※この作品はR-18です。

銃の勇者の探索記   作:ボルメテウスさん

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夜に沈む証拠

 夜の宿は、昼間の宿場よりもずっと正直だった。

 市場の声も、教会の噂も、商人たちの作り笑いも眠りの奥へ沈んで、残っているのは壁板の軋みと、遠くで犬が一度だけ吠える声と、油の減ったランプが小さく爆ぜる音だけだ。静けさは優しくない。むしろ、隠したものの輪郭をくっきり浮かび上がらせる、冷たい水みたいだった。

 

 俺たちの部屋の机には、証拠が並んでいた。

 銃声に似た音を出した魔道具の破片。焦げ跡の残った木片。シノンが描き直した現場図。商人と護衛の証言をまとめたメモ。どれも小さくて、机の上に置けば簡単に布で隠れてしまう。けれど、三勇教はこれを消したがっている。小石ほどの事実が、巨大な噂の歯車へ噛み込んでいるのだ。

 

「魔道具の破片、焦げ跡の木片、現場図の写し、証言メモ。これを全部ここに置いておくのは危ないよな」

 

 俺が言うと、シノンは迷わず頷いた。彼女は現場図の端を揃え、紙の角を指で軽く弾く。弾かれた紙がかすかに鳴って、ランプの灯りが揺れた。

 

「危ない。相手は証拠を消しに来ると思う」

 

「来たら捕まえればいい」

 

 ベルベットは窓辺に背を預け、当たり前みたいに言った。言葉は軽いのに、彼女の指はすでに戦う前の形をしている。爪先だけが床を叩き、音を殺しきれない苛立ちがそこに落ちていた。

 

 ヒッポリュテは椅子へ腰かけず、部屋の中をゆっくり見渡していた。扉、窓、天井、隣室との壁。戦場を見る目で、宿の一室を読んでいる。

 

「捕まえるだけでは足りぬ。奪われても致命傷にならぬ形を作れ」

 

「証拠を分ける。それと、囮も作るか」

 

 自分で言ってから、少しだけ口の中が苦くなった。前の俺なら、こんなことを考えただろうか。証拠を守るために偽物の包みを作り、敵に掴ませる。正義の味方というより、悪の組織の作戦会議みたいだ。

 

 シノンは俺の顔を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。

 

「現場図の古い下書きと、焦げていない木片を混ぜれば、それらしく見える」

 

「性格が悪くなってきたな、誠司」

 

 ベルベットがにやりとする。

 

「嫌な成長だよ、本当に」

 

「でも、嫌いじゃないわ」

 

「そこは褒めてくれてるのか?」

 

「さあね」

 

 ベルベットは視線を窓の外へ戻した。軽口は短く消え、部屋にはまた紙を折る音だけが戻ってくる。

 俺は囮包みへ、古い現場図の下書きと、焦げていない木片を入れた。それらしく見えるように、わざと煤を少し布に擦りつける。指先が黒くなった。ランプの灯りにかざすと、その黒は血よりも軽く、けれど水では落ちにくそうに見えた。

 

 しばらくして、宿場は完全に寝静まった。

 階下から聞こえていた酔客の笑い声も消え、隣室の寝息が壁越しにゆっくり流れている。夜は分厚い布みたいに部屋を包み、俺の鼓動だけがその布の内側を叩いていた。

 

「誠司、起きて」

 

 椅子に座ったまま浅く目を閉じていた俺は、シノンの声で顔を上げた。彼女は窓ではなく、天井を見ている。弓にはまだ触れていない。でも、視線だけがもう矢みたいに張られていた。

 

「何か来た?」

 

「屋根。風じゃない軋み方をした」

 

 ベルベットが音もなく立ち上がる。

 

「やっと来たか」

 

「声を落とせ。宿客を起こせば、敵の物語がまた増える」

 

 ヒッポリュテの低い声に、ベルベットは肩をすくめた。けれど、足音はちゃんと消えている。

 

