サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
意識が浮上しかけて途切れ、またばらけてまとまる。それが繰り返された。
最初に感じたのは、暗さだった。薄く開いた視界にものは映るのだが、それが認識できないでいた。光もあるはずなのに輪郭が掴めないのだ。
視界の奥でなにかが揺れている。
だが、ゆっくりと周囲が意味のあるものにかたちを作っていった。
息を吸う。胸の動きが遅れて返ってくる。
もう一度吸う。わずかに追いつく。
感覚がばらけていた。遅れて繋がっていく。
まず見えたのは天井だ。
黒い金属の棒が縦横に走り、滑車がいくつも吊られていた。
身体を起こそうとする。背に触れている面が冷たい。腕に力を込める。応じない。
どこからか、小さな鈴の音のような音があった。
もう一度、肩から動かす。また鈴の音がした。
また、腕の反応が返らない。指先に意識を集める。握る……。なにも掴めない。
違和感が走った。
首をわずかに傾ける。視線がずれて、自分の腕が見えた。左右に引かれている。手首が革の枷に嵌められ、金属の棒に固定されている。その棒は台の端で留められ、動かない。
脚も同じだった。左右に開かれ、足首が固定されている。
台の上に拘束をされているのだ──。
そう認識した直後、別の違和が残った。縛られているから動けないのではない。力そのものが怖ろしく抜けている。
指をもう一度動かす。今度は動いた。わずかに。だが力が乗らない。掴めない。
また、皮膚の内側がじわりと熱い。遅れて、気怠さが全身に広がった。
空腹も感じた。喉がひどく乾いている。
胸のあたりで、小さな音が鳴った。あの鈴の音だ。
身じろぐ。もう一度、音が鳴る。
「なんだい、これは……?」
レイシアは自分の姿に呆れてしまった。
乳房が露出している。そして、乳首の根元に金属の輪が食い込んでいて。その輪から細い鎖が垂れ、小さな鈴がぶら下がっているのだ。
さっきから、身じろぎするたびに、それが揺れて音を立てていたようだ。
「……参ったねえ、これは……」
身につけているのは、腰の布だけだった。ほかはすべて剥ぎ取られている。
身体を引く。枷が軋むだけで、位置は変わらない。
意識の奥で、記憶が繋がる。
レイシアは、セリア妃が監禁されているという情報を受けて古城へ潜入し、内部で男がセリア妃を犯している現場に出くわした。そして、逆上して踏み込んだ瞬間、上から網が落ち、捕らえられた。
それ以降の記憶はない。おそらく、そのまま薬物で意識を奪われたのだろう。
レイシアとしたことが不覚をとったものだ……。
息を吐いて。もう一度、ゆっくりと周囲を見た。
拘束されている台の周囲は、やはり石壁。粗く積まれた石が視界の端まで続いている。頭方向の一画だけが鉄格子の壁になっている。光が細く差し込むのはそこからだ。
ほかには何もない。
自分が固定されている台だけだ。
また、鈴が鳴る。
いまは、ここに誰もないので、逃亡するとすれば、いましかないと思うが、ここから出る手段はまったく思いつかない。
身体の力がまだ抜けているので、拘束は解けそうにない。
もう一度、指を動かそうとするが、力が乗らない。
身体が、まったく思い通りにならなかった。
「やっと、起きたかい、女騎士さん。鈴が鳴りだしたから、多分,起きたと思ったよ」
鉄格子の外から女の声がした。
頭を捻って、頭方向に顔を向ける。鈴の音──。
意識を失う直前に見た隻眼の女がそこにいた。ほかにも数名の女兵が一緒だ。
「やあ、おはよう……。だけど、あんたはあたしを知っているけど、あたしはあんたを知らない。これは不公平だね。あんたの名前を教えてくれない?」
格子戸が開く。扉部分だけではない。格子壁の半面が横へ滑って大きく開放された。
隻眼の女とほかの女兵たちが入ってくる。
「あたしのことはアルジェ様と呼びな、隷属民」
アルジェがレイシアの頭の横に立って言った。ほかの女兵たちが周囲を囲む。
「ああ、アルジェかい。あたしはレイシアだ……。ところで、隷属民という呼び名に覚えはない。勘違いじゃないかな」
口元をわずかに歪める。
「勘違いじゃないさ。このサロンで矯正を受ける者の呼び名だ」
アルジェは淡々と返す。
「矯正?」
レイシアは眉を寄せる。
