サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
バルザック元帥たちを残し、ユーリスはマルティナのあとについて廊下を歩いていた。
「いやあ、誘ってもらって助かりましたよ、ガレスの野郎は堅物でねえ。ここに来る馬車のなかでも、真面目な顔してこのサロンの資料を読み込んでいるですよ。しかも、黙って読めばいいのに、統治政策におけるこのサロンの在り方はどうあるべきと思うなんて、俺に聞いてくるんですよ。信じられますか」
すると、横を歩きながらユーリスを案内してくれているマルティナがくすくすと笑う。
不思議な雰囲気を持つ女性だ。
もちろん、ユーリスもマルティナの名くらいは知っている。
軍にも魔道院にも属さず、市井に身を置きながら、その名だけは共和国中に知れ渡っている魔女。ひとたび本気になれば、一個軍団を相手にしても引けを取らないなどという噂である。半ば伝説じみているが、かなりの実力者であることは間違いないのだろう。
また、将軍カイネウスとは、浅からぬ縁があるらしい。その経緯は知られてはいないが、マルティナがカイネウスを実の息子のように可愛がっていると言うのは有名だ。
さっきの元帥への対応を目の当たりにすると、どうやらそれは真実のようだ。
それはともかく、こうして横に立っても、とてもじゃないが怖ろしい力を持った魔女には見えない。どこにでもいる年配の女性という感じだ。
「確かに、ガレスさんは真面目そうだったわね」
マルティナが横で微笑む。
「そうです、そうです。なんでも理屈から入る男でしてね。せっかくこんなところまで来たんだから、もっと素直に愉しめばいいと思いません?」
「だったら、なおさら、彼にもサロンを愉しんでもらわないと。カイちゃんの味方は多い方がいいもの」
「俺はもう味方ですよ。このサロンに精一杯に愉しませてもらうつもりです」
ユーリスが笑うと、マルティナは横目で彼を見た。
「素晴らしいわ。地下層にはこっちを抜けましょう」
マルティナが廊下から外に出る通用口のような扉に案内した。
その扉を抜けると、急に視界が開けた。
四方を石造りの建物に囲まれた中庭だった。
古城の内部にある庭にしては、かなり丁寧に手が入っている。石畳は綺麗に掃き清められ、低い生垣は形よく刈り込まれていた。花壇には季節の花が植えられ、壁際には蔓草の這う鉄格子が並んでいる。
ただし、庭の中心に置かれたものだけは、ありふれた庭園とはまるで趣が違っていた。
そこに存在したのは、人の背丈の倍ほどの大きさの三体の大理石像だ。すぐに、この王国で信仰されている女神像だとわかった。よく知られている女神像の特徴そのままだ。
だが、その姿は神殿で見るものとは似ても似つかない。
まずは一体──。円形の水盤の中央にあるのは、王国で信仰されている七大女神のひとりの水の女神だろう。
女神は鎖と枷で動きを封じられ、しゃがみ込むような格好を取らされていた。合わせ布の衣は左右へ大きく開かれ、前面はほとんど覆われていない。像の股間から放尿のように水を噴き出す仕掛けが作られており、その水が水盤へと落ちている。
また、美しい顔は天を仰ぎ、唇はわずかに開いている。
苦悶とも歓喜ともつかない、妙に恍惚とした表情だ。
ユーリスは思わず足を緩めた。
「これは……面白いですね……」
声を出すと、マルティナが振り返った。
「気に入ったかしら。カイちゃんが作らせているのよ」
「将軍が?」
「ええ。王国で信仰されていた七大女神を、ひと柱ずつね。まだ三体しか出来ていないけれど、いずれ七体すべて揃えるつもりみたい」
ユーリスは改めて庭を見回した。
