白い矛先が、こちらへ向いた。
それは比喩ではなく、本当に丘の空気が傾いたみたいだった。三勇教の信徒たちの視線が、祈りの声の角度が、複製聖武器の歪な先端が、全部まとめて俺の銃口へ吸い寄せられていく。さっきまで尚文さんを押し潰そうとしていた白い圧力が、今度は俺の足元へ影を伸ばしていた。
銃だけが通る。
その事実を、敵も見てしまった。
魔法陣の白光が足元で脈打つたび、俺の影は細く引き伸ばされる。風は強い。なのに、信徒たちの祈りだけは壁みたいに動かない。世界の片側が白く固まり、もう片側に俺たちが押し込められている。そんな息苦しさが、喉の奥へ煤みたいに貼りついた。
「来る。次は誠司狙い」
シノンの声が、背中に届いた。
矢を番える音は小さい。けれど、その音だけで少し呼吸が戻る。俺一人が狙われているようで、実際には俺の周りにいくつもの気配があった。ベルベットの荒い足音、ヒッポリュテの石突きが土を叩く音、ラフタリアの剣が鞘の縁を擦る音、フィーロが荷包みを置く小さな音。
尚文さんの盾の影が、俺の足元へ落ちた。
振り返らないまま、彼は言う。
「敵は銃を恐れている。なら、恐れているものを見せ続けろ」
「……囮、ですか」
「嫌なら下がれ」
短い返事だった。
けれど、盾は俺の前から退かない。下がれと言いながら、下がる道をちゃんと残している。俺は自分の手を見た。銃を握る指が、汗で少し滑っている。指先を握り直すと、グリップの硬さが手のひらへ食い込んだ。
ベルベットが横目で俺を見る。
その視線は、行くなとも、行けとも言わなかった。ただ、俺が頷くまで離れない。だから俺は、小さく頷いた。
「囮でもいい。俺の銃で、みんなの道が開くなら」
ベルベットの眉がわずかに寄る。
彼女は信徒の杖を踏み砕きながら、低く言った。
「囮にするなら、傷一つで済ませなさいよ。二つ目は私が許さない」
「一つは許すんだ」
「かすり傷までよ」
「基準が急に具体的だな」
軽口を叩いた瞬間、複製聖武器が白い弓へ変わった。
白い矢が三本、俺へ向けて放たれる。ラフタリアが横から飛び込み、一本を斬り落とす。フィーロが二本目を蹴り逸らし、尚文さんの盾が最後の一本を受け止めた。衝撃で空気が裂け、俺の髪が後ろへ跳ねる。
「銃のお兄ちゃん、フィーロの後ろね!」
「頼もしいけど、後ろにいると射線が!」
「じゃあ横!」
「臨機応変すぎる!」
フィーロがにぱっと笑う。
その笑顔の向こうで、複製武器の白い防御膜が俺の銃口の動きに合わせて寄ってくるのが見えた。敵は俺を潰したい。けれど、それ以上に俺に撃たれることを嫌がっている。
「まだ撃たない」
シノンが言った。
「敵が全部あなたを見てから」
「撃てる時に撃たないの、かなり心臓に悪いんだけど」
「外すよりはいい」
「いつもながら正論が鋭い」
「褒め言葉として受け取る」
ヒッポリュテが槍を地面へ突き、三勇者の方へ声を飛ばした。
「剣は右基部、槍は左支柱、弓は中央詠唱核を狙え。銃は誘いだ。盾が受け、銃が誘い、剣槍弓が裂く。これが逆転の陣だ」
「勝手に決めるな!」
元康が怒鳴る。
だが、槍先は左支柱へ向いていた。怒りながらでも、身体は状況を理解しているらしい。
尚文さんが盾越しに言う。
「信用じゃない。時間を稼げ。あいつの銃に目を集める」
「なんで俺が盾の作戦に乗らなきゃならない!」
「嫌なら勝手に死ね。だが死ねば三勇教の勝ちだ」
「っ……盾ぇ!」
元康は悔しそうに歯を食いしばり、それでも槍を構え直した。
錬は右側の複製剣の基部を見ている。
「囮を囮で終わらせるな。切る場所を示せ」
「右の石柱の根元、白い膜が薄い」
シノンが答える。
樹は中央奥へ弓を向け、唇を結んだ。
「利用されたまま終わるつもりはありません」
上位教会関係者の顔に、細い苛立ちが走った。
「銃を封じれば、異端の芽は摘める!」
白い防御式が、俺の前へさらに集まる。
魔法陣の光が片側へ偏り、丘の一角だけが夜みたいに暗く沈んだ。祈りの声にざわめきが混じる。焦りだ。白い壁に小さく入ったひびを、向こうも見ている。
俺は精密破壊弾の構えを作った。
銃身の奥で光が細く絞られていく。撃てる。今なら、撃てる。
けれどシノンは首を振った。
「まだ」
その一音が、引き金にかけた指を止めた。
撃てるのに撃たない時間は、実際の時間よりずっと長い。息を吸えば胸が膨らみすぎて狙いがぶれる気がして、息を止めれば指先が硬くなる。だから俺は、細く吐いた。針の穴へ糸を通すみたいに、呼吸を細く保つ。
仲間の足音が、俺の前を横切っていく。
