サロン・セルパンタンの五百日の調教記録──亡国の花と蛇の館 作:ドン・ドナシアン
歓声が競技場を揺らしていた。
控えの間から通路へ出た瞬間、イレーヌは思わず眼をしかめた。
午後の日差しが眩しかったからではない。観客席を埋め尽くしている人々のほとんどが、これから自分が敗れるところを見に来ているのだと思ったからだった。
「ずいぶんな歓迎ね」
イレーヌは小さく呟いて、腰に佩いた剣の柄へ手を置いた。
もちろん、本物の剣ではない。刃を潰した試合用の長剣である。
それでも重量も重心も、普段使っている軍剣とほとんど変わらなかった。
ここまで勝ち上がるあいだに何度も振るってきた剣であり、おかしな細工がされていないことも確かめてある。
今年の王国武闘会、その女騎士の部の決勝は、宗主国テレオロス王国と、その属国フィロス共和国の代表による一戦となった。
さすがに属国代表の剣へ細工を施すほど、王国も落ちぶれてはいないらしい。
競技場へ続く長い通路の向こうから、再び大きな歓声が響いた。
対戦相手の名が告げられたのだ。
レイシア=ベルク──。
テレオロス王国騎士団に所属する、今回の王国代表の女騎士である。
そして、この大会の女騎士の部で、誰もが優勝を期待している本命でもあった。
イレーヌも、その名前くらいは知っていた。
まだ若いが、王国騎士団でも指折りの使い手だという。さらに、新しく王太子妃となった女性の専属護衛に選ばれ、近く近衛隊への異動も決まっているという噂まで耳にしていた。
準決勝も見た。
強かった。
派手な剣ではない。
力任せに押し切るわけでも、目を引くような大技を使うわけでもない。
だが、相手が打ち込もうとした瞬間には、もうレイシアの剣がそこにある。
守ったと思ったときには攻められ、攻め込んだと思ったときには体勢を崩されている。
気づけば相手の選択肢がひとつずつ奪われ、最後には何もできなくなっていた。
嫌な剣だ、とイレーヌは思った。
そして同時に、面白いとも思った。
「フィロス共和国代表、イレーヌ選手。入場を──」
係の男に促され、イレーヌは歩き出した。
長い通路を抜ける。
一気に視界が開けた。
円形の競技場を、幾重もの観客席が取り囲んでいる。
正面にはテレオロス王国の紋章と巨大な王国旗が掲げられ、その下には貴族や騎士たちが居並んでいた。
さらに一段高い貴賓席には、王族らしき姿まで見える。
各属国から招かれた使節の席も用意されていた。
だが、この競技場の主が誰なのかなど、考えるまでもなかった。
ここはテレオロス王国の王都──。
大会を開いているのも王国。
観客の大半も王国人──。
そして、その中央で待っているのは王国代表の女騎士だ。
諸国の武を競うための大会とはいうものの、結局のところ、ここは宗主国の威光を示すための舞台だった。
属国代表である自分に期待されている役目も、おそらく決まっている。
ここまでよく勝ち残った。
だが最後には王国代表に敗れる。
それで、この大会は綺麗に終わる。
イレーヌは競技場の中央へ向かいながら、わずかに口元を歪めた。
負けて当然──。勝てば王国の面目を潰す。それがどんな形で共和国への干渉となって返ってくるかわからない。だから上官からも、決勝では分をわきまえろと暗に命じられている。
もっとも、そんな筋書きに付き合ってやるつもりなど、イレーヌにはまったくなかった……。
イレーヌは競技場の中央まで進み、そこでレイシアと向かい合った。
間近で見ると、思っていたよりも落ち着いた女だった。
若い。だが、浮ついたところがまるでない。
王国代表として大観衆の前に立っているというのに、得意げな様子も、属国代表を見下すような色もなかった。
ただ静かに、これから剣を交える相手としてイレーヌを見ていた。
その視線を受けて、イレーヌもわずかに眼を細める。
審判の合図で、二人は揃って身体の向きを変えた。
正面の壇上には、王族をはじめとする王国の要人たちが並んでいる。
二人は剣の柄に手を添えたまま、深く頭を下げた。
やがて身体を起こし、再び互いへ向き直る。
レイシアが剣を抜いた。
イレーヌも続いて鞘から長剣を引き抜く。
競技場を満たしていた歓声が、わずかに遠のいた。
次の瞬間──。
ごおん、と低い銅鑼の音が響いた。
決勝戦が始まった。
レイシアは剣を正眼に構えていた。
イレーヌは剣先を下げ、地面すれすれに低く構える。
互いに動かない。
隙がない。
攻めるか──。待つか。
