【完結】もし衛宮士郎がメディアリリィを拾ったらというお話 作:ふりかけ@木三中
「違う……」
ポツリと呟く。
やっぱり、この世界は違う。
「何が違うのですか?この世界ほど安らかな場所はないというのに」
セイバーがにこやかな笑みのままそんな言葉をかけてくる。
だが、ますます違和感は激しくなって頭が割れるように痛む。
ここは……違う。
外に、外に出なければ……
「先輩は頑張りすぎですよ、少し休んでも良いんですよ」
「そうよ、外に出たって辛いだけよ」
桜と遠坂がそう微笑みかけてくる。
外に出たところで辛いだけ、か……
おそらくその言葉は俺を惑わせる甘言というだけでなく単なる事実なのだろう、この世界にいれば何かに怯えることもなくずっとこのぬるま湯の空間で過ごすことができる。
だから、正義感からでも義務感からでも俺はこの世界から外に出る気にはならなかった。
今の俺の原動力。
それは俺がこの世界に感じている違和感だ。
何かが足りないと言う感覚の正体。
それは……
「……………」
ぐるりと周囲を見渡す。
セイバーに遠坂、桜にイリヤ、他の女性たちも皆可愛らしく美しい者ばかりだ。
それでも……
それでもこの世界には『彼女』がいない。
バッと俺にしなだれかかる女たちの手を払いのけると何かに突き動かされるように足を動かす。
『彼女』って誰だ?
分からない、思い出せない。
それでも俺の横にいつもいてくれたはずの『彼女』がこの世界にいないのだと。
それだけは断言できる。
教室を抜け出して、長い長い廊下を走り抜ける。
違う、違う、この世界は違う、ここは俺の居場所ではない。
がむしゃらに足を突き動かす。
学校から外に出ると、そこは土砂降りの雨だった。
強い風がビュビュウと吹き付けて冷たい雨が顔を打ちつける。
地面はすでにぬかるんでいて少し走っただけで足は泥だらけだ。
それでも歩みを止めることはない。
「はぁ……はぁ……」
息を切らしながら、自分でも何をやっているんだと自問自答する。
ザーザー、ザーザーと振り続ける雨はまるで誰かの涙の代わりに振り続けているようで、止む気配も見せずに俺の体を打ちつけて容赦なく体温を奪っていく。
学校にいれば、こんな冷たい思いはしなくてすんだのに。
そもそも、どこに行くのか宛もない、ただ何かの衝動に駆られて走っているだけだ。
「ぐっ…………」
それでも俺は走った。
筋肉が悲鳴を上げ、肺が空気を求めても、止まることなく走り続ける。
「…………どこに、いるんだ」
誰を探しているのかも分からないまま俺は必死でその『誰か』を探す。
こうしてがむしゃらに走っていると、ぼんやりとかつての記憶が蘇ってくる。
それは10年前の記憶。
かつての地獄での俺の罪と悪の記憶。
冬木の大火災。
あの地獄の中で幼かった俺は死にゆく人々から目を逸らし、耳を塞いで、逃げるように走り続けた。
「……………」
今の俺もあの時のように全力で走り続けている。
けれど、あの時とは違うこともある。
打ちつける雨の中でも誰かの姿を見失うことのないように
吹き荒れる風の中でも誰かの声を聞き漏らさぬように
逃げるためではなく、『彼女』と共にいるために……もう2度と大事なものを取りこぼさないために、今の俺は駆けている。
『シロウさまの瞳は本当にお綺麗ですね……炎のような熱い激情と鉄のように固い意志が込められています』
『誰か』に、そんな風に俺の目を褒めて貰った記憶が頭をよぎる。
ならば、その目で探せ、彼女の姿を……彼女のあの海のように美しい青髪を。
『ーー1人に……1人にしないで』