たしかに、三体の女神像から少し離れたところには、同じ大きさの石造りの台座が四つ並んでいる。
「なるほど。あれが残り四柱の場所ですか」
「そういうことね」
マルティナはそう答えると、綺麗に刈り込まれた生垣へ目を向けた。
「ちなみに、この庭を手入れしているのは一般囚よ。毎日、何人かずつ交代でここへ上げられてくるの」
ユーリスが眉を上げた。
「一般囚が?」
「草を抜いて、花を植えて、生垣を刈って、石像を磨いて、水盤を掃除する。自分たちがずっと祈ってきた女神様が、このサロンではこんな姿にされている。それを毎日、自分たちの手で綺麗にしてあげるわけ」
マルティナはそこで小さく笑った。
「いやあ。実にいい趣味をしていますね、カイネウス将軍は」
ユーリスは笑いながら、改めて庭全体を見回した。
水盤から少し離れたところには、さらに二体の女神像が立っている。
一体は戦いの女神だった。
上半身だけは武装した姿を残しているが、腰から下にはなにも纏っていない。何匹もの蛇が脚や胴へ絡みつき、鎧の隙間を這い上がっている。王国の騎士たちが勝利を祈った女神が、ここでは完全に征服される側として彫られていた。
もう一体は農耕の女神だ。
地面へ手足をつき、仰向けで身体を大きく反らせた異様な姿勢で固定されている。脚を開いて完全に乳房も性器も露出している。さらに周囲の土からは無数の人の手が生えるように造られ、その手が腕や脚、腹、肩へと群がっていた。
豊穣を与える女神から、逆にすべてを奪い取ろうとしているようにも見える。
共和国の占領地では王国の紋章を削り落とした建物を多く見ている。
だが、ここまで手間をかけて、信仰そのものを弄ぶ場所は初めてだった。
「いい、実にいい」
口元に薄い笑みが浮かぶ。
噂に聞いていた以上に、このサロンは面白そうだった。
中庭を大きく横切り、その反対側にある棟へ入った。
そこはほとんど使われていない区域なのだろう。人の気配はなく、廊下には魔道灯すら点いていない。窓から差し込む昼の光だけが、石造りの床と壁を薄暗く照らしている。
「ここに地下層へ降りる場所があるんですか?」
ユーリスが訊いた。
「いいえ、ないわ」
マルティナは平然と答えた。
「地下層へ出入りできる場所は、通常は三箇所だけよ。ひとつは、さっきまでいた中央棟にある階段。地下の男兵居住区へ繋がっているわ。もうひとつは二階の特別囚区域から一般囚区域へ直接降りる階段。これは一階とは繋がっていないの。それから裏庭にある魔道転送施設ね。主に新しく収容する囚人を地下へ送るために使っているわ」
「それで、俺たちは、その三つのうちのどこに向かっているんです?」
ユーリスは訊ねた。
「どれでもないわ」
マルティナが立ち止まった。悪戯っ子のように笑っている。
どこにでもいる年配の女性にしか見えなかった顔が、その瞬間だけ妙に少女めいて見えた。
「どれでもない?」
「目的地はここよ」
ユーリスは周囲を見回した。
薄暗い廊下には、地下へ続きそうな階段も、転送施設らしいものもない。
「ここ?」
「このサロンは警備が厳重だから、決められた場所以外から地下層へ出入りすることはできないの」
そう言いながら、マルティナは正面にあった扉を開けた。
中は何もない空室だった。
壁際に古びた棚がひとつ置かれているだけで、机も椅子もない。
ユーリスもあとに続いて部屋へ入り、首を傾げた。
「どうしてここに?」
「ここから跳ぶのよ」
「跳ぶ?」
「転送魔道で地下へね。見つかるとうるさい人が多いから、こういう人の来ないところの方が都合がいいの」
「……あれ? でも、さっき決められた場所以外からは地下層へ出入りできないって言いませんでした?」
「あたしは別よ」
