※この作品はR-18です。

銃の勇者の探索記   作:ボルメテウスさん

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女王の願い

戦いのあとに残る静けさは、いつも少しだけ遅れてやってくる。

怒号が消え、魔物の断末魔が途絶え、ようやく人の泣き声や呻き声が耳へ戻ってきた時、朝霧誠司は自分がどれほど強く呼吸を詰めていたのかを知った。

胸の奥がまだ熱い。

手の中の銃も、撃ち終えた直後の震えをわずかに残している。

それでも、広場に立つ人々の顔に生気が戻りつつあるのを見ると、あの戦いは確かに意味を持っていたのだと、遅れて実感が追いついてくる。

 

「動ける者は怪我人を集めろ!」

ヒッポリュテの声が広場へ響く。

命令は短く、明確で、誰もが従わずにいられない力を持っていた。

「子供を先に運べ! 泣いている者から落ち着かせろ。荷車が使えるなら使え。歩けぬ者は二人で担げ!」

彼女はすでに戦場の只中から、戦後処理の中心へ立ち位置を移している。

それがあまりにも自然で、誠司は思わず見入ってしまった。

戦うだけではない。

勝ったあとに何を守り、何を残すかまで含めて、この女は王なのだ。

 

ベルベットは不機嫌そうな顔のまま、倒れた柵を持ち上げて道を作っていた。

口では面倒だの厄介だのと言いながら、こういう時に手を貸さずにはいられない。

そのあたりの不器用さは、今さら言うまでもない。

シノンは高所から降りてくると、広場の端で泣いている子供へ水を渡し、続けて周辺の索敵へ意識を向ける。

戦いは終わったが、二次被害の可能性は消えていない。

その切り替えの速さは、すでに旅の中で培われたものだろう。

 

誠司もまた、銃を下ろして負傷者の方へ向かった。

村人の一人が脚を噛まれ、別の女は転倒した際に腕を強く打っている。

本格的な治療はできない。

それでも血を止め、支え、運ぶくらいのことはできる。

そうして働きながらも、誠司の意識の一部はずっとヒッポリュテへ向いたままだった。

 

彼女は子供へ膝を折り、大人へ命じ、年寄りへ肩を貸し、ひとつとして無駄のない動きで人を動かしている。

誰より強く、誰より高く立ちながら、同時に誰よりも低い位置へ目を配っている。

それは誠司にとって、ひどく新鮮な強さだった。

ベルベットの強さは怒りに近い。

シノンの強さは研ぎ澄まされた生存本能に近い。

だがヒッポリュテのそれは、もっと大きなものを背負うための強さだ。

自分一人ではなく、群れごと前へ進けるための強さ。

誠司はそこに、王という言葉の現実を見ていた。

 

日が傾き始めた頃、村人たちの移動準備がようやく整った。

このまま広場へ留まれば、血の匂いにつられて別の魔物が来る可能性が高い。

だから傷の浅い者が歩き、深い者は荷車へ乗せられ、子供たちは大人に抱えられる形で、近くの避難小屋へ移ることになった。

その流れを最終的にまとめ上げたのも、やはりヒッポリュテだった。

 

「お前たちも来い」

彼女が当然のように言う。

誠司は少し驚く。

「俺たちも?」

「ここで別れて、また魔物へ喰われる方が無駄だ」

返答は素っ気ない。

だが、その素っ気なさの中に、すでに戦場を共にした者への扱いが混ざっている。

敵ではない。

とはいえ仲間ともまだ呼ばない。

その曖昧な位置が、むしろ今は心地よかった。

 

避難小屋は、村から少し離れた岩壁のくぼみを利用した場所だった。

粗末だが頑丈で、最低限の備えもある。

火を入れられる炉があり、干し肉と水樽があり、子供を横たえられるだけの敷物もある。

どうやらヒッポリュテは、こうした緊急時の避難場所まで把握していたらしい。

あるいは彼女自身が、波以降こういう生き方を続けてきたのかもしれない。

 

夜が落ちると、避難小屋の中へ柔らかい火が灯った。

昼間の荒々しい戦闘が嘘のように、空気は静かだ。

疲れ切った子供たちは眠りに落ち、大人たちは低い声で明日の相談をしている。

その中でヒッポリュテは、入口近くの壁へ背を預け、周囲を見守るように座っていた。

カリオンも小屋の外で静かに休んでいるらしい。

彼女が完全に気を抜いているわけではない。

けれど、少なくとも今は戦う顔ではなかった。

 

誠司は水をひと口飲んでから、そっと彼女の近くへ歩み寄る。

ベルベットは少し離れた場所で腕を組み、シノンは子供へ毛布をかけていた。

この空気なら、今なら、話せる気がした。

 

