「F1・ピットクルー」:0.1秒を削る究極のピット作業 作:坂本太郎
「……対象のスリープモードを解除。これより第1次予熱(プレ・ヒート)プロセスを開始します」
完全な静寂と暗黒に包まれていたピットガレージに、突如として高電圧トランスが発する特有の低周波のハミング音が響き渡った。遮断されていたシステムのコンソールが次々と起動し、緑や赤のインジケーターランプが暗闇の中に不気味な星座を描き出す。
床の冷コンクリートの上で、使い古されたスクラップのように頽れていた私の肉体に、容赦のない足音が近づいてきた。
サーマル・ロス(熱損失)の検知
現れた一人のエンジニアの手には、肉体の微細な表面温度の変化を可視化するサーモグラフィ・カメラと、神経束へ直接アクセスするための極細の針状電極(ニードル・プローブ)の束が握られていた。
液晶画面に映し出された私の肉体は、長時間の待機(スタンバイ)によって熱を失い、青から緑の冷たい色相へと完全に沈んでいる。
「深部体温、36.2度。……末梢血管の収縮による若干のヒートロス(熱損失)を確認。このままではオイル(血液)の粘度が高すぎ、高回転駆動に対応できません。強制的に内部から『摩擦熱』を発生させ、燃焼室を最適温度まで引き上げます」
彼女は床に伏せる私の髪を掴んで顎を乱暴に引き上げると、手にしたデバイスのスイッチを入れた。先端に組み込まれたセラミックヒーターが瞬時に加熱され、高熱を帯びた金属製のプラグが、私の乾ききった口腔内へと強引に挿入された。
「んぐっ……!? 熱、い……っ、あ……ガッ……!」
熱膨張を起こすような金属の熱が、舌の粘膜から喉の奥へとダイレクトに伝わり、私の口腔内を急激に焦がしていく。あまりの熱量に唾液が異常分泌されるが、それはインテークを潤すための機能的な冷却水として即座に沸き立ち、ジュクジュクと音を立てた。
「身悶えしないでください。これは吸気系(インテーク)の結露を防ぎ、混合気の充填効率を最大化するための極めて標準的な予熱処置です。……呼吸を一定に保ち、熱を肺から全身へと循環させなさい」
神経回路の導通テスト(コンダクション)
エンジニアはプラグを固定したまま、もう片方の手に持ったニードル・プローブの束を、私の脊椎の付け根、そして太腿の裏側にある主要な神経節へと迷いなく突き刺した。
「これより、全身の神経回路における『導通テスト』を行います。パルス入力、30ミリアンペア。周波数、10Hz」
パチッ、と肉の焼けるような微かな音がした瞬間、私の四肢に文字通りの電撃が走った。
「あ、が……ッ!? ひ、ううううっ!!」
前回のセッションで「不感帯(デッドゾーン)」を書き換えられ、麻痺していたはずの神経回路が、高電圧のパルスによって強制的に叩き起こされる。電気信号が脊髄を逆流し、脳幹を感電させるような激しい痛覚と、それに伴う不自然な機能的興奮が、私の肉体を激しくノッキングさせた。
「各神経末端への導通、極めて良好。インピーダンス(抵抗値)も許容範囲内です」
彼女は私の首筋の血管が激しく拍動を始めるのを見届け、冷淡にピンセットのノブを回す。
口腔内を焼くプラグの熱と、脊髄を貫く電気の暴力によって、私の体内には急速に「再始動」のための狂気的な予熱が蓄積されていく。それは、凍りついていたシリンダーブロックに強引に火を入れ、次の爆発的な駆動へと向かうための、冷徹極まるカウントダウンの始まりであった。