サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
クラウディアは、長い昏睡から浮かび上がるように眼を覚ました。
身体が動かなかった。
指先から足先まで、全身が鉛に変わったように重い。
首も、肩も、背中も、腰も、身体を形作るすべての場所が鈍く痛んでいた。
「……う……」
喉の奥から、掠れた呻きが漏れる。
眼を開いても、視界は薄暗かった。
身体が揺れていた。
いや、揺れているのは床だった。
そして、鉄格子に気がついた。
顔のすぐ前に、縦横に組まれた細い鉄の棒が続いている。
視線だけを動かせば、左右にも、頭上にも同じ格子が見えた。
小さな檻の中へ入れられているのだと気づくまで、しばらく時間がかかった。
大人ひとりが身体を横たえれば、それだけでほとんど隙間がなくなるほど狭い。高さもない。しゃがんだ状態で鉄格子の天井に頭が当たるほどだろう。
ようやく、ここが走行中の箱馬車の中だと悟る。檻は広い車内の中央へ据えつけられていた。
箱馬車の窓は開いており、陽の光が細く差し込んでいる。
クラウディアは、ぼんやりと目の前を見つめた。
とりあえず、身体を起こそうと身じろぎする。
「つっ……」
背中側へ回された両腕が引きつった。
両手首は背中側で縛られ、さらに両腕ごと胴体へ固く緊縛されている。
脚は拘束されていなかった。
だが、長いあいだ同じ姿勢に置かれていたらしく、両腕は肩から指先まで痺れ、全身の筋肉も強張っていた。股間には鈍い痛みが残り、内側が熱を持ったように疼いている。
そして、全裸だった。
縄で緊縛されている以外には、一糸もまとっていなかった。
「やっと、起きたのかい、聖女様」
鉄格子のあいだから声が飛び込んできた。
声の方向に顔を向けると、箱馬車の壁際の椅子に座っているアルジェだった。
ほかにも、壁際の席に腰掛けた三人の女兵が、にやにやしながらクラウディアを見ていた。
首を捻り、進行方向とは逆側へ視線を向ける。
馬車の後部では、カイネウスが柔らかそうな長椅子へ深く腰掛けていた。膝の上に書物を開き、頁へ視線を落としている。クラウディアへ一瞥も向けない。
その態度に、胸の奥へ苛立ちが込み上げた。
「くっ」
そのとき、馬車が揺れた。
床へ横たえられた身体がわずかに転がされる。
馬車はやや後ろへ傾いていた。車輪はゆっくりと地面を噛み、どこかの坂道を上っているらしい。
クラウディアは浅い呼吸を繰り返した。
なぜ、ここにいるのか。
なにがあったのか。
考えようとしても、頭の中には白い霧がかかったままだった。
「ふふ、もしかして昨夜のことを覚えてないのかい? ずいぶんよく眠ってたね。朝まで眼を覚まさないとは思わなかったよ」
アルジェが身体を屈め、檻の中を覗き込みながら口元を歪める。
「朝まで……?」
クラウディアは眉をひそめた。
だが、その言葉をきっかけに、昨夜の記憶が一気に蘇る。
掻痒剤を塗り重ねられたこと……。
全身がずたずたに引き裂かれるような痒みに襲われ、理性を失いかけるまで悶え続けたこと……。
右手だけを自由にされ、大勢の騎士たちが見守る前で、自ら身体へ手を伸ばすよう強いられたこと……。
それでも、最後に残った意地へ縋りつき、どうにか耐え抜いた。
だが、その抵抗がアルジェたちをさらに焚きつけた。
掻痒剤を繰り返し重ねられた。
逃げ場のない身体を好き勝手に弄ばれ、繰り返して寸止めの刺激を与えられ続けた。
痒みと苦痛の境目すらわからなくなり、発狂したように身体を捩り、ついには意識を失った。
次に意識が戻ったとき、クラウディアは箱馬車の床にいた。
両脚を折り畳まれ、胡座をかいた姿勢のまま、縄で固く縛り上げられていた。
その身体を女兵たちにひっくり返され、押さえつけられていた。
暗い車内。
鉄の軋む音。
女たちの笑い声。
冷たい器具が身体へ触れた感覚。
拒絶しようとした。
だが、声はまともに出なかった。
手足も動かせなかった。
女兵たちは、クラウディアの意思など初めから存在しないかのように、淡々と作業を続けていた。
そして、身体の奥へ走った鋭い痛み。
自分の中で、なにかが壊された。
その事実だけは、いまも身体が覚えている。
さらに後ろまで犯され、逃れようと暴れるたび、縄が肌へ食い込んだ。
