その子供を初めて目にしたのはいつだったか。
若い夫婦に連れられて
満開の桜の元、幼い子供の泣き声がする。
悲しい悲しいと訴えかけるようなそんな声で子供は只泣き続ける。
<子供が泣いておるぞ>
<泣いておるぞ>
<どうしたのだろう>
<何やら悲しんでいるようじゃ>
さわさわと木々が囁き合う。
<誰ぞ様子を見に行かんか>
<では私が参りましょう>
一つの声が応えて行動を起こす。まだ若木に入る樹精だ。
怯えさせないように年相応の青年に姿を変え、うずくまって泣く子供の傍へと歩み寄る。
「…どうしました?」
そっと掛けた声に反応した子供が顔を上げる。涙を一杯に溜めた大きな瞳が印象的な少年だった。
「…どうしました?」
もう一度問いかける。普通なら両親の愛情を一身に浴びている年頃だ。こんな悲しげな泣き方をしていいわけがない。
「なぜ泣いているの?良かったら話して」
「…いなくなっちゃったの…」
再びしゃくりあげ始めた子供をそっと抱きこむ。抱かれるままに縋り付いてきた小さな手を愛しいと思った。
少年が語る途切れ途切れの言葉から両親を突然の事故で失ったことが判った。
<昼間の…葬列か>
さわさわとさざめく木々の声。
昼間、ゆっくりと傍を通り抜けて行った葬列。嘆き悲しむ者、どこか茫然としたまま参列している者。さまざまな者等が通り過ぎていく中に少年の姿はなかった。
<幼子を参列させるには忍びなかったのだろうよ>
囁く声に頷く。
腕の中で震えている子供は既に両親が二度と戻ってこないことを知っている。それだけ聡い、鋭敏な感覚を持っているのだ。葬列の席に立たせては神経をやられてしまったかもしれない。
<…懸命でしたね>
こんなに感受性の強い子供にそれは酷以外の何物でもない。
「…だから叔母ちゃんのおうちに行かなきゃなんないの」
ほんの少しだけ泣きやんだ子供は青年の胸元に顔を埋めたままそう呟いた。
「もうここには来れない?」
小さく頷く。
ここまでに桜の樹精である青年はこの小さな子供に強く惹かれていた。手放したくないと思うほどに。
「…お兄ちゃん、ここでしか会えないの?」
まだここでしか会えない。自分の無力に唇を噛む。
「こんな風にだっこしてくれたの、パパやママだけだったの」
傍に居たいと子供は言った。それは奇しくも青年の願いと同じもの。
「今は一緒にいられないけれど…いつか、一緒にいられるようになるお呪いをするよ」
そっとその柔らかな頬に口づける。
頷いたのを確認して名前を尋ねる。子供は孝也と名乗った。
「私の名前は『尚江』と言います。私の『真名』、覚えていてください」
さわさわとさざめき続けるほかの木々等の戸惑いを余所に尚江は少年へと誓いを立てる。
樹精に唯一度だけ許された誓い。異種族のものと番うためのそれを彼は躊躇わず孝也を守るためだけに使った。
「貴方が傷つかないように…時期が来るまでこの記憶は『封印』します。全ての判断ができるようになるまで貴方をいつでも見ているから」
『真名』を知った孝也の記憶を音を発する口を封じることで『封印』と成す。
泣き疲れて眠ってしまった孝也を抱き上げた直江は背後に揺れる仲間を振り返った。
<…お前に任せたのは早計だったか>
<後悔はしています。こんな幼い子供を『誓い』で縛ってしまった>
<お前、この子供がお前をいらぬといったらどうなるのか判っているのか>
様々に言葉を投げてくる仲間に尚江は穏やかに笑みを向けた。
<構わないと思いました。それでも>
腕の中にすっぽりと納まる少年には彼らの言葉はもう届かない。
樹精は『誓い』を立てた相手に不要とされたとき、文字通り命を失う。異種族とのそれは彼らにとってそれほど重いものだ。
<今夜のことは目覚めた時には覚えていないはず。これからの時間が少しでもこの人に優しくあってほしいと私には願うことしかできない>
風に吹かれて乱れた髪を直してやりながら青年はただそれだけを願っていた。
桜が舞う。
暗く沈んだ夜空に白く浮ぶ花弁が風に乱されて狂ったように舞い散っていく。
ぶるり、と。
体が震えた。
花冷えといわれるこの時期特有の冷え込みは容赦なく体温を奪っていく。
背を包む温もりは今はない。
こんな時にいつも傍にあった存在がどうしようもなく恋しくて。
溢れる涙を止めることができない。
