サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
「──ヴェルデン=ローゼンフェルト──この恥知らず──」
セリアの喉から、押し殺された声が漏れた。
視線の先、低く沈んだソファに男は背を預けている。
ヴェルデン=ローゼンフェルト──王国の裏切り者である。
伯爵であり、王宮の高級文官でありながら、フィロスに内応し、王国の情報を曝露し続けていた男。それだけでなく、フィロス軍を主体とする属国連合が王都へ侵攻した際には、内部で叛乱を組織し、防衛そのものを崩壊させた張本人でもある。その功績により、フィロスの貴族狩りからは免れ、一級市民として扱われている。
セリアにとって、それは単なる敵ではない。
国家を売り渡した裏切り者である。
そして──このセリアの惨めな境遇を招いた元凶のひとりだ。
胸の奥でなにかが弾ける。血が一気に頭部へと押し上げられ、視界の縁が赤く滲む。
「あ、あなたが……ここにいる理由を説明しなさい──」
声は低く、震えもあった。
だが、その奥に押し込められた怒気は隠しきれなかった。
両脇の女兵が、肩と腰を押さえ、歩幅を制限したまま前へ進ませる。
セリアは、ふたりの男の前にある不気味な木枠の前に連れて行かれた。
ソファの前に立つヴェルデンは、片側の口角だけをあげて、顔を薄く歪めている。
「ほう……その眼か……」
男の視線が、セリアの裸身を上から下へと舐めるように動く。
「その姿で、まだそれを言うか。さすがは王族というべきか──。それとも、ただ状況が理解できていないだけか」
ヴェルデンの言葉が落ちる。
女兵の手が動いた。
左右から押さえていた手がセリアを押す。体勢が崩れないように支えながら、木枠の正面へと位置を合わせた。
「固定しろ」
もうひとりの男が、短く命じた。
その一言で、女兵たちの動きが変わる。ためらいが消え、手順が一段速くなる。
彼はソファの手摺りに肘を預け、顔を身体ごと横へ傾けている。顔の大半は陰に沈んで見えない。ただ、顔面の中央を斜めに横切る縫い痕のような古い傷だけが光を拾っていた。
どこかで見た──?
セリアの記憶がわずかに引っかかる。だが像は結ばれない。少なくとも、あの酷い傷なら記憶はあるはずだ。
一方で、背後の女兵が一歩踏み込み、セリアの背に密着する。後ろ手に回された腕を縛る縄の結び目へ指を差し入れ、締まり具合を確かめる。爪で結び目を押し崩し、隙間を作る。
縄の食い込みが緩む。
「くっ……」
その瞬間、肩に力が入る。緩んだ分だけ、腕がわずかに動く。
だが、左右の女兵が即座に反応する。上腕を掴んでいた手に力が入り、肩関節の動きを内側へ押し止める。背後の女兵は緩んだ縄を一気に引き抜く。
拘束が解ける。
両腕が自由になる。
「──っ」
腕を振り払おうとする。だが、その動きは途中で止められる。左右から腕を掴まれ、そのまま外側へ引き裂くように開かれる。肘が伸びきり、肩関節が外へ回される。
逃げる余地はない。背後から腰を押さえられ、重心が固定されている。
木枠の上から、金属製の固定具が引き寄せられた。内側に薄く革を貼った手首用の枷だ。開いた状態で当てられ、次の瞬間、閉じられる。
手首が枷に嵌まる。
枷から短い鎖が伸びていて、鎖はそのまま木枠の上面へ繋がっていた。
木枠の横にいた片眼帯の女兵──アルジェが側面のハンドルに手をかける。
ゆっくりと回す。
「あっ」
内部の軸が回転し、鎖が巻き取られていく。
腕が持ち上がり、踵が床から離れる。爪先だけで体重を支える姿勢になる。そこで固定され、張力だけが残る。
「つっ──」
呼吸が詰まる。胸が上下するたび、引き上げられた腕と肩に負荷がかかる。
続けて、脚に手が入る。
左右の女兵が膝裏と足首を掴み、間隔を強制的に広げる。床に固定された下部の支持具へと足が導かれ、踏み外せない位置で止められる。そのまま左右へ引き分けられる。
足首にも同じ構造の枷が当てられ、金具で固定される。
四肢が四方向へ引き張られた。
木枠の中央に、セリアの身体が据えられ、もう身動きはほとんどできない。
完全に固定された状態で、正面へ向けられる。
「やはり……お美しい」
ヴェルデンがやってきて、セリアのすぐ前に立つ。
「くっ……こ、この恥知らず……」
セリアはヴェルデンを睨みつける。
すると、ヴェルデンがふと、アルジェの手がかかっていたハンドルへ視線を落とした。
