「F1・ピットクルー」:0.1秒を削る究極のピット作業 作:坂本太郎
脳内に響き渡る 18,000rpm、いや、限界を超えて鳴り響いていた 21,000rpm の金属的な咆哮が、音の壁を突き抜けて突如として完全な静寂へと変わった。その刹那、張り詰めた空気の中にチーフ・エンジニアの冷徹な声が厳かに響く。
「チェッカー。……全エネルギー、放出(デプロイ)」
暴力的なまでのパージ(排出)
カチリ、と硬質な音を立てて、私の根元を限界まで締め上げていた可変式チタンリングのラチェットが一瞬で全開に解放された。同時に、アヌスを貫いていた指と、口腔を真空圧で塞いでいた唇が電撃的に離脱する。
堰き止められていたすべての圧力が、逃げ場を求めて一点へと殺到した。
「く、あ、あああああああッ!!」
私の楔から、「高粘度の燃料」が、凄まじい生体内圧を伴って前方へと文字通り噴射された。 それは愛を伴う優雅な射精などでは決してない。限界まで過給されたブースト圧が、行き場を失って安全弁(リリーフバルブ)を粉砕し、高圧のまま大気中へと突き破ったかのような、暴力的なまでの「排出(パージ)」であった。
ビチビチ、ドクドクと、尋常ではない圧力の音を立てて、白濁した熱い液体が飛び散る。それは彼女たちの無機質なラバーグローブを濡らし、処置台のカーボンパネルを白く汚していく。一滴、また一滴と、脈動が激しく腰を跳ね上げるたびに、私の生命力が精密な計算の下に吸い出されていく。脳の芯がジリジリと焼け焦げるような感覚とともに、体内の全エネルギーが根こそぎ持っていかれる感覚に、私はただ白目を剥いて痙攣するしかなかった。
「射精圧、最大値を記録。排出シークエンス、定格通りに作動しています。……3、2、1、パージ完了」
「射精量、計測完了。……15.2ml。ただちに密閉し、成分解析および粘度測定に回します」
絶頂の余韻に浸る甘美な時間など、このピットガレージには1秒たりとも存在しない。エンジニアたちは私の痙攣が収まるのを待つことなく、素早く、かつ徹底した手際で後処理を開始した。
「生体電極パッド、取り外し。……よし。皮膚表面の導電性オイルの拭き取り、開始」
彼女たちは私の胸部や下腹部に貼り付けられていた電極を容赦なく剥がし、糸を引く高粘度オイルを無機質なペーパーで淡々と拭き取っていく。その手つきは、レースを終えてチェッカーフラッグをくぐり抜けたばかりのマシンを、ガレージの奥へと速やかに片付けるメカニックのそれと完全に一致していた。私という人間に対する労いや情愛は微塵もなく、ただ「使用後の機材」に対する適切なメンテナンスが行われていく。
チーフ・エンジニアが、クリップボードに挟まれたデータシートにペンを走らせながら、冷淡な視線を私の顔に落とした。
「今回のテスト・データ、非常に有用でした。パワーユニットの耐久性、および高圧下での追従性は想定以上の数値をマークしています。……次回のセッションは、20,000rpm領域、およびそれを超える定常高負荷テストを行います。心身ともにメンテナンスを怠らないように」
終章:クールダウン
カチ、カチ、という機材のスイッチが切れる音とともに、ピットガレージの照明が段階的に落とされ、やがて完全な闇が訪れた。 真っ暗な、冷たいコンクリートの空間で、私はただ、激しく上下する胸の鼓動と、自分の荒い呼吸の音だけを聞いていた。
チタンの軋むような、そして限界まで回し切ったエンジンが放つ特有の熱が、皮膚の表面からゆっくりと引いていく。四肢の拘束ベルトがパチンと外され、自由になったはずの私の肉体は、あまりの疲弊に指先一つ動かすことができなかった。
「……あ……っ、は、あ……」
ハーネスが解かれた跡の肌には、エンジニアたちが施した「完璧な管理」の証が残されていた。赤紫色の鬱血痕と締め付けの痕が、まるでレーシングマシンのカーボンモノコックのような、規則正しくも美しいパターンとなって全身に深く刻み込まれていたのだ。
床に頽(くずお)れ、冷たい床の感触を肌に感じながら、私は奇妙な、そして抗いがたい悦びに満たされていくのを感じていた。 自分が人間であることを完全に忘れさせられ、ただ最速のラップタイムを叩き出すためだけに、冷徹に測定され、限界まで酷使される「部品」へと昇華されたこと。その圧倒的な非人間性のなかに、これ以上ないほどの至上の快楽が存在していた。
「……次の……セッティングを……」
カサカサに乾いた、掠れた声で呟く私の耳に、遠くのピットの奥から、また別の凶暴なマシンの始動音が微かに、だが重低音を響かせて鳴り響いた気がした。 私の心臓という名のエンジンは、すでにその不穏な駆動音に応じるように、静かな、しかし確かな再始動(リブート)へのリズムを刻み始めていた。