『誰か』が、そんな風に泣きそうな声で呟いていた記憶が蘇る。
耳を澄ませ、聞き漏らすな、彼女はきっとまだ泣いている。
「はぁ……はぁ……」
そうして俺が辿り着いたのは学校から遠く離れた柳洞寺……その近くの藪の中だった。
「…………」
気がつけば夕陽はいつのまにか沈んでいて、それでも相変わらずザーザーと雨は降り続けている。
そういえば俺が『彼女』と出会った夜も確かこんなふうに雨の激しい夜だったなとそんなことをぼんやりと思い出した。
「…………」
ふと空を見上げればどんよりとした雲間からは僅かに月明かりが覗いていて、その光がこの道の先を示すように淡く輝いている。
「…………今、行くからな」
そうポツリと呟いて、俺は藪の中へゆっくりと足を踏み入れた。
◇
衛宮士郎が『この世全ての悪』に呑まれ、その中の奇妙な空間に囚われている一方。
現実世界の柳洞寺にて言峰とキャスターは問答を続けていた。
「キャスター……君にとって衛宮士郎は悪なのか、君にとって『メディア』は悪なのか、ぜひその答えを教えてくれたまえ」
焼け焦げた『人間』だったもの。
かつての火災で衛宮士郎が見捨てた罪と悪の象徴を示しながら。
言峰綺礼はキャスターにそう問いかける。
「…………」
害意を持ってシロウや自身の過去を責め立てているわけではない、ただ純粋に悪とは何か、罪とは何かを知りたい。
そんな好奇の光に爛々と輝く言峰の目を見て、キャスターは小さくふぅ…と息を吐くと力強い表情で言峰を見返す。
「……わたしはかつて罪を犯しました」
生前の話をしているのだろう、魔女メディアの逸話は既に調べ尽くしているがそれでも言峰は黙ってキャスターの言葉に聞き入る。
「神に呪われたから、男に利用されたから……最初のきっかけはなんであれ、わたしは自らの意思で手を汚し、血を浴びて、沢山の人を不幸にしました。それは紛れもなく罪であり、悪であるのでしょう」
裏切りの魔女……そう人々に蔑まれた彼女はまるで自棄になったかのようにその二つ名の通りに振る舞ってみせた。神話を紐解けば彼女の悍ましい逸話の数々には枚挙がない。
どんな理由があったとしても、彼女は『裏切りの魔女』に自らの意思で成ったのだ。
目を伏せて、祈るように手を組みながら彼女は自らの過去をそう懺悔する。
「それでも……そんなわたしを好きだと言ってくれた人がいるんです」
僅かにはにかみ、頬を朱色に染めて、キャスターはそのことを慈しむように口にする。
『キャスター、お前のことが好きだ』
彼の言葉を思い返す。
彼にはいくつも酷いことをしてしまった。
何度も騙して、欺いて、傷つけてしまった、それでも彼はわたしを好きだと言ってくれた。
彼の瞳を、強くこちらを見据えるあの眼差しを思い返すだけで胸が高鳴る。
その高鳴りは、神の矢によって植え付けられた偽りのモノなどでは決してない。
彼と苦楽を共にして、歩んできた中で少しづつ積み重ねてきたものだ。
「わたしは、ずっとわたしのことが嫌いでした」
お姫様として箱庭の中で育てられてきた無知な少女のことも。
悲劇の果てに自らも裏切りの魔女と成り果てた女のことも。
嫌いで嫌いでたまらなかった。
「自分の感情すらも信じることができなくて、過去に向き合うことも未来に目を向けることもしませんでした」
神々によって感情を歪められ空虚な人生を送った自分の末路、そんな自分の物語をサーヴァントとして俯瞰して読んだ感想はただただ滑稽の一言につきた。
「だけどーーわたしが好きな人が、わたしを好きだと言ってくれたんです」