「……貸せ」
アルジェが位置を譲り、ヴェルデンがセリアが固定されている枠の横に立つ。
彼がハンドルに手をかける。指先で一度、軽く回した。
内部の軸がわずかに鳴る。
鎖が巻き取られる。
「あくっ──」
セリアは苦悶の声をあげた。
手首がさらに引き上げられたのだ。踵が床から離れる。支点を失い、身体がわずかに浮く。
だが、完全には持ち上がらない。
辛うじて、足の親指だけで床に触れていた。ただ足首の枷に繋がれたままなので、強く足首を床側に引かれている。さらに鎖が巻き取られ、ついに足が浮く。
腕は上へ引かれ、足は下へ固定される。
身体が、その中間で引き延ばされる。
「っ……ぁ……」
呼吸が乱れる。
ヴェルデンはその様子を見下ろし、口元を歪めたのが見えた。
「王国を裏切った甲斐があったというものです」
ハンドルをさらに回す。
鎖が巻き取られる。
上方への張力が強まる。
同時に、下方の固定具がそれ以上の移動を許さない。
「ああああっ」
セリアは呻き声をあげた。
「あなたが王太子妃として王宮に現れたときから、ずっと……」
セリアの身体は苦痛に震えている。
張力が関節へ集中する。
肩と腕に信じられないほどの痛みが走る。
「あ、ああっ、い、いっ……」
「……ずっと……見ておりました……。恋い焦がれていたのです……。妃殿下……」
「だ、黙りな……さい……」
セリアは歯を食いしばる。
しかし、はっとする。
ヴェルデンの手がまたハンドルに力を込めるのが見えたのだ。
「あなたのような美姫を、あの世間知らずの王子が夜ごと抱くのかと思うと……」
さらに回す。
肩関節にかかる負荷が増す。
「つっ──あ……あがっ……」
抑えきれず声が漏れる。
身体はもう完全に宙に浮いている。四肢は上下に強く引き延ばされている。
「あの青二才の王子が毎晩、あなたを抱くのかと思うと、正気を保つのが難しかった」
ヴェルデンが顔を寄せる。吐息が触れる距離まで詰める。
「う、ううう……」
「……ああ……その苦悶の声も、実に美しい……」
ヴェルデンの唇がセリアの顔に近づく。
「そこまでだ、市民ヴェルデン──」
そのとき、もうソファにいるひとりの男から強い言葉が響いた。
「そこまでとは……市民カイネウス?」
ヴェルデンが不機嫌そうに振り返る。
セリアの視線もそちらへ向く。
肘をつき、体を斜めに預けたまま座る男。顔の大半は陰に沈んでいる。頬を横切る古い縫い痕だけがはっきりと見える。
カイネウス?
もしかして、将軍カイネウス=セルパン──?
名だけは知っている。顔を見るのは初めてだ。
「……あなたが?」
声がわずかに掠れる。
男は姿勢を変えない。視線だけが静かにセリアではなく、ヴェルデンに向く。
「特別囚セリアの矯正は、僕の専管です……」
抑揚のない声だった。
「専管……。まさか、セリア妃を独り占めするつもりか?」
ヴェルデンが不満そうに声をあげる。
「それが僕に与えられた褒賞の一部です。それに、このサロンの支配者は僕。あなたは単なる監督官に過ぎません。矯正行為について、あなたの介入は許されません」
短く言い切る。
セリアの横で、ヴェルデンの歯が軋む。
「……随分と強い権限だな。まさか、この妃を庇うつもりじゃないだろうな。そんなことはできないぞ。処刑の代わりに、この施設で矯正される。暫定政府が認めたのはそれだけだ。私は監督官として──」
「あなたの役割も、僕の役割も理解してますよ、市民ヴェルデン」
カイネウスがヴェルデンの言葉を遮る。
「だが……」
「わかっていると言っているんです。僕が彼女の矯正に手を抜いているように見えたなら、暫定政府にいくらでも報告すればいい。でも、そうでなければ、僕だけが、彼女の矯正に関する行為を独占する」
「そんな……」
「……理解したら椅子に戻るんです。あなたの許可したのは見学だけです」
カイネウスが言った。
そして、肘から顔をあげて、初めて真っ直ぐにセリアを見た。
「あなたは──?」
セリアの息が止まった。
記憶の中で彼の顔と一致するものがあったのだ。
しかし、すぐに心の中で否定する。記憶にある彼は、すでに死んでいる。
「では、セリアの今日の矯正を始めよう……。アルジェ、始めろ」
しかし、カイネウスがセリアの思念を遮るように声をかけた。
すると、周りにいた女兵たちの手が一斉にセリアの裸身に伸びてきた。