※この作品はR-18です。

銃の勇者の探索記   作:ボルメテウスさん

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盾の背を追って

夕暮れの王都は、昼間よりもいっそう息苦しかった。

人の数が減ったわけではない。

むしろ、仕事を終えた者、宿へ戻る者、夜の備えへ動く兵や商人が入り混じり、通りそのものは昼以上に密になっている。

それなのに、空気だけが妙に薄かった。

誰もが口にしない不安を胸へ押し込み、それでも明日へ向かうために足を止めない。

そんな無数の呼吸が重なって、王都メルロマルクという巨大な街の上へ、見えない圧を作っていた。

 

その人波の向こうに、盾を背負った男の後ろ姿が見えた。

誠司は息を呑み、反射的に足を止める。

隣には剣を下げた少女。

その前では、ひときわ目立つ大きな鳥が、跳ねるような足取りで進んでいる。

これまで酒場や市場で拾ってきた断片的な情報が、その三つの姿へ一気に繋がった。

盾の勇者。

その仲間。

噂と悪意の中心にいたはずの一行が、いまこうして、人混みの中を実際に歩いている。

 

「いたな」

ベルベットが低く言う。

その声音には苛立ちよりも、獲物を見失わぬように距離を測る獣の緊張があった。

シノンも壁際へ自然に寄りながら、小さく頷く。

「鳥もいる。たぶん本物」

ヒッポリュテは何も言わなかったが、視線だけで十分だった。

見定める。

まずはそれだと、その沈黙が語っている。

 

誠司は目を細める。

すぐに声を掛けるべきか、一瞬だけ迷った。

だが、次の瞬間にはその迷いを押し込めていた。

まだ早い。

ここで名を呼び、足を止めさせ、長々と事情を語れる空気ではない。

何より、自分たちはまだ尚文という男を知らない。

噂ではなく、現実の立ち方を見なければ、何も始まらない気がした。

 

「追おう」

誠司が言うと、ベルベットが半眼のまま返す。

「尾行か」

「結果的には、そうなる」

苦笑混じりに答えると、シノンが小さく息を吐いた。

「気づかれないようにね」

「当然だ」

ヒッポリュテの声は静かだった。

「まず、どのように歩く男かを見る」

 

四人は人の流れへ自然に紛れた。

距離を詰めすぎず、離しすぎず、盾の男の背を見失わぬ程度の間合いを保つ。

誠司はその後ろ姿を見ながら、不思議な感覚に囚われていた。

もっと恐ろしく、もっと禍々しい像を、どこかで想像していたのかもしれない。

三勇教の教義は盾の勇者を悪魔と呼ぶ。

波の黒幕だと断じ、殺せば世界が救われるとまで言う。

そこまで歪んだ言葉を重ねられた存在なら、もっと何か、人を拒む刺のようなものを想像していてもおかしくない。

けれど現実の尚文の背は、少なくとも今のところ、そういうものには見えなかった。

むしろ逆だ。

周囲に気を配り、仲間を視界へ入れたまま歩くその姿は、誰かを庇うことへ慣れた人間のそれに近かった。

 

その事実を裏づけるように、通りの人々の反応が続く。

尚文たちが前を通るたび、周囲の視線が揺れる。

露骨に顔を背ける者。

遠慮がちに距離を取る者。

あからさまに嫌悪を向ける者もいる。

だがそれだけではない。

何か言いたげにしながら、結局口を噤む者もいた。

誠司はそれを見逃さなかった。

 

「……盾の勇者だ」

通りの端で、若い男が小さく言う。

その隣にいた女は反射的に子供の肩を抱き寄せた。

「関わらない方がいい」

そう囁く声は怯えに近い。

けれど、子供の方は不思議そうに尚文たちを見ている。

教会の教えをまだ十分に飲み込んでいないのだろう。

その視線だけが、妙にまっすぐで、誠司の胸へ残った。

 

