雨季が本格的に訪れた。
ダークグレイッシュの通りで男を待つ女たちは裸ばかりだった。
きっと雨に濡れれば替えの服がないのだろう。
濡れた服を長時間着続けるのは、それだけで体温を奪い病に繋がる。
それがわかっている女たちは、服を着ない。惨めでも恥ずかしくても肌を晒して一晩だけの屋根か生きるための金を誘う。
ジャンヌもそうなのだろうと思いながら棗は、少し離れながらもジャンヌの姿をしっかりと見ていられるだけの場所で傘をさして交渉が終わるのを待っていた。
ほんの約一ヶ月半前には食うにも困る稼ぎだったのだろうに、今は自分まで雨に濡れるのも厭わない客たちが数人列を作るほどの人気を博していた。
それはおそらく、彼女が食べることにはせめて困らくなったからだろう。胸はもともとあったがそれ以外が痩せていた。痩せて骨が立つ女よりも柔らかい肉を程よく全体にのっている方が男には魅力的に映る。
ジャンヌの体には全体的に肉がほんのわずかだが付き始めていた。
胸元には肋骨の影すら浮いたいたが、今はその影がほんの少し薄くなった。
小鳥の囀りのような声音に甘さと惨めさが混ざった瞬間があった。
生きている途上にある生理の一瞬が雨とともに流れ落ちた。
またそれで列に連なる男の二つ三つと増える。
ジャンヌの切り売りは過酷だ。
精巧に作られたビスクもドールのような綺麗な顔が羞恥に歪む瞬間、白磁のような白い肌を汚す瞬間を好む男がいる限り、彼女は男の手垢と白濁に染まる夜は明けることはないのだろう。
棗は、奥歯を噛んで雨音に紛れる小鳥の囀りのような甘い声が止まるのを待った。
また別の三日後のことだった。
「おら、もっとしっかりやれって」
男の荒っぽいの声が聞こえた。
二人の男がジャンヌを挟み込み、片方の男が彼女の髪を乱暴に掴んでいた。
それ見た瞬間、やめろと割って入りたい気持ちになり足が一瞬、前に出たが、ぐっと堪えた。
彼女が自分につけている値は、棗の支払う銀貨の四分一。そして彼女は、今、その銀貨半分の分を稼いでいる瞬間だ。
棗が払っているのは、日々の食事に三日はなんとか困らないの値段と一食分の食事と少しの会話の時間だけ。
それ以外の分はジャンヌ自身が自らを資源として稼いでいる。
自分がもっと払えば、ジャンヌはあんなことをしなくてすむのかと考えたが、棗は彼女が自分の足で立っている姿を望んだ。
金という枷で彼女を縛りつけたくない。
だからせめて、ジャンヌが嫌だ、やめてと言った瞬間、すぐに駆けつけてやれる距離に棗は傘の下で息を潜めて立っていた。
また三日後。
今度は、傘がジャンヌの足元にあった。
傘の下には男がしゃがみこんでいるようだ。
何をしてるんだと純粋に棗は疑問に思った。
傘で隠れて見えないがジャンヌは肩幅に脚を開いて手はおそらく鼠径部のあたりに持っていってる。
小鳥のような声に甘さは混ざっていない。というよりジャンヌは声すら出していなかった。
だが、雨に濡れて冷えているはずなのに彼女の頬はほんのりと赤く染り、何かに耐えているよう目を閉じている。小さくジャンヌの口が動いた。何を言ったのかまでは分からないが、一瞬、ぶるりと身振りした。
傘は動かない。
やがて、男が立ち上がり濡れたらしい口元を手で拭った。
「あー……飲んだ。今日も美味かったよ。また飲ませてくれ」
そう言うと男は去っていった。
美味いとはなんだと思った。
棗も女を知らないわけじゃない。女の体から出るものは甘いとは感じたことある。
しかしあれは飲むと言うより舐めるがあっている。では、男はなにを飲んだのか。
考えがいきついた瞬間、怖気が走った。
男が求めたのだろう。そうであってほしい。
ジャンヌの脚を開いて手を添えていたであろう箇所はそこをよく見せると同時に口をつけやすいようにするため。頬を染めていたのは恥ずかしさから。声を出していなかったのは声を出す必要のない行為だったから。身震いしたのは体温を含んだ液体が体から出たから。
吐きそうになった。でも吐けばジャンヌが必死で生きるために恥を忍んでやっていることを否定することになる。
深呼吸を何度も繰り返し、せりあがってきたものを喉の奥へと引っ込める。
日を追う事にジャンヌが送る日常の地獄が濃くなっていく。
そしてとうとう、棗はジャンヌの悲惨な姿を見てしまった。
棗の昼の仕事は、大工だ。大工と言っても晴れていれば家の建て替えや修繕をするための大工であり、船大工でもある。
