サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
固定した軍営は作らせなかった。
長くても一箇月以上を同じ場所で留まることは避けさせた。それ以上いると共和国軍に捕捉されてしまうからだ。
クラウディアが帯同している抵抗組織の指揮官は、従兄弟であるギルベルト=ヴァルンだ。フォルクス伯爵家の分家であるヴァルン家の若き当主であり、王都陥落以前はフォルクス領軍隊長を務めていた男である。
王国軍敗北後、クラウディアはギルベルトに王国軍残存兵を集めさせて領軍を拡大し、さらに各地から流れてきた志願兵を吸収しながら部隊を編成した。
伯爵家の旗とともに王家の旗も掲げさせている。
賊徒ではなく、王家へ忠誠を誓う武装勢力であることを示すためだった。
それが現在のフォルクス隊だった。
もっとも、実際に隊を動かしているのはクラウディアである。
どこへ移動するか。
どの補給路を襲うか。
どの村を拠点とし、いつ撤収するか。
各地へ放った密偵からの報告を整理し、周辺領主との交渉を行い、次の一手を決める。
その役目はすべてクラウディアが担っていた。
現在の兵力は約一千──。
それ以上には増やさない。
それを十隊に分けて運用し、作戦の都度、必要な部隊だけを集結させる。
戦いが終われば再び散開させた。
また、戦いで兵が減れば、流れてきた敗残兵や志願兵を取り込んで補う。
増やしては減り、減っては補う。
半年近くそんなことを繰り返していた。
いま必要なのは勝利ではない。
生き残ることだ。
軍を大きくしすぎれば、あるいはまとまってしまえば、共和国軍の標的になる。
補給も追いつかなくなる。
やがて包囲され、潰されるだけだ。
だから機会を待つ。
戦い続ける。
王国再興を望む者たちが、まだこの国に存在していることを示し続ける。
それがクラウディアの結論だった。
王都陥落後、共和国が侵攻していない南部の各地では、共和国への抵抗を掲げる勢力が乱立した。
旧領主が私兵を率いたもの。
敗残兵たちが集まったもの。
なかには野盗同然へ堕した集団もある。
そのなかで最大勢力となったのが「南部軍」だった。
辺境伯家へ嫁いだ王女の血を引く二歳の男児を旗頭とし、共和国への抗戦を続ける諸侯や兵士たちが結集した組織である。
もっとも、彼らはその幼子を国王とは称していない。
王位継承の問題は戦争が終わったあとに決めればいい。
いま必要なのは正統性を争うことではない。
共和国に対抗する勢力を一つでも多く糾合することだ。
そのためクラウディアは、父であるフォルクス伯や辺境伯を説得し、王国軍ではなく南部軍を名乗るよう提案した。
そして、フォルクス隊は、その南部軍を構成する部隊のひとつだった。
王都から馬で二日──。
共和国軍が支配する王都に極めて近い。
乱立する抵抗組織のなかでも最前線と言ってよかった。
共和国軍の支配地域のぎりぎりに位置するフォルクス領を中心として、補給路への襲撃や駐屯地への夜襲を繰り返している。
だからこそ、フォルクス隊が生き残り続けることそのものに意味があった。
王都近郊ですら、いまだ共和国へ屈していない者たちがいる。
その事実を示し続けられるのだ。
ギルベルトの率いるフォルクス隊に帯同しているクラウディアを、兵たちはいつしか“聖女クラウディア”と呼ぶようになった。
もっとも、クラウディア自身はその呼び名を好んでいない。
彼女は隊長ではない。
剣を取って先頭へ立つこともない。
それでも兵たちは彼女へ絶大な信頼を寄せていた。
戦いが始まれば、クラウディアは真っ先に前線近くへ移動する。
後方の安全な天幕に留まることはない。
負傷兵が運び込まれれば、自ら回復術を施し、止血し、骨を繋ぎ、夜を徹して治療を続ける。
血に染まった衣服のまま夜明けを迎えることも珍しくなかった。
ギルベルトを通じて作戦を指示し、ときには退却路確保のための一隊を指揮し、ときに伝令を走らせ、ときには指揮官を失った部隊の指揮を一時的に引き継ぐことさえあった。
前線へ出る治療術師であり、軍略を担う参謀でもあり、小部隊の臨機指揮官でもあるのだ。
そんな人間を兵たちはほかに知らなかったという。
ギルベルトへ作戦を指示し、各隊長へ命令を伝える姿を見て、彼女こそ隊長なのだと思う兵も少なくなかった。
だが、クラウディアはそのたびに否定した。
「隊長はギルベルトです」──と。
それが彼女の口癖だった。
すると、誰かが言い始めた。
──聖女様が来たぞ、と。
いつしかそれは軍全体へ広がっていた。
聖女クラウディア──。
南部軍の兵士ならば知らぬ者のない名だった。
だが、クラウディアは自分を聖女だと思ったことは一度もない。
救えなかった兵は数え切れない。