ラフタリアが信徒の短杖を弾き、フィーロが複製弓の照準を蹴り逸らす。ベルベットが補助陣を踏み砕き、黒い腕の爪で地面の白線を削った。ヒッポリュテの槍が、俺へ向かう信徒の進路を無言で塞ぐ。
俺は撃っていない。
でも、俺の銃口が敵を縛っている。
撃つためだけの武器だと思っていたものが、撃たないことで道を作っている。その感覚は、掌の中でまだ熱を持たない弾みたいだった。
複製盾が尚文さんへ押し寄せた。
白い圧力が波のように膨らみ、盾へぶつかる。尚文さんの足元の土が割れた。靴が沈み、盾の縁がわずかに軋む。
「尚文様!」
ラフタリアが叫ぶ。
尚文さんは歯を食いしばり、盾を斜めに傾けた。白い圧力が正面から横へ流れる。丘の空気が裂け、反対側の防御式に暗い隙間が生まれた。
「今だ。やれ」
その声は大きくない。
けれど、全員が動いた。
元康の槍が左支柱を貫く。
錬の剣が右基部へ深く入り、白い膜を裂く。
樹の光矢が中央詠唱核へ突き刺さり、祈りの声を一拍だけ乱した。
ベルベットが補助陣を踏み砕き、シノンの矢が詠唱役の足元を縫い止める。ヒッポリュテの槍の石突きが地面を鳴らし、信徒たちの退路を閉じた。
複製聖武器が揺らいだ。
剣、槍、弓、盾の形が重なりきれず、白い殻の奥で小さな核が瞬く。
見えた。
ほんの一瞬。瞬きすれば失う程度の隙間。
「今」
シノンの声が落ちる。
それは命令ではなく、狙点そのものだった。
俺は引き金を引いた。
「精密破壊弾」
銃弾は黒い線になって、白い殻の隙間へ滑り込んだ。
防御式が閉じようとする。遅い。剣でも槍でも弓でも盾でもないその線を、神の式はまた一拍だけ見失う。
弾は核を貫いた。
爆発はなかった。
代わりに、巨大な鐘が内側から割れるような低い音が丘全体に響いた。白い光が砂のように崩れ、複製聖武器の形がほどけていく。剣の影が折れ、槍の光が砕け、弓の輪郭が消え、盾の圧力が空気へ溶けた。
上位教会関係者が膝をついた。
杖を支えにしようとして、指が滑る。白い法衣の袖が土に触れた。初めて、その白が汚れた。
祈りの声が止まる。
丘の草に、朝の色が戻ってきた。雲はまだ残っている。けれど礼拝跡の中央には、影ではなく光の隙間ができていた。
俺は銃を下ろしかけて、膝が少し笑うのを感じた。
自分一人の一発じゃない。俺の弾は、尚文さんの盾が受け、三勇者の武器が裂き、仲間たちの足音が作った道を通っただけだ。
そう思うと、さっきまで重かった銃が、ほんの少しだけ違う重さになった。
尚文さんが盾を下げた。
それが作戦成功の合図だった。褒め言葉はない。拍手もない。けれど、その盾が下がった瞬間、俺はようやく息を吸えた。
「やった、のか」
「油断するな」
尚文さんはすぐに言った。
「そこは一回くらい、よくやったでもよくないですか」
「次も油断するな」
「言い直しても内容が同じ!」
フィーロがぴょんと跳ねる。
「銃のお兄ちゃん、どーんってやった!」
「どーんっていうより、ずどん、かな」
「じゃあ、ずどんのお兄ちゃん!」
「それは嫌だな!」
ベルベットが肩をすくめた。
「よかったじゃない、称号が増えたわよ」
「異端の次がずどんのお兄ちゃんは嫌すぎる」
「贅沢ね」
軽口の中で、三勇者が黙っていた。
元康は槍を握ったまま、悔しそうに舌打ちする。錬は崩れた複製聖武器の跡を見て、剣を収めずに息を吐いた。樹は弓を下げ、何かを言おうとして、結局言わなかった。
尚文さんは彼らを見ない。
ただ、上位教会関係者へ盾を向け直した。
「終わりじゃないんだろ」
膝をついた男は、ゆっくり顔を上げた。
口元に血が滲んでいる。それでも、目だけはまだ白い火を残していた。
「第一儀式を崩した程度で……神意が止まると思うな」
遠くの礼拝堂から、鐘が鳴った。
さっき壊した鐘とは違う。もっと低く、もっと深く、地面の下から鳴っているような音だった。空気が冷え、丘の光の隙間が再び細くなる。
ヒッポリュテが目を細める。
「本隊の奥が動く」
シノンが弓を構え直す。
「次は、誠司への対策を入れてくる」
尚文さんの盾の影が、もう一度俺の足元へ伸びた。
「なら、次の手を考えるだけだ」
その言葉に、俺は銃を握り直した。
複製聖武器は崩れた。けれど、三勇教そのものはまだ折れていない。遠くの鐘が、次の敵の足音みたいに丘を震わせている。
それでも、さっきの一発で分かったことがある。
俺の銃は、一人で壁を壊す武器じゃない。
誰かが受け、誰かが裂き、誰かが道を作った時、その細い隙間を撃ち抜くための武器だ。
白い砂のように崩れた光が、朝風に流れていく。
その向こうで、まだ見えない教皇級の影が、ゆっくりこちらへ近づいてくる気がした。