キャスターのことが好きだと、キャスターのことを信じるとどれだけ酷い目にあっても彼は言い続けてきた。
「そんなわたしをわたしは信じて、好きになってあげたいんです」
キャスターは自らの持つ赤銅色の錫杖を天高く掲げてみせる。
「シロウ様と出会えて私も変わりました。外の世界を、そして自分自身を怖がっていた私はもういません。今は彼の進む未来、彼の目指す理想のため、この杖を振るいます」
それは祈りであり、誓い。
箱庭の中の少女でも、裏切りの魔女でもない。ただキャスターのサーヴァントとして彼と共に或るのだと。
奪われた過去も犯した罪も受け入れて、それでも最期まで彼と歩み続けるのだと。
そんな宣言だ。
「そうして、そんなわたしだからこそできることもあります」
自らの杖の先端をグルリと大きくかき混ぜるように宙に向けてキャスターが振るう。
その所作はただの魔術ではない……尊き幻想、『宝具』の使用であった。
「其は、魂の設計図。我が命脈を持って、復元・回帰・遡行を命ず……『修補すべき全ての疵』ーー!」
裏切りを象徴するような『破壊すべき全ての符』と対になるようなメディアのもう一つの宝具。
誰かを貶め傷つけるだけの魔女ではもはやない、自らの主と共に戦うのだと覚悟したからこその癒しの力。
「これは…………」
その奇跡を前にして、言峰は思わず声を漏らす。
かつて衛宮士郎が火災の中で見捨てた子供……その子供がキャスターの杖から発せられる光を浴びるとみるみるとその傷を癒していく。
黒く焼け焦げた肌は本来の生気のこもった肌へと変わり、歪に収縮した筋肉はふっくらとした張りを取り戻す。
そうして闇に窪んだ瞳が、ゆっくりと光を取り戻してキャスターを見る。
「あっ、あっ…………」
そうして新鮮に空気を求めるように掠れた声を何度か発して……
「…………ありがとう」
そう小さく、しかし確かにそうキャスターに告げる。
「…………」
その言葉を発するだけで体力を使い果たしたのか、再び目を瞑るとスゥスゥと寝息を立てはじめる。だがその息遣いは先ほどまでの苦悶にまみれたモノではなく安らぐような、生を感じさせるものであった。
「あの状態から蘇生するとは……大した宝具を隠し持っていたようだな。とはいえその奇跡も死の運命を克服できるほどのものではあるまい」
眠ってしまった子供の寝顔をジッと見定めるように睨みながら言峰はセリフを紡ぐ。
「えぇ……その通りです、その子供を助けることはできましたがわたしの力ではこれが精一杯……10年前の火災で亡くなった他の多くの方々が生き返ることも、シロウ様が彼らを見捨てて逃げさったという罪も消え去ることはありません」
救えなかった命を惜しむように、ギュッと手を握り締めながらそれでもキャスターは力強く言峰に言い放つ。
「それでも、その罪を共に背負ってわたしは彼と共に歩みます。そう決めたからこそ少なくともその子供の命を救うことはできました」
キャスターの言葉に、言峰は何かを思案するように、何か苦々しげなものを見るように押し黙るがそれに構わずキャスターは言葉を続ける。
「初めの問いに改めて答えましょうかーーわたしにとって『メディア』は悪なのか、わたしにとって『衛宮士郎』は悪なのか、そんな問いでしたね」
悪の定義。
裏切りの魔女たるメディアが自身を、そして衛宮士郎をどう結論づけるか。
それが『この世全ての悪』の誕生が叶わぬと悟った言峰なりの悪の存在証明であった。
「確かにわたしは悪と呼ばれる存在で、許されぬ罪を犯しましたーーけれど、その過去があるからこそサーヴァントとして、彼の杖として或ることができる」
