サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
がたん──。
車輪が石を踏み、箱馬車が大きく揺れた。
「んぐうっ……」
クラウディアの口から漏れた呻きは、口の中へ押し込まれた球形の口枷に遮られ、意味のない音へ変わった。
身体を捩ろうとする。
だが、椅子へ幾重にも回された革帯が、胸と腹、両腕を容赦なく押さえつけていた。背中は背凭れへ密着させられ、手首も椅子の後ろで固く繋がれている。
両脚はさらに酷かった。
左右へ大きく開かれ、それぞれの足首を椅子の手摺りへ乗せた状態で固定されている。膝を閉じることも、脚を下ろすこともできない。
少しでも逃れようと力を込めれば、革帯が肌へ食い込み、椅子が僅かに軋むだけだった。
「あぐっ……んんっ……」
クラウディアは何度も首を振った。
痒い──。
塗り足された薬が、股間を中心に、絶え間なく皮膚の内側を這い回っているようだった。
熱いのか、痒いのか、それとも痛いのか、自分でももう区別がつかない。
掻きむしりたい。
脚を閉じたい。
せめて身体を丸めて、刺激から逃れたい。
だが、そのどれひとつとして許されていなかった。
馬車が揺れるたび、椅子へ縛りつけられた身体も一緒に揺さぶられる。
その僅かな動きさえ、塗られた箇所へ新たな刺激を与えた。
「んっ、んぐううっ──」
必死に声を上げる。
口枷の奥で舌を動かし、どうにか言葉にしようとする。
許してほしい──。
もう十分だ──。
お願いだから、せめて薬だけでも拭き取ってほしい。
もはや、犯されるのでも構わなかった。
それほどまでに、塗り足された掻痒剤は、耐えられる限界を越えていた。
しかし、どれほど訴えても、誰も応じてくれない。
箱馬車の最後部では、カイネウスが長椅子へ腰掛けていた。
膝の上には一冊の本が開かれている。
馬車が揺れるたび、指で頁を押さえるほかは、顔を上げようともしなかった。
アルジェたちも同じだ。
四隅の椅子へ腰掛け、静かに外を眺める者。
短剣の手入れをする者。
水筒を傾ける者。
誰も、クラウディアがそこにいないかのように振る舞っている。
見えていないはずはなかった。
呻き声も、椅子の軋む音も、革帯を引き千切ろうとする激しい息遣いも、狭い馬車の中へ響き続けている。
それでも、誰ひとりとして声を掛けなかった。
嘲笑さえない。
罵倒もない。
助けを求めれば、これまでは少なくとも返事だけはあった。拒絶されるにしても、カイネウスはクラウディアの言葉を聞き、なにかを答えた。
だが、いまは違う。
苦しんでいることも──。
涙を流していることも──。
もう限界だと、必死に仕草で訴えていることも──。
すべて承知したうえで、無視されている。
「んんっ……んぐっ……」
クラウディアの目から涙が零れ続ける。
頬を伝った涙は口枷の革へ吸い込まれ、顎から首筋へと流れていく。
それでも、誰も見ようとはしなかった。
これは、先ほど卓を汚した罰だ。
許可を受ける前に用を足したこと。
命じられた食事を自分で最後まで終えられなかったこと。
そして、カイネウスたちの食卓を汚したこと。
その罰として、残っていた食事と水は、女兵たちの手で無理やり口へ押し込まれた。
咳き込み、顔を背けようとしても許されず、飲み込むまで口を塞がれた。
そして、クラウディアは再び箱馬車へ運び込まれた。
逆海老吊りの拘束だけは解かれた。
床へ下ろされた瞬間、身体の激痛からようやく解放されるのだと思った。
だが、それは間違いだった。
女兵たちは何も説明せず、クラウディアを椅子へ座らせた。
口枷を嵌め、身体を縛りつけ、両脚を左右の手摺りへ固定した。
そのうえで、掻痒剤を股間とお尻の穴に塗り足した。
そして、アルジェがただ一言だけ告げたのだ。
──罰が終わるまで、なにを訴えても無駄よ──と。
