サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
ザラとニアは、二つの小皿に載った掻痒剤を、わざとリネアに見せつけるように、
「さて、覚悟はいいね?」
ザラが訊いた。
リネアはすぐには答えられなかった。
目の前にある縄を見るだけで、これまで何度も味わわされてきた苦しさが蘇ってくる。
「……お願いします」
それだけを答えた。
「後悔しても知らないよ」
「しません」
リネアはきっぱりと言った。
ニアが背後へ回り、ザラが縄を手に取る。
最初に腰の括れにきつく巻きつけられ、前側から縄を前にたぐり、脚のあいだに潜らせようとする。
「脚をもっと開きな」
ニアに軽く尻たぶを叩かれる。
リネアは無言で脚をさらに開いた。事前に作っていた縄瘤がぴったりと当たるのを確かめてから、ニアが股間に強く喰い込ませてから、双臀のあいだを這わせて、上部にきりきりとたぐり寄せていく。
「あっ、いやっ」
リネアが思わず昂ぶった声をあげてしまった。
何度受けても、縄瘤がクリトリスと股間、さらにお尻の穴を厳しく抉っていく感覚に慣れるということはない。屈辱感と被虐心が頭まで響き渡り、狼狽に拡がる。
これから、朝までこのまますごさなければならないのだ。
自分がどうなってしまうのか、恐怖から逃れられない。
「ほら、終わったよ。向こうはどうかねえ」
ザラが部屋の端から、小さな檻が置いてある中央付近に、リネアを連れていく。
「うっ」
歩くことで、股間に喰い込む蛇萬縄の縄瘤がさらにそこに喰い込み、リネアは思わず小さく呻いて、顔をしかめてしまった。
ほどなくして、アルトも部屋の反対側から連れてこられた。
リネアは、その姿を見て思わず息を呑んだ。
アルトにも、自分と同じ蛇萬縄の股縄が施されている。
だが、それだけではなかった。
股縄の上からは、腰を囲む太い革帯と、前面を覆う鈍い光沢の金属製管理具が重ねて装着されている。金属の覆いは下腹部から股間へ沿う形で伸び、陰茎の部分もその内部に収められているようだった。革帯と複数の留め具によって腰へ堅く施錠され、本人の意思では外れないようになっている。
アルトは歩くたびに腰をわずかに震わせていた。
どうにも落ち着く姿勢が見つからないらしく、ときおり身体を左右へ小さく揺らしている。それでもなにも言わず、俯いたまま男兵に連れられてくる。
その姿を見て、リネアは胸の奥が重く沈むのを感じた。
お互いにすでに首環の鎖はない。裸身に股縄を施され、両手を首の前で固定された格好で、リネアはアルトと向かい合うように立たされる。アルトの足枷は外されていた。
ローランが、向かい合って立たされている二人を見比べてから、満足そうに笑った。
「じゃあ、ふたりとも檻の中に入ってもらうけど、その前にひとつだけ教えてあげるわ。お互いに、相手の分の掻痒剤まで自分が引き受けると言ったのは立派だったわね。試すような真似をして悪かったけど、そうやって相手を思いやれる心が続く限り、きっといいつがいでいられるわよ」
リネアは、なにを言われたのかわからず、しばらくローランの顔を見つめた。
アルトも眼を見開いている。
「待ってくれ。いまのはどういう意味なんだ? リネアの分は僕が引き受けたはずだ。そうなのだろう──?」
アルトが気色ばんで言った。
「えっ……どういうこと?」
リネアも慌ててザラたちを見る。
すると、ザラとニアだけではなかった。ヤンたちまで一斉に噴き出す。
「ははは、騙されたのよ。まあ、騙したっていうより、試したってところだけどね。文句があるならローランに言ってよね」
ザラが笑いながら言った。
リネアは唖然となった。
アルトが少しでも苦しまなく済むのであればと考えて、倍の掻痒剤を受け入れたのだ。いまの言い方だと、アルトにも掻痒剤が足されているということなのか?
