サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
最初の二日間は、ただ運ばれるだけだった。
クラウディアは、ほかの捕虜と同じように、両手首を背中側で革枷へ繋がれ、両足首にも短い鎖で連結された革枷を嵌められたまま、大型の荷馬車へ乗せられた。首には革の首環が嵌められている。クラウディアは唯一の赤色だが、ほかの男の将兵たちには、黒、白、青の違いがある。おそらく、なにかの区分があるのだろう。
ただ、荷台には首環の色に関係なく、同じく捕らえられたフォルクス隊の兵たちが二十名ほど押し込められた。同じ護送馬車が前後にも四台続いていた。どの荷台も同じように捕虜で埋め尽くされている。
互いの肩が触れ合うほど狭く、身体を横たえることもできない。
クラウディアは馭者台に最も近い前方へ座らされた。
四隅には共和国兵がひとりずつ腰を下ろし、槍を抱えたまま無言で見張っている。
捕虜へ話しかける者はいない。
命令を伝えるときだけ、短く口を開く。
移動は昼間のあいだだけであり、馬車は夜明けとともに動き出し、日暮れまで街道を進み続ける。
食事は日に一度。
黒パンと干し肉、それに水だけ。
排泄を許されるのも朝に一度だけだった。
ほかの捕虜たちは共和国の兵に囲まれた状態で、道端で一斉に排泄の機会が与えられるかたちだが、捕虜の中で唯一の女性のクラウディアについては、女兵がひとり現れて、首環に縄を繋いで街道脇の草陰へ連れて行く。
足枷の鎖が短いため歩幅は自然と狭くなる。後手の革枷はそのままだ。
終われば再び荷馬車へ戻され、二日のあいだ革枷を外されることはなかった。
荷台には男たちの汗と土埃、それに血の臭いが染みついていた。
道が荒れるたび、捕虜たちの身体が互いにぶつかる。
傷口を打ち、苦痛に顔を歪める者も少なくない。
クラウディアは、魔力の許す限り、全員に順番に回復術を施した。
手首を拘束されていても術は使える。
裂傷を閉じ、折れた骨を繋ぎ、炎で焼けた皮膚を癒やす。
「……ありがとうございます、聖女様」
兵たちは小さく礼を述べた。
クラウディアは首を横へ振るだけだった。
見張りの共和国兵たちは、その様子を黙って見ていた。
止めることも、急かすこともない。
まるで命令されていないことには干渉しないと言わんばかりだった。
そうして二日が過ぎた。
三日目の朝──。
いつものように排泄のため女兵が迎えに来る時刻になった。
しかし、荷馬車の前へ現れた女を見て、クラウディアは小さく眉をひそめた。
初めて見る顔だった。
軍装ではあるが、共和国軍共通のものではない。片目を黒い眼帯で覆った長身の女だ。一緒にふたりの女兵を連れていた。
剣の代わりに、腰に短剣を吊っている。隙のない立ち姿だけで、ただの女兵ではないことがわかる。
「聖女クラウディアだね」
確認というより、告知だった。
返事も待たず、女は首環に繋げた曳縄を手に取る。
「アルジェだ。呼び捨てでも、アルジェ様でも好きなように呼びな。多分、長い付き合いになるよ」
「長い付き合い……?」
思わず返したが、アルジェはなにも返さない。
そのアルジェが曳縄を引っ張って、集団から外れる方向に連れて行く。
向かった先は、いつもの草陰ではなく、集団の先頭に停められていた共和国の紋章が刻まれた一台の大型の箱馬車の前だった──。
「乗りな。ここから、あんただけは別の場所に移動だ」
馬車の扉が大きく開かれた。
クラウディアは戸惑った。
いつもの排泄の時間だったので尿意が溜まっている。このまま移動なのであれば、できれば出したい。
「我慢するんだね」
アルジェは先に乗り込んだ女兵へ曳縄を手渡した。
女兵に引かれるまま、クラウディアは大型の箱馬車へ足を踏み入れる。
思わず息を呑む。
外から見れば、ただの大型馬車だった。
しかし、室内はまるで別世界だ。
床一面には深紅の絨毯が敷き詰められている。
荷物を積む空間はなく、人が座る場所も最後部の長椅子のほかには、ひとり掛けの四隅の小さな椅子だけだった。広い室内の中央にはなにもない。
応接室──。
そんな言葉が脳裏をよぎる。
そして、最後部の長椅子へひとりの男が静かに腰掛けていることに気がついた。
「あっ……」
思わず声が漏れる。
忘れるはずがない。
自分を捕らえたあの日、馬上から見下ろしていた男。
共和国軍総司令の将軍カイネウス──。
「あなたは……」
最後まで言葉は続かなかった。
「あぐっ」
背中を強く押され、クラウディアは絨毯の上へうつ伏せに叩き伏せられた。
「なにをするのよっ」
身を起こそうとする。
しかし、その前にアルジェと二人の女兵が一斉に覆い被さった。
三人がかりで肩を押さえ込まれ、そのまま馬車の中央まで引きずられる。
「離しなさいっ」
叫んだ瞬間、口へ硬い球体が押し込まれた。
「んっ……」
頭の後ろで紐が締め上げられる。
舌先に触れた球体には、丸い穴が無数に穿たれていた。
さらに女兵のひとりが背中から腰へ膝を乗せる。
「んぐうっ──」
全体重を預けるように押さえ込まれ、肺の空気が一気に押し出された。
苦鳴が口枷の奥へ吸い込まれる。
唾液が口の中へ溜まっていく。
飲み込もうとしても球体が邪魔をする。
口枷の穴から唾液が糸を引いて垂れた。
慌てて吸い込む。
