第十二話 四日目の爆弾
翌日。
講義室の扉が開いた。
「おやおや」
ヴァンデスが入ってくる。
今日も例のごとく、酷くやつれた顔をしていた。
寝不足なのか、二日酔いなのか、それとも単純にいつも疲れているのか。
もはや誰にも分からない。
ただ一つ昨日までと違うのは――。
ヴァンデスが、また何かを持っていたことだった。
中くらいの大きさの金属製ケース。
両手で抱えて運んできたそれを、ヴァンデスは教壇の机へ無造作に置いた。
ゴトン。
その音を聞いた瞬間、何人かのヒーローが反射的に身構えた。
「……」
ヴァンデスはそれを見て、ニヤリと笑う。
「なんだその顔は」
「いや……」
「俺はまだ何もしてないぞ?」
「昨日までのことを考えると……」
「なるほど」
ヴァンデスは納得したように頷く。
そして教室を見回した。
「おやおや」
もう一度言う。
「お疲れじゃないか」
ヒーローたちは一様に疲れた顔をしていた。
ここ数日の講義で、精神的にかなり消耗している。
ヴァンデスは満足そうに笑った。
「いい顔になってきたな」
「先生、それ褒めてます?」
「もちろん」
「全然嬉しくない……」
「さて」
ヴァンデスは教壇へ立った。
「今日も質問から始めよう」
ヒーローたちからいくつか手が挙がった。
「昨日の犯人の思考を読むという話なんですが――」
「うん」
「犯人が何を目的にしているか判断する場合、どういうところを見ればいいんですか?」
「行動だ」
ヴァンデスは即答した。
「言葉じゃない。人間は口ではいくらでも嘘をつく」
「要求を出していても、本当にそれが目的とは限らない」
「爆弾を仕掛けても、本当に爆発させるとは限らない」
「逆もある」
その言葉に、数人が真剣な顔になる。
「犯人の言葉と行動が食い違っているなら、そこを疑え」
「はい」
別のヒーローが手を挙げる。
「昨日の事件のように、偽物が大量に混ざっている場合は?」
「全部本物だと思って扱え」
「……」
「処理する側からすれば、それが一番安全だ」
ヴァンデスは肩をすくめる。
「ただし、捜査する側なら全部を同じ重さで見るな」
「犯人が何をしたか」
「何をしなかったか」
「どこに何を置いたか」
「どういう順番で行動したか」
「そういうところから意図を読む」
質問は次々に続いた。
ヴァンデスは昨日までよりも少し真面目に答えていく。
そして最後の質問が終わる。
「よし」
ヴァンデスは腕時計を見る。
「質問はこれくらいか」
ヒーローたちが頷く。
ヴァンデスは教壇の机へ目を向けた。
そして――。
「さぁ、諸君」
箱を指差す。
「また私は持ってきたぞ」
「…………」
誰も笑わない。
「今日は中くらいの奴だ」
「その言い方やめてください」
ジェシカが思わず突っ込む。
「なんでだ?」
「『今日は中くらいの爆弾です』って普通の講師は言わないんですよ」
「そうか?」
「そうです」
ヴァンデスは不思議そうな顔をした。
「じゃあ、今日から普通じゃない講師だ」
「最初からですよ」
ヴァンデスは笑いながらケースを開ける。
中から装置を取り出す。
ヒーローたちは固唾を飲んで見守った。
そしてヴァンデスは、まるで昼飯の注文でもするような気軽さで装置を机の上へ置いた。
ピッ。
電子音が鳴った。
表示が点灯する。
カウントダウンが始まった。
「……」
誰も動かない。
ヴァンデスはタイマーなど気にしていないように、コーヒーを飲んだ。
「そういえば」
雑談でもするように口を開く。
「昨日の話」
「はい……」
「犯人の思考をトレースしてみた奴はいるかな?」
すると、何人かが恐る恐る手を挙げた。
「お」
ヴァンデスが笑う。
「いるじゃないか」
「実際の事件について調べました」
「なるほど」
「それと、犯人の要求や行動を時系列で整理してみました」
