村民の放った業火が、すべてを焼き尽くしていた。
夜空を焦がす赫怒(かくど)の炎は、杉の巨木を爆ぜさせ、むせ返るような血と肉の焦げる匂いを谷底に充満させていた。
高知の深い山奥の先祖祭りの日。墓地を包み込んだ炎は、一族の男たちを、そして何百年と堆積した坊之宮家の血を、容赦なく灰に変えていった。
逃げ惑う者たちの悲鳴すら今はもう遠い。坊之宮美希(ぼうのみや みき)の網膜に最後に焼き付いたのは、猟師の放った銃弾に胸を撃ち抜かれ、血だまりの中に崩れ落ちた晃(あきら)の姿だった。
愛した男であり、自らが産み落とした息子。その禁忌の命が絶たれた瞬間、美希を縛り付けていた血族の鎖もまた、悲鳴を上げて断ち切られた。
燃え盛る故郷を背に暗い獣道を下り、美希は憑かれたように東に向かった。
数日後、徳島のうらぶれた産婦人科で、彼女は冷たい手術台の上に脚を開いていた。
腹の中に宿っていた、晃との間にできた胎児。それを鉄の器具で無残に掻き出される激痛の中で、美希は一滴の涙も流さなかった。ただ薄暗い天井を見つめながら、己の胎内からドロドロとした肉が削り落とされていくのを、じっと耐え忍んだ。
下腹部に重い痛みを抱えたまま、美希は鳴門海峡を渡る長距離バスの窓際で、じっと下を俯瞰していた。古びたディーゼルエンジンが唸りを上げ、巨大な橋梁を渡るタイヤの振動が、後戻りできない轍(わだち)となって美希の骨にまで響いてくる。
橋の下では、巨大な渦潮が轟音を立てて白い牙を剥いている。鳴門海峡を越えて兵庫へ、そして西の忌まわしい因習から遠く離れた関東、東北へ。二度と戻ることのない逃避行だった。
少しだけ開けた窓の隙間から、潮風がひどく冷たく頬を打つ。眼下で狂ったように渦を巻く海面を見下ろしながら、美希はふと、かつて自らの手で漉いていた冬場の和紙の冷たい感触を思い出した。
楮の皮を剥ぎ、極寒の水で洗い、木の棒で何度も何度も叩き潰す。あの暴力的なまでの痛みを経て、和紙は純白の強靭な姿へと生まれ変わるのだ。
「鳴門の渦潮で、洗われて、叩かれて、……私は、まっさらになるんだ」
乾いた唇から、誰に聞かせるでもない声が漏れた。海鳴りに負けない、地の底から響くような声だった。
どんなに叩かれても、引っ掻かれても、絶対に破れない、和紙のような強い女になる。
海を越えた先に何が待っているのか、美希には分からない。しかし、まだ見ぬ未来に自分の轍を刻むため、今、境界を越える。