僕のファーストキスを奪った幼馴染が、超ドSだった件 作:微熱@
八月三十一日。
夏休み最後の日。市の河川敷で行われる花火大会。
僕は一人で駅前のバスロータリーに立っていた。浴衣を着ている。紺の地に白い短冊柄の、母さんが押し入れから引っ張り出してきた古い浴衣。
花火大会に相応しい浴衣の下に、異物として存在する貞操帯。誰も想像しないだろうこの背徳感を身に纏って、僕はひまりちゃんを待っていた。
「堀田君!」
高い声の方を見ると、手を振りながらひまりちゃんが駆けてきた。
白地にピンクの朝顔が散らされた浴衣に、赤い帯。ショートボブに簪を一本挿し、うなじが覗いている。下駄の音がからころと夏の空気に弾んでいた。
揺れる簪が夕陽を受けて光り、頬には薄っすらと桃色の頬紅が乗っている。普段見ることのないひまりちゃんのおめかし。まるでこの日のために全身全霊で用意されたようだった。
「わ、浴衣だ! 堀田君も浴衣なんだ、嬉しい!」
嬉しい。その言葉に、胸が締めつけられた。
ひまりちゃんは今日、告白の返事が聞けると思っている。きっと良い返事が。なぜなら僕はひまりちゃんの家でキスを受け入れ、胸に手を置き、靴下を受け取った。全てを受け入れたように思えただろう。
それなのに今日、僕はその期待を裏切る。
「行こう! あっ、たこ焼き食べたい! あと、わたあめも!」
ひまりちゃんは僕の腕を掴み、出店が並ぶ河川敷の遊歩道へと引っ張っていった。
提灯の灯りがオレンジ色に並び、焼きそばやいか焼きの香ばしい煙が夕暮れの空に立ち昇っている。金魚すくいの水槽が提灯の光を反射し、射的の景品が風に揺れ、りんご飴の赤いコーティングが宝石のように光っている。
ひまりちゃんは次から次へと出店を巡った。たこ焼きを「あちち」と言いながら頬張り、わたあめを小さな口から舌を出して舐め、型抜きに真剣な顔で挑んで見事に割ってしまい、くじ引きでは四等のキーホルダーを引いてやったーと飛び跳ねた。とても楽しそうだった。
けれど僕はその隣にいながら、何一つ味がしなかった。たこ焼きも、アメリカンドッグも、チョコバナナも──全て、このあとのことを考えると何の味も感じられない。
「堀田君、りんご飴食べないの?」
「あ、うん、もうお腹いっぱいで……」
「えー、もったいない。じゃあ一口あげる」
ひまりちゃんが赤いりんご飴を差し出す。僕がためらっている間に、ひまりちゃんは「はい、あーん」と飴を僕の口元に持ってきた。砂糖のコーティングが唇に触れた。
その甘ささえ、今の僕にはぼやけて感じられる。
ごめん……ごめん、ひまりちゃん。僕には、君に好意を向けられる資格なんてないんだ。もっと早く、それを伝えるべきだった。
花火の時間が近づいてきた。河川敷の堤防沿いにシートを敷いた観客たちが、空を見上げ始める。
「ねえ、堀田君。あっちの方、人少ないから。ちょっと離れた所で見ない?」
ひまりちゃんが指差したのは、河川敷の端。草が生い茂った土手の裏側で、照明が少なく薄暗い場所だった。花火を見るには少し角度が悪いが、人目を避けるには最適な場所。
分かっている。ここで、告白の返事をしなくてはいけない。拒絶という、ひまりちゃんを傷つける答えを。
二人で土手を越え、草の上に並んで腰を下ろした。
ヒュルルル──ドオーン!
最初の花火が上がった。赤い大輪が夜空に咲き、遅れて重低音が腹の底に響く。次に青、次に金。連続する花火が闇を切り裂き、ひまりちゃんの浴衣の白い生地を赤や青に染めていく。
「きれい……」
ひまりちゃんが呟いた。花火の光が丸い瞳に映り込み、万華鏡のように色を変えている。
「堀田君」
「……うん」
「お返事……聞いてもいい?」
来た。
心臓が握り潰されるように痛い。花火の爆発音が、僕の鼓動と重なった。
「あの……ひまりちゃん、僕は──」
声を振り絞った。「僕は」の次に来るべき言葉は決まっている。「君の気持ちには応えられない」。たったそれだけ。それを言うだけでいい。美優に命じられた通りに。そして元々、今の自分にはひまりちゃんの気持ちを受け止める資格がないと分かっているから。
だが、そのそれだけが喉に詰まったまま出てこない。ひまりちゃんの瞳が、花火の光の中であまりにも真っ直ぐに僕を見つめていて、その純粋さの前に言葉が溶けてしまう。
「僕は──」
その時、花火が途切れた。一瞬の暗闘が訪れ、次の花火が打ち上がるまでの数秒間、周囲が闇に沈んだ。
そして次の花火──白い菊型の大輪が、二人の姿を昼間のように照らし出した。
ひまりちゃんの目が、僕の首筋に止まった。
浴衣の襟元が、さっきりんご飴を食べた時にずれていたのだ。普段なら襟で隠れるキスマークが、浴衣がはだけた隙間から、紫がかった痕として露出していた。
お泊まり調教の夜に美優に刻まれた、左右の首筋のキスマーク。まだ消えていない、所有の印。
「堀田君……首に……なにか……」
ひまりちゃんの声が震えた。花火の光で照らされたそれは、誰がどう見てもキスマークだった。
「あ……これは──」
虫刺されだと言い訳する間もなく、ひまりちゃんの手が伸びてきた。僕の首筋に、指先が触れようとする。
「ひまりちゃん、違う──」
反射的に後ずさった。足が草の茂みに引っかかり、バランスを崩してしまう。
「あっ!」
そのまま後ろに倒れた。背中が草むらに叩きつけられる。浴衣の裾が乱れ、帯が緩んだ。
そして──バランスを崩したひまりちゃんが、僕の上に覆いかぶさるように倒れ込んで来る。
「きゃっ……!」
ひまりちゃんの体が僕の体の上に重なった。朝顔柄の浴衣が乱れ、華奢な体が密着する。花火の光が断続的に二人を照らし、その度に影が生まれては消えてを繰り返す。
ひまりちゃんの右手が、倒れた勢いで僕の腰に──正確には、股間に当たっていた。
そこで、ひまりちゃんの動きが止まっている。
小さな手のひらが、股間の上に乗っている。浴衣と下着越しに、硬い感触を感じているはずだ。
だが、それは勃起の硬さとは明らかに違う。温かみのない、無機質な金属の硬さだと、ひまりちゃんもそう思ったに違いない──
「……堀田、くん」
さっきまで弾んでいたひまりちゃんの声が、三段階くらい低くなった。
「これ……何……?」
花火がまた上がった。赤い光が二人を照らす。ひまりちゃんの顔が僕のすぐ上にある。まん丸の瞳が、困惑と恐怖と好奇心の間で激しく揺れていた。