ジャンヌは、申し訳程度に股を紙切れで隠して通りに立っていた。
冬の気温はますます下がり、日曜日に洗濯した着るものがなかなか乾かない。
外に干せばまた違うのだろうがぼろ服や布を盗んでも、それが誰のものであったか証明できない。
盗まれないために小屋の中に干すと、すきま風くらいしか風はないから湿った冷たい空気だけが残り、乾きを遅くする。
着るものをなくせば裸でいるしかない。
他の女たちが少しは防寒する中で紙切れ一枚なのがより惨めにさせる。
だが、その惨めさを買っていくほどの気力も男に残ってない。
良くて一日で三ペンス。一晩ではない。一日でだ。昼間のトーライトの通りと夜のダークグレイッシュ合わせて三ペンス。
男たちの懐も寒いと女の懐も合わせてそれで寒くなる。
止んでいた雪がまた降り始めた。
裸足の足は冷えて赤くなっていた。感覚がなくなる前にと足を擦り合わせる。
寒い……。
胸の頂きがつんと冷えで主張していた。
ジャンヌの肌は白いが要所に上品な淡い色味が滲んんでいる。
それを好んでいた男すら現れない。
缶の中に音すら響かない。
ただ静かで寒い。それでも立ち続けねばならないのが辛かった。
「そんな格好でおったら、また風邪ひくばい」
俯いて足元を見ていると声が降ってきた。
はっとして顔を上げるとコート着た肩に雪を乗せた棗が立っていた。
棗は、黙ってコートを脱ぐとジャンヌの肩にかぶせる。
そして銀貨の音が一つようやく空っぽの缶に音を響かせた。
「帰ろ」
棗は、一言そう言った。
小屋の中と外気温に差はない。雪が吹き込んでこないだけいいのだといつかのジャンヌが言っていた。
湿った藁敷に座ると、棗は布包みを広げた。
ジャンヌが風邪をひいて以降、パンとスープと果物の他に干し肉が加わるようになった。
少しでも体に肉をつけて栄養をとった方がいいという棗なりの黙った心遣いだとジャンヌは気づいていたが、棗が黙っているからジャンヌもそれをありがたいと思いながら黙って受け取っていた。
ジャンヌは棗が持ってきた温かなスープを口にした。それでも男物のコートを背負った肩は細く震えていた。
「寒かろ……」
棗は、それを見ると毛布を畳まれた藁編みの上から引き寄せる。自分の背中にそれを回してジャンヌの背後に座るとそのまま包み込んだ。
驚いたジャンヌの手からスプーンが僅かに震えた。
「た、食べにくいです」
「震えながら食うよりましっちゃ」
耳元で静かに言う声。
棗の息が首筋にかかるたびに、冷えた肌がじんわりと熱を取り戻した。
棗の手は、ジャンヌの薄い腹の上に置かれていた。
細い体を包みこむように、寒さから守るための行為に過ぎないはずなのに、その掌の温度がじんわりと胸の奥にまで届いてくる。
ジャンヌはただ黙ってスープを飲み続けた。
やがて、皿の底が見えた。
パンは半分、干し肉は三切れほど残っている。
ジャンヌは手を合わせる。
「ごちそうさまでした。……これで、あと三日は持ちこたえられそうです」
静かに言った。
その言葉に、棗の胸が締めつけられる。
明日にはまた、彼女はこの雪の中で立っているのだろう。
食べ物があっても、着るものがなくても。
生きるために、また裸で。
それを思うと自分がしていることの無力さが痛かった。
棗は黙ってジャンヌの足元を見つめた。
真っ赤に染まった足先が、わずかに震えている。
ふと、その足を手に取った。
「ひゃっ」
思わず声を上げるジャンヌに、棗は、ちょっとじっとしときとだけ言った。
指で冷えた足首を包みながら、何かを測るように見つめる。
「身長いくつね?」
「……身長?」
聞き返すジャンヌに棗は頷く。
「うん、立ってみ」
言われるまま立ち上がると、棗も向かいに立った。
背を合わせてみると、棗の顎より少し下。
「だいたい百六十……ちょいか」
