試合は順調に進み、二年B組は圧倒的な強さで予選リーグから準決勝までを突破した。
もちろん、その原動力は
そして迎えた、午後三時。
体育館のボルテージが最高潮に達する中、いよいよ女子バスケットボールの決勝戦のホイッスルが鳴り響いた。
対戦相手は、三年A組。
現役の女子バスケ部員を三人も擁する、今大会の大本命であり絶対王者だ。
これまでの相手とは、体格も、スピードも、そして戦術の完成度もまるで違っていた。
「くっ……!」
試合開始早々、
ボールを持った彼女に対し、三年生のバスケ部員二人がかりの厳しいダブルチームが仕掛けられる。
いくら
「
味方の声に反応してパスを出そうとした瞬間、死角から飛び出してきたもう一人の部員にボールをパスカットされる。
そのまま速攻を許し、あっという間に先制点を奪われてしまった。
「やっぱ三年生ハンパねえな。いくら
「体力も削られてるだろうしな……」
ギャラリーの
その言葉通り、試合は序盤から三年A組のペースで進んでいった。
彼女がボールを持つたびに、必ず二人がかりでプレッシャーをかけ、時には身体を激しくぶつけてくる。
「ああっ!」
リバウンドを競り合った際、空中で三年生と激しく接触した
体育館に「ドンッ!」という鈍い音が響き、女子たちの悲鳴が上がる。
「
「大丈夫⁉
審判がファウルを取り、試合が一時中断する。
僕は手すりを握る手にギリッと力を込めた。
今すぐコートに飛び降りて、彼女にぶつかった三年生を睨みつけてやりたい衝動に駆られるが、グッと堪える。
ここは僕が介入するべき場所ではない。
「……大丈夫。なんでもないよ」
しかし、その顔には、先ほどまでの涼しげな『王子様』の余裕は完全に消え去っていた。
前髪は汗でべったりと額に張り付き、肩は大きく上下して激しく息をしている。
膝には少し擦りむいた跡があり、赤く血が滲んでいた。
「
「ダメだ、
「負けたくないんだ。……絶対に、勝ちたい」
それは、周囲の期待に応えるための「王子様」としての言葉ではなかった。
純粋な、一人のアスリートとしての、剥き出しの闘争心だった。
彼女の黒曜石のような瞳が、ギラギラとした強い光を放っている。
僕は、その表情を見た瞬間、不覚にも心臓が大きく跳ねるのを感じた。
美しい、と思った。
僕の部屋で無防備に喘いでいる彼女も最高に愛おしいけれど。
こうして、泥臭く汗を流し、息を切らし、勝利という一つの目標に向かってなりふり構わず牙を剥く彼女の姿は、どうしようもないほどに僕の胸を打ち、魂を揺さぶった。
「……いけ、
僕は誰にも聞こえない声で、そっと呟いた。
試合が再開される。
転倒したことで、
プレイスタイルが、優雅なものから、よりアグレッシブで野性的なものへと変化したのだ。
「甘いっ!」
自分よりも長身の三年生ディフェンダーに対し、
そして、ぶつかる寸前で信じられないほどの急ブレーキをかけ、体をスピンさせて相手を置き去りにした。
そのままゴール下へ侵入し、ダブルクラッチで空中のディフェンダーを躱してレイアップシュートを決める。
「うおおおおおっ‼ なんだ今の動き‼」
「
ギャラリーの歓声が、怒号のような地鳴りに変わる。
そこからは、まさに死闘だった。
三年生チームが組織力で着実に点を重ねれば、二年B組は
点差は離れては縮まり、また離れるという、息の詰まるようなシーソーゲームが展開された。
体育館の空気は薄くなり、サウナのような熱気が全員を包み込んでいる。
昨夜の疲労に加え、この極限のプレッシャーの中でのフル出場。
それでも、彼女の足が止まることはなかった。
汗が顎から滴り落ち、体操服の背中が完全に汗で色を変えても、彼女の瞳の奥の炎だけは消えることなく燃え続けている。