それでも、掻痒剤に焼かれ続けていた身体は、与えられる刺激によって痒みが一瞬だけ遠のくたび、意思に反して大きく震えた。
屈辱で気が狂いそうだった。
それなのに、身体だけは救いを求めるように反応した。
自分でも信じられないほど声を上げ、拘束されたまま無様に身体を揺らし続けた。
止めたくても止められなかった。
女兵たちの笑い声を聞きながら、クラウディアは自分自身の反応に絶望した。
その先は、もう覚えていない。
闇の中へ沈み込む直前、誰かが満足そうに笑っていた。
ただ、女兵たちの責めに狂乱する自分へ、カイネウスが終始、興味すら示さなかったことだけは、はっきりと記憶に残っていた。
女兵たちの前で晒した醜態よりも、その無関心のほうが、クラウディアには耐え難い屈辱だった。
「さて、聖女様の餌は残してあるよ。だけど、その前に用便を済ませておくかい」
アルジェが椅子から立ち上がり、檻の前まで歩いてきた。ほかの三人の女兵も集まってくる。
「……用便?」
「昨日みたいに、勝手に漏らされたら困るからね。ほら、出てきな──」
アルジェは腰を屈めると、拳で鉄格子を二度叩いた。
檻の正面にある留め具が外される。
開かれたのは、鉄格子の下半分に設けられた小さな扉だった。高さはなく、大人ひとりが床を這って、ようやく通り抜けられる程度しかない。
「早くしなよ」
また、檻を蹴られる。
クラウディアは開かれた扉を睨んだ。
両腕は背中側へ回され、縄で胴体へ固く縛りつけられている。
床へ手をつくことはできない。
檻から出るには、肩と膝を使い、身体を引きずるように進むしかなかった。
「こんな……」
「逆らえば、また昨日の痒み薬を塗りたくるよ」
アルジェが口元を歪めた。
昨夜の苦痛が脳裏をよぎり、顔が引きつる。
全身をずたずたに引き裂かれるような痒み。どれほど訴えても許してもらえず、大勢の騎士たちの前で発狂したように身体を捩り続けた。
もう一度、あれを受ける。
考えただけで、全身が強張る。
クラウディアは唇を噛み、膝を檻の床へ押しつける。
お尻をあげるようにしながら肩を前へ突き出し、わずかずつ身体を進めた。
手を使えないため、胸と腹が床へ擦れた。
乳房が冷たい鉄板へ押しつけられ、身体を進めるたびに潰されるように形を変える。
「そうやって、犬のように這いつくばることで、自分の立場を自覚しな」
アルジェたちが笑った。
顔を伏せ、肩と膝だけを使って前へ進む。
ようやく頭と肩が檻の外へ出た。
その瞬間、後頭部へ硬いものが押し当てられた。
「んぐっ……」
アルジェの靴底だった。
頭を床へ押さえつけられ、クラウディアは動きを止めた。
「な、なにをするのよ……」
「動くんじゃないよ」
アルジェに靴底へ力を込められ、頬を馬車の床へ押しつけられる。
首へ幅の広い革が回され、首の後ろで金属製の留め具が噛み合って硬い音を立てる。
続いて、首環の前へ短い鎖が繋がれた。
アルジェが鎖を持ち上げると、革の首環が喉へ食い込んでいた。
「これでいいね」
「また、これ……? 外しなさいよ」
「外すわけないだろ。サロンの隷奴は、みんな首環を着ける決まりなんだ」
「隷奴ですって……」
クラウディアは喉へ食い込む革を意識しながら、アルジェを睨みつけた。
「ただの首環じゃないよ。逆らえば締まる。命令を無視し続ければ、そのまま首を引き千切ることだってできる」
アルジェが鎖を軽く揺らした。
金属の擦れる音が、クラウディアの耳元で鳴る。
「なにを……」
クラウディアは息を呑んだ。
脅しとは思えなかった。
アルジェの口調には、誇張している者の揺らぎがまるでない。
「その首環を着けている限り、お前の命は握っている側のものさ。生かすのも、殺すのもね」
アルジェがせせら笑う。
クラウディアの顔から血の気が引いていく。
「そんなもので……わたしを従わせられると思っているの?」
「従うかどうかは、お前が決めればいいさ。逆らうたびに、どんな目に遭うかもね」
アルジェが愉快そうに笑った。
頭を押さえていた靴が離れる。
代わりに首環の鎖が前へ引かれる。
「くっ……」
喉を締められ、クラウディアは残った身体を檻の外へ進めた。
胸と腹を床へ擦りつけながら、やっと身体全体を檻の外へ引き出す。
左右から女兵たちに身体を掴まれ、床へ跪かされた。
「サロンとは……なんなの?」