撤退のために見捨てた村もある。
隊が生き残るために切り捨てた者たちも大勢いた。
聖女として相応しい行動は、なにひとつしていない。
冷徹な計算に基づき、戦い続けていただけだ。
「共和国の例の隊は、里を出て、さらに南へ進んでいる。おそらく次の里へ向かうはずだ」
斥候の報告を受け、ギルベルトが顔を上げた。
クラウディアは小さな岩を椅子代わりにして座り、膝の上の地図からギルベルトへ視線を向ける。
「勢力は?」
「目の前の一隊は、およそ六百だな。ただし、里から連行した女子を五十人ほど連れている。真ん中にな。それで動きは鈍い。邪魔で仕方がないだろう」
ギルベルトが嘲笑するように口元を歪めた。
「騎兵は?」
「見当たらない。歩兵だけだ」
「……そう……」
これで五つ目だった。
三日前から共和国軍の一隊がフォルクス領へ入り込み、里を連続で襲撃している。
家屋を焼き、抵抗する男たちを殺し、若い女たちを連行する。それを繰り返しているのだ。
斥候たちの報告によれば、敵は総勢二千前後だ。
三つの隊へ分かれて行動していた。このうちの一隊が迫っている六百だ。残りの二隊は離れている。すぐに来られる距離にない。
狙いは明らかだった。
フォルクス隊を誘い出すために決まっている。
領民を餌にした罠だ。
その結論には、クラウディアもギルベルトも三日前には到達していた。
だから、クラウディアは、フォルクス隊の出撃には懐疑的だった。
それでも最終的には出撃を決めた。
領軍である以上、絶対に領民を見捨てるわけにはいかない──。ギルベルトたちの主張であり、結局、クラウディアも最終的には彼らの主張を無視できなかった。
正式なフォルクス隊の指揮官はギルベルトだ。
作戦を立案するのはクラウディアでも、出撃を決断する権限は彼にある。
指揮官の決定を参謀が覆すことは許されない。
それは軍を壊す行為だ。
そして、共和国の略奪隊を率いているのが、これまでたびたび翻弄してやった、慎重さに欠ける指揮官だということもあった。
最終的には、クラウディアも出動に応じた。
ただし、条件を出した。
まずは、二千の全部を相手にはしないこと。そして、状況に応じてはすぐに撤退をすることだ。その場合は、クラウディアたちは分散をして再び山中に逃げ込む。共和国に連行されている里の民は助けない。
今回の作戦に投入するのは、百名ずつの五隊の五百──。隠れて待ち伏せのできるぎりぎりの勢力だ。
クラウディアはギルベルトたちを見回す。
「確認しますね。敵が予想以上の勢力を隠していた場合は、いつものように撤退します。よろしいですね」
周囲へ視線を巡らせる。
ギルベルトたちの表情は硬い。
「ギルベルト殿──」
クラウディアは声をあげた。
「わかっている。そのときには、直ちに撤退する」
ギルベルトが苦々しく答えた。
「救出は任務に含みません。敵の牽制です……」
クラウディアは冷静に続ける。
「……敵を撃退できるなら救出します。しかし、それによって部隊が危険へ晒されるなら放棄します。我々が領民を救おうとした。その事実さえあれば十分なのです」
クラウディアの言葉に、ギルベルトをはじめとする幕臣たちの顔が険しくなる。
納得してないのは明らかだ。
それでも誰も反論しなかった。
そして、再び次の斥候がやってくる。ギルベルトが受ける。
「敵に動きはない。こちらには気がついてない。大丈夫だ」
ギルベルトが白い歯を見せた。
しかし、クラウディアは小さく首を傾げた。
山中に五百を伏せているとはいえ、街道を進む敵を襲撃するには絶好の地形だ。
それなのに敵は警戒が薄すぎる。
斥候も出していないように見える。
あまりにも不用心だ。
まるで、自分たちが襲われることを知っているかのようだと思った。
しかも、全体に二千の軍をわざわざ三隊に分けて、こちらに各個撃破の状況を与えてくれている。
すでに勝利を確信しているギルベルトたちとは異なり、クラウディアはますます不安を大きくした。
「敵が予定の位置についたら、側面の隊がまずは左右から突け──」
ギルベルトが散開している隊に伝令を飛ばした。
クラウディアは、もう余計なことを考えることはやめた。あとは敵の動きの中で見極める。
馬に騎乗する。
ギルベルトたちも、同じように次々に馬に乗る。
さらに斥候──。
敵に動きがあった。やっと移動をやめて、魚鱗の陣に移そうとしている。
しかし、どう考えても遅い──。
「攻撃だ──」
ギルベルトが叫ぶ。
すでに、指示は与えられており、前方側で側面を討つ二隊がぶつかった。
まだ陣形変換の途中だった共和国の六百は、なにもできずに、そのまま崩壊していく。
すぐに撤退し始めた。
中心に置いていた領民を残して……。
「全軍、突入──」
ギルベルトが馬を蹴った。