いくつもの考えが頭に浮かんでは消え、やがて思念そのものが気の中に溶け込んでいく。
膠着が続いた。
先に動いたのはレイシアだった。
一歩、踏み込んでくる。
イレーヌは考えるより先に一歩下がった。
だが、すぐに踏み返す。
その瞬間、レイシアの剣先がわずかに揺れた。
次に気づいたときには、二本の剣が激しくぶつかっていた。
甲高い金属音が響く。
二人は同時に離れた。
立ち位置が入れ替わる。
再び、膠着。
イレーヌは地面を蹴った。
レイシアも前へ出る。
一瞬で、二本の剣が激しく打ち合った。
イレーヌが横へ回り込む。
レイシアは追わず、距離を取った。
再び二人の間に空間ができる。
「はぁ……」
イレーヌは大きく息を吸った。
そこで初めて、自分が呼吸することさえ忘れていたことに気づいた。
額から汗が滴り落ちる。
レイシアも肩で息をしていた。
これほどの相手と剣を交えたことがあっただろうか。
胸の奥から、ぞくぞくするような快感が込み上げてくる。
「はああっ──」
イレーヌは声をあげて前へ跳んだ。
続けざまに剣を振るう。
レイシアはすべて受けた。
だが、その身体がわずかに流れる。
見えた──。
右脇──。
イレーヌは迷わず、そこに剣を叩き込む。
次の瞬間、手の中に強烈な痺れが走った。
「えっ……?」
気づけば、イレーヌは地面に両膝をついていた。
手に剣がない。
なにが起きたのかわからない。
自分の剣が宙を舞い、数歩離れた地面に突き刺さる。
そして眼前には、レイシアがいる。
その剣先が、イレーヌの喉元へ静かに突きつけられていた。
イレーヌは呆然とレイシアを見上げる。
参った、という言葉さえ出なかった。
敗北を認められなかったのではない。
なにをされたのか、なにが起きたのかが本当にわからなかったのだ。
「勝負あり──。勝者、レイシア──」
審判の声が競技場に響き渡った。
直後、地鳴りのような大歓声がイレーヌたちを包み込んだ。
魔力を流された〈遠見鏡〉の表面に、別室の光景が鮮明に浮かび上がっていた。
二階に設けられた〈監視室〉である。壁際には十枚ほどの遠見鏡が並び、それぞれがサロン内部の異なる部屋を映し出している。
だが、イレーヌが見ているのは、そのうちの一枚だけだった。
鏡の中にレイシアがいる。
見間違えるはずがなかった。
かつて王国武闘会の決勝で、自分の剣を一瞬のうちに弾き飛ばした女だ。あの日、何千もの観衆の歓声を浴びながら、自分の喉元へ静かに剣先を突きつけていた王国騎士だ。
そのレイシアが、いまはふたりの男たちの性の相手をしている。
両腕は後手縛りに緊縛されているが抵抗している様子はない。
命令されるままに身体を預け、男たちの求めに従っている。
そこに、かつての鋭い剣士の面影を探すことは難しかった。
「……あれが、レイシアなの?」
イレーヌは遠見鏡から眼を離さないまま訊いた。
自分でも妙な声だと思った。
驚いているのか。
腹を立てているのか。
それとも、ただ理解できていないのか。
自分でもわからなかった。
遠見鏡の中の女は、あまりにも従順だった。
あの日の決勝で、剣を握って、正眼に構えたレイシアには一分の隙もなかった。何度攻めても崩せず、ようやく見つけたと思った隙さえ、おそらくは自分を誘い込むためのものだった。
負けたことさえ理解できないくらいの鮮やかな敗北だった。
その記憶と、眼前の光景がどうしても結びつかない。
「ああ、レイシアだ。かなり素直になったろう」
応じたのは、遠見鏡の前に立つイレーヌの横で、行儀悪く椅子に座っているアルジェだ。
ほかに数名の男女の監視員がいて、特別囚たちの様子を遠隔で監視している。記録用の魔石による映像の記録もしているらしい。
「気に入らないねえ……」
イレーヌは小さく呟いていた。
遠見鏡に映っているレイシアは、背面座位の体位で犯されていた。
おそらく、イレーヌがここに来るずっと以前から、あのふたりに抱かれているのは間違いないだろう。しかも、まだこの監視室にやってきてから、四半刻ほどしか経っていないのに、四回から五回は昇っている。
「気に入らないって、なにがだい?」
アルジェがイレーヌの独り言を聞きとがめて言った。
「……いや、あれがレイシアのなれの果てだと思うとね。だらしなくよがりまくりじゃないの」
イレーヌは息を吐く。
あの稲妻のような剣技を繰り出したレイシアがまるで嘘のようだ。顔を快感に呆けさせ、淫らに口を開いて、男たちに犯されながら恍惚感に浸っている。
