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エデン条約の騒動が落ち着いてから、私は自治区へ戻れた。いつもの見慣れた大通りはまだまだ復興のただ中にあって、昔、宇沢たちに手を貸したときのあの街並みの面影はどこにもない。……酷く寂しい。前まで過ごしていたD.U.自治区が平和ボケじみたこともあって、頭がクラクラしそうになる。
あ、そうそう。
実は……、私、なんやかんやあって、彼氏ができたんだ。
今でも彼、葡萄原タカミチと出会ったのは忘れられない。子どもたちを喜ばせようとしてなのか、モモフレンズのグリーティングが行われていた日だった。
その日、私は愛銃の銃身を買おうと外に出た。当然、街並みにはインフラ工事の業者やスーツに身を包んだ大人が住民に責められている景色なんて珍しくない。大人たちのあんな醜い姿を近くで見ている子どもたちが可哀想だ。そう思って歩いていると、広い公園が見えてきた。あの公園だけは何も変わらず、芝生が青々と生えている。公園に目を凝らすと、モモフレンズの着ぐるみいくつか見えた。あれは確か、隣のクラスの子がバッグに付けていたピンクのペンギン、それに、胴体がのっそりと伸びている猫……。多分、そんなに高価な着ぐるみじゃないのだろうな。かなりくたびれていて、見栄えが悪い。それでも、あの大人たちの争いを目にしてしまっている子どもたちにとって、嫌なことを忘れさせてくれる時間のはず。子どもたちはとても笑顔だ。
……視線を外へ移そうとしたとき、そこにいた大きな人間に目を奪われた。
シャーレの先生よりもさらに大きそうな背丈。
その身の丈よりもさらに大きな対物ライフル。
その体躯を覆ってしまいそうな大きさの、黒い翼。
何より……、キヴォトスの外の世界に住む欧州人のような整った横顔。
こんなにも絵に描いたような、そして、こんな荒れた場所には似つかわしくないイケメン。
恋をしたかった私は、時間も忘れて見惚れてしまった。D,U.自治区でお世話になった玲央君とは違う、大人の美しさを体現させたような容姿に目が離せない。
しばらくして、私は不思議なことに気づいた。……どうして子どもばかりのモモフレンズのグリーティングの様子をじっと見ているのか、と。そもそも、モモフレンズを好きだと公言する人間はキヴォトスでも滅多にいない。尤も、私の知る限りでは、モモフレンズが好きな男なんて聞いたことがないし、怪しく見えてくる。まさか、そういう趣味……。いや、あんなイケメンがそんなことをするなんて信じら、あ、イヤ、信じたくない。確かに、あの後、アイリの彼氏、桃城ショウマがゲヘナの人間だったとは知ったけれど、まさか私までワケありの人間に絡まれてしまうのか、と思わず不安になってしまう。
「どうした?そんなに俺をジロジロと見て」
「ヒャヒィッ!ら、らんれも、ナイディス、ハイ……」
こ、声を掛けられた……。しかも、チェロかギターのような落ち着いた声。ヤッバ……、め、めっちゃエロい。どうしよ、ホント、どうしよ。このままワケありな人間でも構わないからもっと彼を知りたい。あの謎を解明したい。……恥ずかしくも、一声だけで私はまんまとスケベに支配されてしまったみたいだ。
「あのモモフレンズの中で、お前は誰が好きだ?」
「え?も、モモフレンズ?あ、え、えと……、ゴメン。私、モモフレンズには詳しくなくて……」
うん、事実だ。私はモモフレンズには詳しくない。それを訊くならナツやヨシミにしなさいよ。
「あ、ごめん。俺は、……あの青い猫、見えるだろ?あれ」
「あ、あれね。随分とくたびれてる猫、か。アンタはあれが好きなの?」
「あぁ、ウェーブキャットと言うんだ」
へぇ……、ウェーブキャット、ね。猫か……。
「はーん、初耳。でも、言われてみればよく見る気がする」
「そうだろ?あのウェーブキャットを見てると、穏やかな気持ちになるんだ。何でだろうな……、胴が伸びてるからか?」
「そうかもね。何だか、おどけた雰囲気だし」
懐かしいな。モモフレンズみたいな可愛いものに囲まれるなんて、スケバンだった頃には程遠い話だった。可愛いな……。
「俺もああして、モモフレンズで遊びたかったな……」
「「遊びたかった」?変なことを言うのね」
「あ、そ、それは……なんでもない」
どうやら、単にモモフレンズのウェーブキャットが好きなだけだったみたいだ。ただ、新たな問いがまた生まれた。小さい頃の彼はどうだったのだろう?あのウェーブキャットを見て思いを馳せる位だし、……かなり厳格な家だったとか?いや、それなら付き人がいそうだ。すごく、すごく、気になる……。
