ飯と若い嫁さんを拝むためだけではないんだ」
森の泉の辺で馬を止め、水を飲ませながら、グイードはおもむろに口を開いた。その表情は飄々としたいつものそれから、少しばかり深刻そうな色を湛えていた。
ランドリューは訝しむように片眉を釣り上げる。
「新しい陛下が即位されて一年と少し。どうも最近あちこちの境界が侵されているらしい。魔族どもが暗躍している、と噂がある」
「……莫迦な」
グイードの話す内容に、ランドリューの口からこぼれた言葉は短いものだった。それに対してグイードは軽く肩を竦める。
「先王の退位も新王の即位も、それによる魔の穴の封印の引き継ぎも滞りなくできたはずだったんだがな。……事実、ここ十年ばかり見なかった魔獣による被害が各地で散見されている。……魔族にはまだお目にかかっちゃおらんがな、魔獣が出始めたってことはそういうことだ」
退官後、ふらふらと国内を旅して回る風来坊のグイードは、領地に引きこもっているランドリューに比べて多くのものを見聞きしているのだろう。王都からも遠く離れた辺境地のことなどは、ランドリューの元にはなかなか聞こえても来ない。
ランドリューは眉を顰め、思案に沈んだ。
ランドリューたちが仕えた王は、正式な王ではなかった。
先々代の王が立太子する前に突然崩御し、生まれたばかりの王子の立太子を巡って王宮が荒れた。
そのせいで国の護りも手薄となり、各地に開かれた魔界と繋がる穴から魔獣や魔族が出てきては各地を荒らしていた。
それを見兼ねて、先王が代王として立ったのが今から二十年前のことである。
先々代の王の子を立太子した上で、ものの分別のつく歳になるまで代王として立ち、情勢を安定させた上で引き渡す、というのが王家と議会と魔導師会で取り交わされた誓約であった。
二十年、先王はその間に各地の魔界と繋がる穴を封じ込め、不穏分子を鎮圧し、国内を安定へと導いた。その際の穴の封印と細かな軍略や政略を担ったのがランドリューであり、実行部隊の指揮や諸々を担ったのがグイードである。
この国において王の役割とは穴の封印であった。その為に優秀な魔導師と騎士が一人ずつ選ばれ、三位一体による魔界の穴の封印に当たる。古来より連綿と伝わる護国の法であった。
「封印が弱っているというのは……王の身になにか? ……私の後任の魔導師が、無能だとは思えんが」
ランドリューがようやく口を開く。先々代が突然崩御したその頃、それより少し前から国内は荒れ出していたのを思い出したのだ。王の身に流れる封印の力が弱ければ、どれだけ優秀な魔導師が術を敷いても要を維持することが難しい。
王宮を出たランドリューには、現王の正当な真価や評判は伝わっては来ないものだった。
グイードはゆるゆると首を振る。どれほど情報通といえど、さすがにそれはわからないのだろう。
「今のところはなんとも言えん。ただ、魔族どもが蠢動しはじめ、暗躍しだしているのは確かさ。……伯爵、アンタも気をつけることだ。俺たち護国の三身は、最も連中から恨みを買っているのだからな」
そう言うグイードの口元はにやりと不敵に笑っていた。元より平穏より戦乱を好むタチの男なのだろう。ランドリューは眉を顰める。
「魔獣の被害は領民の生活にそのまま響く、看過はできん。……しかし、魔族か。奴らは狡猾にして邪悪、とはいえ……私も易々と斃されるほど落ちぶれたつもりはない」
ランドリューは尊大にも見えるほどの自信を滲ませてそう言った。
しかし、不意に胸騒ぎを覚えもした。
(私はともかく……もし、狡猾な邪智の魔の手が、クローディアに向けられたら……?)
将を射んと欲すればまず馬を射よ、とは常々魔族の常套の手法でもある。
古来より、勇猛果敢な騎士も優秀な魔導師も、大事なものを人質に取られた末に斃されている。
ランドリューの手綱を握る手に知らず力が篭った。
「早いとこ仲直りしろよ……心の隙間は連中の思う壺だぞ」
グイードの忠告が、ランドリューの胸に深く突き刺さるようだった。
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