丘の上に、金属の音が三方向から近づいてきた。
剣が鞘の内側を叩く音。槍の石突きが乾いた地面を打つ音。弓の弦が風に震える音。朝霧はもうほとんど晴れていたはずなのに、丘の礼拝跡だけは雲の影に沈み、魔法陣の銀線が地面の傷口みたいに冷たく光っている。
勇者が来る。
そう思った瞬間、胸の奥で何かが少しだけ上向いた。四聖勇者が揃えば、状況は変わるのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった。
けれど、尚文さんの背中は少しも緩まなかった。盾を構えた肩も、足の開きも、呼吸の間も変わらない。ただ、三方向から近づく気配を、敵の増援を見るみたいに測っている。
最初に丘へ駆け上がってきたのは槍の勇者だった。
続いて、剣の勇者が別の道から現れ、最後に弓の勇者が石柱の陰から姿を見せる。三人の武器は朝の光を受けて輝いている。けれど、立ち位置はばらばらだった。槍は前へ出すぎ、剣は少し引いて周囲を見ていて、弓は教会関係者へ向けてまっすぐ問いを投げる距離に立っている。
揃ったのに、並んでいない。
勇者という名前だけでは、陣形にはならないのだと、その影の散らばりが言っていた。
「尚文! これはどういうことだ!」
槍の勇者――元康が声を荒げる。
尚文さんは振り返らない。
「俺に聞くな。お前らも誘い込まれた側だろ」
「誘い込まれた? 俺たちは三勇教に呼ばれて――」
そこで元康の言葉が止まった。
丘の中央に立つ上位教会関係者が、細い杖を掲げたからだ。白い法衣の袖が風に揺れる。その後ろで、信徒たちが同じ角度で頭を垂れた。人の群れなのに、一つの影みたいだった。
「剣、槍、弓の勇者よ。よくぞこの地へ集った」
声は穏やかだった。
穏やかすぎて、地面を這う魔法陣の光の方がよほど感情を持っているように見えた。
フィーロが俺たちの間から顔を出す。
「あの人たち、味方なの? ご主人さま」
尚文さんは短く答えた。
「少なくとも、俺の味方じゃない」
その返事に、ラフタリアの指が剣の柄を握り直す。
誠実な反論も、慰めもない。ただ、尚文さんの横に立つ位置を半歩だけ調整した。
俺はその背中の後ろにいた。尚文さんが共闘相手として数えているのは、ラフタリア、フィーロ、そして俺たちだけ。言葉にされなくても、陣形の中にそれが出ている。
上位教会関係者は、さらに杖を高く掲げた。
「盾の悪魔、銃の異端。そして、神意を理解せぬ三つの器。すべて、この場にて浄化する」
「……何だと?」
元康の槍先が揺れた。
剣の勇者、錬は眉をひそめる。
弓の勇者、樹は一歩前へ出た。
「正義を掲げる教会が、なぜ勇者を裁くんですか!」
上位教会関係者は、樹の問いを聞いても表情を動かさなかった。
「剣、槍、弓は神の器。だが、器が濁れば砕き、新たに祀ればよい」
祈りの声が低く積み重なった。
魔法陣の銀線が、血管のように脈打ち始める。丘の空気が重く沈み、朝なのに足元へ夕方の影が落ちた。
三勇者の武器の光が、その白い輝きに飲まれかけている。
「どういうことだ! 俺たちは三勇教に選ばれた勇者じゃなかったのか!」
元康が叫ぶ。
錬は剣を抜き、低く吐き捨てた。
「利用されていた、というわけか。くだらない」
樹はまだ教会関係者を見ている。正面から答えを求める姿は、まっすぐすぎて危うかった。
俺はその表情を見て、ほんの一瞬、言葉を失った。彼らは尚文さんを追い詰めた側で、誤解や傲慢を抱えてきた相手だ。けれど今、三勇教の物語の中では、彼らもまた交換可能な駒にされている。
尚文さんが、こちらを見ずに言った。
「あいつらを信用するな」
その声で、俺の足が地面に戻った。
「……でも」
「だが、死なせれば三勇教の思う壺だ」
短い。
冷たいと言えば冷たい。けれど、その言葉は切り捨てではなかった。線引きだった。信用と救援を同じ箱に入れないための、乱暴で正確な線。
魔法陣が弾けた。
白い魔法弾が丘の外周から降り注ぎ、信徒たちが一斉に前へ出る。三勇者はそれぞれ動いた。元康は怒りのまま槍を突き出し、錬は魔法陣の線を斬ろうと剣を振り、樹は光矢を放って信徒の列を崩す。
強い。
それは間違いない。
けれど、光が散りすぎる。剣撃も槍の突進も弓の光矢も、派手に魔法陣へぶつかるのに、核には届かない。魔法陣は傷ついたふりをして、すぐに白い光で線を繋ぎ直していく。
「派手に壊してるだけ。核には届いてない」
シノンが冷静に言った。
彼女の視線は魔法陣の輝きではなく、光が戻る場所を追っている。
ベルベットは俺たちの側面へ回り込み、信徒の杖を踏み砕いた。