「噂と違う」

シノンがぽつりと言う。

その声は驚くほど小さかったが、誠司にははっきり届いた。

「うん」

彼も小さく返す。

ベルベットは鼻を鳴らした。

「少なくとも、守る側の歩き方はしてる」

言い方はぶっきらぼうだが、そこには観察者としての冷静さがあった。

ヒッポリュテもまた低く言う。

「民衆の目と、本人の背が噛み合っていない」

その表現は、王として物を見る彼女らしい。

人々が向ける“悪魔”の視線と、実際にそこにある“盾を負う男の背”が明らかにずれている。

その違和感は、ここまで追ってきた四人の中で、もはや確信に近づきつつあった。

 

尚文たちは王都の中央通りを外れ、少し港寄りの道へ入っていく。

日が傾ききる前の、曖昧な明るさだった。

通りにはまだ人が多いが、波の余波か、あるいは本戦から戻った兵の動きか、どこかざわつきが残っている。

遠くから、遅れて届くような低い振動音があった。

主戦場は別にある。

けれど戦いの匂いだけは、まだこの王都全体へ残っていた。

 

その時だった。

不意に、空気の奥で何かが軋んだ。

誠司は首筋が総毛立つのを感じる。

波そのものではない。

だが、それに近い種類の異様な震えだ。

シノンが先に気づいたらしい。

彼女は通りの向こう、建物の影へ視線を飛ばし、短く息を呑む。

 

「何か来る」

その声とほぼ同時に、港側の倉庫屋根の一つが、内側から弾け飛んだ。

 

悲鳴。

木片の飛散。

次いで現れたのは、波から漏れ落ちた魔物の残党らしき異形だった。

細長い四肢を持つ獣型が二体、さらにその後ろから甲殻を持つ中型が一体。

主戦場から流れ着いたか、あるいは余波で取り残されていたものが今さら暴れ出したのか。

いずれにせよ、場所が悪い。

ここは通りだ。

民間人が多い。

そして尚文たちの進路と、魔物の飛び出した位置が最悪の形で噛み合ってしまっていた。

 

「まずい!」

誠司が叫ぶ。

尚文たちもすでに異変へ気づいていた。

ラフタリアが一瞬で剣を抜き、フィーロが尚文の前へ出る。

尚文自身も盾を構える。

その動きは速い。

迷いもない。

だが、正面で受けるには人の流れが邪魔だ。

ここで足を止めて大立ち回りを演じれば、通りそのものが巻き込まれる。

 

「撤退の邪魔になる!」

誠司の判断は一瞬だった。

ここで問うべきは、会話をするかどうかではない。

助けるかどうかだ。

そして、その答えはもう出ていた。

 

「手を貸す!」

誠司が駆け出す。

ベルベットは「最初からそのつもりだ」と吐き捨て、ヒッポリュテはすでにカリオンの首を軽く叩いて前へ出している。

シノンだけはすぐには突っ込まず、斜め上の見張り台跡へ飛び乗った。

いつもの役割分担だった。

誰も確認しない。

だが、群れとしての動きは既に身体へ染み込んでいる。

 

最初の獣型が尚文たちへ飛びかかる。

ラフタリアが斬り払う。

鋭い。

速い。

だが二体目が横合いから回り込み、さらに甲殻の中型が通りの真ん中へ割り込む。

そこへ人々の悲鳴が重なる。

尚文は盾を構えたまま、一歩だけ後ろへ下がった。

押し返すより、引きながら守る方を選んだのだろう。

その判断は正しい。

だが、そのためには撤退路を確保しなければならない。

 

「シノン、右上!」

誠司が叫ぶ。

「取った!」

矢が走る。

甲殻の中型の首の継ぎ目。

硬い外殻の隙間へ正確に食い込み、その動きをわずかに止める。

同時に誠司の銃声が響いた。

甲高い炸裂音が通りへ反響し、魔物の片脚を撃ち抜く。

崩れる。

そこへベルベットが踏み込み、異形の左腕で横殴りに吹き飛ばした。

 

