二人が目覚めたのは夕方だった
むくりと起き上がった少女たちは“あなた”から離れ
自分たちだけでしばらく何事かを話し合うと
こちらを向いて真剣な表情で告げる
「やっぱり帰る事にしました、駅まで送ってください」
呆然とした“あなた”だったが
無言で少女たちを車に乗せ、駅まで送った
自身も車から降り、遠ざかっていく背中を見送る
なんとなくそんな予感はあった
こんなものは彼女たちにとって一時の迷い
自分とはとても釣り合うべくもない
あるいは冷静になってやはり“あなた”のしたことを
許せない気持ちが湧いてきたのかもしれない
なんにせよ、二人が不幸にならなくて良かったではないか
そう思って虚ろな目で見送っていると
明日奈と深澄が急に振り返り
走り寄ってきて両側から頬にキスをした
「逃げないで下さいね」
その一言を残して去っていく
しばらくの間、“あなた”は立ち尽くしていた
やがてサングラスを取りひとりごちる
「逃げないで、か…そうやな…わいは逃げてばっかりやった…」
ヘドロのような目にほんのわずかだけ光が見えた
5年後
「わいは無能です!わいは無能です!」「あと8回だオラッ!」
“あなた”は地方の極悪ブラック企業に勤めていた
社会から逃げ続けたおっさんを受け入れてくれたのはそこしかなった
三日で逃げるか精神崩壊する事でブラック業界内でも有名な会社だったが
不思議と何年も踏ん張れていた
(まぁ、わいがあの子たちにした事考えたらこんなんヌルすぎるわな)
「このおっさん意外としぶといな…まぁせいぜい使い潰してやんよ」
「ありがとうございます!」
「チッ!さっさと行けや!」
毎日ボロ雑巾のように働かされ休日もなく貯金もない
だが何もしなかった頃に比べれば、何かが積みあがってきている気がした
あの会社の男の態度もほんの少しではあるが変わりつつある
不思議な充足感がそこにはあった
あのゲーム世界で出会った少女たちを思い出す事もほとんどなくなった
“あなた”はしっかりと前に向かって歩みだしていた
そんなある日の深夜
ボロアパートに帰ってくると派手な赤いスポーツカーが止まっていた
(なんやこれ…こんなん絶対ろくな奴が乗ってへんわ)
トラブルを避けるように視線をそらし階段に向かうと
車から一人の女性が降りてきた
ポニーテールにキャップを被り、パーカーを着たラフな格好
スレンダーで“あなた”より背が高く、目つきが鋭い勝気そうな極上の美女だった
無視して行こうとする背中に不機嫌そうな声が掛かる
「ねぇ、それはないんじゃない?」
振り返ってその女性をまじまじと見ると深澄の面影があった
「えっ…お前、なんでこんなとこに?」
“あなた”が目を見開くと急にスマホが鳴った、会社からだ
「はい!なんでしょうか!」
「おっさん、クビな、明日から来んなよ」
突然の解雇通告
「えっ?なんでですか?」
「うるせーよ!二度と関わるんじゃねー疫病神が!」
電話は一方的に切られた
呆然としている“あなた”に深澄が話しかけてくる
「終わった?じゃあ、あたしに付き合って」
ぐいと腕を掴まれ、半ば強制的に車に押し込まれた
車が発進した後、二人はしばらく無言だった
やがて解雇のショックから立ち直った“あなた”が声を掛ける
「…お前どうしとったんや?」
あれから彼女はプロゲーマーの道を歩み
今では大会優勝常連の押しも押されもせぬ実力派
そして人気配信者と、その世界では超有名人になったらしい
「あんた、misumiを本当に知らないの?割とショックなんだけど」
「いや、わいもうゲームやってへんし、ネットも見る気せんのや」
「あきれた…どんな生活なわけ?」
だんだん会話が弾んでくる
「明日奈はどうしてるんや、元気か?」
「ええ、自分で会社を立ち上げて順調よ」
その社名には聞き覚えがあった
世界的に急成長を遂げているベンチャー企業だ
辣腕を振るうやり手の社長が居るらしい
あれは本物の悪魔だと、会社の男が憧れの目で言っていた気がする