「銃声は出さない。宿で暴れたって話にされたら終わりだ」

 

「なら、黙らせるだけにしておく」

 

「骨は折らない方向で」

 

「注文が多い男ね」

 

 そんな軽口を交わしながらも、全員の動きは細かった。ベルベットは窓の死角へ滑り、シノンは壁際へ寄って天井と窓を同時に見られる位置を取る。ヒッポリュテは扉のそばに立ち、廊下と裏手への逃げ道を塞ぐ角度に身体を置いた。

 俺は机の前に立った。腰の銃はそこにある。けれど、手は伸ばさない。夜の宿で銃声が鳴れば、それだけで三勇教の欲しい絵になる。銃の異端が宿で暴れた。証拠を巡って刃傷沙汰を起こした。彼らなら、寝ぼけた宿客の証言に尾ひれを付けて、朝には立派な罪へ仕上げるだろう。

 

 窓の外で影が動いた。

 同時に、屋根裏から細かな埃が落ちる。隣室側の壁板が、ほんのわずかに内側へ鳴った。夜が三方向から薄く裂かれていく。

 

「二人じゃない。三人いる。一人は屋根、一人は窓、一人は隣室の壁」

 

 シノンの囁きは、針の先みたいに小さかった。

 

「証拠を探しに来たのか」

 

「殺す足音ではない。探る足音だ」

 

 ヒッポリュテが答える。彼女の手は槍に触れていないのに、廊下へ抜ける空気がもう塞がれていた。

 

「なら、手癖の悪い鼠退治ね」

 

「できるだけ音を立てないで」

 

「はいはい」

 

 窓の留め金が、内側から触れられたみたいに微かに震えた。細い道具が差し込まれ、木枠がゆっくり開く。黒い布をまとった影が、音を殺して部屋へ滑り込んだ。

 侵入者は俺たちの寝台をちらりと見て、誰も眠っていないことに気づく前に、机の下へ視線を落とした。そこには、囮の包みを置いてある。見つけやすいが、あからさますぎない場所。シノンが選んだ位置だ。

 

「窓側、囮に触った」

 

「了解」

 

 ベルベットの姿が影から剥がれた。

 次の瞬間、侵入者の口が塞がれ、身体が床へ沈む。床板がきしりと鳴ったが、隣室の寝息は乱れない。ベルベットは片膝で相手の背を押さえ、耳元へ顔を寄せた。

 

「叫んだら喉を潰す。黙ってれば、骨一本で済ませてあげる」

 

「骨も駄目だから」

 

 俺が小声で突っ込むと、ベルベットは侵入者を押さえたまま、片目だけこちらへ向けた。

 

「注文が多い」

 

「人聞きの悪い証拠を増やしたくないんだよ」

 

 彼女は短く息を漏らした。笑ったのかもしれない。侵入者は笑えない顔をしていたけれど。

 

 その時、隣室側の壁板が外れた。

 別の侵入者が低い姿勢で入り込み、机の上に置いてあった現場図の写しへ手を伸ばす。囮に食いついた一人目とは違い、こちらは部屋全体を探る役だ。指先の動きが速い。

 

「右。現場図を狙ってる」

 

「くそっ」

 

 俺の手が、反射で銃へ伸びかけた。

 廊下の向こうから、誰かの寝返りの音が聞こえる。俺の指がグリップに触れる寸前で止まった。ここで撃てば、残るのは銃声だけだ。俺が何を守ろうとしたかなんて、朝には誰も聞かない。

 

「撃たない」

 

 自分に言い聞かせるように呟いて、俺は机を押した。木の脚が床を擦る音を最小限に抑えながら、侵入者と現場図の間へ身体を滑り込ませる。

 侵入者の目が布の奥で細くなった。

 

「どけ、異端」

 

「それは俺の言葉じゃない。お前らが勝手に貼った札だ」

 

「なら、その札ごと潰されろ」

 