「なんだと──。リネアには、それ以上の責め苦はしないと言っただろう」
アルトが怒った。
一日の疲労で声には力がない。それでも、リネアのことに怒ってくれている。
「あれだけの掻痒剤を尻穴に塗られたってのに、そこまで元気なら問題ねえな。ほら、さっさと檻に入りな」
「待て、話はまだだ──」
「いいから大人しくしてな」
ヤンは取り合わなかった。
アルトは乱暴に檻に向かって身体を押されている。
「ちょっと待って。思ったよりも狭かったかしら。坊ちゃんの手錠を首の後ろに回させましょうか。それでなんとかふたり入るでしょう」
ローランがそう言い、男兵たちがアルトの首の前に固定されていた両手を外した。しかし、すぐに両腕を持ち上げられ、首の後ろにある金具へ、両手首をまとめるように手錠を掛け直される。
「よし、兄ちゃん、入りな。こっち向いて、真ん中で胡座をかくんだ」
小さな鉄格子の扉が開かれ、その中へアルトが押し込められていく。
アルトがどうにか胡座をかいて身体を収めると、左右へ開いた肘がそれぞれ檻の鉄格子に触れた。少し身体を動かしただけで、片方の肘が格子に当たり、反対側にもほとんど余裕がない。
リネアは、その様子を呆然と見ていた。
すると、背後からザラの手が肩に置かれた。
「ほら、次はあんたの番よ。恋人のところへ入れてもらいな」
ザラがリネアの背を軽く押した。
「だけど、こいつの腕も邪魔そうだね。後手に付け替えるかい、ローラン?」
ザラとともに、リネアの肩を掴んでいたニアがローランに顔を向ける。
「そうね。そうしてちょうだい」
ローランの言葉に、リネアもまた首の前の手錠を外され、両手を背中側へ回されて後手に掛け直された。
後手に手錠を掛け直されたリネアは、ザラに背中を押され、狭い檻の前まで進まされた。
「ほら、身体を屈めて入りな」
リネアは言われるまま膝を折り、入口から中を覗き込んだ。
正面には、胡座をかいたアルトがいる。
左右へ開いていた肘は鉄格子に触れていて、その姿だけでも、檻の中にほとんど余裕がないことがわかった。
「こんなところに、どうやって……」
「坊ちゃん、いったん肘を前にすぼめな。そうしないと入れねえぞ。嬢ちゃんは、アルトを跨ぐようにして、坊ちゃんの脚の上に乗りな」
ヤンが外から声を掛けた。
アルトが無表情のまま、両肘を前へ寄せる。
「そうそう。そのままだよ。リネアは真っ直ぐ入るんだ」
ザラとニアに両脇から誘導され、リネアは身体を低くしたまま、アルトの正面へと入っていく。
後手にされているため、手をついて身体を支えることもできない。
「ほら、さっさとくっつきな」
後ろから手を伸ばしたニアに背中を押され、リネアはアルトの胡座の上へ腰を収めるように座らされた。
戸惑いながらも、左右の脚をアルトの胴体を挟むように差し入れる。
だが、もう身体の逃げ場はない。
胸と胸が押し合うように密着し、少しでも身体を離そうとすれば、すぐに頭が鉄格子へ当たりそうになる。
「頭も下げな。肩に載せればちょうどいいだろ」
ザラに言われ、リネアは仕方なく首を傾けた。
頬をアルトの肩口へ寄せる。
アルトも僅かに顔を横へずらした。
それで、ようやく二人の頭まで檻の中に収まった。アルトがゆっくりと両肘を左右へ開いていく。ほどなく両肘が格子に触れた。身体を動かす余裕はほとんどなく、アルトは落ち着かない様子でわずかに身じろぎしている。
「ご、ごめんなさい、アルト……」
「リネアが謝ることじゃない……」
アルトはそう言ったものの、声には当惑の響きが混じっていた。
身体をほとんど重ねるような格好になっているため、リネアにはその戸惑いが言葉以上にはっきりと伝わってくる。
アルトの身体が、次第に熱を帯びていく。
それを肌越しに感じた途端、リネアの頬にもかっと熱が集まった。
自分も同じだ。
逃げ場のない狭い檻の中で、アルトの肌へ自分の身体をこれほど密着させている。その事実を意識しただけで、恥ずかしさが一気に込み上げ、胸の奥から熱が広がっていく。
リネアはアルトの肩口へ頬を寄せたまま、互いの体温ばかりを意識していた。
「明後日がうまくいえば、今日みたいにふたりで一緒に過ごせるわ。朝までたっぷりと時間はある。ふたりで魅せる演技をどうやって表現するか話し合いなさい」
