「F1・ピットクルー」:0.1秒を削る究極のピット作業 作:坂本太郎
「シャットダウンから180秒経過。内部圧力および熱分布の安定を確認。……これより、次期セッションでのデータエラーを防ぐため、生体ラインの『残留応力(残留快楽)』の完全除去を開始します」
完全な暗黒に沈んだはずのピットガレージに、今度は人間の視覚を狂わせるような、紫外線に近い青白い高輝度LEDが妖しく点灯した。
私の肉体は、全身を覆う導電性ポリマーの薄膜に包まれたまま、あたかも見本市に展示された未来的なスタディ・モデル、あるいは非稼働状態のモックアップのように、その無機質な光を鈍く弾いている。
キャビテーション(超音波洗浄)の衝撃
チーフ・エンジニアが、超音波洗浄器を模した流線型のハンドデバイスを起動させた。キィィィン……という、耳条を劈くような不可聴域に近い超高周波の駆動音がピットの壁を微かに震わせる。
彼女はその冷たい発振ヘッドを、私の硬直した喉元から胸元、そして最も過酷な負荷を掛けられ続けた下腹部へと、一定の速度で滑らせていった。
「微細な超音波振動(キャビテーション)を皮膜越しに印加。神経端子の受容体に固着した、過剰な『恍惚の滓(残留パルス)』を分子レベルで完全に引き剥がします」
「あ、ぁ……っ、変な、感覚が……脳の、中を……かき回される……っ!」
デバイスが触れた部位から、皮膚を透過して骨の髄、そして内臓の壁へと、目に見えない無数のミクロの衝撃波がダイレクトに突き抜けていく。それは快感でも苦痛でもない、神経細胞そのものを超高速で洗濯されるような、経験したことのない奇妙な戦慄だった。脳内テレメトリーにこびりついていた前章の絶頂の残像が、その振動によって文字通り粉砕され、白いノイズとなって霧散していく。
ショットピーニング(表面改質)の擬似再現
この超高周波洗浄は、長距離の耐久レースによって限界以上の金属疲労を起こしたクランクシャフトやギヤの表面に、微細な鋼球を衝突させて残留圧縮応力を与え、表面強度を飛躍的に高める「ショットピーニング加工」そのものであった。
彼女たちは、私のボロボロに疲弊した神経束の微小なクラック(疲労痕)を、この振動の暴力によって強引に叩き潰し、次の超高回転駆動に耐えうる「強靭なパーツ」へと鍛え直しているのだ。
「各神経節のインピーダンス、均一化(フラット)へ向かっています。感覚のサチュレーション(飽和状態)は完全に解消されました」
「ストローク・センサーの応答性、初期値(工場出荷状態)へのリセットを確認」
エンジニアたちは、私の肉体が振動の恐怖にピチピチと不自然に跳ね上がるのを、ただの加工プロセスの進捗としてモニターで見守っている。
「これで内部の曇りは完全に除去されました。あなたの感覚システムは、再びクリアな入力を受け付ける準備が整った。……次なるテストにおける『純粋な負荷』を、余さず記録するための白紙のキャンバスに戻ったのです」
デバイスのスイッチが切られ、不気味な高周波音が止む。
後に残されたのは、あらゆる快楽の記憶を工学的に洗い流され、極限の冷徹さで研ぎ澄まされた、ただただ次の点火(リブート)を待つためだけの、完璧にオーバーホールされた肉体という名のシャシーだった。