「……座ってもいいか」

誠司が言うと、ヒッポリュテは一瞬だけ彼を見る。

それから「好きにしろ」とだけ返した。

その言い方は相変わらず威厳に満ちていたが、追い払う気はない。

誠司は少し距離を取って腰を下ろす。

沈黙が落ちる。

火のはぜる音だけが小さく続いた。

 

「子供に優しいんだな」

不意にそう口にすると、ヒッポリュテは眉ひとつ動かさなかった。

だが、返ってきた声は思いのほか静かだった。

「当然だ」

「当然?」

「子は未来だ。未来を粗末にする王など、最初から王ではない」

その答えはあまりにも真っ直ぐだった。

誠司は言葉に詰まる。

彼女にとって、強さとは支配する力ではないのだ。

未来を守る力であり、次の世代へ何かを繋ぐための責任なのだ。

 

「部族の子供たちも、そうやって守ってたのか」

問いかけた途端、火の向こうでベルベットの視線が一瞬だけ動いた。

踏み込みすぎかもしれない、と誠司は遅れて思う。

だが、ヒッポリュテは怒らなかった。

むしろ、少しだけ目を伏せて答える。

 

「守るつもりだった」

その一言の方が、長い説明よりもずっと重かった。

「強く育つ者もいれば、戦いを嫌う者もいた。狩りの得意な者、歌の上手い者、馬に愛される者、泣き虫な者。皆それぞれだった」

その声音は平坦だ。

平坦であるがゆえに、その奥へ沈んだものの大きさだけが見える。

「だが、波はそれを待たぬ。育つ途中も、迷う途中も、等しく奪っていく」

 

誠司は黙る。

ヒッポリュテは続ける。

 

「だから私は未来へ執着する」

彼女の横顔は炎に照らされ、どこかひどく硬質に見えた。

「民を失った王に残るのは、死者を悼むことだけではない。次を残せなかった責だ」

その言葉に、誠司の胸の奥が強く打たれる。

彼女は喪失を悲劇として抱えているのではない。

王としての責任として抱えている。

だからこそ泣けないし、立ち続けるしかないのだ。

 

「……すごいな」

誠司が呟くと、ヒッポリュテはわずかに目を細めた。

「貴様はそればかりだな」

「いや、本当に」

誠司は苦笑する。

「俺なら、そこまで背負える気がしない」

それは卑下ではなく本音だった。

この世界へ来てから少しずつ強くなってはいる。

仲間も増えた。

でも、自分はまだ“誰かを率いる者”としては未熟だ。

ヒッポリュテのように、失ってなお王のままでいる強さは、遠いものに思える。

 

「貴様は違う形で背負う」

ヒッポリュテが言う。

「それでよい」

「……そういうものか?」

「そういうものだ」

彼女は断言した。

「王は一つではない。槍で率いる者もいれば、視野で率いる者もいる」

そして、不意に誠司の銃へ視線を落とす。

「貴様はまだ弱い。だが、弱いからこそ周囲を見ている。群れの誰が何を背負えるかを無意識に測っている」

それは以前にも似たことを言われた。

だが、今夜の言葉は前より深く響く。

認められている。

少なくとも、ただの未熟者とは見られていない。

 

その時だった。

ヒッポリュテは、まるで何でもない事実を告げるような顔で言った。

 

「ゆえに、貴様の児を産みたい」

 

誠司の思考が、完全に止まった。

 

火のはぜる音だけが妙に大きく聞こえる。

一拍。

二拍。

三拍遅れて、ようやく今の言葉の意味が脳へ届く。

 

「……は?」

間の抜けた声が出た。

自分でも驚くほど情けない声だった。

だが、そうとしか返しようがない。

ヒッポリュテは至って真面目だった。

冗談の顔ではない。

挑発の気配もない。

あまりにも真顔で、あまりにも当然の結論みたいに言ったのだ。

 

「待って」

誠司は本気で混乱しながら、両手を軽く上げる。

「ちょっと待ってくれ。今、何て?」

「聞こえなかったか」

ヒッポリュテは眉をひそめる。

「ならもう一度言う。私は貴様の児を産みたい」

今度はさらに明瞭だった。

逃げ道がない。

 

少し離れたところで、何かが落ちる音がした。

見ると、シノンが水の入った木椀を取り落として固まっている。

耳まで真っ赤だ。

一方、ベルベットは片手で顔を覆い、ひどく深い溜息を吐いていた。

あまりにも予想通りすぎる反応だった。

 