もはや、時間の感覚もない。
まだ半刻も経っていないのかもしれない。
すでに何刻も経っているのかもしれない。
クラウディアには、馬車の揺れと、自分の荒い呼吸と、身体を蝕み続ける痒みしか感じられなかった。
そして、あまりの痒みで意識が薄れ、また、痒みで覚醒するということを繰り返している。
次第に、怒りさえ維持できなくなっていく。
最初は、必死にカイネウスを睨みつけていた。
こんなものに屈するものかと思っていた。
必ず耐え抜き、いつか必ず報いを受けさせると、何度も心の中で繰り返した。
だが、いまはもう、顔を上げ続ける力さえ残っていない。
背凭れへ頭を預けたまま、荒い呼吸を繰り返す。
それでも薬の刺激は少しも弱まらなかった。
「ん……んん……」
声にもならない懇願が、口枷の奥から漏れた。
せめて、見てほしかった。
自分がどれほど苦しんでいるのか。
もう耐えられないところまで追い詰められていることを、誰かに認めてほしかった。
無視され続けるくらいなら、嘲笑でも罵倒でもいい。
そんな思いが胸の中へ生まれていた。
だが、そのあいだにも、カイネウスは頁を一枚めくった。
紙の擦れる小さな音が、馬車の中へ響いた。
その音を聞いた瞬間、クラウディアの胸を、言いようのない絶望が満たした。
この男にとって、自分の苦しみは、本を読む手を止めるほどのことですらない。
それが、この罰の本当の意味なのだと、ようやく理解した。
やがて、箱馬車がゆっくりと速度を落とした。
車輪の音が止まり、外から兵士たちの声と馬のいななきが聞こえてくる。
「今日はここで野宿だよ」
アルジェが立ち上がった。
「あたしたちは夕食だけど、また小便で料理を汚されちゃ困るから、聖女様はそこにいな」
「んぐっ……んんっ──」
クラウディアは激しく首を振った。
だが、アルジェは気にした様子もなく、馬車の後部扉へ向かう。
「勝手におしっこを漏らしたら、また罰だからね」
扉の前で振り返り、愉快そうに笑った。
「でも、水だけはたっぷり飲ませてあげるよ」
カイネウスが先に馬車を降りる。
アルジェもその後に続き、外へ出ていった。
「じゃあ、頼んだよ」
「承知しました」
残された女兵のひとりが答えた。
後部扉が閉じる。
その直後、もうひとりの女兵が馬車の隅から水差しを持ち上げた。
「んっ……んんっ──」
クラウディアは激しく首を振った。
だが、女兵たちは何も答えない。
ひとりが椅子の背後へ回り、クラウディアの頭を動かないように押さえた。
もうひとりが口元へ器具を近づける。
なにをされるのか悟り、クラウディアは必死に顔を背けようとした。
しかし、椅子へ縛りつけられた身体では、僅かに首を振ることしかできない。
「暴れないでください」
女兵が淡々と言った。
拒絶する意思など初めから考慮されていなかった。
素早く口から球形の口枷が外され、代わりに先端の太い管が口へ押し込まれた。女兵が管を固定すると、もうひとりが上端へ漏斗を差し込み、水差しを傾ける。
クラウディアは流れ込んでくる水を、懸命に飲み込まされた。ときおり喉へ入り込んで激しくむせると、流れは僅かに緩められた。だが、呼吸が整えば、すぐに再開された。
女兵たちは決められた量を与える作業を、ただ黙々と続けた。
「喉の渇きは癒えたかい、聖女様?」
クラウディアの嚥下が追いつかなくなったことに気づいたのか、女兵は水差しを傾ける手を止めて訊ねた。
わずかに頷くと、女兵たちはそれ以上強要することなく、水差しを引きあげた。
口元に取りつけられていた器具が外される。
クラウディアは激しく咳き込みながら、必死に息を吸った。
「はっ……はあっ……」
ようやく声を出せる。
そう思った瞬間、女兵のひとりが、先ほど外した球形の口枷を手に取った。
「ま、待って……。もう水は飲んだでしょう。お願い、ディアをなんとかして──。痒いのよ──、痒みを……」
