勇者の攻撃は、派手だった。
槍が白い光を裂き、剣が魔法陣の線を断ち、弓の光矢が信徒の列を貫いていく。丘の草は衝撃で揺れ、土埃は朝の光を拾って金色に舞った。普通なら、それだけで勝てそうに見える。物語なら、勇者が揃った時点で反撃の音楽が鳴る場面だ。
けれど、現実の戦場に都合のいい曲は流れない。
元康の槍が魔法陣の左側を抉る。錬の剣が右側の線を断つ。樹の光矢が奥の信徒を散らす。
そのたびに銀色の線は一瞬だけ途切れ、次の瞬間には何事もなかったみたいに繋がり直した。まるで傷口を白い糸で縫われていくように、魔法陣は呼吸を続けている。
「くそっ、しつこい!」
元康が槍を振り回す。
錬は無言で剣を構え直したが、刃先がわずかに荒れていた。
樹は弓を引く手を止め、丘の中央に立つ上位教会関係者を睨んでいる。
「なぜ戻るんです。確かに破壊したはずなのに」
「同時じゃないと駄目」
シノンの声が、白い光の中で冷たく通った。
彼女は魔法陣そのものではなく、光が戻る順番を追っている。目線は矢よりも細く、銀線の脈動を一つずつ数えていた。
「核は四つ。順番に壊しても繋がり直す。同時じゃないと駄目」
その言葉に、俺は銃を握る手へ力を入れた。
四つ。
一つなら撃てる。二つでも、隙を見れば何とかなるかもしれない。でも四つを同時に壊すには、俺たちだけでは足りない。尚文さんの盾とラフタリア、フィーロ、ベルベット、シノン、ヒッポリュテ。ここまで崩れずに来た陣形は小さく強い。けれど、魔法陣の広さに対して手が届かない。
尚文さんは三勇者へ指示を出さない。
盾を前に立て、降り注ぐ魔法弾を受け止める。火花が盾の表面で跳ね、細い雨みたいに地面へ落ちる。その背中は、相変わらず三勇者へ向いていなかった。信用しない、という言葉がなくても、立ち位置だけで分かる。
俺は一歩だけ近づいた。
前へ出すぎない。尚文さんの背中の斜め後ろ。そこが今、俺に許されている場所だった。
「尚文さん」
「何だ」
「配置だけでも、合わせられませんか」
魔法弾が盾にぶつかる。
尚文さんは返事をせず、盾をわずかに傾けた。弾かれた光が俺の足元で弾ける。熱はないのに、靴の革が焼けるような錯覚が残った。
「あいつらを信用する気はない」
「信じろなんて言いません」
自分の声が、思ったよりはっきり出た。
ベルベットが横で信徒の杖を踏み砕きながら、ちらりとこちらを見る。シノンは何も言わず、核の位置を追い続けている。ヒッポリュテの視線は、俺が踏み込みすぎないかを測っていた。
「今だけ、同じ方向を撃ってください」
尚文さんの肩が、ほんの少しだけ動いた。振り向きはしない。
「お前、仲直りでもさせるつもりか」
「違います。そんな綺麗な話じゃないです」
言ってから、喉が少し乾いた。
丘の風は強い。なのに、信徒たちの祈りだけは途切れない。低い声が地面から染み出すように続き、魔法陣の銀線をまた白く太らせていく。時間が削られている。俺たちの足元ごと、少しずつ。
「信用じゃなくて、配置です。あの人たちを好きにならなくてもいい。信じなくてもいい。でも、核を四つ同時に壊すには、あの三人の射程が要ります」
尚文さんは短く息を吐いた。
それは笑いではなかった。諦めでもない。面倒な現実を飲み込む時の音だった。
ヒッポリュテが、静かに言葉を置く。
「信頼は不要だ。今は矛先の角度だけ揃えよ」
尚文さんの盾が、また魔法弾を受ける。
火花が俺の頬の横を落ちた。白い光の欠片が土に沈む。それを見下ろしてから、尚文さんはようやく口を開いた。
「あいつらを信用する気はない。だが、敵の核を壊す駒としてなら使える」
「それで十分です」
「甘いことを考えるなよ」
「考えてません。たぶん」
「たぶんを付けるな」
そのやり取りに、フィーロが荷包みを抱えながら首を傾げた。
「けんかしながらでも、一緒に蹴れるよ?」
尚文さんは一瞬だけ黙った。
ラフタリアが小さく目を伏せる。笑いそうになったのを、剣を握る手で隠したみたいに見えた。
「フィーロ、今は蹴る話じゃない」
「えー。でも、みんな同じ敵なんでしょ?」
子供みたいな言葉が、魔法陣の白い光の上へぽんと落ちた。
単純すぎる。けれど、その単純さが一番硬いものを叩く時もある。
ベルベットが信徒を道端へ転がしながら言った。
「仲良しごっこは後にして。死にたくないなら役に立ちなさいって言えばいいのよ」
「それ、説得っていうより脅しじゃない?」
「似たようなものよ」
「違うと思う」
「じゃあ、あんたが上手く言いなさい」
彼女は俺の襟首を軽く掴み、前へ出すぎていた身体を一歩戻した。
「あと、行きすぎ。盾の勇者の前に出る気?」
