サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
077 客人たち【第30日】
朝から雲ひとつない空だ。
城壁の上から差し込む陽光が前庭を白く照らし、坂をあがる馬車が巻き上げた薄い土埃が、ゆっくりと地面へ落ちていく。
セルパンタン城の前庭に入ってきたのは、二台の馬車だ。
先頭の馬車が石畳の上で大きく弧を描き、正面玄関の前にゆっくりと近づいてくる。少し遅れて、二台目が続く。
カイネウスは玄関前の石段を下りたところで、それを見守っていた。
「いよいよ、元帥たちのお出ましですね」
右手にいるアルジェがささやく。
その後ろには、今日の出迎えに選ばれた二十人ほどの女兵たちが整列して並んでいる。閲兵式というわけではないが、それに準じた体裁だ。
また、左隣には、マルティナがいる。
「それで、あの男はどれくらいの滞在をするつもりなの、カイちゃん?」
そのマルティナが訊ねる。
カイネウスはマルティナに視線を向ける。
「今回は三日ほどの予定だよ」
もともと、マルティナは元帥来訪に伴う対応要員には入ってなかった。しかし、カイネウスのサロンの運営方針が、王国首都にある共和国の暫定統治機構の一部に受け入れられていないというのを耳にしたのだろう。
その統治機構からの要請により派遣された今回の元帥視察に際して、出迎えに顔を出すと言ってついてきた。
おそらく、元帥たちに釘を刺すつもりなのだろう。
暢気そうな顔をして、サロンの寮母として入っているマルティナだが、市井の魔女でありながら、実は共和国政府も怖れる実力者だ。
その影響力をカイネウスのために、使ってくれるということなのだろう。
相変わらず、過保護だと思う。
「それは予定でしょう。バルザックが予定どおり動くとこなんてないわ。気紛れなのよ。あの子は」
マルティナが言った。
退役軍人で共和国軍部の重鎮のバルザックを、マルティナは“あの子”呼ばわりだ。カイネウスは苦笑した。
「前から思っていたけど、マルティナは何歳なの? もしかして、六十代の元帥よりも年上?」
「教えないわ。ただ、バルザックが新米将校だった頃を知っているのは確かね」
マルティナがころころと笑う。
二台の馬車がサロンの入口の前で停車した。先頭の馬車の後部ステップから従者が飛び降り、扉の下に台を置いて扉を開ける。
最初に降りてきたのはヴェルデンだった。
「よう」
しばらく王都へ戻っていた監督官は、カイネウスを見つけると軽く片手を上げた。
無事に連れてきた。そんな顔だ。
続いて、ひとりの女が馬車から降りる。淡い金髪を短く切った長身の女だった。面識はないが、今回の元帥来訪の随行者として、ヴェルデンからの連絡で事前に把握はしている。
イリーナ=ベルク中佐──。
共和国軍の憲兵隊所属の女将校で、今回は元帥の警護を務める。
彼女は、降りるなり周囲へ眼を走らせている。
カイネウスにも視線を向けたが、それは挨拶というより確認に近かった。
そして一台目の馬車から、最後に大柄な男が馬車の奥から姿を現した。
カイネウスは思わず口元を緩めた。
最後に会ったのは、バルザックが退役して元帥府に入る直前であり、三年ぶりになる。
ずいぶん髪が白くなった──。最初にそう思った。
だが、大きな身体も、太い眉の下から人を射抜くように見る眼も、記憶の中にある姿とほとんど変わっていない。
バルザック元帥は踏み台を使って地面へ降りると腰を伸ばした。
そして城を見上げた。
「陰気臭い城じゃのう」
「ようこそ、元帥。サロン・セルパンタンに」
カイネウスは微笑む。
「悪口ではないぞ、将軍。王国の驕り高ぶった性根を矯正するには、一見して肝胆を砕く外観が相応しい。この辛気臭さは、王国貴族どもも悄然となるじゃろうて」