掠れた声で訴える。
だが、女兵は答えなかった。
もうひとりが背後からクラウディアの頭を押さえる。
「いやっ、やめ──」
言葉を最後まで口にする前に、硬い球体が再び口の中へ押し込まれた。
「んぐっ──」
顎を大きく開かされる。
頭の後ろへ回された革紐が引かれ、留め金が締められた。
クラウディアは激しく首を振った。
だが、口枷は外れない。
「んんっ……んぐうっ──」
再び、言葉を奪われた。
女兵は口枷が外れないことを確かめると、何事もなかったように手を離した。
「勝手に漏らさないようにしてくださいね」
淡々と告げて、水差しを馬車の隅へ戻す。
「次の放尿の刻限は、明日の朝だからね。今度こそ、決められている時間以外に粗相しないでよ」
「じゃあ、あたしたちは夕食を食べてくるわ。聖女様は大人しくしててね」
女兵たちが箱馬車から外に出る扉に向かっていく。
「んぐっ……んんんっ──」
クラウディアは必死に訴えた。
せめて、痒みだけでもどうにかしてほしかった。
このまま置いていかれれば、次に誰かが戻ってくるまで、助けを求めることさえできない。
それがどれほど先なのかもわからない。
夕食が終われば戻ってくるのか。
それとも、もっと長く放置されるのか。
女兵たちが扉へ向かう姿を見ただけで、胸の奥へ恐怖が込み上げた。
「んぐうう──っ」
クラウディアは身体を揺すり、行かないでほしいと懸命に訴えた。
だが、口枷の奥から漏れるのは、意味をなさない呻きだけだった。
女兵たちが降りていき、後部扉が閉じられた。
箱馬車の中は、すでに夜の闇に包まれている。
外からは、食器を並べる音と兵士たちの笑い声が聞こえていた。
そのすぐそばで、クラウディアは声を奪われたまま、椅子へ縛りつけられていた。
どれだけ待っても、扉が開く気配はなかった。
「んぐっ……んんんっ──」
痒み以外のことを考えようとしても、なにも思い浮かばない。
王国のことも、弟のことも、逃げ出す方法さえも、すべてが頭の中から押し流されていく。
クラウディアは夢中で身体を揺すった。
だが、椅子の脚は太い釘で箱馬車の床へ打ちつけられている。どれほど暴れても、椅子は僅かにも動かなかった。
残るのは、ただ、この苦しみを止めてほしいという願いだけだった。
理性が削られていく。
自分が自分でなくなっていく。
「んんううっ──」
クラウディアは声にならない悲鳴を上げ続ける。
それでも、扉の向こうの笑い声は少しも途切れなかった。
どれほどそうしていたのか、クラウディアにはもうわからなかった。
痒みに苛まれ続け、意識は薄い霧の向こうへ沈みかけていた。
外から聞こえていた笑い声も、食器の音も、いつしか遠くなっている。
そのとき、後部扉が開いた。
篝火の明かりが、暗い箱馬車の中へ差し込んでくる。
「ん……んんっ……」
クラウディアは重そうに顔を上げた。
扉の前には、アルジェと数人の女兵が立っていた。
戻ってきた──。
その事実に、胸の奥で僅かな安堵が生まれた。
助けを求めていた相手が、自分を苦しめている者たちだということに気づき、すぐに嫌悪が込み上げる。
だが、いまは、その嫌悪すら痒みの前では長く続かなかった。
「ずいぶん大人しくなったじゃない」
アルジェが馬車へ乗り込んでくる。
女兵のひとりが、鎖の繋がった革の首環を持っていた。
クラウディアの顎を持ち上げ、首へ回す。
留め具の閉じる硬い音が、すぐ耳元で鳴った。
「んぐっ……」
続いて、椅子へ身体を固定していた革帯が、ひとつずつ外されていく。
長いあいだ締めつけられていた箇所から圧迫が消える。
それだけで身体が崩れそうになった。
手首の拘束が外された瞬間だった。
クラウディアの右手が、考えるより早く胸元へ向かった。
左手もまた、腹の下へ落ちかける。
「おっと」
女兵たちが、即座に両腕を掴んだ。
「んっ──」
はっと我に返る。
