サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
「痒み……? ば、馬鹿なことはやめなさい──やめるのです」
セリアは前屈の体勢で固定された窮屈な格好のまま叫んだ。
背後で続くアルジェたちの気配が異様だった。
布を広げる音──。器具が触れ合う微かな音──。新たに台のようなものを運んできて、なにかを並べながら準備していると思う。──そのひとつひとつが、はっきりと耳に入る。
懸命に首を捻る。
だが、前へ引かれた鎖がそれ以上の動きを止める。
視界にあるのは、床と自分の脚だけだ。
「ははは、王族様とは言っても、身体の造りは同じみたいだねえ」
アルジェの声が、すぐ背後から落ちる。
距離が近い。
気配が、逃げ場を塞ぐようにまとわりつく。
次の瞬間──
つんと鼻を刺すような匂いが届いた。
甘さのない、鋭い刺激臭。
“痒み油”──。あのカイネウスの言葉を思い出す。
セリアの喉がひくりと震えた。
「じゃあ、覚悟はいいかい、妃殿下。すぐに痒みが襲ってくるよ。狂ったようにね」
アルジェが笑う。
「……そんなもので、わたくしを──」
言いかけた、そのときだった。
背後でお尻の穴をすっと掃かれた。
「ひゃん──」
細い先端が、お尻の穴をくすぐっている。
さらに、別の角度から襲う。
「や、やめっ──」
反射的に短い声が漏れた。
必死に腰を避ける。
「どこに逃げるのかしら?」
すると、別の方向から、またお尻の穴近くを掃かれる。
これは筆だ──。
数本の絵筆でセリアのお尻の穴を刺激しているのだとわかった。
だが、なにもできない。
必死に腰を逃がそうと動かす。
だが、前へ引かれた鎖がそれを止める。
引き戻される。
逃げた分だけ、さらに晒される。
戻された位置に別の絵筆で狙われる。
「今度はこっち?」
また筆が襲う。
見えないので筆を避けることはできない。
できるのは、くすぐられてから反射的に逃げることだけだ。しかし、逃げてもまた絵筆が襲う。
「ほらほら」
腰を跳ねさせて筆の刺激を避ける。
しかし、そこにまた筆。
「こっちよ」
悲鳴とともに腰を振る。
「いらっしゃい」
しかし、そこにも筆が待っている。
一体全体、何本の絵筆で狙っているのか──。
しばらくのあいだ、セリアは悲鳴をあげながら、右に左にと腰を弾かれるように動かし続ける。
「ははは、セリア妃の尻振り踊りか。これは見事だ。だが、目の毒だな」
ヴェルデンの高笑いが響いた。
セリアははっとした。
自分の引き起こした醜態を自覚してしまう。
「ああ、もう殺しなさい──。これ以上は耐えられません……。わたくしを処刑しなさい──。せめて、王族として殺して──」
セリアはかっとなって叫んだ。
「やめることだね」
すると、低い声が、割って入った。
カイネウスだった。
なにかの合図でもしたのか、襲っていた筆が一斉に離れる。
また、カイネウスの物言いは柔らかいのに、ぞっとするほどの凄みがそこにあった。
場が止まる。
セリアの身体は強張った。
「……あなたが死ねば、あの娘が地獄の苦しみを味わうことになるよ」
カイネウスが続ける。
「えっ、どういうことです?」
「あなたが、あの娘と仲がよかったのは知っている。だから、一緒にサロンに連れてきた」
カイネウスが淡々と告げる。
後ろが見えないセリアには、カイネウスがどんな表情なのかは見えない。しかし、ほとんど感情がこもってないかのような口調だった。
「……ケイは……彼女は無事なのですか?」
絞り出すように問う。
「無事だね……。いまは……」
「いまは?」
「あなたが矯正に従順である限りは……」
それだけだった。
余計な説明はない。
だが、それで十分だった。
セリアの思考が止まる。
記憶がよぎる。
揺れる馬車の中で、死にたくないと、震えていたあの娘……。
セリアは、はっきりと思い出した。
「……あの娘は……人質だ」
「人質?」
