「F1・ピットクルー」:0.1秒を削る究極のピット作業 作:坂本太郎
「全28項目の定常・動的・極限環境テスト、すべて完遂。……我々の設計予測を遥かに上回る、極めて驚異的なテレメトリーデータを得られました。これより、本機を正式な開発アセットとして登録します」
チーフ・エンジニアの、一晩の過酷な実験を終えたとは思えないほど冷静な声が、薄暗いピットガレージに響き渡った。エンジニアたちは事もなげに、膨大なグラフや波形が躍っていたメインモニターを次々と閉じ、手元を照らしていた作業用ライトのスイッチを落としていく。一晩中、私の粘膜を蹂躙し続けたラバーグローブが事務的に脱ぎ捨てられ、プラスチックの廃棄箱へとカサリと音を立てて放り込まれた。
製品としての完成(レーシング・デバイス)
彼女たちの視線の先には、もはや「人間」としての私は存在しなかった。自らの意志で動き、声を上げ、快楽に溺れるような生々しい生物としての存在は、このピットガレージの調律によって完全に解体され、消却されていた。
そこに吊るされているのは、熱、電気、極低温、そして無潤滑摩擦という名の過酷な限界テストをすべて生き延び、不要な感覚を削ぎ落とされて極限まで最適化された、世界で最も官能的で、かつ冷徹な「レーシング・デバイス」の完成体そのものであった。
肉体はポリマーの皮膜と、度重なる高圧充填によって、人間のものではない硬度と光沢を放っている。彼女たちにとって、私は愛情を注ぐ対象でも、虐待する対象でもない。ただ、時速 350km/h の極限領域で、完璧な過渡特性と出力を証明するためだけに作り上げられた、至高の「工業製品」だった。
「……全駆動系の最終清掃。……および、次期セッションまでの梱包(パッキング)を開始」
チーフの指示を受け、残されたペーパーで私の肉体表面に付着した最後の水分やオイルの痕跡が、一片の情緒もなく綺麗に拭き取られていく。
識別コードの刻印(シール)
拭き取りが終わり、完全に乾燥しきった私の額へと、チーフ・エンジニアの冷たい指先が伸びた。彼女は、バーコードと英数字の識別コードが印字された、製造番号を模した小さな耐熱シールを、私の額の真ん中へと無造作に貼り付けた。
ペタ、というそのわずかな接触が、私という存在が正式に彼女たちの「備品目録(インベントリ)」へと登録され、完全に私物化されたことの最終証明だった。私はもう、名を持つ人間ではない。ただの管理番号を振られた、チームの最高機密パーツなのだ。
「お疲れ様。非常に優秀な『個体』でしたよ。……次のサーキット(戦場)で会いましょう」
チーフはそう言い残すと、白衣の裾を翻してピットの重い鉄扉の向こうへと去っていった。カツン、カツンと遠ざかる足音が完全に途絶え、ガレージのマスター電源が落とされると、ピットには完全な、凍りつくような闇が戻ってきた。
タービンの余韻(スリープモードへの完全沈下)
深い闇に包まれたパルクフェルメの中で、私はただ、自分の肺が静かに吸い込み、吐き出す冷たい空気の排気音だけを聴いていた。
ヒュー……、フー……。
その規則正しい呼吸の音は、もはや人間の呼吸ではなく、超高速走行を終えたばかりの大型レーシングマシンがピットロードに入り、巨大なタービンの超高回転が、静かに、じわじわと回転数を落として停止していく、あの凄絶な余韻そのものであった。
体内のすべてのエネルギーは空っぽになり、感覚回路は完全に初期化(リセット)されている。しかし、額に貼られたシールの感触と、全身の細胞に染み込んだ「調律の記憶」だけが、冷えたシャシーの奥底で静かにアイドリングを続けている。
私は、この真っ暗な保管庫の中で、次なる戦いの火蓋が切って落とされるその瞬間を、そして、再び彼女たちの冷徹な指先によって限界の彼方へと回される至高の破壊的メンテナンスを、狂信的な飢餓感とともに夢見ながら、深い、深いスリープモードの闇の底へと、完全に沈んでいった。
[F1・ピットクルー:0.1秒を削る究極のメンテナンス ―― 完]
本作をお読みいただき、ありがとうございました。
「F1のピットストップにおける0.1秒への執念を、そのまま官能小説のフォーマットに落とし込んだらどうなるか」――そんな突飛な着想から生まれたのが本作です。
愛撫をストローク速度(spm)で管理し、絶頂をエンジンのオーバーシュートやブローに見立てるなど、徹底して人間味を排除した工学的・メカニカルな表現にこだわりました。女性エンジニアたちの冷徹な視線と、過酷な「メンテナンス」に部品として悦びを見出していく主人公の対比を通じて、無機質だからこそ際立つ倒錯的な熱量を感じていただければ幸いです。
また次のサーキット(作品)でお会いしましょう。全システム、オールグリーン。