『 』
恋しい相手を呼ぶ声は音にならず、風に飛ばされた。
「…またか」
桜の咲くこの季節、孝也は必ずと言っていいほど同じ夢を見る。と言っても幼い頃などはイメージの残像が僅かに残っている程度なので絶対に同じものだとは言い切れない。
だがいつも必ず共通の現象と共に目覚め、かつ苦しいまでの思いの名残が自分の中に残っている以上、それは同じものと言っても過言ではないと思うのだ。
毎朝泣きながら体を丸めて目覚める。
耐えがたいほどの孤独に打ちひしがれて…なす術も見つからずに泣いている夢の中の自分。何故、なのか。
どうして独りぼっちなのか。
それ以前になぜ彼がそんな夢を見るのか。
すべてが謎である。
そして夢は桜が散り果ててしまうころ、唐突に見なくなる。
いつも、である。
「…いい加減どうにかなっちゃいそうだ…」
『桜』がたぶんキーワードなのだと思う。
しかし夢の中で感じる孤独が現実まで押し寄せてきそうで孝也は一度も花見に出かけたことがない。
年々イメージが現実味を帯びていく。
抱きしめてくれる腕を求めている夢の中の己の想いに囚われそうになったのは未だ昨年のことだ。
どこかで決着をつけなければいつか本当に夢の中に取り込まれてしまう。そんな恐怖感が拭い去れない。
ふるふると頭を振る。こんなのは自分じゃない。身中の虫にただ食われるのを待っているなんて。
そんなことをただ鬱々と考えている中、電話が鳴った。
六畳一間の小さな部屋の中、ただ一つ何が何でもと引いた電話。みずから掛けるわけではなく、それを鳴らす誰かを待つための電話。
考える間もなく飛びつくようにして取った受話器から聞こえてきたのは大学でまぁまぁ仲のいいといえるグループの一人。
花見と称するコンパの誘いだった。
「ちょうどいい具合に花も開いてきてるし、他の連中も今夜なら都合つくっていうからさ。後お前だけなんだ」
「オレは…」
いつもなら即答で断っていたそれをどうしてその時躊躇ったのか。
「いくよね、今日バイト休みだろ?」
電話の向こうの声は孝也が断るなどと微塵も思っていないらしい。そしてこのときの孝也は『夢』に対してどこか理不尽な思いを抱いていた。
断る道理がない。
結果として参加を承諾することになったのだが、これが平穏な生活との決別になるとは夢にも思わなかった。
「仰木、こっちだ!」
午後5時に校内で集合して花見に行く。
それが孝也が大まかに聞かされていた約束事だった。メンバーはいつもそろっている女3人、男が孝也を含めた5人の計8人だ。食べ物関係は女性陣が腕をふるって用意してくれてあるらしい。代わりにアルコールの確保が男どもの役割になっていた。それも孝也が来る前に準備を終えてしまっていた。
「なんかオレなんもしてねぇけど」
「急だったから言いだしっぺが用意させてもらいました。なーんて、ね」
女性陣の一人、中でも飛びきり元気な真沙美がぺろりと舌を出した。
「でも仰木くんが参加してくれるとは思わなかった」
「…なんで?」
問い返した孝也に少しばつの悪そうな顔をした彼女はこう答えた。
「聞いてたの、仰木くんと一緒の高校の子に。この時期のコンパとかって絶対に参加しないって。だから…」
とはいえ、その理由までは聞いていなかったらしい彼女は躊躇いながら孝也に問い返した。隠すことでもないのだが、その理由を他人に話したことは数えるほどしかない。それでもいつのまにか-少なくとも仲の良いメンバーには-知られていた。真沙美が聞いた相手がどこまで知っているのかは知らないが、孝也に関しての知識を少しはもっている娘-だろう-のようだ。
「それとも理由聞いたら拙いことが…?」
「それはないけど…」
あまり自分から話したくはない。『夢』が原因で行動に規制をするなんて年ではないのだ。
けれど…物が物だ。すでに根底にこびりついているといっても過言ではない。こうして今日出てきたのが既にイレギュラーなのだ。それをここで話して分かってもらえるとは思わないから話す気にはなれない。
「話すと長くなるから・・・今はパスさせてくれ」
そう言って苦笑した孝也に真沙美は渋々ながら頷いた。
(今日はこれで逃げるにしても…いつか食いつかれそうだな)
話題が移っていった陰で気づかれないように溜息をつく。こんな時人付き合いが面倒だと思ってしまう自分に軽い嫌悪感を抱いてしまう。