シャランと音を立ててキャスターは短剣と杖。
『破壊すべき全ての符』と『修補すべき全ての疵』
2つの宝具を力強く構えて見せる。
自らを悪と認めーーそれでもこれが自身なのだと誇るように。
それが自身をどう定義しているかという言峰の問いへの答え。
そうして、もう一つ……衛宮士郎についての問いかけについてもキャスターは堂々と、むしろ彼について語れることが喜ばしいかのような微笑みをたたえて答えて見せる。
「わたしにとってシロウ様はーーーー」
◇
雨粒が顔を伝う。
ガサガサと藪を掻き分けて歩みを進める。
この先にきっと、『彼女』がいる。
奇妙な世界を当てもなく走り続けて、辿り着いた先。
『彼女』と出会った柳洞寺のすぐそばで俺はそう確信する。
「…………」
そうして、かつての景色の再現のように
雨に濡れ、ぐったり体を横たえながらも美しい寝顔で眠る彼女の姿がそこにはあった。
「ーーーーキャスター!」
その姿を見た瞬間に全てを思い出した。
俺はギルガメッシュとの決戦の最中に『この世全ての悪』に呑み込まれ、この奇妙な世界に迷い込んだのだ。
夢か幻覚か、どう作用しているのかは知らないがこの世界は『この世全ての悪』が作り出した精神世界のようなものだろう。
夕焼けの中、時の止まった学校で俺を閉じ込めるように誘う女たちの声を思い返す。
なぜ、『この世全ての悪』がこんな世界を俺に見せるのか……そう考えてふと直感した。
この世界はきっと俺の逃避とキャスターの不安が生み出したものだ。
10年前の炎に塗れた地獄の中で、消えゆく命に目を逸らして逃げ出した俺の願望が生み出した死と恐怖の存在しない世界。
そして人の心など簡単に移ろう、脆いものだというキャスターの怯えが生み出した動くことのない不変の世界。
泥に呑まれた俺やかつて泥の力を使用したキャスターの無意識が『この世全ての悪』と反応して、この歪な精神世界を作りあげているのだろう。
何か根拠があるわけでもないが、この世界を彷徨った俺の直感がそうなのだと感じている。
「…………」
目の前で横たわるキャスターを見る。
かつて、俺が最初に出会った時のように雨の中で倒れる少女の姿を、
この世界が俺やキャスターの無意識を読み取って生まれたものだとしたら、目の前の彼女はなんなのだろうか。
単なる記憶の反芻か、あるいは何らかのイメージの象徴なのか。
なんにせよ……俺のやることは一つだ。
以前にそうしたように、キャスターに向けてそっと手を伸ばして……
「なっ…………!」
瞬間、ドロリとキャスターの体が黒い泥となって溶けていく。
慌てて彼女の手を掴もうとしたが虚しく泥が俺の手の内からすり抜ける。
「くっ…………」
事態はそれだけではおさまらなかかった、キャスターだけでなくその周囲のものも黒い泥となって溶け出したのだ。
周囲に生えていた木々も腐り溶け落ちて、月の浮かぶ夜空さえもまるで舞台の書割のようにめくれ落ちる。
さっきまで立っていたはずの地面もいつのまにか泥に変わっていて、俺の体はズブズブと沈み込んでいく。
大地も空も人も、この世界を構築していた全てが黒い泥へと溶けていく。
「ーーーー構造把握、解明」
世界そのものが溶けて、視界の全てが黒い泥に埋まっていく中でなんとか脱出の手立てを探ろうと魔術を行使する。
対象はこの世界そのもの、膨大な黒い泥、形の持たないそれの根幹を見極めようと必死に目を凝らす。
「ぐっ…………」
瞬間、視界が漆黒に染まる。
どこを見ても、どれほど細かく見ても、ただひたすらな黒。
