群れというものは、人数が増えた瞬間に完成するわけではない。
むしろ逆で、数が増えれば増えるほど、歩幅の違い、物の考え方の違い、守りたいものの違いが露骨になり、同じ方向へ進くことの難しさばかりが目につくようになる。
朝霧誠司は、その当たり前の事実を、四人で歩くようになってから嫌というほど思い知らされていた。
まず、歩く速さが合わない。
ベルベットは周囲を警戒しながら最短距離を取りたがる。
シノンは高低差と射線を意識するため、少し離れた位置取りを好む。
ヒッポリュテは、カリオンの脚と地形の相性まで含めて最も安定した進路を選ぼうとする。
そして誠司は、その全部の間で「いや、少し待ってくれ」と言う役になっていた。
気づけば自然とそうなっていたのだから、自分でも不思議だった。
「止まるぞ」
先頭を歩くヒッポリュテが、ある時ふいにそう告げた。
彼女は声を張らない。
それでも、その短い言葉には全員を止めるだけの力がある。
一行は足を止め、乾いた斜面の途中で周囲へ目を向けた。
「何かあるのか」
誠司が訊くと、ヒッポリュテは顎で前方を示す。
「あの窪地、獣道になっている。人が通るには細いが、魔物が使うには十分だ」
誠司には言われてようやく分かった。
土の色が少し違う。
踏み固められた跡がある。
しかも、周囲の草が低く擦れている。
この世界へ来た当初なら完全に見落としていた類の情報だった。
「避けるの?」
シノンが問い、弓へ軽く指を添える。
ヒッポリュテは首を振る。
「いいや。抜ける」
「ずいぶん強気だな」
ベルベットが不機嫌そうに言う。
するとヒッポリュテは平然と答えた。
「強気ではない。時間を買うための迂回より、警戒しつつ抜けた方が効率がいいだけだ」
その理屈はもっともだった。
もっともだからこそ、誰も真正面から否定できない。
誠司は三人の顔を順に見る。
ベルベットは反発しながらも、実際にはその判断を飲んでいる。
シノンは警戒を強めつつも、高所を取れるなら問題ないと計算している。
つまり、もうこの時点で彼女たちは“仲間”として議論しているのだ。
好き嫌いとは別に、互いの実力と癖を織り込んだうえで判断している。
それがどこか嬉しくて、誠司は内心だけで少し笑った。
窪地へ入ると、空気が変わった。
風が通りにくくなり、土と枯草の匂いが濃くなる。
視界も少し狭い。
まるで、大地そのものが口を開けてこちらを飲み込もうとしているような地形だった。
こういう場所は好きではない、と誠司は素直に思う。
遠距離武器を持つ身としては、視界が狭く、挟撃を受けやすい地形は本能的に嫌だった。
「お前、そういう顔をしてるな」
不意にベルベットが横から言う。
「そういう顔って何だよ」
「挟まれたら面倒だって思ってる顔」
図星だった。
誠司が苦笑すると、ベルベットは小さく鼻を鳴らす。
「分かりやすい」
そのやり取りを聞いたシノンが、少し後ろから小さく言う。
「でも、間違ってないよ。私も好きじゃない」
彼女はすでに周囲の高所や退路を頭へ入れているのだろう。
その視線は、以前よりずっと落ち着いていた。
敵へ追われていた頃のような、死を前提にした尖った緊張ではなく、生き残るために必要なだけの警戒へ変わっている。
その違いを、誠司は最近はっきり感じ取れるようになっていた。
その時、先頭を歩いていたヒッポリュテがふいに足を止める。
カリオンも同時に動きを止め、耳を立てた。
動物の方が先に異変へ気づくことは多い。
その様子だけで、一行の空気が即座に引き締まる。
「……いるな」
ヒッポリュテの声は低かった。
「前」
ベルベットが左手側へ半歩ずれ、シノンが無言で小高い岩へ駆け上がる。
誠司も銃を抜く。
この一連の流れが、もはや確認なしに成立していることへ、彼は一瞬だけ驚き、それからすぐに意識を戦闘へ切り替えた。
土が鳴る。
次の瞬間、窪地の奥から飛び出してきたのは、狼型の魔物が三体、その後ろに一回り大きい個体が一体だった。
先頭の三体は牽制で、後ろの大きい個体が本命だ。
以前の誠司なら、そこまで即座には判断できなかっただろう。
だが今は分かる。
動きの重心。
視線の置き方。
突っ込んでくる速度。
それらが違う。
「小さいのは任せろ!」
ベルベットが前へ出る。
ヒッポリュテも同時にカリオンを進め、大型の正面へ向いた。
シノンの矢が最初の一体を射抜き、誠司は続く二体目の肩を撃つ。
ベルベットがその隙に飛び込み、異形の腕でまとめて薙ぎ払う。
群れとして見れば小規模だ。
だが、それでも四人の呼吸が試されるには十分だった。
大型個体がヒッポリュテへ突進する。
彼女は馬上から槍を下ろし、真正面ではなく僅かにずらして受ける。
カリオンの脚が地を蹴る。