「邪魔だ!」

怒声と共に魔物が石壁へ叩きつけられる。

だが、それで終わりではない。

なおも奥の影から別の小型が二体、尚文たちの後ろへ回り込もうとしていた。

尚文が振り向く。

ラフタリアも動く。

だが、いま彼らが足を止めれば中央の圧が一気に戻る。

 

「道を空ける!」

ヒッポリュテの声が飛んだ。

カリオンが前脚を上げ、そのまま石畳を蹴る。

騎乗の勢いを乗せた槍が、横から小型の一体を貫き、その死骸ごと後続を押しのけた。

女王らしい戦い方だった。

敵を倒すだけではなく、退路そのものを作る。

その叫びに、尚文が一瞬だけこちらを見た。

 

「……何だ、お前ら」

警戒そのものの声だった。

当然だと誠司は思う。

いきなり現れて援護を始めた見知らぬ連中を、すぐに信用できるはずがない。

 

「話は後だ!」

誠司は叫び返す。

「今は引いてくれ!」

ラフタリアが尚文へ鋭く視線を向ける。

「尚文様!」

短い呼びかけだったが、その中には“いまは従うべきです”という判断が込められていた。

フィーロも大きな身体を翻し、退路側へ尚文を促す。

「ご主人さま、こっち!」

その声は無邪気に聞こえるが、動きは驚くほど的確だった。

 

尚文はわずかに顔をしかめ、それでも退く。

盾を構えたまま、後ろへ。

ラフタリアがその横を固め、フィーロが機動力で足場を作る。

そこへ誠司たちの援護が重なった。

シノンの矢が上から追撃を止め、ベルベットが正面を薙ぎ払い、ヒッポリュテが中央の圧を押し返す。

誠司はその隙間を撃ち抜きながら、一行全体の流れを切らさぬよう必死で目を配る。

 

数は多くない。

だが、狭い通りでの撤退戦はそれだけで厄介だ。

背後に民間人が混じっていればなおさらだった。

それでも四人が動けば、撤退路はきちんと形になる。

それが誠司には、どこか不思議な確信として分かっていた。

 

「左からもう一体!」

シノンの声。

誠司は反射的に銃を向ける。

だが、その一瞬早く、尚文の盾が割って入った。

鈍い音。

爪を受け止め、衝撃ごと殺して押し返す。

間近で見る尚文の戦いは、誠司の想像以上に泥臭かった。

華やかさはない。

ただ耐え、支え、相手の勢いを削ぐ。

けれど、その泥臭さが異様に強い。

背中を預ける者がいるからこそ成立する戦い方だと、一目で分かった。

 

「退け!」

尚文が低く言う。

その声は荒れているが、通る。

ラフタリアがすぐに呼応し、敵の懐へ滑り込んで斬り上げる。

そこへベルベットが横から打撃を加え、ヒッポリュテの槍が最後を奪う。

奇妙な連携だった。

初めて合わせるはずなのに、戦う理由が似ている者同士は、土壇場で驚くほど噛み合うことがある。

 

どうにか戦闘圏から離れ、人気の薄い倉庫裏の路地へ転がり込んだ時、ようやく全員が一息つく余裕を得た。

遠くではまだ混乱の声が聞こえる。

だが、少なくともこの場は一時的に切り離されている。

尚文は盾を構えたまま、誠司たちを正面から見た。

その目にあるのは警戒だ。

当然だろう。

三勇教の蔓延る国で、突然助けに入ってきた見知らぬ一団。

信用しろという方が無理な話だ。

 

「……助けた理由は」

尚文の第一声はそれだった。

直截で、無駄がない。

そして、その問い方から既に、彼が簡単に恩義へ流される男ではないと分かる。

 