マルティナが両手を軽く上げる。
次の瞬間、景色が一変した。
「おお」
思わずユーリスは、声をあげてしまった。
薄暗い空室が消え、代わりに何台もの寝台が並んだ部屋が現れる。
どうやら、本当に跳躍魔道のようだ。地下層の職員用の休憩室か仮眠室に跳躍したのだろうか。
実のところ、ユーリスも魔石を使った大がかりな転送装置の経験はあるが、個人の魔道による転送など初めてだ。噂に違わぬ魔女なのだと思った。
「あれ?」
「あら?」
すると、声が二つ重なった。
部屋の片隅にあった小さな机を前に椅子へ腰かけ、酒杯を手にしていたひとりの女が、目を丸くしてこちらを見ていた。
艶のある髪を無造作に流し、白衣らしき上着を肩に引っかけている。
かなりの美女である。
落ち着いた年頃の雰囲気だが、どこか男の視線を引きつける妖艶さがあった。
「ソフィア。あなた、こんなところで、なにをしているの?」
マルティナが呆れたように言った。
すると女は、手にしていた酒杯を少し持ち上げた。
「見ればわかるでしょう。休憩よ」
「勤務中でしょう」
「医務官に勤務中とか非番とかの概念はないのよ。患者が出れば、非番でもそれに当たる。その代わりに、勤務中でも暇なら酒を飲んでいいの」
悪びれる様子はまるでない。
ユーリスは思わず笑いそうになった。
マルティナが大きく息を吐く。
「ちょうどいいわ。紹介しておきましょうか。この人が、サロン・セルパンタンの主任医官、ソフィアよ……、ソフィア、こっちは、今回のサロン来訪員のひとり、ユーリスさんよ」
そう言って、ユーリスの方へ顔を向けた。
「へえ、よろしく……。いっぱい飲む? それとも一発する?」
そのソフィアが手に持っていた盃を自分の眼の高さに翳しながら言った。
「えっ?」
ユーリスは面食らった。
「若い娘もいいけど、あたしみたいな熟女にも、それなりの味があるわ。よかったら、付き合わない?」
「熟女にはまだ早いでしょう。ソフィアさんは随分とお若いですよ」
しかし、すぐにユーリスも平静を取り戻す。
いつもの作り笑顔を顔に浮かべる。
「あら、嬉しい。ソフィアでいいわ。ただの平民なの」
「共和国の身分制度は廃止されましたよ。もう二十年以上も前に」
「そうだったわね、市民ユーリス」
ソフィアがくすりと笑うと、椅子ごと身体の向きをユーリスへ向けた。
そのまま無造作に片脚を座面へ載せる。
白衣ごとスカートが大きく捲れあがり、内腿の奥まで露わになった。
そこから覗いたのは、髪と同じ金色の茂みだった。
下着を穿いていないのか……。
ユーリスは思わず目を見開いた。
「やめなさいよ、ソフィア。大切なお客様なのよ。揶揄うのは」
マルティナが横から呆れたような声を挟んだ。
「あら、揶揄ってないわ。本気よ……。このお兄さんがその気になってくれるなら、あたしはお相手したいわ。これまで会った男の中では、三番目に好みなの」
ソフィアは微笑んだ。
視線は真っ直ぐユーリスへ向いたまま、開いた脚もそのままだ。
「気にしなくていいのよ、ユーリスさん。この娘、気に入った男にはいつも三番目って言うの」
マルティナが笑う。
「嘘じゃないわよ。一番目は王国の兵に殺された夫。これはもう誰にも譲れないの……。そして、二番目は初恋の女に執着して、あたしのことなんて、女として見もしない男……」
ソフィアが口を尖らせた。
そこで酒杯を口元へ運び、ひと口だけ飲む。
ユーリスは眉を上げた。
「……だから三番目は空いてるのよ。三番目の男くらい性欲の解消に使ったっていいでしょう?」
「いいから、股をしまいなさいよ。これから、この人は一般囚たちを視察なさるんだから」
マルティナが呆れたように言った。