クラウディアは荒い息を繰り返しながら、アルジェを睨みつけた。
これまで何度も聞かされた名前だった。
だが、それが実際にどのような場所なのか、カイネウスたちは詳しく語ろうとしなかった。
「共和国に逆らった貴族女たちを収容し、隷奴として使う場所だよ」
「収容……」
「王族だろうが、騎士だろうが、聖女だろうが関係ない。入れば、以前の身分なんて意味を失う。全員が隷属民。人間としての権利は剥奪される」
アルジェは鎖を短く持ち直した。
「ば、ばかなことを……」
「サロンで身をもって知ればいいさ。ただし、お前は一般囚じゃない。特別囚だ」
「なにが違うのよ……」
「一般囚は、まとめて収容され、集団で矯正を受ける。だが、特別囚には一人ずつ担当の矯正官がつく。お前をどんな隷奴にするのかを決めて、時間をかけて仕込まれるのさ」
「ふざけないで……。そんなものに、わたしが従うと思っているの?」
「だから、これがあるのさ」
アルジェは首環を指先で軽く叩いた。
女兵たちの笑い声が、揺れる箱馬車の中へ響いた。
「殺すなら殺しなさい。そんな首環で脅されるくらいなら、死んだほうがましよ」
クラウディアはアルジェを真っ直ぐに睨み返した。
「別に逆らっても構わないよ。しかし、お前は否応なしに従わされる。それがサロンだ。そのために魔核も打ち込んだんだ」
アルジェが首環の鎖を上へ強く引く。
「ぐっ」
鎖に引き上げられ、クラウディアは上体を起こさざるを得なかった。そのまま床へ膝をつき、膝立ちの姿勢にさせられる。
「ほら、聖女様の便器だよ」
女兵のひとりが木桶を抱えてきて、クラウディアの前に置いた。
箱馬車が小さく揺れ、木桶の縁が、かたん、と乾いた音を立てる。
木桶を見た瞬間、クラウディアの身体が強張った。
自分の意思ではなく、許可を与えられて拘束されたまま。それを女兵たちに見下ろされながら放尿をする。
屈辱にクラウディアは唇を噛み締めた。
胸の奥から込み上げる屈辱が、喉元までせり上がってくる。
ここで従えば、自分は本当に隷属民になる。
そんな思いが、木桶へ向かう膝を重くしていた。
「どうしたんだい。用を足したくないなら、それでも構わないよ。ただし、この先は許可なく用便はできない。昨日みたいに無様に漏らせば、また昨日と同じ罰だ」
アルジェは腕を組み、クラウディアを見下ろしていた。
クラウディアは答えない。
目の前の木桶を見つめたまま、唇を固く結ぶ。
昨夜の記憶が脳裏をよぎった。
全身を焼くような掻痒感。
どれほど叫んでも終わらず、理性を失うまで苦しみ続けた時間。
思い出しただけで、身体の奥が冷える。
女兵たちは誰も急かそうとしなかった。
クラウディアはしばらく木桶を睨んでいたが、やがて小さく眼を閉じた。
抵抗しても、どうにもならない。
クラウディアは馬車の後部へ視線を向けた。
カイネウスは、相変わらず書物へ眼を落としたままだった。
こちらを見ようともしない。
まるで、クラウディアがそこに存在していないかのようだった。
胸の奥へ、鋭い苛立ちが突き刺さる。
やがて、クラウディアは小さく息を吐いた。
これ以上、昨日の罰を繰り返されるわけにはいかない。
そう自分へ言い聞かせ、木桶の前へ膝を進めようとする。
「待ってください、アルジェ様」
横から女兵のひとりが声を上げた。
「なんだい」
「昨日は、吊ったまま用を足させるつもりだったのに、結局できなかったじゃないですか。わざわざ楽な姿勢を取らせる必要はないと思います」
「えっ?」
クラウディアの動きが止まった。
女兵は悪びれる様子もなく続ける。
「立ったまま、させればいいんじゃないですか」
「それもそうだね」
アルジェが口元を歪めるのが見えた。
「な、なにを言っているのよ……」
クラウディアは驚いて顔を上げる。
しかし、アルジェは返事をせず、後手に縛られた縄尻を掴んで、そのまま強く引き上げる。
「ぐっ……」
クラウディアは上体を起こされた。
左右の女兵も腕と腰を掴んで、クラウディアを立たせる。
別の女兵が縄を持ってきて、後手縛りの縄へ繋ぎ足し、その先を天井の金具へ通した。
縄が引かれ、クラウディアの身体は無理やり真っ直ぐに立たされた。
「ほら、木桶はここでいい、聖女様?」
ひとりの女兵が立たされたクラウディアの脚のあいだに木桶を差し込ませる。