「ここで行う処理のことだ……。ところで、喉が乾いたろう。丸一日なにも飲んでいない」
アルジェが顎で合図を送る。
金属が外れる音がした。両腕を繋いでいた棒が台から外れ、鎖が引かれる。手首は固定されたまま、上へ引き上げられる。
背が乳首から流れる鈴の音とともに台から浮く。腕に引かれて、上体が無理矢理に起こされていく。
「ほら、騎士さん。水よ」
向かいに立つ女兵が水筒を口元へ押し当てようとする。
「できれば、自分の手で飲みたいんだけどね?」
レイシアは顔をわずかに横へ向け、アルジェを見る。
「矯正期間中は常に拘束だ。我慢しな」
「水くらいいいだろ? 腕一本だけ一度外して、もう一度拘束すればいい。さすがに、無駄な抵抗はしないよ」
「掟だ。あの妃も同じだよ。犬みたいに口だけで喰ってるよ。水もだ。お前も慣れな」
はっとした──。セリア妃──。
一瞬、息が詰まる。
「妃殿下は、ご無事なのか──」
声が張り上がった。胸が大きく上下する。呼吸が乱れる。
アルジェは視線も動かさない。
「……いつものとおりだ……。今日も矯正を受けてるよ……。それよりも水だ」
水筒の口が押し込まれる。
顔を振って外そうとした。しかし、背後から二人の女兵に頭と肩を押さえられた。首も顎も固定される。まったく動かない。振ろうとしても位置がずれない。
押し返せない。なんという力だ──。
水筒が傾く。口内に液体が流れ込む。
「んぐっ」
喉が反射で動く。飲み込む──。しかし、味が違った。
強い塩気が舌に張りつく。
水じゃない。塩水だ──。
「んがっ、がっ、がはっ──」
吐き出そうとした。だが、顎が固定されている。唇も押さえられる。逃げられない──。
大量の塩水が喉に流し込まれていく。
喉が焼ける。胃に落ちる。
「んぐ……っ、ううっ」
身体を捩る。腕が引かれたまま力が逃げる。踏ん張れない。
強引に飲まされる。
「塩水だけだ三本だ」
アルジェが横で言った。
「……塩水が三本。全部飲んだら真水をやる」
塩水を飲ませられ続ける。流れが途切れない。
冗談じゃない──。
懸命に水筒を吐き出そうとする。
しかし、振り払えない。
「塩水の次は真水を三本だ──、全部飲んでもらうからね」
さらに、アルジェに鼻を摘まれた。
息が止まる。
反射で口が開く。そこへ水筒をぐっと奥まで押し込まれた。
「んぐっ──」
塩水が口に入っていく。舌に張りつき、飲み込むたびに刺激が残る。
吐き出したい。だが鼻を塞がれている。息ができない。
飲み込むしかない。
「んぐ、んっ、んんっ」
流し込まれる。止まらない。
喉が動く。勝手に飲まされる。
腹に落ちる。重い。
空になった水筒が離れた。
「ぷはっ──」
止まっていた息を盛大に吸う。
しかし、すぐに、その開いた口に再び水筒の吸い口を押しこまれた。
また流し込まれる。
「んぐうっ──」
また飲まされていく。
塩気が口内に残り、粘つく。
腹の奥に溜まっていく。
内側が満ちていく。
「……っ、ぐ──」
水筒が入れ替わり、やっと味が変わった。
塩気が消える。
冷たい水が喉を通る。
一瞬、楽になる。
喉の渇きが和らぐ。
身体がそれを求める。
だが流れは止まらない。
次が来る──。
さらにもう一本。
腹が膨れる。
内側から押し広げられる。
「……っ」
重い。
胃が満ちる。
それでも飲まされる。
最後の一本が腹に流れ込む。
必死に飲み込む。
飲み終わらないと息ができない。
ようやく水筒が抜かれる。
鼻を摘まれていたアルジェの指が離れる。
「くはっ、がっ、がはっ」
空気が一気に入る。
水を大量に飲まされて、嘔吐が込みあがりそうになる。しかし、吐けない。大きく息を吸う。
胸が上下する。
「な、なにを……する……」
咳き込みながら、やっとのこと言った。
すると、アルジェたちが大笑いした。
「文句を言うんじゃないよ。昨日、なにも飲んでない分もやったんだ。感謝ならともかく、文句を言われる筋合いはないね」
アルジェは笑い続けている。
丸一日……。
そういえば、さっきもそんなことを言っていた。
「……もしかして……あれから……一日が経っている……?」
必死に息を整えながら、アルジェを見る。
「正確に言えば、丸一日と半日だ。意識を失っているあいだに、首に埋められた魔核が完全に身体中で活性化した」
「制御下?」
意味がわからない、
どういうことだ──? そもそも、魔核とはなんだ?