興味が無いからすぐ忘れたが、あれが明日奈だったのか…
その内、ふと疑問が湧いてくる
「なぁ、これどこに行こうとしてるんや?」
「警察?それともわいをリンチするために山奥でも行くんか?」
「ふふっ、何それ…そのうち分かるわよ」
楽しくてたまらないといった表情でクスクス笑う深澄
長時間のドライブ、朝日が昇り始めた時
見覚えのある山に車が到着した
ここは逃避行で最後に二人と入った小屋のある山だ
入口には電子制御の門が設置され
周辺は整備された遊歩道と
ライトアップされた木々が点在している
あの時とはまるで別世界だ
「ここ……あの時の」
「ええ、建て直したの。あなたを迎え入れるために」
インターホンで深澄が短く名乗ると
ゲートが静かに開いた
坂道を上りきると、瀟洒な洋館が姿を現した
蔦模様の装飾とステンドグラス、庭園には噴水まである
建物に入ると、華やかながら落ち着いたホールが広がる
そこにはシャンデリアの灯りに照らされ
純白のドレスをまとった明日奈が立っていた
艶やかな栗色の髪がシャンデリアの光を受けて柔らかく流れていた
あの頃より背丈は伸び、胸元はさらに豊かになっている
もう美少女ではなく、美女と呼ぶべき姿になっていたが
それでもその顔立ちにはまだ幾分かあの頃の少女の面影が残っていた
正直、容姿に関してはさほど驚きはなかった
あれだけの美少女が成長すれば
まぁ、こうなるわなという正統進化だった
だが…その纏っている雰囲気がまるで別人だった
あの頃の彼女は優しく世間知らずなお嬢様で
“あなた”でも出し抜ける甘さがあったが
今は氷のように冷たい圧倒的な強者のオーラを放っていた
社会に出て激しい闘争を勝ち抜いてきている事がそれだけで伝わってきた
(わいとはもう次元がちゃうな…)
今の彼女をあの世界で捕らえたとしても
もうどうにもできる気がしなかった
例え管理者権限を与えられたとしても
自分の方が心をへし折られる未来しか見えない
「ただいまー」
深澄が手を振る
「おかえりなさい、深澄」
深澄の声を聞いたとたん、彼女の纏っていた冷たい雰囲気は霧散した
親友を心からの笑顔で迎えた明日奈だったが
“あなた”に向き直るとその表情は消えた
「久しぶりですね、〇〇さん。お帰りなさい」
「お、おう」
ピクりと明日奈の眉が動く
なぜか場の温度が数度下がった気がした
「奥で話しましょう」
背を向けて歩き出す
明日奈と深澄に挟まれる形で廊下を進むと
地下へ続く階段があった
(地下があるんか?なんで地下?)
嫌な予感がしたが、二人への負い目と
何の話かという好奇心に負けてついて行ってしまう
しばらくすると巨大な鋼鉄製の扉が現れた
明日奈が前に立つと、機械音とともに扉が開いた
地下室内は半分が居住区のような空間
残り半分は厚手のカーテンで閉ざされていた
広々としており、防音設備も整っているようだ
「で、何の話や?」
「貴方に決めてもらおうと思いまして」
明日奈は能面のような顔で言った
「私と深澄、どちらと結婚しますか?」
「……は?」
「私はどちらでも構いません。私たちの家に住んでさえもらえれば色々とやりやすいですからね」
「うん、どっちでもいいよ。あんたと明日奈とはもうずっと一緒だし」
理解不能な話を聞き、“あなた”は混乱した
「急に何の話やねん、意味分からん!」
「ゆっくり決めて頂いても構いませんよ。私も深澄も休みを取りましたし………貴方も暇になったのでしょう?」
「は?なんでそれを……ま、まさかお前……!」
「あんなくだらない会社なんてどうでもいいじゃありませんか」
この五年間の努力を嘲笑されたようで、“あなた”は爆発した
「き、貴様!ふざけんな!」
「わいはお前が逃げるな言うたから頑張ってきたんや!」
つばきを飛ばしながら激昂して詰め寄る
自分が初めて積み上げたものを足蹴にした彼女を激しく憎悪した
恐ろしい形相で迫る“あなた”だが
女はまったくたじろいだ様子を見せない