それは『この世全ての悪』がどれほど膨大で濃密な呪いの塊なのかを指し示している。
普通、モノの構造というものは骨組みがあり、そこに肉付けされるようにして形を成している。
一見そうとは見えないものでも細分化して紐解いていけばそうなっているものだ。
だが今、読み解こうとしているそれはあらゆる呪いとあらゆる悪意が混沌と混ざり合うことで『この世全ての悪』という一種の秩序を産み出している。
こんなもの解析なんてできない、本質も何もあったものじゃない。
「あっ……がっ、がっ……」
伸ばした手からまるで這い上がるように泥が俺の体に纏わりついてくる。
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
鼓膜を揺らす怨嗟の声は幻聴かあるいはこれも呪いなのか。
「ぐっ……あっ、くっ……」
五感全てを呪いに蝕まれる感覚。
目を開ければ闇よりも深い漆黒が
耳には垂れ流すような怨嗟の声が
鼻には突き刺すような死の香りが
舌には腐り落ちたような血の味が
手にはどこまでも沈む泥の感覚が
衛宮士郎という存在が崩壊しそうになるほどの圧倒的な呪いの濁流。
思わず俺はギュッと目をつぶって、恐れるように怯えるようにその泥を振り払おうとして……
『だけどーーわたしが好きな人が、わたしを好きだと言ってくれたんです』
声が聞こえた。
延々と垂れ流される怨嗟の中で、鈴の音のように響く少女の声が。
『そんなわたしをわたしは信じて、好きになってあげたいんです』
その声はよく見知った自らのサーヴァントのものだ。だが、おそらく俺に語りかけていると言うわけではない。
どこか別の場所で話している声がどういう原理かこの空間に漏れ聞こえていると言う感じだ。
もしかしたらキャスターの話しかけている相手がなにか『この世全ての悪』と繋がりのある人物で、結果としてその人物の聞いた声がここまで響いているのかもしれない。
『初めの問いに改めて答えましょうかーーわたしにとって『メディア』は悪なのか、わたしにとって『衛宮士郎』は悪なのか、そんな問いでしたね』
キャスターと誰かの問答は続き、俺はただその声を聞く。
『確かにわたしは悪と呼ばれる存在で、許されぬ罪を犯しましたーーけれど、その過去があるからこそサーヴァントとして、彼の杖として或ることができる』
いつもの柔らかな少女の声でも、かつて街の人々から魔力を吸い取っていた時のような冷たい声でもない。
力強く、凛としたキャスターの声が『この世全ての悪』の怨嗟の声を押し除けるようにはっきりと響く。
『わたしにとってシロウ様はーー』
強く
強く
どこまでも強く
彼女の言葉が高らかに告げられる。
『ーー超絶かっこいい正義の味方です!』
ギリっと、奥歯を噛み締めて、全身の筋肉に力を込める。
グニュリとした泥の感覚を踏み締めて、どこからか響く怨嗟の声にうるせぇ黙れと怒鳴り返す。
太古の悪神?この世全ての悪?
聖杯を汚染した『ソレ』は随分と大層な肩書を持ってるらしい。
だが、それがどうした。
「……なぁ、おい聞いてたか?」
この泥に自我と呼べるものがあるのかは知らないが思わずそう問いかける。
「俺のことを超絶かっこいい正義の味方だって、そんな風にキャスターは言うんだぜ」
ニヤリと口を吊り上げて泥に向かって言葉を投げつける。
別にわざわざそう言って聞かせているのはこの泥の呪いを克服する為でも、何かの作戦というわけでもない。
これは……ただの自慢、惚気だ。
彼女は俺のことをカッコいいと言ってくれるんだぜ?
俺のことを正義の味方だと信じてくれたんだぜ?