どこか一歩置いた付き合いをしようとする孝也にはだから長く続く付き合いの友人はいない。。もう一歩、を踏み出そうとする時に無意識に間をおいてしまうため、自然に付き合いが離れてしまうのだ。
「仰木?」
呼ばれて孝也は我に返った。
声のかけられた先を見るとほかのメンバーが既に一方向へ歩き始めているのが目に入った。真沙美がまだ何か言いたそうな顔をしている以外、みんなこれから行われる宴会に思考が向いているのが分かる。
少しだけほっとした。
「えーっ!なんでぇ?」
ぞろぞろと歩いてたどり着いた其処は桜の古木が満開の花をつけているのも関わらず、人影を周りに見出すことができなかった。
「なんでなんで?どうして誰もいないの?」
「あ・な・ば。俺も偶然見つけたんだけどさ、見事に人がいないだろ?ラッキーって思ってさ」
騒がしいメンバーを余所に孝也は桜を見上げた。
ねじくれた太い幹。無数に伸びた枝先にたっぷりとつけた花が重そうだ。
そして木の隠れるようにひっそりと建つ古い祠。それらの光景はいつかどこかで目にしたもの。
既視感が孝也を襲う。
意識がぶれ、夢と現実とも境目を見失い、散り狂う花弁に息苦しさが募っていく。
祠の傍らに誰かがたたずんでいる。
それは夢の中の情景と寸分違わぬものだった。
(馬鹿な…)
「おい仰木?」
不意に腕を掴まれて孝也は現実感を取り戻した。
つかんできたのは槇田寛哉。孝也に今夜の花見の連絡をよこした当人だ。
「お前どうしたんだ?さっきから少し変だぞ」
答えず孝也は祠のほうを振り向いた。だがそこに祠は見当たらない。
「槇田…そこに祠、なかったか…?」
「祠ぁ?んなもんあったか?」
彼の返事に呆然とする。ではつい先ほど孝也が目にしたものは一体何だったのか。
「仰木?」
「…いやいい、オレの気のせいだ」
いまだ衝撃からは立ち直れない。
孝也が目にした祠と人影は確かにそこに存在していたはずのものだ。
強い違和感が其処にはある。
しかししつこく追及されるのは煩わしい。だからそれ以上を口にすることを避けた。
それは孝也の無意識化の反応だった。
もう少し詳しく聞きたがる寛哉をなだめながら宴会の準備をしているみんなの元へと歩いていく。
今はまだ深く考えたくはない。
少なくとも孝也自身、今の生活はそれなりに気に入っている。
『結果』が出てしまえばこの『現実』と別れることになることを孝也の『意識』は知っていた。
宴もたけなわ、、みんながみんなほろ酔い加減になってきた中、孝也は誰かに呼ばれたような気がしてまわりを見回した。
誰もいない。
気のせいかと向き直ろうとすると先ほどよりもはっきりと呼ばれる。どうやら先ほど祠が見えたあたりから聞こえて来るようだ。
そっと友人たちの様子をうかがう。彼らの誰も声に気がついた様子はなく、また誰もそんな孝也の様子に気がついた様子はない。
「…誰?誰かいるのか?」
声をひそめて呼びかける。
しかし誰も姿を現す気配がない。
思い切って立ち上がる。呼び止められないことをいいことにゆっくりと孝也は桜の根元、古びた祠を目にした場所へと歩を進めた。
果たして…祠はあった。
「なんだよ、やっぱりあるじゃねぇか。槇田の奴…」
続く言葉は口の奥へと消えた。
祠と共に目に入ったのは一つの人影。
確かに先ほども一緒に目に入った姿だ。
ひっそりと桜の横の祠に寄り添うように立つ一人の男性の姿。
優しげな面差しの和服のよく似合う男だ。
「あんたは・・・?」
問いかけた孝也に優しげな笑みで応える。
その笑みでさえもがやはりどこかで見たような気がする。
既視感と呼ぶにはあまりにもはっきりした感覚。
差しのべられた手に孝也は躊躇うことなく手を重ねた。
その手を軽く引かれて抱きしめられる。それさえも懐かしさを覚えて孝也はそっと目を閉じた。
「…やっと会えた、愛しい人」
溜息のように呟かれた言葉。
深く響く声はいつも傍にあったもの。
ゆっくりと目を開いた孝也に微笑みかけて男は囁きかけた。
「…今『封印』を解きます。貴方の中の『私』を思い出して」
重ねられる唇。
しっとりと覆うそれに蕩然となる。
徐々に深くなる口付けに足元から力が抜けていくのを男の腕がしっかりと支える。それさえも安心感を得て。
