「F1・ピットクルー」:0.1秒を削る究極のピット作業 作:坂本太郎
「システム、シャットダウン。……いいえ、待機電力(スタンバイ)へ移行。まだ『熱』が完全に抜けきっていません」
静寂が戻ったはずのピットガレージに、チーフ・エンジニアの硬質で容赦のない声が再び響き渡った。
すべてを吐き出し、完全に機能を停止したつもりでいた私の肉体は、激しい排出を終えてなお、超高負荷走行を終えたばかりのレーシングエンジンのように、パチパチと微かな金属音めいた戦慄を帯び続けていた。
摩耗のインスペクション(検分)
肌の表面を覆う汗と、拭いきれなかった合成オイルが混じり合った膜が、ガレージの僅かな非常灯の青白い光を鈍く反射している。それはまるで、限界まで酷使されたマシンのカウルが帯びる金属的な光沢そのものだった。
床に頽れたまま動けない私の四肢に、彼女たちのラバーグローブが再び触れる。それは疲弊したドライバーを労う手つきでは決してない。レース直後にパーツの歪みや金属疲労、摩耗具合をミリ単位で確認する「インスペクション(車検)」そのものの無機質さであった。
「各関節のクリアランス、許容範囲内。大腿筋の硬化は認められますが、繊維の微小断裂(クラック)はありません」
「関節駆動部のバックラッシュ(遊び)を測定。……問題なし。次のセッションにも即座に対応可能です」
彼女たちは私の脚を無造作に持ち上げ、可動域を確認するように淡々と曲げ伸ばししていく。私の意志や痛覚など、彼女たちの計算式には最初から組み込まれていないのだ。ただ、次の過酷なテスト走行に耐えうる「資産」としての機能が維持されているか否か、それだけが彼女たちの関心事だった。
「心拍数、95bpm。データの降下速度が想定よりも緩やかですね。内部の予熱がシリンダーブロックに籠もっています。……これより冷却効率(クーリング)を最大化させます」
サーマル・ディストーション(熱歪み)の制御
一人のエンジニアが、金属製の遮光ボトルから、氷のように冷たい特殊な冷却ジェルを手のひらに絞り出した。
それは熱伝導率を極限まで高めた工学用の冷却媒体。彼女はその冷徹な指先で、私の火照りきった胸元から、脈打つ下腹部、そして敏感な楔の根元にかけて、一定の強い圧力を加えながら一気に塗り広げていった。
「ひっ……、あ……ガ……ッ!!」
急激すぎる温度変化(ヒートショック)が私の神経網をダイレクトに直撃し、灼熱の疲労感に沈んでいた背筋が、条件反射で弓なりに激しく反り返った。あまりの冷たさに、肺の空気が強制的に絞り出される。
「動かないでください。急激な冷却ムラによる熱歪み(サーマル・ディストーション)を最小限に抑えるための必須処置です。ブロックが歪めば、次の高圧充填の際にピストンが焼き付きます」
エンジニアは冷淡に告げ、暴れようとする私の腰を、上から容赦なく自らの膝で押さえつけた。ジェルの冷気は皮膚を透過し、熱を持った血管を瞬時に収縮させていく。凍えるような寒気と、内側から湧き上がる残熱が、私の肉体の中で激しくせめぎ合い、脳の感覚受容体にバグを引き起こしていく。
「あなたはまだ、次の過酷なテストに必要な我々の『資産』なのですから。自己判断での冷却停止は許されません」
彼女の冷たい手のひらが、私の胸の電極痕をなぞり、そのまま下腹部へと滑り降りていく。その非情なまでの効率性と管理の徹底ぶりに、私の精神は再び、ただ制御されるためだけの「物質」へと塗りつぶされていくのだった。