イレーヌはあれが、あのレイシアとは思いたくなかった。
「まあしょうがないさ。ヤンは媚薬を使っているし、首の後ろに打たれている魔核は、身体の性感を何倍にも高めている。レイシアも気持ちよくてしかたないのさ」
アルジェが笑う。
「ヤン?」
「いまレイシアを相手にしている男さ。ヤンっていう。本来のサロンの矯正官じゃないけど、いまはあいつが代わりをしている」
アルジェは遠見鏡の中を顎で示した。
「……サロンの矯正官じゃないというのは、どういう意味なの?」
「もともと、外の男なんだ。レイシアを罠に嵌めて、このサロンに連れてきた功績で、カイネウス様がレイシアを抱くのを許しているというわけさ」
「罠にかけた? つまり、レイシアは自分を陥れた男に身体を許しているのか?」
イレーヌの中に、よくわからない苛立ちが込みあがってくる。
「今日は午前中は休ませる予定だったんだけどね。どうやら勝手に男を連れてきたらしいね」
アルジェが笑う。
そのとき、遠見鏡の向こうから、ヤンの声が聞こえた。
『お前、本当に素直になったな。こっちを向け』
レイシアは一瞬だけ顔をしかめたが、やがて言われたとおりに振り向いた。
イレーヌは黙ってその様子を見つめた。
ヤンは胡座の上に乗せたレイシアを腰の上で上下に揺らしながら、乳房を揉み回している。
『あ、ああ……わ、わかった……』
レイシアは首を後ろに捻り、ヤンに向かって顔を伸ばした。
ヤンはレイシアの舌をしゃぶりまくり、レイシアも負けじと、ヤンの口に舌を伸ばして愛撫を続ける。その姿はまるで恋人同士のようにも見えた。
強要されて、いやいややらされている雰囲気はない。
『お前も、手を出してもいいぜ。俺が精を放ったら終わりにするけど、最後に口を使ってもらえよ』
『ほう、いいのかよ』
見物の態勢だった男が立ちあがる。
露出したままだった男根をレイシアの口の前に突きつけた。
『ふ、ふざけるなよ……。な、なんで……口で……』
すると、初めてレイシアが嫌悪感のようなものを顔に出した。
『……いいのか。妹を連れてくるぜ、レイシア』
すると、ヤンがレイシアの耳元で小さく言うのを、辛うじて遠見鏡が声を拾った。
レイシアが口惜しそうな顔になる。
『ちっ……、出しな。ちゃんと吸ってやるから。その代わり、約束は守れよ』
レイシアが大きく口を開く。
正面に立った男がレイシアの口の中に性器を突っ込んだ。
『ははは、よかったな、このレイシアにフェラチオしてもらえるんだ。これで俺が賭けで負けた金はちゃらだぜ』
ヤンがレイシアの股間を男根で貫いたまま体勢を変える。
今度は後背位だ。レイシアは膝立ちの格好で後ろから犯されて、上体を倒して前側の男の股間を口でしゃぶっている。
「いま、妹がどうのこうのと言っていたわね」
イレーヌは、ちらりとアルジェに視線を向ける。
アルジェが肩を竦める仕草をした。
「このサロンに、レイシアの妹も連れてきているんだ。あのヤンは、レイシアが素直なら、妹にはなにもさせないと言っているらしいね。実際には、ヤンにそんな権限はないけどね」
アルジェが別の遠見鏡を指さした。
そこでは、明らかに十代後半とわかる美少年と美少女が映っている。二人揃って頭のない木馬台に、開脚でうつ伏せに拘束され、後ろから尻の穴を大勢の女に絵筆でくすぐられていた。
この遠見鏡からは音声を出していないが、姿見の映像だけでも、二人が狂ったように悲鳴をあげているのはわかる。
「じゃあ、レイシアは、妹に手を出すと脅されて、嫌々屈しているということなの?」
イレーヌは視線をレイシアの遠見鏡に戻す。
いつの間にか、ヤンの律動の勢いが激しくなっていた。前側の男もだ。レイシアの髪を掴んで、興奮のまま彼女の顔を乱暴に前後させて自分の股間をしごかせている。
『おおお、出すぜ──。お前を仕込んでやる──。もっともっと被虐癖にな──』
『こっちもだ──。おっ、おっ、喰らえ、レイシア──』
レイシアの前後の男ふたりが興奮しきって、腰をぶるりと震わせるのがわかった。
男たちは精を放ったのだろう。満足そうな顔で脱力した。
『んんっ、んんん──』
そしてレイシアもまた、汗にまみれている裸身をぴんと伸ばして、ぶるぶると身体を痙攣させる。
レイシアもまた、絶頂に達したようだ。
「……気に入らないねえ……」
イレーヌは、その淫らな光景に、言いようのない怒りが身体に込みあがるのを感じた。