「F1・ピットクルー」:0.1秒を削る究極のピット作業 作:坂本太郎
「メンテナンス、全シーケンス完了。……次回の出走アナウンスがあるまで、このまま『スリープモード』で待機してください」
ガチリ、という無機質な電子音とともに、私の四肢を処置台に縛り付けていたすべての拘束具(クランプ)とハーネスが一斉に解放された。支えを失った私の肉体は、自重を支えることすらできず、まるで糸の切れた人形のようにガレージの冷たいコンクリート床へと膝から崩れ落ちた。
物質としてのパッキング
エンジニアたちは、床に頽れた私を一瞥することすらしない。
彼女たちの関心はすでに、この実験で得られた膨大なテレメトリーデータの解析と、使用した機材のメンテナンスへと完全に移行していた。一晩中私を蹂躙し続けた精密プローブや加圧ポンプ、チタン製のリングが、まるで使い古したスパナやラチェットを工具箱へ片付けるかのような、金属的な音を立てて手際よく収納されていく。
「メインコンソール、パワーオフ。バックアップ電源のみオンライン」
「テストサンプルの冷凍保存、完了しました。これよりラボへ搬送します」
白衣の裾を翻し、無機質な足音を響かせながら、彼女たちは一人、また一人とピットの奥に広がる研究棟の闇へと消えていく。最後に残ったチーフ・エンジニアが、コンソールのマスターレバーを静かに引き下げた。
バチ、バチ、と非常灯の明かりが次々と消え、ガレージは深い暗黒へと逆戻りしていく。ゴゴゴゴ……と再び重低音が鳴り響き、僅かに開いていた油圧式のシャッターが完全に閉じられた。外界のフレッシュ・エアは遮断され、ピットは再び、密閉された巨大な金属の檻へと変貌を遂げる。
空虚という名の駆動音
完全な孤独のなか、残されたのは冷たいコンクリートの感触と、全身の神経網を駆け巡る「空虚という名の快楽」だけだった。
限界まで内圧を高められ、高圧の食塩水で最後の一滴までフラッシングされた私の体内には、もはや何も残っていない。文字通り、すべての燃料と潤滑を絞り尽くされた、ただの空っぽの金属容器(シリンダー)だった。
だが、その絶対的な空虚こそが、彼女たちに完璧に調律され、支配し尽くされたことの何よりの証拠であった。
私は、微かに痙攣を続ける指先を震わせながら、先ほどまで彼女たちの冷徹な指先や高周波デバイスが執拗に触れていた、自分自身の「部品(ペニス)」をそっとなぞる。
そこには、愛を交わした後に残るような人肌の温もりなど、微塵も存在しない。あるのはただ、高圧冷却ジェルによって芯まで冷え切り、しかし激しい摩擦によって皮膚の表面だけがパチパチと異常な感覚を帯びている、非人間的な質感だけだ。
それは、完璧にクリアランスを調整され、極限のボアアップを施されたレーシングマシンの心臓部が持つ、独特の「無機質な美しさ」に似ていた。人間としての生々しい欲求や感情をすべて剥奪され、ただ限界の数値を叩き出すためだけに磨き上げられた機械としての、歪んだ誇りがそこにはあった。
終わりのない待機(スタンバイ)
ドク、ドク、と、静寂に包まれたガレージに、私の心臓の鼓動だけが重低音となって響く。
それは、次なる過酷な走行実験(セッション)を、あの皮膚を引き千切るような「虐待的なメンテナンス」を狂おしいほどに待望する、暴走寸前のエンジンのアイドリング音そのものだった。一度この冷徹な工学的官能を刻み込まれた肉体は、もはや通常の愛撫では二度と点火することのない、高圧縮・高回転の特殊仕様へと作り変えられてしまっている。
「……ツ……、チェック……完了……。全システム……、オールグリーン……」
掠れた、もはや言葉の体をなしていない排気音のような呟きが、暗闇に溶けていく。
完全にクローズされたガレージの僅かな隙間から、夜明けの鋭い光線が差し込み、ピットガレージの床に飛び散った「戦いの痕跡」――白濁した液体の飛沫や、拭いきれなかったオイルの染みを、冷酷なまでに鮮明に照らし出していった。
その光のなかで、私はただ静かにスリープモードの闇に沈みながら、再びあの冷たいラバーグローブが私の肉体に触れ、V12の咆哮がガレージを震わせる「次のセッティング」の瞬間を、狂信的な飢餓感とともに待ち続けるのだった。