キャスターが……かつて神の呪いによって自分も他人も信じられくなった少女が、俺のことをそう評したのだ。
それがどれだけ嬉しいことか泥風情に分かるかは知らないが……それでも語らずにはいられない。
「好きな子にそんな風に言われたらさ……男としては負けるわけにはいかないんだよ……!」
超絶かっこいい正気の味方が、たかが『この世全ての悪』だなんてその程度の呪いにビビる訳にはいくまい。
「構造把握ーー解明」
足元の泥に手を突っ込んで、じっと見つめる。
先ほどはあまりの呪いと質量に思わず呑まれてしまったが、今度はそうはいかない。
『死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
呪いに深く触れたからだろう、怨嗟の声が再び大きくなって触れた泥を通じて体を蝕むように何かが侵食してくる感覚を覚える。
けれども、俺はそれを無視してさらに解析を続ける。
この荒れ狂う呪いの本質を見極めるために。
そうして俺はその中で……一つの記憶を見た。
それは人類の連綿と連なる悪意の記憶でも、太古の悪神の記憶などでもない。
いつかの時代、どこかの小さな村。
その中で生まれて死んだ、なんてことはない青年の記憶だ。
その村では人々はより良い世界を目指し、より良き人に成ろうとしていた。
それ自体はなんら特別な話ではない。
『良く』なりたい『正しく』ありたい、そんな考えは土地や時代に関わらず普遍的なものだろう。
ただ、一つ変わっていたのはこの村の人々は世界の歪みや自らの中の弱さを、たった1人の青年が原因だと押し付けたことだ。
『この世全ての悪』
あらゆる悪の原因がそこにいるからこそ、人は悪を犯し世界はいつまでたっても良くならないのだとそう考えたのだ。
そうして人々はその悪を滅ぼすために徹底的な正義の限りを尽くした。
それが何の罪も力もないただの青年を痛めつけているだけだという事実からは目を逸らして……
「……………」
そうして『この世全ての悪』と呼ばれた青年はいずれ生き絶えた。
もちろん、それで世界から悪が取り除かれるわけではない。
故に人々は再び次の『悪』を探し求めるのだろう。
「…………」
消えゆく命の中で青年は嗤う。
自らの獣性から目を背け『悪』を探し求める人類の哀れさと愛おしさに対して。
「…………」
そんな記憶から覚め、ふと周囲を見れば先ほどまではあれほどあった泥が無くなっていた。
真っ暗な先ほどまでの景色とは様変わり薄い霧がかかったようなぼんやりとした白い世界……その中心に人影が立っている。
この世界は、現実のものではなく『この世全ての悪』に飲み込まれた俺が見ている夢のようなものだ。
この世界の見方が変わったということは、きっと俺の『この世全ての悪』に対する認識が変わったということなのだろう。
「………………よう」
なんと言ったら良いのか分からず、とにかく俺は目の前に立つ人影へと声をかけた。
奇妙なことにその人影は顔がゆらゆらとした黒いモヤのようなものに覆われていて表情を判別することはできない。
ただ、それでも何故かそいつのことを俺に似た顔をしているなと思った。
「…………」
彼は一体誰なのか、その答えはもう見当がついている。
その上で俺はゆっくりと口を開く。
「……10年前の冬木の大火災、あの日の事を忘れた事はない。あの時に見た黒い太陽のことも」
目の前の存在はただ黙って俺の言葉を聞いている。
「一夜にして、それまでの全てを奪われて何度あの夜のことを呪ったかは数えしれない」
黒い太陽のような孔から溢れ出た泥が街を焼き払うあの光景にどれほどの怒りを募らせただろうか。
平凡な家庭で生まれ育った少年に襲いかかった理不尽な運命を思えばそれは正当な怒りだろう。
だけど……
「だけど、あの時逃げ出したのは他ならぬ俺なんだ。例えどんな理不尽な目にあったとしても同じ目に遭っていた多くの人々を俺は見捨てて逃げ出した。それは他ならぬ罪であり悪だ」