「まだ二箇月ですが、やっと軌道に乗ってきたところです。問題なく運営していますよ。王国の貴族令嬢たちも、少しずつ身の程を弁えるようになってきました」
「だが、統治機構では、お前のやり口が手ぬるいと不満を口にする者が多くてのう。三日のあいだ、この眼でじっくり見定めさせてもらうぞ。噂どおり甘いようなら、わしも庇ってはやれん」
「あら、庇ってもらわないと困るわね。ここはカイちゃんの大切なお城なんだから」
横からマルティナが口を挟んできた。
バルザックは、そこで初めて彼女の存在に気づいたように眼を見開く。
「マルティナ……。なぜ、おぬしがここにおる?」
「なぜとはなあに?」
マルティナは、さも不思議そうに首を傾げた。
「なにって……」
「カイちゃんは、このサロンを終の住まいにするつもりでいるのよ。だったら、育ての親のつもりでいるあたしが、顔を出すのは当たり前でしょう。それに、エリザもいるわ」
「エリザ? もしかして、おぬしのところの狂人技師か。あやつまでここにおるのか。知らんかった……」
バルザックが眉を寄せた。
「知らないことは、まだたくさんあるんじゃないのかしら。そうよね、元帥?」
マルティナはにこにこと笑っている。
けれど、眼だけは笑っていない。しっかりと、バルザックに厳しい視線を向けている。
「いや……」
「だから、よく見て、よく聞いて、そして、よく愉しんでね。そうしてから王都へ戻ればいいわ。きっと、ここはあなたを満足させると思うから」
バルザックは、居心地の悪そうな顔をしている。
カイネウスは思わず苦笑する。
共和国軍の重鎮を相手に、こんな物言いができる者はそう多くない。
「我々の視察目的は、このサロンが暫定統治機構による旧王国の支配体制の確立に、どのような影響を与えているのかを確認することです。愉しむために来たわけではありません」
横から、抑揚の少ない声が割り込んできた。
声の主は、二台目の馬車から降りてきた男だ。
長身で細身。黒髪は後ろへ几帳面に撫でつけられ、銀縁眼鏡の奥の眼には隙がない。軍服にも皺ひとつ見当たらなかった。
ガレス=フェルナー大佐──。
共和国元帥府に属する、バルザック付きの首席副官だ。
いかにも融通の利かなそうな男だと、カイネウスは思った。
「俺は、愉しみに来ましたよ、カイネウス将軍」
そのガレスの言葉を、今度は明るい声があっさりと否定した。
ガレスと同じ馬車から降りてきた若い将校が、人懐っこい笑みを浮かべながら近づいてくる。
明るい栗色の髪に、端正な顔立ちで、軍人というより、どこか育ちのいい貴族の青年を思わせる。
「お会いできて光栄です。偉大なるカイネウス将軍のお噂は、王都でもよく聞いています」
ユーリス=アルカード少佐──。
暫定統治機構に属する軍人であり、今回の視察団に加わった随行者のひとりだ。
ガレスが無言でユーリスを見る。
「……なんですか、大佐?」
「いま、私が何を言ったか聞いていたのか」
「もちろんです。でも、大佐が愉しみに来ていないことと、俺が愉しみに来たことは、別の話でしょう」
「そういう問題ではない」
「いや、そういう問題ですよ。統治機構の参謀部の中で、どれだけ競争して、この視察に参加できたと思っているんですか。視察の建前の方は大佐にお任せしますよ。俺は俺で、土産話を持って戻らないといけないんで。マルティナ様でしたっけ。俺に任せてくださいな。このサロンが素晴らしい場所だと、ちゃんと言っておきますから」
ユーリスは悪びれた様子もなく笑った。
「まあ、嬉しいわ。だったら、とりあえず、一般囚区域の地下層においでなさいな。心を入れ替えた王国令嬢たちが、あなたを接待すると思うわ」