 短剣が抜かれた。ランプの光を吸った刃が、夜の中で細く光る。

 俺は椅子を蹴って距離をずらし、相手の手首を押さえにいった。刃が袖をかすめ、布が裂ける。皮膚までは届いていない。冷たい空気だけが腕に触れた。

 銃を抜けば早い。そう思った瞬間、腰の重みがやけにはっきりした。けれど、俺は抜かなかった。代わりに相手の肘を机の角へ押しつける。鈍い息が侵入者の喉から漏れた。

 

「ベルベット、こっちは?」

 

「今、手が離せない」

 

「少しは優しく押さえてくれよ」

 

「優しくしたら逃げるでしょ」

 

 返事が速い。こんな状況なのに、変なところでテンポが合ってきている自分たちがいる。

 シノンの矢が、侵入者の足元ぎりぎりへ突き刺さった。音は小さい。床板に深く刺さるのではなく、布靴の先を縫い留めるような射方だった。

 

「動かないで。次は足の甲」

 

 侵入者の動きが止まった。

 ヒッポリュテが扉の向こうへ目を向ける。

 

「屋根の者が逃げる。囮を持たせたまま行かせよ」

 

「逃がすのか」

 

 ベルベットの声が鋭くなる。

 

「本命を守ることが先だ。敵に偽りを抱かせるのもまた手だ」

 

「屋根の足音、北側へ抜ける」

 

 シノンが報告する。

 俺は一瞬だけ迷った。追えば、捕まえられるかもしれない。けれど、追えば宿の外で騒ぎになる。屋根を走る影を追う銃の男。夜の噂にするには十分すぎる。

 

「追わない。囮を持っていったなら、それでいい」

 

「本当に性格悪くなったわね」

 

 ベルベットが呟いた。

 

「褒めてないよな、それ」

 

「少しだけ褒めてる」

 

「少しだけか」

 

「多く褒めると調子に乗るでしょ」

 

 そんなことを言いながら、彼女は押さえ込んだ侵入者の腕をさらにきつく捻った。侵入者の喉から声にならない音が漏れる。

 

「骨は駄目だって」

 

「まだ折れてない」

 

「まだ、が怖いんだよ」

 

 やがて部屋の中は、また夜へ戻っていった。

 ただし、床には二人の侵入者が転がり、一人は囮包みを持って逃げた。勝ったという感じはなかった。嵐が窓を叩いたあと、まだ雨雲が頭上に残っているような、そんな静けさだった。

 

 ヒッポリュテは捕らえた一人の前にしゃがみ、声を落とした。

 

「誰の命で来た」

 

「知らない。教会の使いから、破片と木片を探せと言われただけだ」

 

 シノンが侵入者の持ち物を調べる。小さな符、細い針金、簡単な眠り薬。けれど、本物と偽物を見分けるための印はない。

 

「本物がどれかは知らされていないみたい」

 

「使い捨てか」

 

 ベルベットの声には、吐き捨てるような響きが混じった。床に伏せた侵入者は、悔しそうにこちらを睨む。

 

「お前らがどこへ隠しても、異端の証など誰も信じない」

 

 俺は机の上に残った本物の包みを見た。布の中にある破片は、今も小さく沈黙している。

 

「それでも、お前たちは取りに来た。信じられたら困るからだ」

 

 侵入者は口を閉じた。

 その沈黙だけで、十分だった。

 

「俺たちが何を持ってるかは知ってる。でも、どこにどう置いてるかまでは知らない」

 

 俺が言うと、ヒッポリュテは頷いた。

 

「ならば、分散は効いている。敵は網の形をまだ読めていない」

 

 網、という言葉が妙に残った。

 俺は今まで、守ることを壁のように考えていた。前に立って、受け止めて、撃って、止める。けれど今、俺たちが作ろうとしているのは壁じゃない。細い糸をいくつも張った網だ。一本切られても、すぐには破れないようにする。誰か一人へ重さを押しつけないようにする。