「逃げるな…?」
怪訝な顔で首を傾げた明日奈は、記憶を探るように目を細める
「……ああ、そういう事ですか」
「あれは"逃がさない"という意味です」
少女たちが家に帰ったのは、より確実に
獲物である“あなた”を捕らえる準備の為にすぎなかった
感情と勢いに任せてあのままついて行くつもりだったが
一晩寝て冷静になると、警察や家に邪魔されて
獲物を逃がすかもしれないリスクに気付いたのだ
そして冷徹な狩人たちは社会で着々と力を蓄え
ここに全ての準備が整い、ついに獲物が罠に落ちたのだ
恐ろしい事に、これだけの成功を収めながらも
彼女たちには社会に対する帰属心や執着心が皆無だった
“くだらない”には明日奈自身の会社も含まれていた
“あなた”を馬鹿にする気は毛頭なく
三人の中の当たり前の共通認識(だと思っている)を言ったに過ぎなかった
彼女たちは“あなた”とただ一人の親友にのみ
その本当の心を向けるようになっていたのだ
ちなみに“あなた”のボロアパートは
住んだその日から大量の盗聴器と盗撮カメラが仕込まれていた
明日奈は、ふーっと長いため息をつくと
逆に顔を近づけてきた
物凄い美人がいきなりキスの距離まで詰めてきてひるむ“あなた”
「な、なんや、やんのかこら?」
「私からも言わせてもらいます」
「これだけ待ってあげたのにまだ言えないのですか?」
「何をや!?」
「“ただいま”、“会えて嬉しい”、“そのドレス明日奈によく似合ってるね”、“結婚しよう明日奈”…ごくごく当たり前の言葉です」
「あの世界に居た頃の貴方ならこれをすぐに言えたはずです」
「どうやら貴方はこの世界に毒されすぎたようですね」
目がギラリと光る
その瞳にはあの世界に居た時以上の
狂気的な底知れない思慕と依存と執着が宿っていた
あの世界から真の意味でログアウトできた“あなた”とは対照的に
彼女の心は未だあの地下室に囚われたまま更に妄執を深めていた
たじろいで深澄を見ると全く同じ瞳で“あなた”を見据えている
「な、なんなんやお前らは!?」
明日奈がスイッチを押すと、カーテンが滑るように開いた
そこには三基のフルダイブ装置があった
「これはわたしたち専用のフルダイブゲーム"愛の檻"です」
「これであの頃の貴方を取り戻します」
「そして、その後は三人で一緒に暮らしましょう」
“あなた”は絶望の叫びを上げた
「お、お前らイカれとる!いやや、わいはやっと真人間になれたんや、誰か助けてくれ!」
ドアノブに手を掛けたが、既にロックがかかっていた
必死にノブを回し、体の痛みに構わず何度も体当たりする
「いやー…出られるわけないでしょ……あんたがあの地下室でやってた事だよ?」
呆れたように肩を竦める深澄
チクリと背中に痛みが走った
振り返るとニヤついた深澄が毒針を持っていた、体から力が抜けていく…
「現実世界の1秒を……この世界の1年に設定しておきましょうか」
「管理者権限を私と深澄に、貴方には……あげません♪」
「大丈夫、私たちの休み明けまで耐えられたら一度現実に出してあげます」
「脱出の大チャンスですよ、良かったですね」
明日奈は残酷なまでに優しく微笑んだ
「無理や、そんなん無理や、許してくれ!」
「あら、貴方の時は私頑張ったじゃないですか。つれない事を言わないでください」
明日奈と深澄がゆっくり歩み寄ってくる
まるで五年前の再演のように
二人の表情と口調がだんだんあの頃の少女たちに戻っていく
「今度はあんたが私たちの団に入るとか、どう?」
「素直なあなたを取り戻す為に、わたしたちだけの冒険に出かけようね」
自分が明日奈を調教するために使った言葉が
今度は明日奈の口から放たれる、より恐ろしい毒となって
“あなた”は泣きわめき脱糞しながら懇願した
「お願いや、もうお前らには一生関わらん、わいを家に帰してくれ!」
「もう遅いよ」
明日奈はクスクスと囁いた
「逃がさないよ、○○。わたし、欲しい人は絶対に逃がさないの」