「あなたが死んでも、毀れても……あの娘を毀す……」
カイネウスが声を重ねる。
確定事項のように……。
セリアの指が震えた。
逃げられない──。
死ぬことはできない。
毀れることも……。
セリアは、それをはっきりと自覚した。
「さあ、じゃあ、そろそろ塗りましょうか」
アルジェの声──。お尻の穴に、ねっとりとした感触の指が触れる。
異物が入り込んでくるような錯覚に、セリアの身体がぶるりと痙攣した。
「動くんじゃないわよ──」
「じっとすんだよ」
腰を押さえている手に力が加わる。
油剤を載せた指がお尻の奥に入っていく。
「あっ──」
セリアは思わず、昂ぶった声をあげてしまった。
ついに、妖しい薬剤の塗布が始まったのだ。
アルジェの指が幾度か油剤を塗り足しながら、その微妙な部分に痒み油を塗り込み続けてくる。
堪らない嫌悪感と、それに混じる得体の知れない異様な感覚にセリアは、歯を鳴らしながら、汗を額から流し続ける。
「さて、こんなものね……。お館様、終わりました」
アルジェが振り返り、カイネウスへ報告する気配があった。
「ああ、じゃあ、少し待とうか……」
カイネウスが静かに応じる。
アルジェたちが左右に分かれる気配がした。
しばらくのあいだ、セリアは必死に息を整えようと喘いでいた。
塗り込まれた場所が、じりじりと火に当てられているかのように熱い。
だが、その熱はすぐに変質した。
じんじんとした疼きへ……。
そして──。
鋭い感覚へと変わる。
「ああっ、痒い──」
セリアは唇を震わせて叫んだ。
塗り込められた痒み油が、ついに効力を現しはじめたのだと理解する。
お尻から貫いたのは、背骨を這い上がるような強烈な痒みだった──。
前屈した全身の肌から、一斉に脂汗が噴き出す。
「ああ、痒い──痒いです──。こ、これは──」
耐えられるようなものではない。
少しでも逃れようと、必死に腰を振る。
だが、身体を拘束する鎖が、それ以上の動きを許さない。
「ひいいい──痒いいい──なんとかして──なんとかしてください」
セリアは、鎖に引かれながら、それでも止められず、前屈の体勢のまま腰を振り続けた。
「すごいのう……。さすがはサロン・セルパンタンの媚薬だ。どうだ、セリア妃、そんなに痒いのか?」
ヴェルデンが愉しげに笑う。
だが、セリアにはその声を受け止める余裕はない。
この痒み──。
こんなもの、耐えられるはずがない。
「セリア妃、答えよ──。痒いのかと訊いているのだ──?」
ヴェルデンの声が強くなる。
「か、かゆい──痒い──なんとかしてください──。お願いです」
セリアは腰を振りながら、上ずった声で叫ぶ。
「これはすごい効き目だ。これなら、駆け引きでなんでもさせられそうだな……。なあ、将軍、後ろの穴は、私に回してもらえないか? 頼む──」
ヴェルデンが半ば冗談めかして言う。
「だめですよ……。セリア妃は僕専用にします。元帥の許可も得ていますから」
カイネウスが淡々と応じた。
そのあいだも、セリアは絶叫し続けている。
狂う──。
本当に、狂ってしまう──。
「ああ、もうお許しを──。お願いです──」
ついに、哀願の声が漏れた。
「だが、このセリアの尻振りを前にして、なにもさせんというのは、さすがに酷いぞ」
「諦めてください。その代わりに、次はセリア妃付きの女騎士が入荷します。そちらはあなたに任せますから」
「セリア付き? もしかして、レイシアのことか──? あれをこのサロンで扱うのか?」
「ええ……。もっとも、まだ捕らえてはいませんがね。居場所は掴んでいます。どうやら、このセリアを奪回しようとしているようです。このサロンの情報も、あえて流してあります。いずれ自ら来るでしょう」
二人の会話は続く。
だが、その言葉は、もうセリアの中で意味を結ばない。
ただひとつ──。
この痒み──。
それだけが、全てを支配していた。
セリアは、ただのたうち、悲鳴を繰り返し続けるしかなかった。