サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
ちろりん、ちろりん──。
遠くから聞こえる軽い鈴の音が、頭の中で揺れた。
「……つっ」
セリアは、はっと目を開いた。
最初に視界へ入ってきたのは、灰色の石造りの天井だった。
薄暗いが、動くのに困るほどではない。
天井付近の壁へ取り付けられた二つの燭台が、小さく揺れる火で室内を照らしているのだ。
ただし、その壁はセリアのいる場所の外側にあった。
周囲は、黒い鉄格子で囲われている。
そして、そのさらに向こう側を石壁が取り囲んでいた。
大きな石造りの部屋の中に、石壁に沿った人ひとり分ほどの余裕を残して、全体に鉄格子の壁が設置されている──そんな構造だ。
ぼんやりとした意識のまま、セリアは数度瞬きを繰り返す。
やがて、ここが自分の部屋であることへ気づいた。
サロン・セルパンタンで数日前からセリアに与えられている特別囚の個室──。
セリアは柔らかな寝台の上へ裸身のまま仰向けになっており、身体には毛布が一枚だけ掛けられていた。
「……どうして……?」
小さく呟く。
脚は自由だが、両腕は背中側へ回され、手首同士を革帯でしっかりと束ねられている。
肩をわずかに動かしただけで、拘束具が軋む感触が伝わってくる。
このサロンで、セリアが与えられている房へ戻されていることと、記憶がうまく結びつかなかった。
ぼんやりと考える。
次の瞬間、はっきりと思い出した。
カイネウスの矯正を受けていたことを──。
股間へ食い込んでいた糸を──。
陰核を吊り上げられていた感覚を──。
脚を無理矢理に開かされたまま、快楽と羞恥へ泣かされ続けた時間を──。
そして最後には、おそらく失神したことまで。
「……ああ……」
喉がひくりと震えた。
思い出しただけで、股間の奥が熱を帯びる。
羞恥と嫌悪に、セリアは奥歯を噛み締めた。
あの忌まわしい糸も、すでに股間から外されている。
だが、その痕跡だけは、まだ身体へ残っていた。
股間がじんじんと熱を持って疼いている。
太腿が反射的に閉じようと震えた。
「……うう……」
身体を起こそうとして、セリアは小さく息を呑んだ。
腹へ力が入らないのだ。
上半身を浮かせかけた瞬間、腰が抜けたように全身から力が崩れ、そのまま寝台へ落ちた。
「ぁっ……」
腰の奥が痺れる。
脚にも思うように力が入らない。
あれほど長時間、無理矢理に脚を開かされて吊られ続けていたのだ。
当然だった。
「……それにしても……」
掠れた声が漏れた。
誰がここへ運んできたのか──?
それだけではない。
全身の汗や体液は綺麗に拭き取られている。
肌には薄く薬まで塗られているらしい。
狂いそうだった痒みも、いまはかなり引いている。
まさか、あのカイネウスが?
あるいは、女兵たち?
改めて、セリアは周囲へ視線を向けた。
房の広さは、王宮の侍女部屋よりやや広い程度だった。
鉄格子に囲まれている以外は、牢というより修道女の個室にも近い。
寝台のほかにも、粗末な木机と椅子が置かれている。
壁際には棚まであった。
そこには、身体を洗浄するための布束や、小瓶に入った手入れ用の薬剤まで並べられている。
鉄格子内の隅には排泄壺。
さらに、水が満たされた水瓶まで置かれていた。
もっとも、ほとんどの時間を拘束されている以上、セリアには勝手に使えないものばかりだ。
天井には、いくつもの金具が打ち込まれていた。
滑車を通すための輪。
鎖を吊るすための留め具。
高さも位置も不自然にばらけており、この房そのものが矯正用に設計されていることが見て取れる。
そして、房の外からは、絶えず物音が聞こえていた。
遠くの足音。
鎖の擦れる音。
女たちの小さな声。
どこかで鳴る鈴──。
低い怒声──。
押し殺した泣き声……。
この場所には、自分以外にも大勢の女がいるのだ。
それだけはわかった。
「……セリア妃、夕食でございます」
ささやくような声だった。
セリアが視線を向ける。
廊下側となる石壁には、出入口となる開口部分があるのだが、そこに大きな布がかけられていた。それが割れて、両手に盆を抱えたひとりの女がはいってきたのだ。
若い娘だ。
セリアがいう鉄格子の前にやってきて、下側に設けられた小さな隙間から、抱えていた盆を静かに差し入れる。
ちろりん──。
また鈴が鳴った。
娘が身を屈めた拍子だった。
彼女は裸だ。
いや、正確には違う。
腰の前に、白く小さな布が一枚だけ垂らされている。