自分がなにをしようとしたのか理解した瞬間、クラウディアの顔から血の気が引いた。
「ふふ、身体のほうは、ずいぶん素直になってきたみたいね……。だけど、まだだよ、思う存分にやらせてやるから安心しな」
アルジェが笑う。
クラウディアは激しく首を振った。
だが、口枷に塞がれた口からは、否定の言葉を発することもできない。
そして、両手首には手錠が嵌められる。
さらに、その手錠の中央が首環の後ろへ繋がれた。
両手を首の後ろ近くへ押しつけられた姿勢になり、クラウディアは肩を大きく引かれたまま、椅子から立たされた。
脚に力が入らない。
女兵たちに左右から支えられ、どうにか立っているだけだった。
「せめてもの情けさ」
アルジェの合図で、女兵のひとりが小さな布を持ってきた。
腰へ巻かれたそれは、前後を辛うじて覆う程度のものだった。
隠されたという安堵よりも、そこだけを意識させられる羞恥のほうが大きかった。
「ほら、歩きな」
首環の鎖が引かれる。
女兵たちに促され、クラウディアは箱馬車の外へ連れ出された。
すでに辺りは夜だ。
しかし、野営地の各所には篝火が焚かれ、昼間ほどではないにしても、人の顔を見分けられるほど明るい。
暗い馬車内から出たクラウディアは、眩しさに目を細めた。
先ほどまで音だけで聞いていた光景が、目の前へ広がっている。
地面には酒壺や皿が並べられ、共和国の騎士たちが車座になって地面に座っていた。
二十名を超える男たちが、酒杯を手に思い思いに談笑している。
その中央には大きな樹が一本立っていた。
樹の下には簡素な卓と椅子が用意されている。
その椅子へ腰掛け、カイネウスがクラウディアを待っていた。
クラウディアが姿を現した瞬間、騎士たちのあいだから歓声が上がった。
酒杯を掲げる者。
露骨に笑う者。
仲間へ肘を当て、クラウディアを指し示す者。
声を上げず、ただじっと見つめる者。
だが、二十を超える視線が一斉に自分へ集まったことだけは同じだった。
「んぐっ……」
クラウディアは足を止めた。
先ほどまでは、誰にも見てもらえないことが恐ろしかった。
嘲笑でも罵倒でもいいから、反応してほしいとさえ願った。
いまは、その願いを嘲るように、大勢の注目を浴びている。
逃げたい。
馬車へ戻りたい。
だが、首環の鎖は容赦なく前へ引かれた。
「聖女殿、明日の午前中には、サロンへ着く」
アルジェたちがクラウディアを卓の前まで連れてくると、カイネウスが静かに呼びかけた。
クラウディアは、ゆっくりと顔を上げた。
「だから、今夜くらいは、ここまで護衛してくれた彼らを愉しませてあげてよ」
「んんっ──」
クラウディアは激しく首を振った。
冗談じゃない──。
しかし、騎士たちのあいだからは、再び歓声と笑い声が上がった。
アルジェたちがクラウディアを樹の下へ連れていく。
首環の後ろに繋がれていた手錠が外され、両腕が前へ回された。
自由になったわけではない。手錠の中央へ枝から垂らされた縄が繋がれて、ゆっくりと引き上げられていく。
「んんんっ」
必死に腕に力を入れて抵抗しようとするが、クラウディアの両腕は容赦なく頭上へ持ち上げられ、まっすぐに伸ばされてしまった。
踵は地面についているが、腕を下ろすことも、身体を丸めることもできない。
腰へ巻かれた小さな布だけを残し、クラウディアは樹の下へ立たされた。
目の前には、卓を挟んでカイネウスがいる。
その周囲には、酒杯を手にした騎士たちが車座になっている。
歓声は次第に収まっていった。
クラウディアは震える身体へ力を込め、正面のカイネウスを睨みつけた。
だが、意思とは裏腹に、身体は少しも静まらなかった。
襲い続ける痒みに耐えられず、クラウディアは頭上へ引かれた両腕を軋ませるように力を込めて腰を捩った。
腿を擦り合わせようとしても、立たされた姿勢では思うように動けない。