「呼んでください。私の『名』を」
「…尚…江…っ」
名前の解放と共に閉ざされていた記憶が蘇った。
孝也が幼い頃、たった一度だけ訪れた桜のもとで出会った人。
一目で引かれ合った。
別れを泣いて嫌がった孝也のために彼は記憶を封印したのだ。
キーワードは『桜』。
辛かった別れを思い出したくなくて、孝也はこの木に近寄ろうとしなかったのだ。
「…だから、か…」
「貴方はまだ小さかった。ああするしかなかったんです」
幼さゆえの一途さ。
硝子のように脆い心を守るために尚江は孝也の想いを『封印』した。
「あの時はあなたを連れて行けなかった。今度こそ…あなたを連れていく」
力強く抱きしめる腕。
そのまますべてを任せてしまいたくなる。
その時孝也の耳の友人たちの声が届いた。
「おい仰木は?あいつどこ行ったんだ」
「しょんべんじゃねーのか」
「やだぁ!」
口々に言いたいことを言っている。孝也が近場に居ることを信じての軽口だ。
「…孝也さん?」
「尚江…もう少しだけ…待ってもらえるか?」
現実との決別の時間。孝也はそのための時間を一週間と期限を切った。
「その間に全部片づける。そうしたら…」
お前といける。そういった。
「できますか?ほんとうに…」
一瞬孝也は言葉に詰まった。
迷いがないわけではないのだ。だが記憶の封印が解けた孝也にとって何よりも大切なのは尚江との時間である。後戻りする気はない。
「私が普通の存在でないことは気付いてるでしょう?それでも…?」
「心細くて泣いていた俺を抱きしめてくれたのはほかの誰でもない、お前だった。それ以外の何の理由がいるんだ?」
迷いを吹っ切った言葉だった。
「…では一週間。その間だけ頑張って待ちます。今度こそあなたを私だけのものにしたいから」
そう笑んだ尚江に孝也は今度は自分から口づけた。
「今夜は…?」
「出来たら一緒にいたい。けれど…」
いいのか、と孝也の背後をうかがう。
彼の友人たちが相変わらず盛り上がっている。
「あいつらには悪いけど…俺もお前といたい。いいか?」
躊躇いながらの孝也の言葉に尚江は笑みで応え、彼の体を抱きこんだ。
歩き出そうとした二人の耳に友人たちの会話が届いた。
「まだ帰ってこないぜ仰木の奴」
「頭冷やしてるだけだろ…あいつ、こういうの苦手みたいだし」
(槇田…)
そんな声を聞きながら孝也は尚江に促されるまま祠へと足を進めていった。
小さく見える祠の扉の内側にはそうとは思えない空間が広がっていた。
「ここ…」
「私たちが出会った場所です。懐かしいでしょう?」
一面を桜の期に埋め尽くされた其処は確かに彼ら二人が出会い、別れた地であった。
「私の本体もここにあります。ほら其処、まだまだ長老たちには敵わないんです」
二人のたったところから少し離れた所に生えている、まだ幹の細めのその木は孝也の横に立つ男そのままに控えめに存在していた。
ゆっくりと歩み寄る。無数の視線が孝也を見ているのが判ったがそれらに敵意は全くと言っていいほど感じられない。むしろそれは尚江の視線に共通しているようだ。
「これ、だね」
「そうです」
彼の本体だという木に触れる。違和感は感じない。まだ細いといえるだろう幹を抱きしめ、口づける。
さわさわと枝が擦れる。まるでひそひそ話をしているようだと孝也は思った。
「話してますよ、みんなが貴方のこと」
「え?」
幼いころ、あまりに悲しげに泣いていた孝也を見かねて慰めてやれと言ったのはここの木々たちだ。
<おお、あの時の子供か>
<無事じゃったか>
<よくまぁ帰ってきたもんだ>
「貴方が無事に帰ってきたことをみんな喜んでくれている」
わかるか、と直江は笑った。
「なんか…さっきから誰かいるのかなって思ってたら…そういうことか」
背後から抱き締めてくる尚江に身をゆだねる。
安堵感だけがそこにはあった。
「孝也さん…今度こそあなたをもらってもいい?」
「いいぜ…お前がいたからおれの今があるんだ」
促されて口づける。
背を滑る手の熱さに知らず体が反った。
「尚…っ」
徐々に服を乱されていく。力の入らない体はいつの間にか幹に持たせかけられていた。
前後から抱かれている錯覚。
いや、錯覚でなく文字通り孝也は尚江に前後から愛されていた。
「尚江…!」
「大丈夫です。あなたに触れてるすべてが私ですよ」