ローランがそう言い、檻の扉を閉めて、外から鍵を締めた。
「そろそろ、
ヤンが檻の外からリネアたちに揶揄うような口調で声を掛けた。ほかの男兵や女兵も、面白がるように檻の外からリネアたちに視線を送っている。
だが、もはや、リネアも彼らの悪意を気にすることができなくなってきていた。
ヤンの言葉のとおり、股間と尻穴にかけて、じわじわと甘い疼きと強い痒みが込みあがってきたのだ。さらに、痒みが熱い刃のような鋭さで腰から背骨にかけて込みあがり、リネアは無意識に腰をもじつかせていた。
気がつくと、対面のアルトも苦しそうに腰を左右に動かし始めている。
「始まったようだな。まあ、仕方ねえな。蛇萬縄だけなら、そこまではなかっただろうが、掻痒剤まで受け入れちまっては我慢するしかねえな」
檻の外のヤンがリネアたちの顔を覗き込むよう笑う。
「痒み責めでひと晩放置は、このサロンの通過儀礼みたいなものなのよ。あんたたちは、それぞれ経験済だけど、つがいとしては今夜が最初だし、これがふたりの初夜の洗礼とでも思ってちょうだい。じゃあ、明日の朝来るわね」
ローランが諭すような物言いで告げた。
「大丈夫よ、これでも、いつもの掻痒剤よりは、効き目も遅いし、手加減した調合にしてるわ。気絶できれば、眠れるはずよ」
ザラが言った。
だが、リネアにはその言葉が本当とは、とてもではないが思えなかった。疼きと痒みの苦悶に、腰を動かし続けていると、喰い込んでいる蛇萬縄の縄瘤が肉体の奥深くに沁み入るような疼きと痒みを甘美感とともに込みあげさせてくる。
いつの間にか、アルトの肌も汗びっしょりだ。リネアもまた汗をかいており、汗と汗が密着している肌を通じて混ざり合う。
「じゃあ、これで行くわね。明日もふたりで性交の稽古よ。明日はもっと濃厚なものを演じてちょうだいね」
ローランが言う。
「明日の助手担当は、あたしたちだけよ。安心して。冷やかしのこの男どもは参加しないから、集中できるわよ」
「なんだよ、ひでえなあ、ニア」
ヤンが苦笑混じりに大袈裟に声をあげた。
「とにかく、わかっていると思うけど、おしっこは明日の朝だから。粗相はしないのよ。もしも、漏らしていたら舌で掃除させるからね。相手の小便を」
ザラが付け加える。
そして、ローランが促し、全員が部屋を出ていった。
リネアとアルトは、狭い檻の中で密着させられたまま取り残された。アルトとは裸身をぴったりと寄せ合っている。ずきんずきんと腰骨を揺るがすばかりになってきた痒みに耐え、アルトの肌に身体を押しつけるようにして、それを我慢する。
アルトもまた、身体を震わせていた。ぎりぎりという歯噛みの音さえも聞こえてきた。
「……痒いわ……。あ、ああ、もうどうしたらいいの……」
リネアは泣き声をあげた。
「……リネア……。泣かないで……。な、なあ、話を聞いてくれ……」
対面で身体を苦しそうに動かしているアルトが、リネアに語りかけてきた。
「……なあに……?」
リネアはアルトの肩に頬を押しつけたまま答えた。
痒みは少しずつ強くなっている。
それでも、アルトがなにを言おうとしているのかが気になった。
「もう、憎んでも仕方がないと思うんだ……。共和国を憎んでも、カイネウスを呪っても、ローランたちを恨んでも……なにも変わらない」
リネアは黙って聞いていた。
そんなことはわかっている。
わかっているつもりだった。
けれど、憎むことさえやめてしまえば、本当に自分たちには、なにも残らないような気がしていた。
「でも……だからって、諦めるの……?」
「違う。生きるために、諦めるものを決めるんだ」
アルトの声は掠れていた。
それでも、不思議なくらい穏やかな響きがあった。
「僕は一度、死のうとした」
「……え?」
リネアは顔を上げようとした。
だが、狭い檻の中ではほとんど動けず、アルトの肩から頬を僅かに離すことしかできなかった。
「いま、なんて言ったの……?」
「ここへ連れてこられてからだ。もう終わりにしようと思ったことがある」
「そんな……嘘よね」
リネアの身体から、一瞬だけ痒みのことが消えた。
「……本当だ」
