※この作品はR-18です。

銃の勇者の探索記   作:ボルメテウスさん

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次の波へ

「俺たちが欲しいのは――」

 

 そこまで言ったところで、喉の奥がわずかに詰まった。

 

 謁見の間には午後の光が満ちていた。磨かれた床に落ちた俺たちの影は、戦場で見た時よりもずっと穏やかに伸びている。けれど、その先に置こうとしている言葉は、光とは逆の場所から来るものだった。

 

 波。

 

 それはこの世界へ来てから何度も聞いた言葉だ。

 けれど、俺にとっては災害の名前であると同時に、ベルベットの弟を奪ったものでもあり、ヒッポリュテの部族を消したものでもある。

 

 シノンの人生にも、波の影は深く入り込んでいる。

 

 それを知っているからこそ、口にするだけで空気の温度が変わる。

 

 俺は女王をまっすぐ見た。

 

「次の波に、参加したいです」

 

 謁見の間から音が消えた。

 

 重臣たちの誰かが息を呑み、衣擦れの音が小さく重なる。

 女王の指が、椅子の前に置かれた杖の上で止まった。

 

「褒賞として求めるものが、さらなる戦場なのですか」

 

「戦いたいわけじゃありません」

 

 答えながら、頭の中にはいくつもの風景が浮かんでいた。

 

 薬草店の割れた窓。

 石を投げようとした町人の手。

 荷車の下に散らばった薬草。

 谷間で尚文さんの盾が受け止めた魔物の牙。

 

 波が来れば、また誰かの家が壊れる。

 また誰かが、見慣れた場所を二度と見られなくなる。

 

「でも、放っておけば、また誰かの居場所が消えます」

 

 女王はすぐには答えなかった。

 俺の言葉を、言葉のまま置いて重さを測るような沈黙だった。

 

「それに、俺たちには知りたいこともあります。この銃がなぜ俺にあるのか。俺たちがなぜ、この世界へ来たのか。波と無関係だとは思えません」

 

 腰の銃へ触れそうになり、途中で手を止めた。

 

 今は武器を見せる場面ではない。

 選択を見せる場面だ。

 

 シノンが一歩前へ出た。

 

「波の出現記録と、過去の被害地点の情報も必要です」

 

 彼女の声は静かだった。

 けれど、王宮の広い空間でも埋もれなかった。

 

「発生地点、出現した魔物、地形の変化、避難経路。知らないままでは、次も間に合いません」

 

 女王の横にいた重臣が、眉を寄せる。

 

「波に関する記録は国家機密を含む。外部の者へ、すべてを開示するわけには――」

 

「すべてでなくても構わぬ」

 

 ヒッポリュテが重臣の言葉へ割って入った。

 

 彼女は王宮の床に立っていても、玉座の前に跪く臣下には見えなかった。

 滅びた部族の女王としてではなく、いま同じ戦場へ立つ者として、まっすぐ前を見ている。

 

「ただし、我らを王国の兵とするな。共に波へ立つ、独立した一隊として遇せよ」

 

「独立した一隊……」

 

 女王が小さく繰り返す。

 

「命令に従わぬという意味ではない。だが、王国の都合のみで動く駒になるつもりもない」

 

「随分とはっきり言うわね」

 

 ベルベットが口元だけで笑った。

 

「曖昧な言葉は、あとで鎖になる」

 

 ヒッポリュテの返事に、ベルベットの笑みが消える。

 代わりに、彼女は小さく頷いた。

 

 俺はその横顔を見た。

 

 ベルベットは、何も言わない。

 けれど、服の脇に下ろした手が強く握られていた。

 

 爪が掌へ食い込んでいる。

 

 それは三勇教の教皇を前にした時よりも、静かで深い力だった。

 

 女王はゆっくりと立ち上がった。

 王座の前から一段下り、俺たちと同じ床へ立つ。

 

「皆様の功績と能力を考えれば、次の波へ参加する資格を否定する理由はありません」

 

 重臣たちの間に、また小さなざわめきが走る。

 

 女王はそちらを見ずに続けた。

 

「独立協力部隊としての身分を正式に保証します。王国軍への編入は行わず、波に関する必要な記録、装備、移動手段を提供いたします」

 

「陛下」

 

 先ほどの重臣が、今度は一歩だけ前へ出る。

 

「未知の武器を持つ者たちへ、そこまでの自由を認めるのは危険では」

 

 女王は彼へ視線を向けた。

 

「三勇教との戦いで、王国が認識すらしていなかった彼らは、自らの判断で多くの民を守りました」

 

 重臣の口が閉じる。

 

「未知であることと、敵であることは同じではありません」

 

 その言葉に、俺の足元の影が少しだけ形を変えた気がした。

 

 未知だから、怖がられる。

 枠に入らないから、異端と呼ばれる。

 

 そんな扱いに慣れかけていた自分がいる。

 

 慣れるべきじゃないことにまで、慣れてしまいそうになる。

 