そして、運命の第四クォーター、残り時間三十秒。
スコアは『58対57』。
三年A組が一点をリードした状態で、二年B組のボールから試合が再開される、タイムアウトの時間がやってきた。
◇◇◇
「はぁっ……はぁっ……」
ベンチに戻ってきた
「みんな、聞いて」
「次のオフェンスが、最後のチャンスになると思う。相手は絶対にボクを徹底マークしてくる。だから、ボール運びは
全員が、無言で力強く頷いた。
彼女たちもまた、
『ビ──ーッ‼』
タイムアウト終了のブザーが鳴る。
選手たちがコートに戻っていく中、
何百人という生徒が詰めかけ、熱狂の渦となっている二階のギャラリー席。
その無数の顔の中から、彼女は迷うことなく、一直線に僕の姿を見つけ出した。
視線が交差する。
喧騒の体育館の中で、まるで僕と彼女の周囲だけ、音が消え、時間が止まったかのような錯覚に陥った。
彼女の汗に濡れた瞳は、言葉よりも雄弁に僕に語りかけていた。
『──見ててね、
僕はポケットに突っ込んでいた両手を出し、ギャラリーの手すりを強く握りしめた。
そして、無言のまま、彼女のその決意を真正面から受け止め、深く、力強く頷いた。
『──ああ』
そして、鋭い眼光を取り戻し、コートの中央へと駆け出していった。
「ディフェンス! 一本守るぞ‼」
三年生チームのキャプテンが声を張り上げる。
二年B組のスローインから、最後の十秒が始まった。
9秒。
三年生チームのプレッシャーが異常なまでに高まる。
7秒。
5秒。
ボールを持った
「くっ……!」
パスが出せない。
このままでは時間が切れる。
三秒。
その瞬間、
ゴール下へ向かうと見せかけて、急激に方向を転換。
トップ・オブ・ザ・キー。
スリーポイントラインのさらに一メートル後方へと、バックステップで大きく下がる。
一瞬だけ、ディフェンダーとの間に空間が生まれた。
「
二秒。
すぐさま、三年生のディフェンダー二人が、ブロックのために高く跳び上がってくる。
一秒。
汗の滴る腕が伸び、手首がスナップする。
長身のディフェンダーたちの指先の、さらにその上を越えて。
オレンジ色のボールが、高い、高い放物線を描いて、体育館の天井に向かって吸い込まれるように飛んでいく。
『ビィィィィィィ────ーッ‼‼!』
ボールが空中の最高点に達した瞬間、試合終了を告げる無情なブザーが鳴り響いた。
体育館にいるすべての人間が、息を呑んでそのボールの行方を見上げていた。
誰も声を出さない。
時間すらも止まったような、永遠に感じる数秒間。
ボールは美しい弧を描きながら落下し。
──スパパァァンッッ‼‼
バックボードにも、リングの縁にも一切触れることなく。
完璧な軌道で、ネットの中心を射抜いた。
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ‼‼‼‼」」」」」
次の瞬間、体育館の屋根を吹き飛ばすかのような、割れんばかりの大歓声が爆発した。
「やったぁぁぁっ‼ 入ったぁぁっ‼」
「逆転‼ ブザービーターだああああっ‼」
「
得点板のスコアが、『58対60』へと切り替わる。
逆転優勝。
クラスメイトの女子たちが、泣き叫びながらコートになだれ込み、着地した
「すげえ……マジですげえわ、あいつ。マンガかよ……」
隣で
僕はギャラリーの手すりに寄りかかったまま、小さく息を吐き出した。
心臓が、まだ早鐘のように打っている。
手のひらには、じっとりと汗をかいていた。
「……本当だな。かっこよすぎるだろ」
誰にも聞こえない声で、僕はそう呟いた。
あんなプレイを見せられたら、認めざるを得ない。
彼女は紛れもなく、この学園の、そして僕だけの、最高の王子様だ。