「死ぬなんてやめて。そんなこと、もう考えないで……。せっかく会えたのよ。やっとアルトに会えたのに……。あなたまで死んだら、あたし、もうどうしていいかわからない……」
声が震えた。
アルトはリネアの耳元で小さく笑った。
「で、できなかったと言っただろう。君もそれは知っているんじゃないの……?」
「でも……」
「死ぬことさえ、僕たちには自由にできないらしい……」
リネアは唇を噛んだ。
首の後ろにある魔核。
このサロンへ連れてこられてから、身体だけではなく、生きることも死ぬことも、それによって管理されている。
「たぶん、逃げることもできない……。魔核で支配されている以上、この城を抜け出すこと自体が許されないんだろう……。だ、だったら、残っている道はひとつしかない……」
「……残っている道?」
「ここで生き抜くことだ……」
「生き抜く……」
「僕たちは、毎日ここを憎みながら生きるより、少しでも生きていてよかったと思えるものを探すしかない……」
「そんなもの……あるの?」
「ある」
アルトの返事は早かった。
リネアが僅かに顔を動かす。
「少なくとも、いまはある。リネアがいる。強制されたものとはいえ、僕は君と結ばれて幸せを感じた。これは紛れもない事実だ」
胸の奥が熱くなった。
さっきまでとは違う熱だった。
「……あ、あたしも……」
リネアが心からそう言った。
密着しているアルトの顔がわずかに頷くのがわかった。
「……ぼ、僕は今日、ひどい目に遭った……。これからだって、もっとひどいことをされるかもしれない……。でも、その全部をただ地獄だと思い続けていたら、いつか心のほうが先に死ぬ……」
「……うん」
リネアはアルトの肩に額を押しつけた。
「だから、変わろうと思う」
「変わる……?」
「このサロンで与えられるものを、苦しみだけとして受け取らなくても済むようにする。繰り返されるだろう屈辱の仕打ちを被虐の快感として知覚できるように心と身体を作り変えるんだ。少しでも楽だと思えるものや、嬉しいと思えるものを増やしていく」
リネアはすぐには答えられなかった。
怖かった。
それは、自分たちがこのサロンの望むものに変えられてしまうことではないのか。
けれど、それ以上に怖いのは、毎日絶望しながら生き続けることだった。
「それって……負けることじゃないの?」
ようやく訊いた。
「たぶん、昔の僕ならそう思った……」
アルトは少しだけ間を置いた。
「でも、死ぬまで憎み続けることが勝つことだとも、もう思えないんだ。僕は生きたい。リネアにも生きていてほしい……。君とふたりなら耐えられる……。いや、君となら耐えたい……」
「アルト……」
「二人で生き残ろう……。どんな形になってもいい。心まで全部、あいつらに決めてもらう必要はない。僕たちが少しでも幸せだと思えるものを、二人で探そう」
いつの間にか、リネアはすすり泣いていた。
涙が頬を伝い、そのままアルトの肩へ落ちていく。
悲しいのか、安心したのか、自分でもわからなかった。
ただ、ひとりではない。
それだけはわかった。
「……うん……。一緒に……生きよう、アルト」
リネアはアルトの肩に額を押しつけた。
「……あ、ああ。二人で生きよう」
アルトも、リネアの耳元で静かに答えた。
「ま、まずは……離されないように……。不本意でも……あいつらの期待に応えよう……。つがいの隷奴として……見世物になることに……甘んじよう……。明日は……頑張ろう……。そして、明後日は元帥という人を満足させよう……」
「うん……」
アルトの言葉に、リネアは嗚咽とともに泣きながら頷いてみせた。
しかし、そのアルトが急に、これまで以上に激しく腰を揺り動かし始める。
「ああ、痒いのね、アルト……?」
リネアには、アルトの苦しみがわかる。自分も股間とお尻の穴に疼くような痒みを覚えているのだ。
「痒い──。き、気が狂いそうだ、ああっ」
「あたしも痒い──。ああ、痒いよう、アルト──」
リネアは、再び甘えるように、アルトの肩に額を押し当てて、激しく泣きじゃくった。
そして、アルトもまた身体を震わせながら、同じ苦しみに耐えている。
この気が狂うような苦悶を、一緒に受けている愛しい人がいる。だが、そう考えるだけで、リネアはこの苦しみが、わずかに報われるような気がした。