「魔核って……?」
「あたしたちの技術だ。お前の神経はすでに制御下だということだよ」
アルジェが懐から取り出した。
手のひらに収まる楕円球。黒い光沢の表面に、細かな魔道紋が刻まれている。
それを指先で軽く転がした。
次の瞬間だった──。
「──っ」
レイシアの身体が大きく跳ねた。
皮膚の内側を、鋭い感覚が一気に走る。
触れられていないはずなのに、全身の神経が引き起こされるように反応する。
呼吸が乱れる。
胸が大きく上下する。
そして……。
下腹部に、はっきりとした熱が生まれた。
急激に広がって、奥で脈打つ。
「な……っ……にを……?」
理解が追いつかない。
身体が自分のものではない。
止められない。
遮断できない。
わずかな接触、わずかな空気の流れすら、過敏に拾う。
胸が──股間が疼く──。逃げ場がない。
「……やめて……」
拒絶が漏れる。
だが、感覚はさらに鋭くなる。
「身体の感度を三倍にしてやった。効くだろう」
アルジェの淡々とした声が落ちる。
レイシアの呼吸がさらに乱れる。
「……説明……しろ……」
同じ言葉を繰り返す。
意味が分からない。
だが、身体は確実に変わっている。
「我が国の新しい技術だ。お前の神経は、もうこっちでいくらでも調整できる。身体の感度も、筋力も、苦痛も、全部だ──」
アルジェが大笑いした。
「はあ?」
意味がわからなかった。
しかし、たったいま、アルジェの操った操作具ひとつで突然に制御を失った身体……。
事実なのだと判断するしかない。
レイシアは愕然となる。
「じゃあ、出発だ」
アルジェの指示により、脚を固定していた金属棒が外れた。
続けて両腕を吊っている棒が天井へと引き上げられ、腰がふっと浮く。
そのまま身体は前へ押し出された。台の縁を越えた瞬間に支えを失った。
落ちる──、と反射的に思ったが、脚は床に届かず、宙に浮いたまま止められた。
「くっ」
体重はすべて肩と腕にかかり、関節の奥に鋭い痛みが走る。踏ん張ろうとしても力が続かず、筋肉は思うように応じない。ここでようやく、感度だけでなく筋力までも大きく削がれていることをはっきりと理解した。
女騎士として、レイシアの身体は相当に鍛えている。
両手で吊られた程度で、ここまで苦痛に感じることはあり得ない。
がらがらという音とともに、四肢を拡げて、吊られたまま身体が動いていく。
視線を上げると、天井に走るレールに滑車が掛けられており、その装置に引かれているのだとわかった。廊下に出る。身体の向きも強引に変えられ、廊下に沿って運搬される。
「ど、どこに……?」
痛みに顔を歪めながら問いかける。そのあいだも胸元の鈴がちりんちりんと鳴り、その軽い音がやけに耳に残った。
「第五矯正室だ」
アルジェは簡潔に答えただけで、歩調を緩めない。レイシアは、女兵たちに押されて、まるで荷物のように吊られたまま運ばれていく。
その途中で、下腹部に違和が生じてきた。
尿意だ──。
先ほど無理やり飲まされた水が原因であることはすぐに察しがついた。じわじわとせり上がってくる感覚に対し、意識を向けて抑えようとするが、力の入り方がどこか噛み合わず、思うように制御できない。
「ま、待ってくれないか……」
歯を食いしばりながら声をかける。
「なんだい? もうすぐ着くよ」
アルジェは振り返りもしない。運搬は止まらず、揺れるたびに腕に負担がかかり、意識がそちらに引きずられる。
「そ、その矯正室に行く前に……できれば……厠に……」
途切れがちな言葉で願い出た。
すると、アルジェがレイシアの牽引を止めさせた。空中で身体が揺れ、やがて静止する。
アルジェが前に回り込み、こちらを見上げた。
「アルジェ様だ」
「……は?」
「喋りかけるときはアルジェ様と呼べ。常に丁寧語だ。それを守れ──。それで、なにが言いたい?」
にやりと笑う。
レイシアは一瞬言葉を失うが、尿意は待ってくれない。抑えきれる見込みが急速に薄れていく。
「……ア、アルジェ様……厠に……行かせて……いただきたい……」
ようやく整えた言葉は、かすかに震えていた。
「却下だ──。もう第五矯正室は目の前だ」
あっさりと告げられ、再び身体が引かれ始める。
やがて、横に大きく開く扉の前で止まった。
アルジェが外から声をかけて扉を開き、レイシアは宙吊りのまま室内へ引き入れられる。
大きな部屋だった。天井には同じようにレールと滑車が走り、壁際には得体の知れない器具が並ぶ。さらに棚には用途の分からない道具が整然と置かれている。
「おお、待ちかねたぞ、レイシア──」
中央にはソファがあり、そこにいた男が顔だけを向けた。
レイシアは鼻白んだ。
「私がお前の矯正を担当することになった。よく知っていると思うがな」
ヴァルデン=ローゼンフェルト──裏切り者の貴族。
いけ好かない男だった。
王国が滅びる以前、王宮で何度もレイシアを妾にと口説いていた男だ。もちろん、歯牙にもかけなかったが、好色な視線を向けられるおぞましさは耐えがたいものがあった。
すると、ソファーの陰から、もうひとりの男がすっと現れた。
「へへ、よく似合うじゃねえか。やっぱいい女だ」
ヤンだ。
彼もまた、レイシアをこのサロンに売った男だ。
「……き、貴様……」
レイシアはふたりを睨みつけ、歯ぎしりした。