誠司は少しだけ呼吸を整えてから答えた。

「三勇教の噂を聞いた」

尚文の眉がわずかに動く。

「それだけで判断するのは違うと思った」

その言葉に、尚文はすぐには返さなかった。

代わりにラフタリアが一歩前へ出る。

剣はまだ下ろしていない。

守る者の立ち位置だった。

フィーロも尚文の背後で、こちらをじっと見ている。

子供っぽい顔立ちのまま、目だけはまったく油断していなかった。

 

ベルベットが横から低く言う。

「疑うのは勝手だ。けど、少なくともこっちは教会側じゃない」

その言い方は相変わらず刺が強い。

だが、その分だけ嘘もない。

ヒッポリュテも静かに続けた。

「いま決める必要はない。だが、我らは貴様を“悪魔”とは見ていない」

その言葉に、尚文の目がほんの少しだけ細められた。

驚いたのか、警戒を強めたのか、それだけでは分からない。

けれど少なくとも、その一言は彼へ届いたのだと誠司には思えた。

 

シノンが小さく口を開く。

「……また、会える?」

その問いは、交渉というより確認に近かった。

尚文は数秒だけ黙り、それから短く答える。

「それは状況次第だ」

曖昧だ。

だが、拒絶でもない。

その曖昧さが、今の距離としてはいちばん誠実だったのかもしれない。

 

遠くでまた音がした。

まだ完全に安全とは言えない。

尚文たちも、誠司たちも、ここで長く足を止めるわけにはいかなかった。

ラフタリアが尚文へ視線を送り、フィーロがそわそわと落ち着きなく足踏みする。

撤退の継続が必要だと、向こうも判断しているのだろう。

 

尚文は最後にもう一度だけ誠司たちを見た。

その視線には、なお疑いが残っている。

けれど、それだけではなかった。

少なくとも戦場の一瞬を共にした者へ向ける程度の認識は、そこに生まれている。

「……次に会う時は、もう少しまともな説明をしろ」

そう言い残し、彼は踵を返した。

ラフタリアがその後ろへつき、フィーロが一歩先へ躍る。

三人の背は夕闇へ溶けていくように遠ざかっていった。

 

しばらく、誠司たちはその背中を見送っていた。

誰もすぐには喋らない。

戦いの余熱と、初めて現実として向き合った盾の勇者の重さが、まだ胸の中で収まりきっていなかったからだ。

 

やがて、誠司がぽつりと言う。

「……思ってたのと違った」

ベルベットが鼻を鳴らす。

「噂よりは、ずっと筋が通ってたな」

シノンも静かに頷く。

「ちゃんと守ってた」

その一言に、誠司は深く同意した。

教義の中の悪魔ではない。

戦場の中で、仲間を背に立つ一人の勇者だった。

 

ヒッポリュテは、尚文たちの消えた路地を見つめたまま低く言う。

「少なくとも、波へ立つ者の背だった」

王の評価として、それは非常に重い言葉に思えた。

悪魔ではない。

同じ災厄へ立つ者。

それだけで十分だったのかもしれない。

 

誠司は息を吐く。

「次は、ちゃんと話す」

今日の接触は短すぎた。

事情も、立場も、目的も、ほとんど伝えられていない。

それでもいいと思えた。

最初から全部を語る必要はない。

大事なのは、噂ではなく現実を見たことだ。

三勇教の教義が作った虚像ではなく、尚文という男の実際の背中を見たことだ。

 

夜の帳が、王都へゆっくりと降りてくる。

通りにはまだざわめきが残っている。

けれど誠司の中では、昨日までの曖昧な違和感が、今度こそ確かな形へ変わっていた。

盾の勇者は、会う価値のある相手だ。

そして、自分たちがこれから本編の中心へ踏み込んでいくうえで、避けては通れない存在でもある。

 

彼らの背中はもう見えなかった。

だが、次に会う時はきっと、今日より深く言葉を交わせる。

そう信じられるだけの接点が、この夕暮れの撤退戦の中で確かに生まれていた。

 

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