サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
050 サロン主の帰還【第27日】
カイネウスは、箱馬車から中庭へ降り立った。
クラウディアをサロンに連行するための移送任務にあたっていた騎士たちは、すでにいない。サロン・セルパンタンの外壁内へ入ったところで護送任務を解かれ、それぞれの詰所や宿営地へ散っている。
正門を通り、中庭まで入ってきたのは、クラウディアを収容した箱馬車一台だけだ。
カイネウスは、そのまま正面の館へ向かって歩き出した。
背後では、御者が手綱を緩め、長旅を終えた馬たちを宥めている。馬丁たちも厩舎の方角から駆け寄ってきた。
クラウディアについての処理はアルジェたちに任せ、カイネウスはひとりで中庭を進んだ。
その正面に、サロン・セルパンタンの本館がそびえていた。
かつて地方領主の居城だった古い石造りの館である。左右に張り出した塔と黒ずんだ石壁が、中庭を囲むように迫っている。
正面入口へ続く石段の欄干には、長い蛇の彫刻が絡みついていた。入口の上では、その蛇が大きく口を開き、訪れる者を呑み込もうとしているようだ。
サロン・セルパンタン──蛇の館。
カイネウスの館だ。
その正面入口へ向かう石段の下に、ひとりの女が立っていた。
黒に近い濃紺の髪を首の後ろで隙なくまとめ、共和国官吏の礼装を思わせる、襟の高い上着を身につけていた。
記録板を片腕に抱え、背筋を伸ばしてカイネウスを待っている。
「王国が聖女などと僭称させている雌畜の捕獲、まことにおめでとうございます」
いつもの冷笑を口元に浮かべたオクタヴィアだ。
サロンに所属する矯正官たちを束ねる主任矯正官であり、カイネウスが館を空けている間、サロン主代行を任せていた。
年齢は三十歳。冷徹な印象を与える美女で、いまは仕事一筋の生活を送っている。共和国の官吏でもあり、カイネウスがサロンを開くにあたり、政府から監視役を兼ねて派遣されてきた。
カイネウスが近づくと、彼女が石段を一段下りてきた。
「僕の留守をありがとう。なにかあったかな?」
カイネウスはオクタヴィアの前で立ち止まる。
「大きな問題はありません。報告書は閣下の机上にまとめております。ただ一件ほど、閣下のご判断を頂きたい事項があります」
「わかった。後で確認するよ」
カイネウスは進み、オクタヴィアも、その斜め後ろからついてきた。
そのとき、背後から馬車の扉が閉まる音が響いた。
続いて、女兵たちの笑い声が聞こえてくる。
カイネウスは足を止めて振り返った。
オクタヴィアも中庭へ視線を向ける。
広い中庭の中央には、先ほどまでカイネウスを乗せていた箱馬車だけが残されているが、その横で、アルジェたちがクラウディアを取り囲んでいた。
クラウディアは、首環から伸びた鎖を引かれながら歩かされていた。
胸と腰は辛うじて小さな布で隠されているが、ほとんど裸である。両腕は相変わらず後手縛りに緊縛され、その足取りはひどく不自然だった。
一歩進むたびに身体が強張り、肩が小さく跳ねている。
足を止めかけるたび、アルジェが首環から伸びた鎖を引く。クラウディアは膝を折って崩れかけた。
しかし、左右の女兵も腕を掴み、しゃがみ込むことを許さない。
また、背後についた女兵の手には、予定どおり魔道操作具が握られていた。女兵がそれに指を触れると、クラウディアが大きく身体を震わせる。
押し殺しきれなかった喘ぎ声が、広い中庭を渡ってきた。
距離があるため、女兵たちの表情や言葉まではわからない。
だが、なにが行われているかはわかっていた。
アルジェたちは、クラウディアへのサロンの洗礼として、魔道張形具を股間と尻の穴に使いながら、彼女を館内に連れ回すことになっている。背後の女兵が持つ操作具によって、その振動を遠隔で変えられる仕組みなのだ。
さっそく始めたらしい。
「……相変わらず、甘い矯正だこと」
オクタヴィアが、その光景を眺めながら呟いたのが聞こえた。
「手厳しいね。僕の矯正方針は、そんなに気に入らないかな」
カイネウスは再び、オクタヴィアを伴ってサロンの中に進む。
正面玄関を抜け、広い玄関広間へ入った。
石造りの壁や柱には古城時代の面影が残されているが、行き交うのは共和国の事務官や使用人、警備の兵たちである。帰還したカイネウスに気づいた者たちが、次々と足を止めて頭を下げた。