「やっぱり来たか」

ベルベットが低く言う。

「嫌な予感しかしなかった」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

誠司は慌てて言う。

「何でそうなるんだ!?」

ヒッポリュテは本気で不思議そうな顔をした。

そこに羞恥は一切ない。

ただ、なぜ理解できないのか分からないという顔だった。

 

「何で、だと?」

彼女は静かに言う。

「貴様は弱いが、目がある。群れを見る。守るべきものへ自然と手を伸ばす。しかも、この世界にない異形の武器を担っている」

そのひとつひとつが、彼女の中では確かな評価なのだろう。

「ならば、未来を託す相手として不足はない」

 

シノンが完全に固まったまま動かない。

ベルベットは、もはや頭痛を堪えるように眉間を押さえている。

誠司だけが、話についていけないまま必死に理解しようとしていた。

いや、理解はできる。

価値観の違いなのだ。

ヒッポリュテにとってこれは、恋愛めいた口説きではない。

部族を率いてきた女王として、未来を残す相手を選ぶ発想なのだ。

だからこそ余計に、どう返すべきか分からなかった。

 

「ええと……つまり、その……」

誠司は顔が熱くなるのを自覚しながら、何とか言葉を探す。

「俺のことを、そういう意味で……」

「どういう意味だ」

「いや、だから!」

完全に泥沼だった。

ヒッポリュテの目は純粋だ。

純粋すぎる。

からかっているならまだ対処のしようもある。

だが、本気で、誇り高く、真っ直ぐに言われてしまうと、誠司のような人間はひたすら困るしかない。

 

ベルベットがそこで、ようやく顔を上げた。

半眼だった。

「あのな、ポンコツ女王」

「何だ」

「その話をいま出すな」

言い方は容赦ない。

だが、そこにはベルベットなりの助け舟も混じっていた。

ヒッポリュテは少し考えるように目を細め、それから「そうか」とだけ言った。

本当にただ納得した顔だった。

誠司は逆に頭を抱えたくなる。

引いたのではない。

単に、今この場がその話題に適していないと理解しただけなのだ。

 

その時、小屋の奥で眠っていた子供の一人が目を覚まし、不安げな声を漏らした。

ヒッポリュテは即座にそちらを向く。

誠司との会話はそこで自然に切れた。

彼女は迷いなく立ち上がり、子供の元へ歩いていく。

その背中を見ながら、誠司はようやく大きく息を吐いた。

 

「……何なんだ、あの人」

ほとんど独り言だった。

シノンがまだ顔を赤くしたまま、かすかに首を振る。

「私に聞かないで……」

ベルベットだけが、疲れ果てたように言う。

「文化が違いすぎるだけだ。たぶん悪気は本当にない」

「それは分かる」

誠司は頷く。

「分かるけど、分かるのと困るのは別だろ」

その返しに、シノンが思わず小さく吹き出した。

ベルベットも鼻を鳴らす。

笑っていいのか分からない、でも笑うしかない。

そんな空気だった。

 

やがて、ヒッポリュテは泣きかけた子供を落ち着かせ、小さな毛布を掛け直して戻ってきた。

その顔には先ほどのやり取りの気まずさなど微塵もない。

本当に、彼女の中では恥ずべきことを言った自覚がないのだろう。

誠司はもう一度だけ頭を抱えそうになり、それをどうにか堪えた。

 

それでも、奇妙としか言いようのないそのやり取りの奥で、ひとつだけ確かなことがあった。

ヒッポリュテは誠司たちを、ただの通りすがりではなく、自分の未来に関わる存在として見始めている。

それはあまりにも重く、あまりにも真っ直ぐで、だからこそ冗談では済まされない。

 

火は静かに揺れていた。

ベルベットは相変わらず不機嫌そうで、シノンはまだ落ち着かず、誠司は完全に困惑したままだ。

その中心で、ヒッポリュテだけがどこまでも堂々としている。

王とは、たぶんこういうものなのだろう。

自分の価値観を恥じず、曲げず、それを他者へそのまま突きつける。

 

誠司は火の向こうの彼女を見ながら、遅れて思う。

この女王が仲間になれば、きっと旅は今まで以上に賑やかで、厄介で、面倒なものになる。

だが同時に、それだけでは済まない何かが、この人にはある。

失った民の未来を、別の形ででも繋ごうとする意志。

それは波に奪われた者として、どこか痛いほど理解できる願いでもあった。

 

夜はまだ長い。

けれど、その夜の中で、誠司たちとヒッポリュテの距離はまた一段、妙な形で縮まっていた。

それが良いことなのか、頭の痛いことなのか、今の誠司にはまだ判断がつかない。

ただひとつ確かなのは、彼女との関わりがもう後戻りできないところへ進み始めている、ということだけだった。

 

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