マルティナがにこにこと微笑む。
「うわっ、俺、行ってきていいですかねえ、閣下」
ユーリスがバルザックの顔を見る。
「駄目に決まっておるだろう。まだ、将軍から元帥への概況報告すらすんでないのだ」
ガレスが眉間に皺を寄せて声をあげた。
そのやり取りを見て、バルザックまで喉の奥で笑い声を漏らす。
「まあよいではないか、ガレス。せっかくここまで来たんじゃ。仕事だけして帰るのも味気なかろう。好きにするがいい」
「元帥まで、そのようなことを」
「おぬしは昔から堅すぎる。お前もマルティナの案内で一緒に行ってこい」
「いえ、私は結構です」
ガレスは動かない。
バルザックは肩を竦めた。
「そなたはどうする? このサロンにいる限り、わしの警護はよいぞ」
バルザックが声を掛けたのは、彼の後ろで不動の姿勢で立っている警護役の女将校のイリーナだ。
「ならば、わたしも概況報告はお任せします。一足先に宿泊部屋に案内をお願いしてよろしいですか。それと、特別囚域の視察の際にはぜひ同席を。一般囚には興味はありませんが、特別囚たちには興味があります」
彼女が応じる。
「お前までか、イリーナ」
ガレスが呆れた声をあげた。
「わたしの任務は元帥の警護です。しかし、このサロンでの安全には問題ないでしょう。視察報告はわたしの任務ではありませんし、それはお任せいたします」
イリーナが答えた。
「ははは、そういうことなら、あんたは、あたしが案内するよ。客室は二階だ。特別囚区域と同じ層だ。矯正は各部屋で行ってるから、興味があれば覗けばいい。遠隔で見れる監視室もある」
「あなたは?」
イリーナが声を掛けたアルジェに顔を向ける。
「アルジェだ」
「ああ、あなたが……。じゃあ、よろしく頼む」
イリーナがアルジェに会釈をし、バルザックに軽く頭をさげて去っていく。集まっていた女兵隊たちも解散した。
「なら、ユーリスさんはこっちね」
マルティナは、ユーリスに声を掛けた。
ふたりもサロンの奥に向かっていく。
「あいつら……」
ガレスが小さく舌打ちをした。
「まあ、よいじゃろう。なら行くか……。将軍、報告はどこでだ?」
「一階の会議室で。主任たちが待っております。概況報告はそこで……。オクタヴィアはおりませんが」
「オクタヴィアか……。将軍に預けたあの女史か……。どうだ、首尾は……?」
バルザックの最後の言葉は、カイネウスにだけ聞こえるような小声だ。
「……なかなかの逸材かと。いまは熟成させています」
カイネウスも小声で返す。
バルザックが満足そうに頷いた。
そして、改めてセルパンタン城を見上げる。
「さて、将軍。ならば、見せてもらおうか。このサロンを──」
バルザックが一転して、大きな声をあげた。
「わかりました。ヴァルデン殿は同行をね」
「もちろんだ」
これまで少し離れて見守っていたヴァルデンが頷く。
「そなたが、この城でなにをしてきたのか。統治機構の連中が言うように甘いのか。それとも、わしらが聞いておらんだけで、きちんと成果を上げておるのか」
先ほどまでの笑みはすでに消えている。
バルザックの少し横では、一人だけ残ったガレスが頷いている。
カイネウスは、その視線を正面から受け止めた。
「この三日の滞在で、わかっていただけると思います」
「そうか」
「ええ。せっかく来てもらったんです。隠すつもりはありません。それに……」
カイネウスは微笑んだ。
「それに、なんだ?」
「サロン・セルパンタンを、存分に見ていってください。元帥がお気に召すような趣向もご用意しております……。高貴な女の尊厳をなぶり抜く……。お好きでしたよね」
カイネウスが微笑んだ。
「ふっ……愉しみだな」
すると、バルザックの顔がやっと好色に歪んだ。