強い口調で俺はそう言い切る。
自らに刻むように、誰かに懺悔するように、世界に宣言するように。
「『この世全ての悪』だなんて都合のいいものは存在しない、それは俺が抱えていくもので、一生背負っていかなくちゃいけないものだ」
自らの罪を認め悪を背負う。
口で言うのは簡単だけれども、それはとても重く苦しいことだ。
けれども……俺は1人ではない。今はキャスターが共にいてくれる。
彼女となら過去の罪もこれからの幸福も共に分かち合っていけると思う。
「俺の罪は俺が背負うよ。だから、『この世全ての悪』だなんて必要ない」
俺の言葉に目の前の黒い人影は僅かに驚いたような仕草をして見せる。
「へぇ……そうかい、アンタは強いんだな。流石は正義の味方様……か、自らの悪性を認めそれでも理想に手を伸ばすか」
黒い人影から意外に若い青年の声がして、思案するように俺を見やって……それからその人影はパチパチと手を鳴らした。
「おめでとう、衛宮士郎……獣はここに倒された。この世全ての悪などいない、悪とはそれぞれの内にあるものだ」
自らの存在を否定されたというのに、『ソレ』はまるで祝福するように、誇らしげに俺に対して言葉を紡ぐ。
「お前の罪はお前のものだ、お前の罰はお前のものだ。ゆえに……お前には悪を名乗る資格がある」
意味深な言葉と共にふわりと体が浮くような感覚に襲われて、急速に意識が浮上する。
「期待してるぜ、正義の味方……ヒヒッ、せいぜいかっこいいところを見せてくれよ」
◇
「ッーーーー!」
水面に浮き上がるような感覚と共に大きく息を吸う。
酸素が脳へと回り急速に意識が覚醒する。
「バカな……あの呪いを雑種風情が退けたと言うのか……」
目前には呆けたような顔をしたギルガメッシュ、聖杯から溢れ出た泥に呑み込まれ、それでもそれを脱してみせたことが信じられないようだ。
「シロウ……!無事だったのですね」
安堵するようなセイバーの声に頷きながら、自らの身体を確かめる。
大丈夫、泥に呑まれた悪影響はない。十分に戦える。
「…………よもやここまでとはな。ふん、神の与えた千里眼とやらもアテにならん。ただの雑種だと侮っていたこの瞳は曇っていたようだ」
そんな俺を見ながらギルガメッシュは目を細めてこちらを睨む。
その目つきは恐らく神に与えられた千里眼ではない、奴自身が生前の数多の死闘の中で得た戦士としての目だ。
その目が俺を殺すと物語っている。
「よかろう、先ほどはあくまでもセイバーを狙ったものだったが今度はそうはいくまい。まずは貴様から確実に殺す」
乖離剣エア。
一度はなんとか凌いだ奴の宝具が再び抜かれる。
だが、その威圧感は先ほどのものとは比べ物にならない。
天地創造の力を秘めた神秘がただ俺の命を抹消するためだけに向けられている。
「…………」
脳裏でなんとか奴を出し抜く策はないかと何パターンかシミュレーションをして……それが無駄だと悟る。
「くっ…………」
セイバーも応戦するように自らの宝具を手に取るが、それだけでは火力が足りないだろう。
とはいえ今のやつには油断も慢心もない。奴の王としての財と戦士としての戦術眼、そしてサーヴァントとして最強の宝具がその手に握られている以上、チャチな策も火力も通じない。
「ふん、この状態でも必死に頭を働かせているな。平時ならば我の宝具から生き延びる術などないと嗤うところではあるが……此度は特別だ」
回転し、エネルギーの奔流を起こす奴の剣、その渦がより一層大きくなり、感じる魔力量も跳ね上がる。
『王の財宝』を使ってただでさえ強力な宝具にさらに強化をしているのだろう。
「くだらぬ小細工はせぬ、ただ我の全力で貴様を殺す!」
魔力が、殺意があたりに迸る。
「ゆくぞ……!」
単純な、故に回避も叶わぬ圧倒的な破壊の力。
その力を前にして俺は項垂れるようにゆっくりと膝を折り……