呟いたきり、それ以上何も言わない。
なんだったのだろうとジャンヌは、首傾げて棗を見たが棗は何も言わなかった。
彼はいつものように食器をまとめて立ち上がった。
「また来る」
その一言だけ残して、雪の外へ消えていった。
翌日。風はさらに冷たくなり、雪は絶え間なく雪は降り続いていた。
着るものは相変わらず乾いてない。
今日も紙切れ一枚かとそっと嘆息を吐く。
それでも通りに立つのをやめるわけにはいかない。
干し肉三切れと昨晩のパンの残りと一日二食、食べるのに困らない銀貨が一枚あっても、それだけは体は持たない。それにここに住むだけのお金もいる。
一ペニーでもかまわない。
みすぼらしさと惨めさを見られるだけでもいい。
だからどうかと祈った。
どうか、凍えずに一日を越えられますように。
祈り、棗から貰った古いシャツを脱ごうとしたとき、扉がノックされた。
朝には遅いが昼には早い時間。
自分を訪ねてくる者などほとんどいないが念の為に尋ねた。
「どなたですか?」
「俺、棗」
それに驚いて扉を開けると、棗が雪を背負って白い息を吐きながら立っていた。
手に布包みはない。代わりに少し大きめの茶色い紙袋があった。
「どうしたんですか、こんな時間に。仕事は?」
「今日は、昼から副業しか入っとらん。だから、これ、早く渡しとこうと思ってな」
棗は、紙袋の中身を取り出した。
それは、古びているが靴の先をも開いていないまだ立派に履ける革のアンクルブーツだった。
「雪の中を裸足で立っとったら、霜焼け通り越して凍傷になる。本当は新品買ってやりたかった。ばってん、ここじゃ金持ってると思われたら何されるか分からし、盗まれかねんから古靴で悪い」
棗の言葉にジャンヌは小さく息を呑んだ。
「そんな、これだけでも……十分すぎます」
ジャンヌは、小さく微笑んで両手で靴を受け取った。
「大まかな予想で買ったから大きさがちゃんと合うか分からん。まぁ履いてみろ」
棗に言われるがままジャンヌは、アンクルブーツを足にはめた。
少し大きいが歩くたびに脱げそうになるというほど大きくはない。
「ちょっと大きいか。まぁ、大は小を兼ねるって言うけん、脱げんかったらそれでいいばい。今は」
棗は笑って肩をすくめた。
ジャンヌは何度も頭を下げる。
「ありがとうございます。これで今日から足を気にせずに通りに立てます」
そう呟く顔には安堵の色が滲んでいる。
「本当は、こんな中、裸で立たせたくないが、ごめんな。仕事がある」
棗は、申し訳なさそうに肩をすくめた。
ジャンヌは、首を横に振った。
「いいえ。そんな中、来てくださって靴を持ってきてくださっただけで嬉しいです」
対価はどうすればとは、ジャンヌは尋ねなかった。
棗がこういうことに対価を求めないとようやくわかってきたからだ。
「無理すんやなかよ。また風邪ひいたらことやけん。辛いやろうけど、時には諦めも肝心たい。冷えすぎる前に帰ること。約束できるか?」
棗は、小指を差し出した。
指切り。棗の生まれた東の国では、なにか約束をするときは、小指同士を絡めて契るのだとジャンヌは彼から教わった。
「はい、お約束します」
ジャンヌは、自分の小指を出して棗の小指に絡めた。
通りに立つ。
相変わらず人の影はまばらで皆、寒さに耐えるように歩いている。
ジャンヌも紙切れ一枚を股にあててじっと寒さに耐えた。
今日も稼ぎは少ないだろう。そう思うと俯いてしまう。
それでも救いを感じるのは、俯いた先にあるのが赤くなった足先ではなく革の靴の先だということ。
守る何かがあるという実感が胸をあたたくする。
ふと缶の中にコインが三つ転がる音が響いた。
顔を上げるとときどき自分を買ってくれる男がいた。
「こんにちは。屋根に入りますか? それともここですか?」
ジャンヌは、尋ねる。
心做しかその声は、暖かさにほころんでいた。