膝を内側へ寄せ、身体を折り曲げようとするたび、吊られた腕が強く引かれ、再び背筋を伸ばされる。
「んぐっ……んんんっ──」
口枷の奥から、押し殺しきれない呻きが漏れた。
汗が額から頬へ流れ落ちる。
首筋を伝い、胸元を滑り、腹へ細い筋を作っていく。
全身が熱を帯びているのに、夜気が濡れた肌へ触れるたび、びくりと身体が跳ねた。
クラウディアは、どうにか刺激を紛らわせようと腰を左右へ揺らした。
足の位置を僅かに変え、腿の内側へ力を込める。
だが、どの動きも求めている場所には届かず、苦しみをさらに意識させるだけだった。
「んんっ……んぐうっ……」
球形の口枷を噛み締める。
しかし、開かされた口の中には唾液が溜まり続け、飲み込むこともままならない。
透明な涎が口枷の穴から溢れ、顎の先から糸を引いて滴り落ちた。
それを拭うこともできない。
汗と涙と涎に顔を濡らしながら、クラウディアはなおも必死に身体を動かし続けた。
自分でも、なにをすれば楽になるのかわからない。
ただ、じっとしていることだけはできなかった。
その姿を、車座になった騎士たちが黙って見つめていた。
「聖女様の尻振り踊りが始まったね」
アルジェが揶揄うように笑った。
クラウディアは、はっと息を呑んだ。
自分が大勢の騎士たちの前で、どのような動きをしていたのかを理解した瞬間、全身が強張った。
腰の動きを止める。
膝を寄せ、必死に身体を静めようとする。
だが、それも長くは続かなかった。
「んぐっ……んんんっ──」
耐え難い刺激が意識を呑み込み、硬直させていた身体が再び揺れ始める。
止めなければと思う。
騎士たちに見られている。
アルジェたちに笑われている。
それでも、気づけば腰は無意識に左右へ動いていた。
もう、身体を制御するだけの理性さえ崩れ始めている。
「そんなに痒いかい、聖女?」
カイネウスが、簡易卓の上に置かれた盃を口へ運びながら訊ねた。
「んんんっ──」
クラウディアは必死に首を縦へ振った。
認めることへの羞恥より、苦しみから逃れたいという願いのほうが、すでに大きくなっていた。
「じゃあ、好きなだけ掻いていい」
カイネウスが軽く手を上げた。
合図を受けた女兵が、枝から垂らされた手錠に向かって、楕円型の魔道操作具を向ける。
小さな金属音が鳴った。
両手を拘束していた手錠の右枷だけが外れた。
クラウディアの身体が僅かに左側へ傾く。
その直後、自由になった右手がほとんど無意識に胸元へ伸びた。
指が乳房を力いっぱいに掴む。
掴んだ箇所だけ痒みが一瞬別の感覚に塗り潰された。同時に、全身が砕けるほどの快感が迸る。
「んんんっ」
クラウディアは裸身を硬直させた。右手がすぐに股間に伸びる。
騎士たちのあいだから、わっと歓声が上がった。
「──っ」
クラウディアは愕然と目を見開いた。
自分の手がなにをしているのかを理解し、弾かれたように手を身体から離す。
さらに、右手を身体から遠ざけようとする。
だが、狂いそうな刺激に耐え切れず、指先が再び身体へ近づいていった。
「んっ……んんっ──」
クラウディアは歯を食いしばるように口枷を噛んだ。
右手を強く握り締め、どうにか身体から引き離す。
しかし、すぐに指が開き、また股間へ向かいかける。
クラウディアの右手は、行き場を失ったように身体の前を彷徨った。
股間へ伸びかけては止まり、腹の前へ下がりかけては、慌てて引き戻す。
手のひらは何度も握られ、また開いた。
楽になりたいという身体の衝動と、自分から屈してはならないという意思が、右手ひとつを奪い合っている。
「どうしたんだい、聖女様? 遠慮なく、自慰をしなよ」
いつの間にかすぐそばへ来ていたアルジェが、耳元で冷笑した。
「ほら、手を伸ばすだけだぞ」
騎士のひとりが酒杯を掲げた。
「せっかく自由にしてもらったんだ。もったいないじゃないか」
別の男が囃し立てると、周囲から笑い声が上がった。