どっちの親方からも気に入られた結果、晴れた日は建築大工、雨の日は屋根のある場所で陸揚げした船を修繕したり作ったりる船大工として雇われることになったのだ。
雨季の間は、屋根のある小屋の中で船大工の仕事がもっぱらだ。建築の方は床板の張替えや修繕が多い。副業の何でも屋の一部として壁紙の張替えや家具の修繕を頼まれることもある。
その日は、その船大工と何でも屋の両方ともが重なってダークグレイッシュにいつもより来るのが遅くなった。
ジャンヌはまだ通りにいるだろうかと思いながら足場に向かうと、壁によりかかって座り目を閉じてぐったりしているな彼女を見つけた。
「ジャンヌっ!」
棗は駆け出した。ぐったりしているジャンヌの白い肌には雨で流れ落ちようとしているが男の痕跡が白く残っている。
「酷いわよね……」
「一人三ペンス払ったとは言えね……」
「でもあんなのほとんど……」
通りに立っている女たちがこそこそと話す声が聞こえた。言葉は濁されていた。だが、ジャンヌがどんな扱いを受けたかは明白だ。
「……なつめ、さん……」
ジャンヌがうっすらと目を開けた。
「立てるか? もう今日は帰って休め」
棗は言うなりジャンヌの濡れた肩にジャケットを被せる。細い腕を肩に回し、ついでにブリキ缶を回収する。
中には銅貨がじゃらりと音を立てるほど入っていた。
一体何人に……。
棗はその音と重さに歯噛みしながらを傘もジャンヌも彼女が気を失うほどまで稼いだ分を落とさぬように歩いた。
小屋に帰りついた。
小屋の中は窓がないせいで暗かった。
藁敷の上にジャンヌを横たえるとろうそくに火を灯す。
ジャンヌは、目こそ開いているが体に力はほとんど入っていない。
棗は、棚に置かれているタライを見つけるとちょっと待ってろとまた外へ出た。
共同の井戸で滑車式の古い井戸から水を汲み上げるとバケツに入った水をタライに移し替える。それを持って小屋に戻る。
小屋に戻ってから水を見れば濁っていた。
トーライトの長屋群の井戸は、浄水の甘い川水でも純粋な川の水でもなく、下水道の上に通る地下水を水源にしている。雨が降れば地下の水も濁る。当たり前だ。
そんなものでも彼女の体をそのままにするよりはマシだと考えて布を水に浸して、ジャンヌの体に残る痕跡を拭った。
「ありがとうございます……」
ジャンヌの声は、疲弊が滲み弱々しい。
一体何人を相手にしたんだ、何をされたんだ、怖くはなかったか、痛いことはされなかったか。聞きたいことはいくつもあった。
けれどそれを飲み込んだ。聞いたところで彼女の過酷さが浮き彫りになるだけだ。
「……飯、食えるか?」
それだけを尋ねる。ジャンヌは、少し考え後にはいと短く頷いた。
ジャンヌは、棗が持ってくる食事を警戒することなく食べるようになった。食事をするジャンヌの動きはいつもより緩慢だ。スプーンを持つ手も少し震えている。それでも何とかいつも通りの食事を終える。
「少し、値段をあげたらどうや? そしたら変な客が遠ざかる」
棗が重々しく口を開けた。
来る度毎回ということはなかったが、棗はもう四回はジャンヌの地獄を見てしまった。
一人三ペンスという金額で受けていい扱いを超えているように思えてしかたなかった。
「上げることはできません。上げればその分値切られるか高いお金を払ってるからと求められることが増えるかもしれません。……だから、今ぐらいがちょうどいいんです」
ジャンヌは、淡々と言った。
三ペンスの対価は体一つできること。尊厳を失わない最低の金額。
生理現象の一つである排尿を求められてもその次の段階のものは見せなくてすむ金額。
それに値段をあげればお高く止まっていると客が遠のく可能性もある。だから、これ以上は高くできない。
「今日みたいなことは、稀です。だからまだ耐えられます」
「耐えるって……」
耐えられる。その言葉が棗の胸に重くのしかかる。
耐えるということは我慢することだ。
でもそれができなくなったら、ジャンヌはどうなってしまうのか。
心が壊れて、ただ男の言うことだけを聞いて生きる存在になってしまうのではないか。
棗は、それが怖かった。
「…………無理だけはするなよ」
棗は、それを言うに留まった。
棗がジャンヌに求めたのは、食べて寝て働いて生きること。
その働くがジャンヌにとっては、自分を資源にするということなのだと強く思い知らされる。
「これ、今日の分たい」
棗は、銀貨を一枚ジャンヌに渡した。
三日間、一日二食は食べられて少し話をするだけの時間の値段。
でもその金額さえも安いのではないと思ってしまうそんな夜だった。