辛うじて秘部を隠しているだけの……。
乳房は完全に露わだった。
ただし、乳頭部には蛇の紋様が刻まれた円形の金具が貼り付けられていた。
その下から、小さな鈴が三つずつ垂れている。
その鈴が娘が動くたびに、ちろりん、ちろりん──と軽い音が鳴るのだ。
歩くたびに所在を知らせるように。
半覚醒のときに聞こえたのも、彼女がここに近づくことで鳴った音だったのだろう。
まだ十代後半ほどだろうか。
顔立ちは整っていた。
後ろ側で粗末な紐で束ねた髪は腰まであり、肌立ちも白く、立ち居振る舞いにも、貴族特有の名残がある。
間違いなく、王国の貴族令嬢だろう。
そして、彼女の首には、表面に紋様が刻まれている銀色のチョーカーが嵌まっている。このサロンのある小城に連れてこられたとき、一緒にやっていたケイが嵌められたものと同じだ。
あれから、ケイは一度も会ってない。
もう理解しているが、このサロンは、王国の貴族や令嬢たちが隷奴として矯正をする場所だ。そして、王国を滅ぼした共和国をはじめとする元の属国の高貴な人物たちを客人として迎えて、客人へ性奉仕を行うための施設である。
王国を滅ぼした共和国は、元の令嬢たちをこの場所へ閉じ込め、隷奴として矯正している。
多くが一般囚と呼ばれる元の令嬢たちであり、彼女たち隷奴は、集団による性的矯正を受けながら、日常の雑務も分担させられているようだ。
セリアは、彼女たち一般囚とは異なり、集団矯正ではなく、特定の矯正官による個人矯正を受ける特別囚だ──。
特別囚と一般囚は、管理している階層も違っているようであり、特別囚であるセリアの身の回りの世話も、一般囚の当番たちの仕事のようだ。
食事の準備──。排泄壺の交換。部屋の清掃。洗濯。寝台整備。
おそらく、自分が昼間に矯正室へ連れて行かれているあいだ、この部屋の掃除やシーツ交換も彼女たちが交代で行っているのだろう。
だが、夕食時に隷奴と顔を合わせるのは初めてだった。
朝食時に当番の娘を見ることはあった。しかし、その時は必ず女兵が同行していた。
会話など許されない。
だが、いまは違う。
この娘しかいない。
だからこそ、名を呼んだのだろう。
娘は視線を伏せたまま、小さく頭を下げた。
「……顔をあげてくださる?」
重い身体を無理矢理に起こして、寝台から降りる。後手拘束のまま鉄格子に張り付いた。
廊下を隔てる布の向こう側から人の気配は感じない。
セリアは注意深く、彼女に訊ねた。
裸でいるセリアを“セリア妃”と呼んだということは、やはり貴族だ。平民では顔のみでは、セリアが“妃”であることはわからない。
娘が顔をあげた。
その動きで、またチロリンと鈴が鳴る。
「……バロー子爵家のご令嬢? 確か、建国記念の舞踏会で二度ほど、お会いしたかしら……」
懸命に記憶を呼び起こし、顔と名が結びつく。
「覚えてくださったのですね。ほんの二度ほど立ち話をしただけでしたのに。ほかの方々と一緒に」
娘が破顔した。
控えめな声だった。
「もちろん、覚えているわ……ああ、確か、お姉さまがご一緒だったわね」
おそらく、最後に見たのは一年前だろう。
そのときには、婚約者と舞踏会に参加していた姉の隣にいたと思う。
「ありがとうございます。姉は結婚をしました。半年前に旦那様の領地に嫁ぎました。それで、王都の令嬢狩りからは逃れたのです」
「まあ」
セリアは相槌を打ったが、そもそも令嬢狩りというのがなんなのかがよくわからない。
王都が共和国のカイネウス率いる属国連合軍に陥落して半年──。まったく外のことは知らされずに、王宮内の貴族牢にセリアは、侍女のケイとともに監禁されていた。
知っているのは、同じように監禁されていた国王陛下をはじめとした王族や、高級貴族が王都広場で順番に絞首刑にされているという知らせだけだった。
セリアもまた、いつか自分の処刑の日がやってくるのだろうと覚悟をしていたら、このサロンに突然に連れてこられたのだ。
「お姉さまは、ここには一緒じゃないのね?」
セリアは言った。
「幸いにも、家族で連行されたのは、わたしだけです」
「ほかのご家族は?」
「……わかりません。ここにはいないとしか……。後から入って来た方々によれば、貴族だからといって、全員が処刑されたり、捕らわれたりはしてないようですが……。無事でいてくれているのを祈るだけです」
娘は顔を伏せて小さく首を振る。
おそらく、行方はわからないのだろう。
「ここには、あなたのような女囚はどのくらいいるの?」
セリアは訊ねた。
「一般女囚のことですか。いまは、六十人くらいです」