「ねぇ、そのさ、……私とモモトーク、交換しない?ここで会ったのも何かの縁だし」
「そうだな、俺もお前のことをもっと知りたい。モモフレンズが好きだってことを受け止めてくれたからな」
あ、いや、それは単に気になっていただけで……、でも、彼の足掛かりになると思えば。
「そうだ、名前、言ってなかったね。私は杏山カズサ。アンタは?」
「俺は葡萄原タカミチ。聖アレキセイ学院高等部1年だ」
せ、聖アレキセイ学院⁈かなり歴史のある男子校の生徒、それも私と同じ学年……。自分よりも明らかに大人びてる……。遠くからでも分かるその大きい背丈は、近くに寄ると見上げても顔の下しか見えない。……デカい、とにかくデカい。同い年とは思えないって。
「杏山カズサ、か……。お前、トリニティか?」
「そ、そうだけど……?」
タカミチは険しい顔になる。元々大きな身体だからこそ、尚更凄みが増す。
「パテルのヤツか?」
パテル……?し、知らない知らない。確か、ティーパーティーで聞いたことがあるような……。
「ほ、本当に知らない。し、知らないってば!」
タカミチは少し、顔をそらした。そのときの彼を忘れることはないだろう。何せ、……手の甲に筋が浮き上がる位に爪を立てていたから。……何か、嫌なことがあったのかな。
「……そうか。なら、よろしくな」
「え、えぇ、よろしく……」
不思議な男だ。トリニティに対してどんな因縁があったのだろうか。でも、それを訊いてしまったらそれこそあの子のように消えない傷をつけてしまうかもしれない。私たちはモモトークを交換し、その日は別れた。日差しはまだまだ高い。
それからしばらく、タカミチと遊びに行くことが多くなった。
愛銃のメンテナンスの手伝いをしたこと。
スイーツショップで一緒に食べたこと。
2人でレアチーズケーキを作ったこと。
いつもの上着を縫ってもらったこと。
……あの外見からは想像できない程に、料理や裁縫、スイーツにとても詳しい……。そう、「女子力」に当たるものが多く当てはまるのだ。あのサッパリとした顔立ちで華やかな料理やきめ細かい手縫いを作り上げる姿には、相手は男だと分かっても「ママ……」と呼びそうになる。それにしても、ナツたちに見られなかったことが幸せだった。ナツはこういうことを知ったら知ったで悪ノリしてくる。多分、彼もそういう悪ノリをあまり好まないだろうな。そうして、私とタカミチは少しずつ仲良くなった。いつしか、私は彼を「ミッチ―」と呼ぶようになった。
そんなある日。
私はタカミチとクレープを食べながら大きな交差点を歩いていたときだ。
「ティーパーティーホスト 聖園ミカ(17) パテル分派に関する真偽不明の情報を暴露 分派幹部は情報を虚偽として弾劾裁判を起訴する予定」
その大通りに見える、大きな電光掲示板にはその文字が映っていた。正直、あの事件で何が起きたのかは知らない。その情報がどれ程重大な話なのかも実感も湧かなかった。……隣のタカミチが震えるまでは。
「……、……、……、……!」
右手のクレープは力を込めたあまり、中身のホイップも果物も全てアスファルトに堕ちてしまっている。顔にはダラダラと玉のような汗が煌めく。一目で見なくても、いつものタカミチらしくないことは明白だった。
「だ、大丈夫⁈……お、落ち着いて。そう、息を吸って、吐いて……。む、無理はしないで。どこかに、移ろうか」
私は空いている左手をつかんで、雑踏を突っ切って路地裏へ向かった。私よりもはるかに大きな彼の身体は嘘のように軽く感じられ、ちょっとでも突いたら崩れてしまいそうな危うさがあったように思う。それこそ、背中の翼から全部の羽が飛び散り、無残な姿を見せるかのように。
それにしても、「パテル分派」……。もしかして、彼はパテル分派にいじめられていた⁈そうだとしたら、トリニティに警戒するのも無理はない。でも、わざわざパテル分派だけを憎んでいるのは何かあるはずだ。……あぁもう。玲央君だったらこういうとき、どうするんだろう?彼ならきっと、相手の心の傷を労わってあげながら話ができるかもしれない。でもその玲央君はここにはいない。私が彼のようにならないと。
路地裏に着いた。ここは湿り気もあって少しかび臭い。でも、あの雑踏と違って私たちの自由がある。その狭い場所では、タカミチの大きな身体は不釣り合いだ。あんなに大きな翼は項垂れていて、普段はキリッと締まった口がだらしなく空いている。
「ミッチー、……大丈夫?何かいやなことがあったの?」
「……あ、あぁ、なんでもない」
あぁもう!そういうのがカッコいいとか思ってんの⁈ムカつく……!