「ただし」

 

 女王の声が、柔らかさを残したまま少し低くなる。

 

「波は復讐のために存在する敵ではありません。そこへ現れるものを討つことはできても、失われた命が戻るわけではない」

 

 ベルベットの拳が、さらに固くなる。

 

 爪の先が掌へ沈む。

 彼女の呼吸が一度だけ浅くなった。

 

 誰もその動きを指摘しなかった。

 

 シノンはベルベットへ向けかけた視線を、静かに床へ落とした。

 ヒッポリュテは正面を向いたまま、槍を持つ指だけをわずかに動かす。

 

 俺も声をかけなかった。

 

 ここで何かを言えば、王宮の視線の中へベルベットの傷を引きずり出すことになる。

 

 彼女はそれを望まない。

 

「承知しています」

 

 俺が答える。

 

「それでも行きます」

 

 女王は俺の顔を見たあと、仲間たちへ順番に視線を移した。

 

「全員の総意ですか」

 

「私は行く」

 

 シノンが即答する。

 

「波の出現には法則があるかもしれない。次は観測して、少しでも被害を減らしたい」

 

「我も異論はない」

 

 ヒッポリュテが続ける。

 

「民を守れず滅びた女王が、次に守れる場所を前にして退く理由はない」

 

 女王は最後にベルベットを見る。

 

「あなたは」

 

 ベルベットは顔を上げた。

 

 握っていた手が、ゆっくり開く。

 掌には、爪の跡が赤く残っている。

 

「ようやく、あれに手が届く」

 

 それだけだった。

 

 王宮の窓の外を雲が横切った。

 

 謁見の間へ差していた光が一瞬だけ薄くなり、ベルベットの足元の影が濃くなる。

 けれど雲が流れると、すぐに明るさは戻った。

 

 彼女の表情は、何事もなかったみたいに整っている。

 

 だからこそ、その一言だけが床へ残った。

 

「では、正式な手続きを進めましょう」

 

 女王は静かに告げた。

 

「次の波の予測情報については、準備が整い次第お渡しします。皆様の装備についても、必要な支援を確認させます」

 

「ありがとうございます」

 

 俺が頭を下げると、女王は短く頷いた。

 

 尚文さんは少し離れた場所で、腕を組んだまま立っていた。

 最初から俺たちがそう答えると分かっていたような顔だった。

 

 謁見が終わり、王宮の廊下へ出る。

 

 フィーロが長く息を吐いた。

 

「お話、長かったー」

 

「フィーロ、途中で床を見て遊んでいましたよね」

 

 ラフタリアが言う。

 

「もう一人のフィーロがいたから!」

 

「いません」

 

「次の波にも来るかな?」

 

「床のフィーロは来ません」

 

 そんな会話をしながら、尚文さんたちは先を歩いていく。

 

 俺は少し速度を落とした。

 ベルベットも、他の皆より半歩だけ遅れている。

 

「手、大丈夫か」

 

 小声で聞くと、彼女は掌を閉じた。

 

「何の話?」

 

「爪の跡」

 

「見てたの」

 

「見えた」

 

「そう」

 

 それきり、彼女は黙った。

 

 王宮の窓から午後の光が差し込み、彼女の横顔を白く照らす。

 俺は何かを言いかけて、やめた。

 

 今はまだ、人の多い場所だ。

 

 それに、言葉は急いで投げれば届くものじゃない。

 時には、夜まで持って歩かなければならない。

 

 その日の夜、俺たちは王宮から用意された宿舎で休むことになった。

 

 寝台は広く、毛布は柔らかかった。

 三勇教との戦いで野宿や粗末な宿に慣れていた身体には、逆に落ち着かないほど整っている。

 

 天井には染み一つなく、窓から入る月明かりが床へ四角く落ちていた。

 

 目を閉じると、鐘の音が戻ってくる。

 

 実際には鳴っていない。

 それでも骨の奥に残った振動は、静かな夜ほどよく響いた。

 

 寝返りを打つ。

 シノンの寝息は聞こえない。おそらく起きている。けれど、俺が身体を起こしても声はかからなかった。

 

 部屋を出る直前、薄暗い寝台の方を見る。

 

 シノンの背中は、こちらを向いていなかった。

 けれど、枕元に置かれた弓へ伸びていた手が、ほんの少しだけ離れる。

 

 行ってこい、と言われた気がした。

 

 俺は音を立てないように扉を閉めた。

 

 宿舎の中庭は、月明かりに濡れていた。

 石造りの回廊には柱の影が並び、その間から夜露を含んだ草の匂いが流れてくる。

 

 遠くの町には、小さな明かりがいくつも点っている。

 戦いの終わりを知らないような、穏やかな光だった。

 

 ベルベットは回廊の端に立っていた。

 

 欄干へ寄りかからず、両足で地面を踏んでいる。

 今すぐ歩き出せる姿勢だった。

 

「眠れないのか」

 

 少し離れた場所から声をかける。

 