「あら、そうなの? じゃあ、たまにはあたしも娘たちの様子を見に行こうかしら」
ソフィアはようやく脚を下ろすと、椅子から立ち上がった。
「主任医官なんだから、たまにはじゃなくて普段から見なさいよ」
「見てるわよ。必要なときにはね……。それじゃ、市民ユーリス。一般囚区域へ行きましょうか」
ソフィアは悪びれた様子もなくそう答えると、立ったまま残っていた酒を一息に飲み干した。
廊下に出て、しばらく薄暗い通路を進むと、前方から人の声が聞こえてきた。
呻き声、笑い声、誰かを叱りつける声。
さらに、金具の触れ合う音や、床を踏み鳴らす足音まで混じっている。
「この先が一般囚区域の大広間よ。だいたい半分くらいは、いつもこの広間で矯正を受けているわね」
マルティナが言った。
「現在の一般囚は何人いるんです?」
ユーリスは訊いた。
「ちょうど七十人よ」
「六十五人でしょう。エルザのところで改造された五人が準特別囚に上がったじゃない」
すぐにソフィアが横から口を挟んだ。
「ああ、そうだったわね。出たり入ったりが多くて、人数を覚えるのも大変なのよ」
マルティナが肩を竦めた。
「なに言ってんのよ。最近は殺処分もほとんどなくなったし、この一箇月で減った一般囚は、あの頃の五人だけじゃない。増える方は増えてるけど」
「殺処分はどの程度あるんです?」
ユーリスは歩きながら二人に視線を向ける。
「五人ね。最初の一箇月だけよ。集団脱獄を扇動しようとした女囚がいたの。最近一箇月はないわね。魔核の制御が安定してきて、全員の性感を敏感なものに引きあげることに成功しているわ。それ以来、反抗らしい反抗はないわね。その兆しも」
応じたのはソフィアだ。
「性感を引きあげると、反抗はなくなるものなのかい?」
ユーリスは首を傾げた。
「そういうものなのよ。動物や魔物の中には、性行動を繁殖だけじゃなく、群れの緊張を解いたり、争いを収めたりするために使う種類がいるのは知っている? 互いに欲求を満たすことで、攻撃性や不満を別の方向へ逃がしているわけね」
「それを人間にも応用していると?」
ユーリスは訊いた。
「心に溜まった攻撃性は、性欲を発散させることで弱まるのよ。人間も所詮は動物だから、そういう本能に縛られるのよ」
「本能ねえ……」
「魔核で性感を引き上げているから、普通の人間よりも快楽を得やすい身体になっているの。それに五人組の制度を組み合わせているわ」
「五人組?」
「五人ひと組にして、連帯責任のチームを作らせているのよ。互いに助け合うのも、欲求を満たし合うのも、基本はその五人で行われるのよ。そうすると、不満や緊張のかなりの部分が組の内部で処理されるようになるわ」
マルティナが横から言う。
「感情そのものを抑制するのに、魔核は使っていないのか?」
「誤解のないように言うけど、魔核で制御しているのは、性感の引き上げと、逃亡防止のための肉体制御。感情には、魔核は使っていないわ。心の中にある抵抗心や反発心には、魔核は触れてないわ」
再びソフィアが応じる。
「どうして? そっちの方が手っ取り早いだろう」
ユーリスは言った。
すると、ソフィアがくすりと笑った。
「そっちの方が面白いからじゃないの。あなただって、人形のようになった女を言いなりにしても面白くないでしょう? 心の底に反発心のある女を抱くから愉しめるのでは?」
「なるほど……。確かにそうだ。このサロンのすることは、理にかなっている」
ユーリスは笑った。
そんな会話を交わしているうちに、三人は大きな広間に着いた。
「ほう……」
ユーリスは,目の前に拡がった光景に思わず声を漏らしてしまった。
その先には、地下とは思えないほど広い空間と、淫靡な性宴が広がっていた。