「……なんでもないなんてわけないでしょ!あんなに動揺してるアンタなんて見たことないし。……答えて。パテルとかに何かされた?」
「……本当になん」
「無理になら答えなくていいわ。でもね、私はアンタの友達として悩みに向き合いたいの、お願い」
タカミチは外を見てから、こちらに顔を向ける。いつもの表情に戻っている。
「本当に、いいのか……?」
「……うん」
「分かった。お前にはかなり辛い話になるが、それでもいいか?」
「いいよ、最後まで聴くから」
そうして、タカミチは自分の過去を話し始めた。
俺は実は、……純粋なキヴォトス人ではないんだ。元々はその、祖母ちゃんが外の世界からやってきた人間だった。世界史の授業でも学んだだろ?俺たちが生まれるはるか昔、外の世界では長い間、大きな戦争があったって。祖母ちゃんはその戦争で兵士を慰める仕事をしてたけれど、戦火から逃げに逃げて、このキヴォトスに着いたそうだ。その土地で祖父ちゃんと出会って、結婚して家庭ができた。
だが、本当に大変なのはここからだった。
祖母ちゃんは小さい頃から俺に「パテルの奴らには気をつけなさい。あいつらは人を人とは思っちゃいないよ」とよく言い聞かせてくれたんだ。小さい頃の俺はどうしてなのかそれが分からなかった。どうしてなのかと俺が訊くと、いつもそっぽを向いて「そうだねぇ、お前に教えるにゃまだ早いだろうね。あたしがただの人間だったばかりに……」と言っては俺の頭をよく撫でてくれた。皺くちゃで、カサカサしていて、チクチクと痛かったけど、とても優しい手だったなぁ。
……そのパテルの奴らに捕まったのはその次の日だった。
祖母ちゃんと一緒に買い物をしていたときの帰り道。その道中にそいつらは現れた。
――トリニティを穢す異端者よ!すぐに立ち去りなさいな!
祖母ちゃんは慣れた手つきで銃を撃った。祖母ちゃん、カッコいい。そう思ってたら、後ろから抱き着かれた。
――邪悪な異端者はこちらで「再教育」してあげますわ。
その言葉を聞いたそれから先は思い出せない。多分、あまりにも怖くて気を失ったんだろうな。あ、そうだ。祖母ちゃんが遠くで俺の名前を呼ぶ声が段々と遠くなったのも覚えてる。あんなに心強かった祖母ちゃんが、あのときは酷く弱弱しそうに見えたよ。
目を覚ますと、俺はパンツだけの姿のままだった。右側には冷たい感触。視界は白一色。それに、周りからは人の声がする。どこだ、俺はどこにいる?……それで頭が一杯だった。
「皆皆様、こんばんは。本日の異端審問トリニティの平穏を願い、異端者の断罪をして差し上げましょう!」
……異端者?俺のどこが?心当たりなんてない。あのときは幼かったにしても、悪いことなんてした覚えもない。世界全部が俺の敵になったような気分だ。
「さぁ、こっちに来い!いつものが嫌ならあの異端者と肌を重ねろ!」
「は、ハイ……」
誰か来た。女、か?一人は怖そうな人、怯えている女の方はこれといって特徴のない見た目だったのを覚えている。連れられた女は周りを見回すと、……何とそこで服を脱ぎ始めた。
「お笑い種ですわね!あんな穢れた異端者を抱こうなんて、悪趣味ですわね」
「まさにそうね。魔女どころかスラターンよ!」
今ならあのときに聞いた言葉の意味が分かってしまう。あぁ、俺はアイツらの慰み物にされてたんだ。
「ご、ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはないの。でも、で、でも、……私はいじめられるのはもう耐えられない……」
目の前の女は裸になった。思えば、生まれて初めて家族以外の女の裸を見たのはこれだった気がする。俺の身体にはない、丸く、大きく膨らんだ胸。そして、俺にはある股の袋や棒がない。その代わり、なぜか黒ずんでいる。その女は足を上げたと思うと、膝をついて俺の近くにやってきた。思わず、綺麗だと呟いてしまった。