「んんっ……んぐうっ──」
クラウディアは右手を固く握り締めた。
だが、指先は意思に逆らうように開き、再び股間へ近づいていく。
触れれば楽になれる。
そのことを、身体はすでに知ってしまっていた。
右手が僅かに進むたび、騎士たちが期待するように身を乗り出す。
クラウディアは、その視線に気づくたび我に返り、腕を身体から引き離した。
「もう少しだよ、聖女様」
アルジェが右手の動きを目で追いながら笑った。
「我慢する必要なんてないのよ……」
ほかの女兵が小さな布に手を伸ばし、布の下から内腿を指ですっとなぞってきた。
「んっ……んんんんっ──」
クラウディアは、自由な右手でその手を払いながら、激しく首を振った。
だが、拒絶を示しているあいだにも、右手は震えながら身体へ戻ろうとする。
拳を握る──。
また開く──。
股間へ伸びる──。
慌てて遠ざける。
同じ動きを繰り返すたび、汗が顎から滴り落ちた。
涙で視界が滲み、篝火も、騎士たちの顔も、赤く揺れる影にしか見えなくなっていく。
「聖女様、こっちは誰も止めないぞ」
酒に酔った騎士が地面を叩いた。
「好きなだけやればいいじゃないか」
囃し立てる声に、再び笑いが重なる。
クラウディアは必死に頭を振った。
否定するたび、口枷から涎が糸を引いて飛び散る。
それでも右手は、何度も身体へ近づこうとした。
そのたびに、残っている意思をかき集めて押し戻す。
自分からはしない。
この者たちの望むとおりには動かない。
その思いだけが、崩れかけた理性の中に残っていた。
「さすがは聖女だね。よく我慢できるよ。やっぱり、聖女としての矜恃なのかな」
カイネウスが盃を卓へ置いた。
「ふん、そんな矜恃なんて、もうすぐ崩れますよ、お館様」
アルジェが不機嫌そうに舌打ちする。
「そうかな。結構我慢強そうだけど」
カイネウスが椅子の手摺りに肘を置いて頬杖をつく。
余裕たっぷりの態度がクラウディアを激怒させる。
その怒りだけが、いまのクラウディアを支えているかもしれない。
「ん……んんんっ──」
荒い息を繰り返しながらカイネウスを見る。
目の前が暗くなりかけている。
右腕は痙攣するように震え、指先はなおも行き場を求めていた。
もう、どれほど耐えられるのか自分でもわからない。
それでも、クラウディアは首を横へ振った。
小さな動きだった。
だが、迷いはなかった。
もう一度、今度ははっきりと首を振る。
「んんっ──」
右手を強く握り込み、腰から遠ざけた。
騎士たちの笑い声が止まった。
僅かなあいだ、篝火の爆ぜる音だけが野営地へ響いた。
「まだ、掻痒剤が足りないのかね。考えてみれば塗ってからかなり経っている。肉に染み込んだもの以外は流れ落ちたかもしれないね。新鮮なものを塗り足してやるさ」
アルジェが目を細めた。
クラウディアの顔から血の気が引いた。
「んっ……んんんっ──」
必死に首を振る。
だが、アルジェはすでに女兵たちへ合図を送っていた。
ひとりが小さな容器を持って近づいてくる。
蓋が開かれた瞬間、クラウディアはそれがなんなのかを悟った。
「んぐうううっ──」
右手を振り回し、女兵を遠ざけようとする。
しかし、あっという間に右手を掴まれて動きを封じられる。
「暴れないでください」
ほかの女兵たちも左右から身体を押さえつける。
「んんっ──んぐううっ──」
クラウディアは断固として首を横へ振り続けた。
その拒絶を見届けるように、アルジェが顎を僅かに動かす。
女兵の指先が、容器の中の薬を掬い取った。
「聖女様の意地が、どこまで続くか見せてもらおうじゃないか」
アルジェが耳元で囁いた。
次の瞬間、前と後ろに新たに薬が塗り足された。
「んぐんんんっ──」
クラウディアの身体が大きく反り返った。
右手が宙を掻き、脚が地面を踏み鳴らす。
騎士たちの歓声が一斉に沸き起こった。