「構造把握ーーーー解明」
投影も強化も俺にはまともに使えない。
俺にできるのはただ、『見る』ことだけだ。
だったら足掻く時も、やることはそれだけだ。
ドブリと手の先を自らの足元に広がる泥に浸す。
先ほどギルガメッシュが俺にぶちまけた呪いの塊だ。
「…………」
かつてキャスターは桜の体を通じて、この泥を影のように扱ったり、自らも黒い光線として放っていた。
『あの泥は原初の混沌に近い性質を持っていて使い手によってその形を変えるんですよ』
いつだったか、キャスターが言っていたそんな言葉を思い返す。
『この世全ての悪』と呼ばれるそれは、あらゆる時代、あらゆる場所、あらゆる人類の悪を内包しているがゆえに使い手によってその形や在り方を変えるのだろう。
俺はその形を探るように、形を造るように。
泥を見つめ、手を浸して解析を行う。
「フッ…………!」
そうして真っ黒で掴みどころのないヘドロのような泥の中でギュッと何かを握りしめて、それを力任せに引き摺り出す。
「その剣は……!」
隣に立つセイバーが驚いたように俺が引き摺り出したものに目を見開く。
それはそうだろう。
俺が握ったのは剣の柄、そうして引き抜いたその剣はセイバーの持つ黄金の剣にそっくりだったのだから。
ただ一つ違う点は、その刀身が真っ赤に染まり揺らめくような光を放っていることくらいだ。
『この世全ての悪などいない、悪はそれぞれの内にあるものだ』
泥の中の幻影で、黒い人影に言われた言葉が頭をよぎる。
この剣はきっと俺の悪と罪の象徴だ。
俺の中でいくつか景色がフラッシュバックする。
かつて街を焼き払った熱く、赤い炎。
そうしてその地獄の中で俺を救った男が持っていた黄金の鞘。
その光景こそが衛宮士郎の出発点。
俺の背負うべき罪であり、罰であり、赦しだ。
それを認め、向き合ったからこそ、今の俺ならばその力を理想のために振るうことができる。
「ほう……よもやあの呪いを手懐けるとは、だがそれでも我の勝ちはゆるがん!」
ギルガメッシュの言葉を聞きながら、ギリッと剣を握りしめてその真名を解放する。
「この世全てのーー悪!」
罪禍の剣から放たれた漆黒の光は全てを燃やしつくす炎の如く。
「約束されたーー勝利の剣!」
黄金の剣から放たれた黄金の光は生命が煌めく星の息吹の如く。
「天地乖離すーー開闢の星!」
原初の剣から放たれた紅蓮の光は世界を滅ぼす嵐の如く。
3つの極光がうねりとなってぶつかり合う。
「ハァァァアア!!」
魔力を、命を、持てる全てを剣に込める。
柄を強く握りしめた手からは血が滲み、放たれる熱によって皮膚がただれる。
「くっ…………!」
それでもその光はギルガメッシュには届かない。
「衛宮士郎……『この世全ての悪』を自らの武器とするとはな……だが、人類と言う獣の牙も!星の造りし聖剣も!我が宝具には敵うものか!」
セイバーと俺の放った光は奴の宝具による嵐のような大渦と拮抗するようにギリギリのところでせめぎあってはいるが押し返すに至っていない。
ギルガメッシュ……気に食わない男ではあったが、俺とセイバーの2人がかりの攻撃でも倒しきれないその力は英雄王と呼ぶに相応しいものだと認めざるを得ないだろう。
だが…………
それでも……この勝負は俺の、俺たちの勝ちだ。
「ーーシロウ様!!」
響き渡る少女の声は勝利の女神のように高らかに。
『神官魔術式ーー』
駆けつけた少女の姿が俺たちと肩を揃えて並び立つ。
そうして空に掲げしは『キャスター』の象徴たる月の意匠の刻まれた杖。
蝶がその美しい羽根を広げ空に飛び立つように、暗い夜空に紫色の魔法陣が複雑な紋様を描いて浮かびあがる。
『ーー灰の花嫁』
放たれた紫の極光が黒と金の二つの光に重なる。
俺とキャスターとセイバー、3人の全身全霊を賭けた一撃。
「いっけえええーー!」
そうしてその光が、吹き荒ぶ嵐の先にいるギルガメッシュの金の鎧を貫いた。