カイネウスは軽く手を上げるだけで、その間を通り抜けていく。
「……聞こえておりましたか……。これは失礼いたしました。共和国の征服将軍であられるカイネウス様のやり方を、わたくしごときが批判するつもりはございませんのに」
「いいから、言ってごらんよ」
「よろしいのですか?」
「構わないよ」
「では……。あれほど共和国へ損害を与えた女にしては、ずいぶんと丁重な扱いだと思っただけでございます。鞭痕ひとつ残さず、手足の骨も折らず、明日になればまた歩ける状態で館へ迎え入れておいでです」
「このサロンの目的は矯正だよ。身体を傷つけることじゃない」
医務室の並ぶ廊下へ入った。開いた扉の向こうでは、白衣をまとった医療補助員たちが薬品や器具を運んでいる。さらに奥には、手術室や魔核施術室が並んでいた。
軽く覗いたが主任医官のソフィアの姿は見えない。
相変わらず、さぼってどこかで酒でも飲んでいるのだろうか。
「カイネウス様は、いつもそのようにおっしゃいますね。鞭打ちは認めない。肌へ消えない傷を残すことも許さないと」
オクタヴィアが苛立つような口調で言う。
「身体を壊したら、使えなくなるからね。傷だらけにした女を、共和国高官の前へ出すつもりかい?」
「傷など短期間で治療できますわ。彼女たちは、まず徹底的に痛めつけ、恐怖で心を縛ればよいのです。少しずつ心を折るなど、ずいぶんと手間のかかる方法をお好みになりますね」
「飴と鞭が必要なことは認めているよ。電撃具も、そのほかの矯正具も許可している」
医療区画を抜けると、廊下の空気に金属と油の匂いが混じった。壁の向こうから、硬いものを削る音と、魔道具の低い作動音が響いている。
そこは、工房長エリナが管理する魔道技師工房と試験室の一角だ。
「苦痛さえ快感へ変わるよう、注意深く加減なさっているのでしょう。閣下は親切すぎるのですよ」
「親切かな。僕は誰よりも冷酷だと思っているけど?」
カイネウスは小さく笑った。
「痛みは痛み、苦痛は苦痛でよいのです。王国の女たちなど、徹底的に恐怖で縛れば、それで終わりです」
「恐怖だけで従わせても、恐怖がなくなれば反抗する。僕が欲しいのは、命令に従う身体だけじゃない。昨日までの自分を捨てて、サロンで与えられた役割を自分から受け入れる心だよ」
「彼女たちの心など、共和国には不要です」
「僕のサロンでは必要なのさ」
二人は事務区画の前に差し掛かっていた。廊下の左右には事務室や記録庫が並び、その一角には共和国司令部との連絡室が置かれている。
「言っておきますが、王都には異なるお考えをお持ちの方も多くいらっしゃいます。王国人には、共和国へ逆らった代償を、目に見える形で刻み込むべきだと」
「そうかい?」
「カイネウス様のやり方は、敗者への配慮が過ぎるのではないかと危惧しておられる重鎮方も、ひとりやふたりではございません」
「知っているよ」
「ご存じでしたか」
「僕は成り上がり者で、移民上がりの余所者で、王国人に甘い。女を傷つける覚悟もない。王都では、そんなふうに言われているんだろう?」
「わたくしは、そこまで申し上げておりません」
「否定もしないんだね」
「共和国の重鎮方のお言葉を、わたくしの一存で否定するわけにはまいりませんので」
「重鎮たちの名前を出せば、僕が方針を変えると思った?」
「まさか。サロン・セルパンタンの主人は、カイネウス様でございます。暫定政府より運営を認められた以上、館内における最終的なご判断は、すべてカイネウス様がお下しになるべきでしょう。その責任も」
「ずいぶん便利な言い方だね」
「事実を申し上げているだけでございます」
「僕のサロンに対する方針は、暫定政府にも認められている。君の役割は、それに沿った矯正計画を進めることだ」
「クラウディアも、同じように時間をかけて扱うおつもりですか?」
「同じにはしないよ」
「では、どのように?」
「それを決めるのが、これからの仕事だ。だから、君の意見も聞こう。主任矯正官としてね」
「わたくしの意見を、本当にお聞きになるおつもりで?」
「意見は聞くよ。いつもそうしている」
「任せるとは仰らないのですね」
「それは内容次第かな。鞭は駄目だよ」