 

 シノンは窓の外を確認し、戻ってきた。

 

「この宿に置き続けるのは危険」

 

「次はもっとまともな奴が来るかもしれない」

 

 ベルベットが侵入者の拘束を確認しながら言う。

 

「夜明けを待つな。薄明の前が最も人目を避けられる」

 

 ヒッポリュテの言葉に、俺は証拠の包みを三つに分け始めた。指先の煤が、また布へ移る。本物と写しを混ぜ、どの包みに何があるか、必要最低限の者にしか分からないようにする。

 

「薬草店に一つ、素材屋に一つ、行商人に一つ。尚文さんへの分も別ルートで送る」

 

「本物と写しを混ぜて、誰が何を持っているか私たち以外には分からないようにする」

 

 シノンが淡々と言うと、ベルベットが眉を寄せた。

 

「味方まで疑うのか」

 

「味方を疑うのではない。味方が狙われた時、吐かされる情報を減らすのだ」

 

 ヒッポリュテの答えに、ベルベットはしばらく黙った。

 窓の外では、夜の黒が少しずつ薄くなり始めている。まだ朝ではない。けれど、完全な夜でもない。世界がどちらへ行くか決めかねている時間だった。

 

「守るために、知らないままにしておくこともあるんだな」

 

 俺の声は、自分で思ったより小さかった。

 シノンが紙を包む手を止めずに、短く答える。

 

「知っていることが、誰かを傷つける時もあるから」

 

 その言葉は、彼女自身のどこか深い場所から出てきたように聞こえた。俺は何も聞き返さなかった。聞かないことも、たぶん今は一つの守り方だった。

 

 夜明け前の薄い光の中、証拠の包みは三つに分けられた。

 部屋の隅では、捕らえた侵入者が縛られている。逃げた一人は、囮包みを抱えて三勇教のもとへ向かっているだろう。偽物を掴ませたことが勝利なのか、次の火種なのかは分からない。ただ、何もしないよりは前へ進んでいる。

 

 遠く離れた教会の陰で、逃げた密偵は囮包みを神官見習いへ差し出していた。

 古い現場図と、焦げていない木片。煤を擦りつけただけの布。神官見習いはそれを見て、浅く息を吐く。

 

「これが証拠か」

 

「宿の部屋から奪いました。間違いありません」

 

 背後に立つ教会関係者は、木片を指でつまみ、光へかざした。しばらく眺めたあと、唇だけを動かす。

 

「……軽すぎる。だが、奴らが証拠を分けたことは分かった」

 

 その声が届くはずもないのに、宿の部屋にいた俺は、ふと背筋へ冷たいものが走るのを感じた。

 窓の外で、朝の最初の鳥が鳴いた。綺麗な声だった。けれど、その声の下に、まだ夜の足音が残っている気がした。

 

「これで終わりじゃない。むしろ、ここからだ」

 

 俺が言うと、シノンが包みの紐を結び終えた。

 

「証拠を運ぶ道が、次に狙われる」

 

「なら、その道ごと守るしかないわね」

 

 ベルベットは縛った侵入者から目を離さずに言う。ヒッポリュテは窓の外、薄明の宿場を見た。

 

「守る道を作るのだ。敵に見えぬ道をな」

 

 俺は腰の銃へ触れた。抜くためじゃない。ただ、そこにある重さを確かめるためだった。

 銃は撃つための武器だ。けれど今の俺は、撃たなかった証拠を守っている。銃声を鳴らさないまま、銃の名を奪われないように戦っている。なんだか皮肉で、少しだけ笑いそうになった。

 

 でも、笑うにはまだ早い。

 夜は沈んだ。証拠もまた、いくつもの包みに分かれて朝の影へ沈んでいく。

 それは逃げ隠れじゃない。消えないために、深く潜るのだ。

 いつか浮かび上がるために。誰かが見ていないものを見たと言わずに済む朝を、少しずつ近づけるために。

 

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