「崇めていた神様まで処分するなんて、ずいぶん都合のいい信仰ね」
「異端が神を語るな!」
「語ってないわよ。吐き気がするって言ってるだけ」
彼女は信徒の腕を捻り、武器を落とさせる。地面へ叩きつける寸前で止めたのを見て、俺は何も言わなかった。言えばきっと「注文が多い」と返ってくる。けれど、彼女の手はもう殺しにいっていない。
ヒッポリュテが一歩下がり、丘全体を見た。
「戦力は増えた。だが、味方が増えたとは限らぬ」
その言葉が、魔法弾の音の中でやけにはっきり聞こえた。
勇者が揃っている。けれど、陣は一つになっていない。尚文さんは三勇者へ指示を飛ばさない。ラフタリアとフィーロ、俺たちの動きだけを視界の端に置いている。
「尚文様、三勇者側が崩れます」
ラフタリアが剣で魔法弾を受け流しながら言った。
元康が突っ込みすぎ、樹の側面が空いている。錬は単独で魔法陣の線を斬ろうとして、足元の銀線に囲まれかけていた。
尚文さんは盾を前へ押し出し、信徒の突撃を受け止める。
「深入りするな。包囲だけ薄くしろ」
俺は頷いた。
銃を構える。照準の先には、三勇者へ迫る信徒の足元。殺す必要はない。助けに飛び込む必要もない。三勇者を信用するための弾じゃない。三勇教の勝ち筋を消すための弾だ。
「牽制弾」
足元へ撃つ。
乾いた音とともに、信徒の進路が崩れた。土が跳ね、白い法衣の列に隙間ができる。元康は一瞬こちらを見た。
「お前、何を――」
「前見てください!」
叫ぶと、元康の横を魔法弾がかすめた。彼は慌てて槍を振り、弾を弾く。
「指図するな!」
「助けられてから言う台詞ですか、それ!」
思わず返すと、ベルベットが横で笑った。
「いいわね、今のは少し言えてた」
「褒めてる場合か!」
「少しだけよ」
シノンの矢が、樹の側面へ回り込もうとした信徒の足元へ刺さる。樹は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに弓を引き直した。
錬は剣で魔法陣の線を斬りつけている。だが、斬った線はすぐに繋がる。苛立ちが剣筋に混じって、刃の軌道が少し荒くなった。
「誠司、右奥」
シノンが言う。
俺はその方向を見る。魔法陣の銀線が、地面の一点で強く脈打っていた。大きな核ではない。小型の核だ。破壊しても全体は止まらないだろう。けれど、拘束を一部弱めることはできる。
その時、樹の足元に銀線が絡んだ。
光が蔦のように伸び、膝の下へ巻きつく。樹は弓を構えたまま動きを止められ、信徒の一人が背後から短杖を振り上げた。
ラフタリアが動きかける。
尚文さんの盾が、彼女の前でわずかに角度を変えた。
「誠司」
それは命令じゃなかった。
でも、俺の名前が配置の中で呼ばれた。
俺は息を吸い、銃口を右奥の小型核へ向ける。
「撃つ場所を間違えないで」
シノンの声が耳に届く。
分かってる、と言う代わりに、引き金へ指を置いた。
「精密破壊弾」
光が銃身の奥で細く収束する。
撃つ。
弾は派手に爆ぜず、地面の一点を貫いた。銀色の線が途切れ、砂がこぼれるように魔力が散る。樹の足元の拘束が緩み、彼は横へ転がるように避けた。短杖は空を切り、ラフタリアがその信徒の武器を弾き飛ばす。
樹は地面に片膝をつき、俺の方を見た。何か言いたげに口を開く。
けれど、その前に尚文さんの声が落ちた。
「余計な深入りはするな。だが、それでいい」
俺は返事をしなかった。
ただ、銃口を下げすぎないまま頷いた。
認められた、なんて思わない。褒められたわけでもない。けれど、今の一発は尚文さんの陣形からはじき出されなかった。
それだけで、足場が一枚増えた気がした。
雲の切れ間から、一瞬だけ光が差した。
けれど、すぐに魔法陣の白い輝きがそれを塗り潰す。勝ったわけじゃない。第一波をしのいだだけだ。丘の中央では、上位教会関係者が静かに杖を持ち替えていた。
その杖は、ただの儀礼用ではなかった。
剣、槍、弓、盾。四つの意匠が歪に組み合わさった、四聖武器のレプリカを思わせる形。見ただけで、肌の奥がざらつく。
「第一の祈りは退けたか。よい。ならば、次なる浄化を始めよう」
信徒たちの祈りが、さらに低く重なる。
三勇者は、それぞれの場所で武器を構え直していた。まだ並んでいない。まだ同じ陣ではない。
尚文さんは盾を前に、俺たちはその背後と側面に立っている。
勇者は揃った。
けれど、戦う形はまだ揃っていない。
白い魔法陣の光が、丘の草を冷たく照らす。次の波が来る前の静けさは、息を吸う時間ではなく、息を止めるための時間みたいだった。