「さぁ、おやりなさい。血統を穢し、淫売の身に生まれた異端者に、その身体で罰を!」
「罰を!」
「罰を!」
「罰を!」
「罰を!」
あちこちで同じ言葉が聴こえる。意味は分からない。ただ、さっきから俺は悪者のように扱われているのは確かなようだ。
「主よ、い、異端者と、いんば、淫売に身をやつす、私めをお、お許し、ください……」
女は俺に顔を近づけた。口が苦しい。しかも、ヌメヌメした何かが口に入ってくる。それと同時に、俺の股が急に傷みだした。見ると、棒がいつもと違って、硬い。
「何とまぁ!異端者でありながらこんなにも雄々しく立つとは……。何て醜い」
女は俺の翼をつかんだ。そして、何もないように見える股を近づける。そこはよく見ると、溝のような、穴のような皺があった。しかも、何やらイヤな臭いがしている。
「ごめんね、こんなこと、間違ってるけど、……許して!」
今までに味わったことのない、凄まじい感覚。
全身の全部が股に集まるような気分だった。それから女は俺を抱きしめた。いや、思い返せば、あのとき、必死になって腰を俺の股にぶつけていたのかもな。
その中で、俺の棒から何かが出てきた、気がする。そのときは知らなかったが、俺はあのとき、精通を経験したらしい。正直、気持ちいいというよりはあまりの大変さに呆然とすることしかできなかった。
「判決は……有罪のようですね」
「では一同、出席した順に並んで、刑を与えましょうか」
さっきまで傍にいた女は物のように引きはがされ、俺は後に続く女たちの相手をした。何度も何度もあの感覚を味わっては、あの臭いを嗅がされては舐めさせられ、翼をつかまれては踏んづけられ……。とても苦しかった。
次の日、解放されてから迎えに来た祖母ちゃんが「ごめんね、ごめんね……」と謝っていたのは不思議と覚えている。
……人生で初めて、「絶句」という言葉は本当にあるんだと実感した。私が玲央君にかつてしたあのエッチが、一歩間違えたら彼のように消えない傷になってしまったかもしれないからだ。何も、何も言い返せない……。
「悪い、カズサ。こんな話をしてしまって……」
「いいよ。いつでも辛くなったら私を呼んで。アンタの全部を受け止めてあげる」
タカミチは私よりも背も大きい。並ぶと私の頭の耳が顎先にすら届かない。受け止めるなんて大げさかもしれない。でも、彼をこれ以上、苦しめたくはなかった。それでも、玲央君が私のためにエッチに付き合ってくれたように、今度は私が彼を支えたい。
タカミチは前に傾いたと思うと、私の胸に顔を埋めた。服の上からでも鼻息が感じられる。あの対物ライフルを持ちあげられる剛腕は、嘘のように弱弱しく、背中の翼は大人しい。あぁ、辛くなったときはエッチだけじゃなくて、ただそっと抱きしめてあげればいいんだ。玲央君には申し訳なくなってくる……。別れてしまった今では、あの子が道を踏み誤らないことを祈ることしかできない。
「ねぇ、ミッチー。さっきのクレープ屋さん、行ってみる?」
「……急にどうした?」
「どうしたも何も、アンタ、食べそびれたでしょ?私が買ってあげるわよ。これからは私がアンタを守るから」
「……ありがとう」
私はタカミチの手を取った。そして、大通りへと歩く。そこから見える景色は、さっきまでとは違い、もっと遠くまで見られそうだ。
「なぁ、これからアイツらは変われそうか?」
アイツら?あぁ、彼女たちのことか。
「どうだろうね。私は詳しくないけれど、これから大きく変わってくかもしれないわね」
他愛のない返事。でも、スマホの通知を見たときに確信した。
「ティーパーティーの暴露をした聖園ミカ(17) パテル分派による「異端審問」と称した精虐待事件被害者の会への謝罪及び支援の意思を表明」
あぁ、これから時代は変わってくんだ。私も変わらなきゃ。
私たちはさっきまで歩いた道を思い出すようになぞりながら一緒に歩いた。