周囲に隠れていた味方があちこちで合流してくる。
ひと塊になって、烏合の衆になっている共和国の一隊に正面から突撃した。
クラウディアも、騎乗のまま後ろからついていく。
すでに戦いらしいものは終わっていた。
共和国軍は、ほとんど逃げ去っており、抱き合うように固まっている里の女たちと、輜重らしい荷車が残されているだけだ。荷車には、各里から奪ったものも混ざっているだろう。
ギルベルトは、最初に側面から攻撃した二隊に追撃を命じるとともに、正面からの部隊に輜重と女たちの確保を指示している。
そのときだった。
クラウディアは、抱き合うように固まっていた里の女たちが、一斉になにかを取り出したことに気づいた。
異変を認識したときには遅かった。
女たちが荷車へ向けて一斉に火矢を放っている。
隠し持っていたのは弩弓だ。
次の瞬間、真っ白い光が視界全体を覆った。
続いて轟音──。
凄まじい衝撃が身体を貫き、クラウディアの身体は宙に浮かんでいた。
「きゃあああ──」
馬上から放り出され、地面へ叩きつけられる。
頭と背中に激痛が走る。
輜重の荷車が爆発したのだと悟った。
おそらく大量の油とともに、魔道の刻まれた爆裂石が積み込まれていたのだろう。
「聖女様──」
「クラウディア様──」
周りで悲鳴があがった。
だが、頭がぐらぐらと揺れて起き上がれない。
すぐ目の前へ兵士が落ちてきた。
頭と胸に短い矢が突き立っている。
またひとり──。
さらに、ひとり──。
ようやく顔を上げた。
周囲では、味方が次々に、矢で射飛ばされている。
まだ、頭を打った影響で、まだ視界は回っている。
揺れる視界の先で、里の女たちだと思っていた者たちが、次々に弩弓を構えては、弩弓を打ち続けているのがわかった。
里の女たち──。いや、女装をしている敵兵だ。女ですらない。もちろん、逃げようとしている者などひとりもいない。
むしろ落ち着き払い、矢を装填しては、狙いを定め、フォルクス隊の兵へ向けて射掛けていた。
悲鳴と怒号と馬のいななきの重なりの中で、味方の兵たちが次々に倒れていく。
ギルベルトや幕臣たちがどうなったのかもわからない。
周囲は完全に混乱していた。
クラウディアは立ち上がろうとした。
だが立てない。
辛うじて、上体だけを起こす。
クラウディアが乗っていた馬はどこにもいない。
代わりの馬を探そうとした、そのときだった。
「聖女を捕らえろ──」
「怪我をさせるな──」
「囲め──」
叫び声が飛ぶ。
女装をしていた体格のいい男たちが、弩弓を構えたまま半円陣を作り、クラウディアを囲む。そして、その周囲へどんどんと矢を向けている。
その先では、護衛の兵たちも必死に応戦していた。
だが数が少ない。
ほとんどは、混乱の中ですでに倒されるか、逃げるかとしたのだろう。
残っている者も、次々に射倒されていく。
そして──。
地響きが響いた。
クラウディアは反射的に顔を上げる。
共和国軍が逃げ去った方向ではない。
フォルクス領の奥──。
味方の後背側だった。
弩弓を持つ敵兵の隙間から、遠くで土煙が上がっているのがわかった。
地面が震えている。
やがて、その正体が見えた。
あっという間に、土煙は拡大し、そこに共和国軍の軍装をしている騎兵が出現した。
それも一騎二騎ではない──。
数百を超えている。
いや、さらに増える……。
そして千に届こうかという騎兵隊になった。
先頭の共和国軍騎兵たちが、混乱するフォルクス隊へ襲い掛かる。
横腹を切り裂かれた兵が吹き飛び、逃げる兵が踏み潰される。
一瞬にして、フォルクス隊は完全潰走へ変わった。
周りの味方が完全にわからなくなる。
「縄を打て」
低い男の声が響く。
気がつくと、クラウディアは凄まじい数の共和国の大量の中にひとりで取り残されていた。
共和国兵たちが殺到した。
後手へ縄を打たれる。
抵抗しようとしても身体が動かない。
頭を打ったせいで視界も定まらなかった。
騎兵たちが左右へ割れる。
黒馬に跨がった偉丈夫が姿を現した。
クラウディアは息を呑んだ。
彼の顔を知っていたからだ。
ただし、顔を見るのは初めてだ。
でも、その顔は知っている。
王都陥落後、王国中に絵姿が出回っていた。
王国を滅ぼして、王族たちを処刑した共和国の将として──。
将軍カイネウス──。
その人だ。
どうして、王都にいるはずの男が、こんな場所に──。
「あ、あなたは……」
かろうじて声を絞り出す。
カイネウスは馬上から見下ろし、薄く笑った。
「魔道を使えるうちに、自分の負傷を癒やしておくといい、聖女クラウディア」
「えっ?」
クラウディアの瞳が見開かれる。
「サロンへ着けば、その力も魔核で封じられる」
カイネウスが言う。
「サロン……?」
縄を引かれて立たされながら、クラウディアは呆然と呟いた。