「いいねぇ」
ヴァンデスは上機嫌だった。
「他には?」
さらに数人が手を挙げる。
「自分だったらどこに仕掛けるか……というのも考えました」
「ほう」
「先生の話を聞いて、犯人の立場から考えてみようと」
「それはいい訓練になる」
ヴァンデスは満足そうに頷く。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
タイマーが時間を刻んでいる。
だがヴァンデスは無視していた。
「さて」
教室の中央を見渡す。
「今日は俺の思考を読んでみろ」
「……先生の?」
「ああ」
ヴァンデスは笑った。
「これで三日目だ」
「三日間、俺がお前らに何をしてきた?」
誰も答えない。
「爆弾を持ってきた」
「脅した」
「タイマーを使った」
「嘘をついた」
ヒーローたちが一つずつ挙げる。
「そうだ」
ヴァンデスは頷いた。
「じゃあ、この爆弾が本物か偽物か」
「それも考えてみろ」
そして、決して装置そのものには触れずに言った。
「ただし、俺からは何も教えん」
ヴァンデスは遠くからちらりとタイマーを見る。
「……」
「おや」
突然、眉を上げる。
「諸君、大変だ」
ヒーローたちの顔が強張った。
「あと十分快しかない」
「……」
「急げ」
ヴァンデスはわざとらしく慌て始めた。
「俺はちょっと用事を思い出した」
「先生?」
「じゃあ頑張ってくれ」
「え?」
ヴァンデスは教室を出る。
「ちょっと待って!」
ジェシカが立ち上がる。
だが――。
ガチャ。
外から鍵がかかる音。
「…………」
教室が静まり返った。
やがて、一人が呟く。
「……三回目だぞ」
「さすがにまた同じ手には……」
別のヒーローが苦笑する。
「流石に三回目は引っかからないって」
「でも……」
別のヒーローが装置を見る。
「今度こそ本物だったら?」
その言葉に、笑っていた者の顔から表情が消える。
「……」
「先生は昨日、こう言ってた」
昨日からヴァンデスの思考を考えていたヒーローが口を開く。
「『自分ならどうするか考えろ』って」
「じゃあ、今日のこれは――」
「俺たちに『三回目だから偽物だ』と思わせるため?」
「それとも本当に三回目も同じ?」
誰も分からない。
そして、恐る恐る装置を確認する。
「……待って」
一人が息を呑む。
「これ……」
「どうした?」
「昨日までの奴と違う」
「……何が?」
「構造が違う」
装置の内部には、これまでよりも多くのセンサーや複雑そうな機構が組み込まれていた。
しかも――。
「これ、本気で作ってるぞ」
空気が変わった。
「まずい」
今度は誰も笑わなかった。
「やっぱり本物だったんじゃ……」
「落ち着け!」
ジェシカが叫ぶ。
「昨日と同じ!」
「まず落ち着こう!」
ヒーローたちは深呼吸する。
そして、専門家の指示を受けるべき状況だということを思い出しながら、装置を不用意に動かさないよう距離を取り、できる範囲で状況を確認していく。
「……これはどうする?」
「こっちは?」
「待て、触るな!」
時間だけが過ぎる。
そして――。
「あと五分!」
焦りが広がる。
だが、今回は昨日までと違った。
ヒーローたちはパニックにならなかった。
必死に考えた。
ヴァンデスの言葉。
これまでの三日間。
そして、自分たちが相手にしている人間の性格。
「先生なら……」
ジェシカが呟く。
「絶対に私たちが『三回目だから』って思うことも計算してる」
「じゃあ本物?」
「分からない」
「偽物だと思わせて本物?」
「逆かもしれない」
議論しながら、慎重に処理を進める。
やがて――。
「ここまで来た!」
「あと少し!」
その瞬間だった。
ヴァンデスが出ていった扉の向こうから、何かを叩く音が聞こえた。
誰も気に留めなかった。
そして――。
バァンッ!!