「わ、わたしには、小用も……まともにさせてくれないの……」
クラウディアは掠れた声で抗議した。
アルジェは首環の鎖を持ったまま、肩をすくめる。
「まともかどうかを決めるのは、お前じゃない。それが矯正だ。したくないなら、そう言いな。桶は撤収する。次の用便は明日だからね」
平然とした返答だった。
クラウディアは唇を噛む。
木桶へ視線を落とす。
拒めば昨日と同じ罰が待っている。
もうあれを耐えられるとは思わなかった。
クラウディアは眼を閉じる。
抵抗することも、姿勢を選ぶことも、恥を隠すことも許されない。
ただ、命じられたとおりにするしかなかった。
下腹部の緊張を一気に緩める。
股間から真下に向かって一条の水線が放出され、真下の木桶の底を強く叩き始めた。
「もっと抵抗するかと思ったけど、案外素直ね」
両側にいた女兵がクラウディアのお尻を撫ぜさすったり、縄で上下を挟まれている乳房を指で突いたりしてきた。
「さ、触らないで──」
クラウディアは逆上して悲鳴をあげた。
「隷奴に人間の権利などないって理解したかい」
アルジェが正面から笑いこける。
「暴れずに、ちゃんと桶に入れてね」
「あたしが手伝うさ」
女兵たちが揶揄いの言葉をかける。それとともに、もうひとりの女兵が必死に身体を固くしているクラウディアの両腿を両手で押し開き、尿道の場所を生々しく開いたりしてきた。
もはや、女兵たちの好きにさせるしかなく、クラウディアは屈辱に歯噛みした。
「もういいのかい?」
最後の一滴が終わるとアルジェが声を掛けてきた。
「ついでに大便もしておいたら?」
ひとりの女兵が哄笑する。
クラウディアは、もうなにも言う気力がなくなり、首を垂れたまま左右に顔を振り続けた。
天井の金具へ繋がれていた縄だけが外された。後手縛りは解かれないまま、女兵たちに肩を押され、クラウディアは床へ跪かされる。木椀へ盛られた食事が目の前へ置かれ、口だけで食べるよう命じられた。
クラウディアは唇を噛み締めたまま身を屈め、黙って犬のように食事を口へ運んだ。
しかし、女兵たちは、「矯正の一環」だと称して、左右と後ろから無防備なクラウディアの裸身を愛撫してきた。姿勢が崩れるたびに肩を押しては笑い声を漏らした。
食べ終えると木椀はすぐに下げられ、女兵たちに布で身体を水拭きされた。
だが、おそらく、その水には媚薬のようなものが溶かしてあったのだと思う。
拭かれるたびに、身体がどんどんと熱くなり、強い疼きが全身に走って、押し殺そうとしても甘い声が喉から漏れ続けた。
それからも、箱馬車はなおしばらく揺れ続けた。
移送のあいだもクラウディアに加えられる女兵たちの悪戯は続いた。繰り返し加えられた屈辱と疲労で、クラウディアは肩を落としたまま荒い息を繰り返していた。
気力だけは失うまいと顔を上げるが、身体は思うように動かない。
時間の感覚はすでに曖昧だった。
ただ、車輪の音だけが途切れることなく耳へ流れ込んでくる。
やがて、車輪の音が変わる。
土を踏み締める鈍い響きが、硬い石畳を叩く乾いた音へ変わった。
ほどなくして、前方から重々しい軋みが聞こえてくる。
ぎぃぃ……。
巨大な扉が開かれるような音だった。
箱馬車は速度を落としたまま、その音の中へ吸い込まれるように進んでいく。
石壁に囲まれた場所へ入ったのだろうか。車輪の音が反響し、馬の蹄の音まで車内へ響いてきた。
箱馬車はさらにゆっくりと進み、最後に大きく揺れて停止した。
「サロンに着いたよ、聖女様」
アルジェが笑った。
「サロン・セルパンタンだ。改めてようこそ、聖女。お前を五人目の特別囚に指定する」
それまで書物へ眼を落としたままだったカイネウスが、静かに頁を閉じて立ち上がった。
クラウディアは、虚ろな眼を開いてカイネウスを見る。
その視線が、すぐにアルジェへ移る。
「アルジェ」
「はい」
「聖女の矯正官は、王都から調教師を呼んでいる。それまでは、お前が預かれ」
「承知しました」
アルジェは短く頭を下げた。
カイネウスはクラウディアへ一瞥だけを向けると、それ以上言葉を交わすことなく馬車の扉を開き、外へ降りていった。
外から複数の足音と、共和国の兵らしき話し声が流れ込んでくる。
クラウディアは首環の鎖を握るアルジェを見上げた。
サロン──。
その名だけを何度も聞かされてきた場所が、ついに目の前にあった。