「いまは……とは?」
「少しずつ増えます……。最初は貴族令嬢だけでしたけど、最近では平民の娘も入れられてきます。処分される者もいますし……」
処分……。
娘の首のチョーカーを思わず見る。
このサロンの最初の日に垣間見た、処刑の場面──。アルジェたち女兵が小さな操作具を向けただけで、チョーカーが破裂して首から上が胴体から切断された。
あの残酷な光景が蘇る。
「……あ、あのう……。わたくしが、このサロンにやって来たときに、一緒に入ったケイという娘のことはわからないかしら。彼女が元気でいるかどうかを知りたいの」
セリアは切実に訊ねた。
無事でいて欲しい。
アルジェは、ケイの存在がセリアの人質のようなことを時折口にするので、無事なのは間違いないとは思うのだが……。
「セリア妃様が入って来た日に一緒に来た方ですか? わたしの知る限り、同じ日に入った隷奴はいません。妃殿下がやって来た日はよく覚えてますもの。同じ日に入ったのはいませんわ」
娘はきっぱりと言った。
「そんなはずはないわ。一緒に入れられたの。平民だけど、王城の監禁のときに、わたしの世話をしていたので侍女だと間違えられて……。ああ、その日じゃなくて、実際に牢に入れられたのは、翌日なのかも……。それとも、さらに次の日とか……」
セリア自身もそうだったが、このサロンに連れてこられてすぐには、まずは手酷い洗礼を受ける。
ケイもそれを受けて、ほかの隷奴たちに合流したのは、その後かもしれない。
「いいえ……」
娘が首を横に振る。
「……セリア妃様が入った日を含めて、それ以降にサロンに新たに入ったのは、特別囚扱いとなったレイシア様だけです」
娘がきっぱりと言った。
「レイシア──? レイシアとは、わたしの護衛隊長をしていた──? あのレイシアがここにいるというの──?」
セリアは驚愕した。
あの王都陥落の日──。レイシアをはじめとする近衛隊のかなりの勢力が王宮ではなく、王都外壁の守備についていた。レイシアは、その戦いで行方不明になっていて、セリアもレイシアの生死はわからなかった。
あのレイシアは、ここにいる──?
そのときだった。
外の廊下から、数名の足音がやってくる気配があった。鈴の音はない。しかも、規則正しく早足で石畳を蹴る音は、この特別囚の階層を管理する女兵たちだと思った。
身体に緊張が走る。
「……妃殿下、お早く。とりあえず、夕食をお受け取りください」
娘が慌てたように、声を掛けて、鉄格子の下側の隙間から差し入れた夕食の盆を示す。
セリアは下に視線を向けた。
黒パン──。豆と刻み野菜の入った薄い煮込み。少量の塩肉。そして、水──。
全部が浅い丸皿へ注がれていた。
食事は、すべて犬のように顔を下ろして飲み食いをする──。セリアがこのサロンに監禁されて以来、ずっと強要されていることだ。
すると、廊下とのあいだの布の前に、複数の存在が立ち止まった。
乱暴に布が開かれる。
セリアの喉が、ひくりと震えた。
「まだ、夕食に口もつけてないんだね。なら丁度いい──食事抜きだ──。セリア──お前は、明日の朝まで反省房入りだ。これは片付けろ──」
やって来たのは、アルジェ以下五人ほどの女兵たちだ。
娘が慌てたように壁までどき、両膝を床につけて脚を開く格好になった。両手は背中だ。なんとなくだが、決められている格好という雰囲気だ。
ただ、アルジェは娘には一瞥もしてない。
「さっさと出てきな──」
アルジェは右手に白い指揮杖のようなものを持っており、それを鉄格子を向けると、夕食が差し入れられている鉄格子の隙間の部分が、さらに大きく開放して、首と肩が抜け出るほどの大きさの開口部が新たにできる。
毎日の矯正のときに出入りするのは、この隙間からだと決まっていた。
「邪魔だ──。持って帰れ──」
アルジェがそこから乱暴に食事の入った盆を外に出して、隅の娘に蹴り飛ばす。盆の上に食べものや水が幾らか散らばるが、娘が慌ててそれを抱えて、廊下に出ていく。
ちろりん、ちろりんという鈴の音がすぐに遠ざかっていく。
「なにやってんだい──。出ろ──」
アルジェが鉄格子を乱暴に革靴で蹴り飛ばした。
「は、はいっ」
セリアは、急いで身体を屈め、後ろ手のまま、鉄格子の隙間に首と肩を潜らせた。
「遅いんだよ──愚図め──。懲罰だと言っているのが理解できないのかい──」
首を出しかけた瞬間、
アルジェの軍靴が頭を踏み潰すように落ちてきた。
「んぎいっ」
額を思い切り石床に打ち付けてしまい、セリアは思わず悲鳴をあげた。