カイネウスは余裕を崩さずに笑った。
「だから、甘いと申し上げているのです──」
オクタヴィアが声を上げた。
「僕の方針に従ってもらえるなら、君にクラウディアを任せよう。お手並み拝見だ」
「……わたくしに、あの聖女を?」
「批判するだけなら簡単だからね。鞭も消えない傷も使わず、君の手で矯正してみせてよ」
「……傷をつけなければよろしいのですね」
オクタヴィアが不敵な笑みを浮かべた。
なにを企んでいるのか……。
カイネウスは問い質そうとして、やめた。
いま聞いたところで、素直に答える女ではない。それに、こちらの方針へ従うと約束した以上、どのような手段を選ぶのか見てみるのも悪くなかった。
カイネウスはなにも言わず、再び廊下の先へ歩き続ける。
正面に、二階の特別囚区画へ続く中央階段が見えてきた。
「お待ちください。その前に地下でご判断いただきたいことがございます」
カイネウスが最初の一段へ足をかけようとしたところで、背後からオクタヴィアに呼び止められた。
「一般囚に、なにか問題でも?」
足を止め、階段に一歩踏み出したところから振り返る。
「いいえ。ダンが判断に困っておりますのは、地下で預かっている特別囚のことでございます」
「特別囚?」
「例の騎士見習いの青年です」
「もしかして、アルトのこと?」
すぐに思い当たった。
アルト=フォルクス──。
クラウディアの異母弟にあたる、フォルクス伯爵家の五男だ。妾腹の生まれで、家督を継ぐ立場にはない。騎士学校に通っていたものの実戦経験はなく、魔力も平民と大差のない未熟な青年だった。
女騎士レイシアの妹であるリネアの恋人だ。
「はい。カイネウス様が遠征へ出ておられる間に捕らえたとの報告は、すでにお受けになっているかと存じます」
「聞いているよ。まずは男兵たちに扱わせて、騎士気取りの抵抗心を削いでおけと命じたはずだけど」
「そのご指示に従い、地下の一般囚区画へ仮収容して、地下層担当のダンに預けました」
「なるほど。それで?」
「ただ、男性の特別囚を扱った経験は、ダンにも男兵たちにもございませんので、戸惑っているようでして」
「そういうことか」
カイネウスは階段から足を下ろした。
「それに、ソフィアからも注意を受けたそうです」
「ソフィアが?」
サロンの主任医官のソフィアは、勤務員のみならず、隷奴たちの健康に責任を持つ。
「女とは違い、男はデリケートなのだから、下手に扱えば勃起しなくなると忠告されたようです。それで方針に困っているようです」
「ソフィアらしい、身も蓋もない言い方だね」
カイネウスは笑った。
「それでダンも、ずいぶん慎重になったようでございます」
「彼が慎重というのは、柄じゃないね」
カイネウスは微笑んだ。
ダンは粗暴な男ではないが、迷いながら囚人を扱うような性格でもない。命じられたことは即座に実行し、地下の規律を乱す者には容赦なく罰を与える。
見せしめのための処刑にも躊躇などしない。
「カイネウス様に託された初めての男性特別囚なので、毀してもいけないと考えたのでしょう」
「わかった。現在はどのような状態に?」
カイネウスは地下に降りる階段を下っていく。
やがて男兵が警備する鉄扉の前で足を止めた。階段の途中にある施錠された鉄門であり、扉の向こうには、地下の一般囚区画へ下りる石段が続いている。
男兵たちがカイネウスに敬礼をして、すぐに鉄扉を開けた。
オクタヴィアとともに、さらに階段を下る。
「一般囚とは分け、地下の個別監房──反省房のひとつに入れております。拘束と衣服を剥ぐ辱めだけに留め、それ以上の処置は保留しております」
「君が決めてもよかったんじゃないかな」
「男性特別囚の前例はございません。それに、リネアとの関係を残したまま利用するおつもりなのか、それとも先に完全に切り離すのかによって、矯正方針は大きく変わります」
「なるほど」
オクタヴィアにはサロン主代行を任せていたが、特別囚の恒久的な処遇を決める権限までは与えていない。
アルトは単独で価値を持つ囚人ではない。
リネアの恋人として。
クラウディアの弟として。
その人間関係をどう利用するかによって、扱い方は変わる。
「話を聞くより、直接見た方が早そうだね」
「お願いいたします」
階段が終わった。
一般囚区画だ──。