伸ばした指先に触れたものを握りしめる。それが尚江の袷を乱したのに気付いて孝也は頬を染めた。
現実のものではないのだと思っても視覚で捉える尚江は孝也を軽く包み込んでしまうだけの体格を持っている。
触れただけでもわかるそれが乱れた襟ものから見えて鼓動が跳ね上がる。
「なんで…!」
性的な意味合いでの触れ合いなのはわかる。なぜこんなに体が暴走していくのか。異性との付き合いもせずまたその方面には潔癖なほどだった孝也にhs自分の体の変化に戸惑いを隠せない。
そっと髪に触れた手の感触に孝也は強く目を閉じていたことに気がついて恐る恐る瞼を開いた。
優しい笑みを浮かべた直江がいた。
何本もの枝が孝也の崩れそうな体を支えている。それがすべて尚江の腕だと思うといとおしくて仕方がなくなる。そっと指を滑らせると答えるように口づけられた。
「愛してる…あなたしかいらない」
いつの間にか割られていた下肢へと直江の指が滑り下りた。その感触に声にならない悲鳴を上げた孝也はすぐに甘い声を上げさせられることになった。
男が一番に感じる場所。直江の手は孝也のそれを的確に煽り上げていく。
辺り中に孝也のあえぎ声が充満していった。孝也のものに触れるものが指から厚い粘膜に変わり、さらにあおられて声は甘く高く響く。
ひときわ高く細く声が上がり、孝也は尚江の口腔内に思いのたけを吐き出していた。
息が整う間もなく普通なら触れられることのない場所を探られてることに気づく。指が蠢くにつれ、湧き上がってくる不可解な感覚が再び孝也の雄を立ち上がらせるのに気付いて身をよじった。
「…!」
痛みは感じなかった。
尚江の手によってこれ以上ないほど敏感になった内壁を熱く固いものが動いている。泡が絶えずはじけるように快感がそこから湧き上がってくる。先の見えないそれに恐怖さえ覚えて孝也は自分を抱く男に哀願した。
「もう…許し…っ!」
いつまで続くとも知れぬ情交。
男に求められるままに孝也はゆすぶられ続けていた。
「おい仰木、いい加減に…」
孝也が去ったと思われる方向へ槇田寛哉は声をかけた。小便は冗談にしろ、風に当たっているにしては長すぎる。
「仰木?」
そしてついにその日、彼らは再び孝也の姿を見つけることは出来なかった。
翌日、孝也は大学の構内を歩いているときに槇田寛哉に再び捕まった。
「なんだよおまえ昨日は」
「…ああ…悪かった…気分悪くて」
寛哉は孝也の力のない返事にそれ以上強い言葉を躊躇った。
確かに顔色がひどく悪い。
「でもお前そんなに飲んだか?」
「いや…風邪、引いたみたいなんだ」
疲れたように微笑む孝也にそれ以上の追及をやめ、休養を取ることを寛哉は勧めた。
しかしその後孝也の顔からは日に日に血の気がうせていった。
声をかけてくる友人たちの追及をかわしながら孝也は身の回りの整理を進めていた。
顔色が悪いことは自覚していた。そしてその原因も。
再び出会った夜、二人は初めて体を重ねた。他人と初めて肌を合わせる孝也を気遣った直江は慎重に彼を高め、体をつなげるときさえも孝也の快楽を優先した。
それから毎夜、二人はあの桜のもとで逢瀬を重ねていた。
一週間花を持たせる-尚江を含む樹精は花が咲いている間のみ特殊な能力を使うことができる。直江が孝也を連れていく為には花をつけている間にすべてを澄まさなければならないのだ-ため、孝也はより深く尚江から快楽を受け取り、それを彼に返していく。同時に抜かれた精で尚江の花は力強く咲き誇る。翌朝には孝也は尚江の手によってアパートの自室へと送り届けられているのだ。
彼らの逢瀬は誰にも気づかれることはなかった。
そして-この地方の桜の最後の一辺が風に飛ばされた日を境に孝也の消息はぱったりと途絶えた。
書置き一つ残さずに消えてしまった彼の部屋は整然と片づけられており、彼が住んでいた痕跡さえも見つけ出すのは困難だった。
「あいつ…どこきえちまったんだ…」
狂い咲きのように咲く桜の花の間にそれはひっそりと存在していた。
「ねぇねぇ、この桜見て。なんだか恋人同士みたいね」
季節外れの花見に来た一家の幼い姉妹が年に似合わぬおしゃまな口ぶりで指差した先。
そこには桜の若木が2本、まるで寄り添うように絡み合い、花をその枝枝にいっぱいにつけていた。
END