馬と人の重心が噛み合い、槍の穂先が角の付け根へ滑るように入る。
しかし、致命には浅い。
巨体がねじれ、もう一歩踏み込もうとする。
「右へ!」
誠司が叫ぶ。
ヒッポリュテは一瞬だけ視線を動かし、その指示に従った。
ほんの少し前なら、彼女はそこで自分の判断を優先していたかもしれない。
だが今は違う。
半歩ずれたその瞬間、誠司の弾丸が魔物の眼を穿ち、シノンの矢が脚を止める。
最後にヒッポリュテの槍が深く入り、大型はようやく沈んだ。
戦いは短かった。
短かったが、その短さこそが彼らの変化を示していた。
以前のように、誰か一人が無理をして押し切る形ではない。
互いの位置と強みを噛み合わせ、最短で終わらせたのだ。
それを理解した瞬間、誠司はひどく静かな満足感を覚えた。
ベルベットが倒れた魔物を蹴って転がし、鼻を鳴らす。
「悪くない」
その言葉が誰へ向けられたものかは曖昧だった。
けれど、だからこそ全員への評価になっている。
ヒッポリュテは槍の血を払い、静かに頷いた。
シノンも高所から降りてきて、わずかに肩の力を抜く。
誠司は銃を下ろしながら、胸の奥へ微かな熱が残るのを感じていた。
この群れは、まだ未完成だ。
けれど未完成なりに、確実に形を持ち始めている。
その後、一行は窪地を抜けた先の林で小休止を取ることになった。
日差しは少し傾き、木漏れ日が地面へまだらに落ちている。
ヒッポリュテはカリオンの脚を確かめ、シノンは矢を回収し、ベルベットは倒木へ腰を下ろして水を飲んでいた。
誠司もまた息を整えながら、何となく全員の様子を順に見てしまう。
ベルベットは相変わらず不機嫌そうだ。
だが、その不機嫌さはもう完全な拒絶ではない。
シノンは少しずつ表情が増えた。
緊張と萎縮の比率が減り、代わりに感情が顔へ出るようになってきている。
ヒッポリュテは――やはり圧倒的に堂々としている。
けれど、一人で完結しようとしていた時よりは、わずかに周囲を見る回数が増えた気がする。
それは小さな変化だ。
だが、王が誰かと歩幅を合わせるというのは、たぶんそういう些細な変化から始まるのだろう。
「何だ」
不意にヒッポリュテが顔を上げた。
誠司が見ていたことに気づいたらしい。
「いや、別に」
思わず答えると、ベルベットが横から呆れた声を出す。
「またそれか。お前の“別に”は大抵、何か考えてる時だ」
「ひどい言い草だな」
「事実だ」
ヒッポリュテまで平然と同意した。
誠司は少し肩を落とす。
だが、そのやり取りにシノンが小さく笑ったことで、場の空気は少しだけ軽くなった。
「群れって感じがしてきたな」
誠司がぽつりと言うと、ベルベットは水袋の口を閉じながら顔をしかめる。
「何だ、その言い方」
「いや、だって」
誠司は苦笑する。
「最初は全員バラバラだっただろ」
事実だった。
ベルベットは復讐の塊みたいな女で、シノンは死んでも構わないような顔をした弓手で、ヒッポリュテは一人で全てを背負う王だった。
そこへ誠司自身もまた、何者か分からないまま銃を握って放り込まれた異邦人として加わっていた。
そんな四人が、こうして一つの戦闘を最短で終わらせている。
それは十分すごいことだと、素直に思ったのだ。
シノンが少し考えてから言う。
「……まだ完全じゃないけどね」
「うん、まあ、そうだな」
誠司が笑うと、ヒッポリュテが静かに言った。
「完全な群れなどない」
その一言に、全員の視線が彼女へ向く。
彼女はカリオンのたてがみを撫でながら続ける。
「群れは常に揺れる。強さも、弱さも、欲も、恐れも持つ者が集まるのだからな。ゆえに、揺れながら前へ進くものだ」
それは王の言葉だった。
だが同時に、失ってなお新しい群れを選んだ彼女自身の実感でもあるのだろう。
誠司はその響きを、静かに胸へ受け止めた。
その時、ヒッポリュテが何気ない顔で誠司の方を向く。
「とはいえ、次代を考えるなら、やはり貴様の児は――」
「そこは揺れなくていい!」
誠司が即座に叫んだ。
シノンが真っ赤になって口元を押さえ、ベルベットは額へ手を当てて本気で空を仰ぐ。
ヒッポリュテだけが、本当に不思議そうに首を傾げていた。
そのやり取りが終わったあとも、しばらく小さな笑いの余韻が残った。
誰も大きくは笑わない。
けれど、張り詰めきった空気ではなくなっている。
それだけで十分だった。
血で繋がったのでも、契約で縛られたのでもない。
傷と戦いと、こうしたくだらないやり取りの積み重ねが、彼らを一つの群れへ変えていくのだろう。
日がさらに傾き、長い影が地面へ伸びる。
休息を終えた一行は、再び歩き出す。
メルロマルクへの道はまだ遠い。
波も、災厄も、その中心にある理不尽も、これから先もっと濃くなるに違いない。