「――ッ!」
派手な爆発音が講義室を揺らした。
煙が広がる。
「うわぁっ!」
何人かが反射的に床へ伏せる。
幸い、装置の近くで処理をしていた者たちは爆発そのものから距離を取っていた。
だが――。
「……?」
誰かが顔を上げる。
「え?」
服が真っ赤だった。
「……何これ」
別のヒーローも顔を触る。
赤い液体。
「血……?」
「違う!」
ジェシカが叫ぶ。
「これ、血糊!」
教室中に赤い液体が飛び散っていた。
ヒーローたちは呆然とする。
その時。
ガチャ。
扉が開いた。
「おー」
ヴァンデスが入ってきた。
「派手にやったな」
「…………」
全員がヴァンデスを見る。
「先生ぇ……」
ジェシカの声が低い。
「おや」
ヴァンデスは笑う。
「お前ら無事か?」
「先生!!」
「おお、元気そうだな」
ヴァンデスはタオルを大量に持っていた。
「ほら」
処理に当たっていたヒーローたちへタオルを渡す。
「拭け」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
「俺」
即答だった。
「知ってますよ!」
ヴァンデスはケラケラ笑った。
そして、赤い血糊まみれになったヒーローたちを見て、少し嬉しそうな顔になる。
「しかし――」
ヴァンデスは肩を叩いた。
「お前ら、なかなか見込みがあるな」
「……え?」
「どうだ?」
処理を担当したヒーローたちを見る。
「転職して爆発物処理班に来ないか?」
「先生……」
「俺が鍛えてやるぞ」
ヴァンデスは珍しく、かなり上機嫌だった。
「いや、あの……」
「悪くないだろ」
「死ぬほど怖かったんですけど」
「その経験は大事だ」
「絶対に先生の講義じゃないと経験できないですよ!」
「それもそうだな」
ヴァンデスは笑った。
そして教壇へ戻る。
血糊まみれになった者たちは席へ戻された。
「さて」
ヴァンデスはホワイトボードを手に取った。
「今日の講評だ」
教室が静かになる。
「まず、お前らの大半は俺の考えを読み違えた」
「……」
「『三回目だから、どうせまた嘘だろう』」
ヴァンデスはホワイトボードに書く。
三回目だから偽物
「そう考えた奴が多かった」
何人かが目を逸らす。
「だが、もし犯人が複数の爆弾を仕掛けて、二日間にわたって脅迫して、捜査をかき乱したあと――」
ヴァンデスが振り返る。
「三日目に、本当に爆発させたら?」
誰も答えない。
「お前らの社会的信用なんて簡単に吹っ飛ぶ」
「『何もしないヒーローたち』」
新聞の見出しを書く真似をする。
「そんな見出しで新聞を独占だ」
ヒーローたちの顔が険しくなる。
「つまり、過去のパターンだけで『今回も同じ』と決めつけるな」
「犯人だって学習する」
「そこを忘れるな」
次に、処理へ向かったヒーローたちを見る。
「それから、お前ら」
「はい」
「今回、解除に向かった連中」
ヴァンデスは少し笑った。
「悪くなかった」
「……!」
「だが、一つ覚えておけ」
ヴァンデスの表情が真剣になる。
「静観が正解じゃない場合もある」
教室が静まり返る。
「今回の正解は――」
ヴァンデスは装置を指差した。
「俺をぶん殴ってでも、処理に向かうことだった」
「……え?」
「お前らが俺の言葉に乗せられて、ずっと静観してたらどうする?」
「本物だった場合、時間切れだ」
「そういうことだ」
ヴァンデスは頷く。
「まあ、知識がなければ爆発物処理にどれだけ時間が必要なのかも分からない」
「だから今のお前らには、まだ知識が足りない」
「でも、もう一つ足りないものがある」
ヴァンデスはヒーローたちを見る。
「相手の意図に乗らないための勇気だ」
「……」
「俺が『急げ』と言ったから急ぐ」
「俺が『待て』と言ったから待つ」
「それじゃ、犯人に操られてるのと同じだ」
ジェシカが頷く。
「自分で判断しろ、ってことですね」
「そうだ」
ヴァンデスは笑う。
「やっと分かってきたじゃないか」
そして血糊で真っ赤になったヒーローたちを見る。
「……お前ら」
「はい」
「まず風呂入った方がいいぞ」
「誰のせいですか!」
「俺」
また即答。
「じゃあ授業始めるぞ」
「待ってください!」
ヴァンデスは完全に無視した。
血糊まみれのヒーローたちは諦めて席に戻る。
ジェシカは苦笑しながら席に座った。
「先生」
「なんだ?」
「……今日の爆弾、本物だったんですか?」
一瞬、教室が静かになった。
ヴァンデスはジェシカを見る。
そして――。
「さあな」
いつもの邪悪な笑み。
「そこも含めて考えてみろ」
「……またそれですか」
「爆弾処理の世界じゃ、分からないことを分からないままにする勇気も必要なんだよ」
ヴァンデスは教壇に立った。
「さて」
手に持ったチョークを黒板へ当てる。
「今日の本題に入るぞ」
誰も知らない。
今日もまた、ヴァンデスが何を仕掛けているのか。
そしてヴァンデス自身は――。
ヒーローたちが自分の思考を読み始めたことを、少しだけ嬉しく思っていた。
もちろん、それを顔に出すことはなかった。
「……まあ」
小さく呟く。
「昨日よりはマシになったな」
その声は、講義室には届かなかった。