「眠る気がないの」

 

 振り向かずに返される。

 

「明日もあるぞ」

 

「知ってる」

 

「寝ないと動けない」

 

「説教しに来たなら戻りなさい」

 

「説教は苦手だから、しない」

 

 俺はゆっくり近づき、ベルベットの隣ではなく、少し離れた欄干の前で止まった。

 

 二人の間には、人ひとり分くらいの距離がある。

 

 月は雲へ隠れ、彼女の顔が影に沈む。

 けれど、握られた右手だけは見えた。

 

 昼と同じ手だった。

 

「波に参加できる」

 

 俺が言うと、ベルベットの指がわずかに動いた。

 

「聞いてたでしょ」

 

「聞いてた」

 

「なら、何」

 

「どんな気分なのかと思って」

 

 ベルベットは鼻で笑った。

 

「随分と曖昧な聞き方ね」

 

「直球で聞くと、殴られそうだから」

 

「正解」

 

「やっぱり殴る気だったのか」

 

「今からでも遅くないわよ」

 

「遠慮します」

 

 月が雲の切れ間から現れる。

 ベルベットの横顔が白く浮かび上がった。

 

 笑っていない。

 怒鳴ってもいない。

 

 それなのに、瞳の奥には消えない熱があった。

 

「あれが来た日に、弟は死んだ」

 

 声は平らだった。

 

「村も、人も、私が守るはずだったものも、全部なくなった」

 

 夜風が回廊を抜ける。

 草の匂いと一緒に、遠くで水の流れる音が届いた。

 

 俺は何も言わなかった。

 

 慰めの言葉は、時に相手の傷を自分が理解したような顔をする。

 俺はベルベットが失った弟の顔を知らない。彼女が最後に何を見て、どんな声を聞いたのかも知らない。

 

 知らないのに、分かるとは言えない。

 

「波を止めたいんじゃない」

 

 ベルベットの拳が、またゆっくり握られる。

 

「あれを壊したい。私から奪ったものに、報いを受けさせたい」

 

「うん」

 

「否定しないの」

 

「復讐は何も生まない、とか?」

 

「そう」

 

「それを俺が言っても、たぶん薄いだろ」

 

 ベルベットがこちらを見た。

 

 月明かりの下で、目が細くなる。

 

「甘いくせに、珍しく分かってるじゃない」

 

「俺も少しは学ぶよ」

 

「少しだけ?」

 

「その言い方、まだ続くのか」

 

「便利だから」

 

 彼女は視線を夜の町へ戻す。

 

「次の波が来たら、私は前に出る」

 

「いつも前に出てるけど」

 

「今までとは違う」

 

 言葉の温度が下がった。

 

「止められても行く。誰かが追いつけなくても、私は行く」

 

 その横顔は、すでに一人で歩き始めているように見えた。

 

 俺は欄干の上へ手を置いた。

 

 彼女の拳へ触れはしない。

 触れれば、止めようとしているように伝わる気がした。

 

 俺が止めたいのは、復讐そのものじゃない。

 

 復讐の先で、彼女が戻る道まで燃やしてしまうことだ。

 

「復讐をやめろとは言わない」

 

「なら、何を言いに来たの」

 

 夜の雲が、また月へ近づく。

 

「一人で行くな」

 

 ベルベットの睫毛が、わずかに動いた。

 

「それだけだ」

 

 すぐには返事がなかった。

 

 月が雲へ隠れ、俺たちの姿が影へ沈む。

 暗闇の中では、彼女の表情は見えない。

 

 代わりに、握られていた指が一本ずつ緩む気配だけがあった。

 

「私が一人で行ったら、どうするの」

 

「追いかける」

 

「足手まといでも?」

 

「なるべくならないように頑張る」

 

「銃が壊れても?」

 

「たぶん、その時は別の方法を考える」

 

「死ぬかもしれなくても?」

 

 問いが一つずつ、石床へ落ちていく。

 

 俺は遠くの町明かりを見た。

 あそこには、今夜も誰かの家がある。

 

「それでも」

 

 答える。

 

 ベルベットは短く息を吐いた。

 

「相変わらず、甘い男ね」

 

「知ってる」

 

「普通、そこは否定しなさいよ」

 

「最近、否定しても誰も信じてくれないから」

 

「賢くなったじゃない」

 

「少しだけ?」

 

「そう。少しだけ」

 

 月がもう一度現れる。

 

 回廊の石床へ、二人の影が伸びた。

 触れてはいない。けれど、同じ方向へ向かっている。

 

 ベルベットはその場を離れなかった。

 

 俺も動かなかった。

 

 夜の端が、ほんのわずかに青くなっていた。

 朝はまだ遠い。それでも、どこかで次の光が準備を始めている。

 

 ベルベットの開いた手が、欄干の上へ置かれる。

 

 俺の手との間には、まだ少し距離がある。

 

 けれど、その距離はもう、一人で歩いて消えてしまえるほど遠くはなかった。

 

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