「……助かった」
「少しだけね」
少しだけ、が増えていく。
この戦場で、それは妙に心強かった。
俺は三勇者の方へ向いた。
元康は槍を肩に構え、まだ苛立ちを隠していない。錬は剣先を地面へ落とし、魔法陣の再接続を見ていた。樹は弓弦に指をかけたまま、上位教会関係者の言葉を何度も噛み返しているようだった。
「聞いてください!」
声を張る。
三人の視線が、ばらばらの角度からこちらへ向いた。
「誰が盾の指図なんか受けるか!」
元康が最初に噛みつく。予想通りすぎて、少しだけ呼吸が楽になった。
「盾の指図じゃありません。三勇教が作った魔法陣を壊す話です」
「同じことだろうが!」
「違います。今、あなたたちが単独で壊している場所は核じゃない。そこをいくら壊しても戻ります」
錬の眉が動いた。
「……同時に壊さなければ再生する。理屈は分かった」
「錬!」
「怒鳴るな。見れば分かる。切った線が戻る起点がある」
錬は剣先で右側の地面を示した。目は冷たいが、さっきより焦点が合っている。
樹は弓を下げないまま、低く言った。
「正義を名乗るなら、僕は何を見ていたんだ……」
その声は、戦場の音に飲まれそうに細かった。
俺は一瞬、言葉を選び損ねた。慰める資格なんてない。責める資格だってない。ただ、今ここで黙れば、魔法陣の白い光が答えの代わりに彼らを飲む。
「正しさを証明したいなら」
俺は樹を見た。
「今は人を助ける動きをしてください。言葉じゃなくて、矢で」
樹の指が弓弦を強く引いた。
反論はなかった。代わりに、弓の先が中央奥へ向く。
シノンが矢を一本、地面へ射った。
矢は魔法陣の光を避けるように刺さり、四つの核の一つを示す。
「左は槍。右は剣。中央奥は弓。手前の小型核は誠司。周期は七拍。ずれたら繋がり直す」
「七拍って、誰が数えるんだよ」
元康が吐き捨てると、シノンは瞬きもせず答えた。
「私」
「何なんだ、この女」
「射手」
短すぎる自己紹介に、元康が一瞬言葉を失った。
ベルベットが横で肩を揺らす。
「いいわね、今の」
「褒めてる場合じゃないから」
「少しだけよ」
ヒッポリュテが槍の石突きで地面を鳴らした。
一度だけ。
それで俺たちの視線が集まる。
「左の核は槍の直線が最も速い。右は剣で斬れる。中央奥は弓の射程。手前は銃の精密性で抜ける。盾の勇者は反撃を受けよ。ほかは信徒を止める」
尚文さんが鼻を鳴らした。
「簡単に言ってくれる」
「貴様なら受けられる」
「信頼してるみたいな言い方をするな」
「能力を評価しているだけだ」
「……それならいい」
それでいいのか。
思ったけれど、言わなかった。言ったらたぶん怒られる。
元康はまだ納得しきっていない顔で槍を握り直した。
指の関節が白くなる。怒りは消えていない。けれど、槍先は左の核へ向いた。
「一回だけだ。盾と足並みを揃えるわけじゃない」
錬は剣を構え、右の核へ視線を落とした。
「目的が一致している間だけだ」
樹は中央奥へ弓を向けた。
弦を引く指が一瞬だけ止まり、それから深く引き絞られる。
「僕は、教会のために撃つわけじゃありません」
尚文さんが盾を構え直す。
「信用じゃない。利用するだけだ」
その声に、三勇者はそれぞれ違う顔をした。元康は噛みつきそうになり、錬は無視し、樹は唇を結んだ。
けれど、武器の向きは変わらない。
雲の切れ間から、一筋だけ光が落ちた。
魔法陣の白い輝きと交差し、丘の上に細い十字を作る。風が強まり、信徒たちの白い法衣が初めて乱れた。祈りの声の中に、小さなざわめきが混じる。
上位教会関係者が、目を細めた。
「……矛先を揃えるか。ならば、器ごと砕くまで」
細い杖が掲げられる。
魔法陣の四つの核が、同時に強く脈打った。
「周期、入る」
シノンが言う。
声は低い。けれど、俺の耳にははっきり届いた。
「一、二、三――」
尚文さんの盾が、魔法陣の中心へ向けられる。
ラフタリアがその横へ並び、フィーロが荷包みを背後へ下げる。ベルベットは信徒の進路を塞ぎ、ヒッポリュテは全体を見渡す。
剣、槍、弓、銃。
それぞれの照準が、別々の核へ向く。揃ったようで、揃いきってはいない。影はまだばらばらだ。距離もある。言葉も足りない。
けれど、白い魔法陣の上で、四つの矛先だけが同じ瞬間を待っていた。
和解ではない。
友情でもない。
たぶん、こんなものを共闘と呼んでいいのかも分からない。
それでも、今を越えるための配置はできた。
俺は銃口を手前の核へ合わせる。指先の震えは、朝の風に紛れて誰にも見えなかった。
「四、五――」
シノンの声が続く。
丘の空気が、薄いガラスみたいに張り詰めていく。
次の一拍で、世界が割れる。