ずずっ、と湿った音が馬車の中へ響き、自分でも顔が熱くなるのを感じた。
そのときだった。
頭上で金属音が鳴る。
苦しい姿勢のまま見上げると、天井の滑車から一本の太い鎖が降りてきていた。
唖然となった。
天井には一本の金属製レールが前後へ伸び、そこへいくつもの滑車が取り付けられている。いま自分の頭上へ降りてきた鎖も、そのひとつだった。
応接室のような室内だと思ったが、同時に拷問部屋のようでもある。
豪奢さと異様さが同居した、不気味な空間だ。
女兵たちは慣れた手つきで、降りてきた鎖を後手の革枷へ繋ぐ。
続いて足枷も同じ鎖へ固定した。逆海老状態だ。
「上げな」
アルジェが短く命じる。
鎖が軋みを立てながら巻き上がっていく。
「んごおおっ──」
四肢へ体重が掛かる。
背中は大きく反らされ、腰へ重圧が集中する。
鎖は床と天井の中ほどで止まった。
吊られた姿勢のまま視線を巡らせると、左右には大きなガラス窓が設けられている。
ちょうど自分の目の高さだった。
アルジェたちは何事もなかったように木椅子へ腰を下ろす。
そのアルジェが前方隅の伝声管へ顔を寄せた。
「出していいよ」
馬車がゆっくりと動き始める。
ぐらり、と身体が大きく揺れた。
「んぐうっ」
反り返った背中と腰へ、凄まじい重みがのしかかる。
クラウディアは口枷の奥で苦鳴を漏らした。
馬車は揺れながら街道を進み続ける。
逆海老吊りにされたクラウディアの身体は、馬車が石を踏むたび前後左右へ大きく揺れた。
四肢の付け根へ全体重が掛かり続ける。
大きく反らされた背中と腰にも、絶え間なく鈍い痛みが積み重なっていく。
苦しい。
息を吸うだけでも苦しい。
唾液は口枷の穴から糸を引いて垂れ、揺れるたびに頬や顎を濡らす。
いつの間にか、全身は汗まみれになって、身につけているものに重さを感じるほどになっていた。
それでもクラウディアは歯を食いしばるように耐え続けた。
どれほど時間が経ったのだろう。
体感では半時間近くになる。
カイネウスは、一言も口を開かず、そのあいだ、馬車の中には車輪の軋む音と馬の蹄の音しか響かなかった。
「聖女クラウディア」
初めて声がした。
カイネウスだ。
垂れていた頭をゆっくりとあげる。
それだけで、苦悶が首に走る。汗が顔から滴り落ちる。
「少し話をしようか」
思ったよりも、穏やかな喋り方だった。
一方で、クラウディアの口枷の穴からは涎が細く垂れ続けていた。
それでも視線だけは、長椅子へ腰掛けるカイネウスを真っ直ぐ射抜く。
「うん……その視線は嫌いじゃない」
カイネウスは穏やかそうな笑みを浮かべる。
「……君にはサロン・セルパンタンへ入所してもらう。そこで矯正を受けてもらう。目的はただひとつ。サロンの接待婦になってもらうためだ」
接待婦──?
それが意味するものはわからない。
だが、その響きだけで、ろくなものではないとわかる。
口枷を嵌められているクラウディアには、返事をすることはできない。
ただ睨み続ける。
いま、この男から目を逸らしたくはなかった。
視線を落とした瞬間、自分の心まで折れてしまう気がした。
「まずは、ルールを教えよう。承諾には首を縦に振る。不服従は首を横だ。だが、不服従には必ず罰がある。最初に覚えてもらうことだ。わかったかい?」
クラウディアは顔を動かさなかった。
しばらくのあいだ、カイネウスは待つようにじっとクラウディアを見続けた。やがて、静かに微笑んだ。
「……もう一度、言うよ。理解したら首を縦だ」
カイネウスは静かに続けた。
ゆっくりとした口調だった。
怒気も威圧もない。
まるで当たり前の規則を説明しているだけのようだった。
クラウディアは、じっとカイネウスを観察する。
共和国を率いる将軍──。
王国を滅ぼした男──。
軍人としては尊敬もしていたが、いまは失望している。
女をこうやって追い詰めることで、悦に浸る男にしか見えない──。
とにかく、いまはこの男を知ることだ。
どう考え、どう動くのか。
それを知らなければならない。
サロンという場所も知らない。
自分がこれからどう扱われるのかもわからない。
ならば、まず目の前の男を知るしかない。
迷った末に、クラウディアは首を縦に振る。
ここで抗うことに意味はない。
いまは、耐える時間だ……。
「承知したね……。じゃあ、そのまま僕を見てるんだよ。僕が話しているあいだは視線を逸らさないこと。これが次のルールだ」
カイネウスがさらに言う。
クラウディアは顔をあげ続ける。
だが、苦しい。
反り返った背中が限界を迎えていた。
頭を支える力が抜ける。
ゆっくりと視線が落ちていく。
「……さっそく命令に反したね」
静かな声だった。
「僕は話しているあいだは、目を逸らしてはいけないと言ったはずだ」
クラウディアの胸が震える。
しまった、と頭では理解していた。
しかし身体がついてこなかった。
「アルジェ、彼女を下着姿に。不服従の罰だ」
「承知しました」
カイネウスの言葉に、アルジェたちがすぐに立ちあがる。
「んぐううっ」
クラウディアは弾かれたように顔を上げた。
口枷の奥から必死に声を上げる。
だが、アルジェと二人の女兵は、まるで最初から決まっていた手順を進めるように、静かにクラウディアへ歩み寄ってきた。
裁ち鋏を手にして──。