第十四話 六つの爆弾
指定された時刻の五分前。
FBIの敷地内にあるシミュレーションルームには、今回の講義を受けるヒーローたちが全員揃っていた。
昨日まで使っていた講義室とは違う。
ここは実際の人質救出訓練や突入訓練を想定して作られた大型施設だった。
いくつもの区画に分かれた建物。
可動式の壁。
階段。
廊下。
機械室を模した区画。
オフィスを模した部屋。
そして、実際の建物に近い構造を再現した訓練設備。
「広いな……」
ジェシカは辺りを見回していた。
「ここで何をするんだろう?」
「昨日の話だと、人質救出訓練だろ」
「でも先生、何をするか具体的には言ってなかったよね」
「それが怖いんだよ」
別のヒーローが苦笑する。
「ヴァンデス先生が『今日はこれをやります』って普通に言ってくれたこと、一度もないぞ」
「確かに」
「どうせまた爆弾だろ」
「それは間違いない」
「三日連続で爆弾だったしな」
そんな会話をしながら、全員が時計を確認する。
開始時刻になった。
しかし――。
「……来ないな」
「まだ時間ぴったりだし」
「いや、あの人ならもう来てる頃だろ」
さらに五分。
十分。
十五分。
ヴァンデスは来なかった。
「……」
次第に、ヒーローたちの間にざわめきが広がっていく。
「寝坊?」
「まさか」
「二日酔い?」
「それならあり得る」
「でも昨日、明日の訓練を楽しみにしてたみたいだったぞ」
「……」
ジェシカは腕時計を見る。
「なんか変だよ」
「何が?」
「先生、こういうところだけは時間にうるさいんだよ」
その時だった。
廊下の向こうから、激しい足音が聞こえた。
ダッ、ダッ、ダッ、ダッ――。
「?」
全員が扉を見る。
次の瞬間。
バンッ!
扉が勢いよく開いた。
「ヴァンデスは!?」
入ってきたのはFBIの調査官だった。
スーツ姿だが、普段の落ち着いた様子は見る影もない。
額には汗。
呼吸も荒い。
「え?」
ヒーローたちが驚く。
「ヴァンデスはどこだ!?」
「まだ来てません!」
ジェシカが答える。
「開始時間になっても来なくて……」
「クソッ!」
調査官は壁を拳で叩いた。
ドンッ!
ヒーローたちが目を丸くする。
「どうしたんですか!?」
「……」
調査官は数秒、息を整えた。
そしてヒーローたちを見る。
その目には、冗談や訓練の時には決して見せなかった本気の焦りが浮かんでいた。
「君たちに頼みがある」
「頼み?」
「ああ」
調査官は拳を握りしめる。
「君たちの力を貸してくれ」
「一体何が――」
「説明する!」
調査官は踵を返した。
「ついてこい!」
「え?」
「早く!」
ヒーローたちは顔を見合わせる。
そして一斉に走り出した。
廊下を抜ける。
訓練区画を横切る。
普段なら職員が行き交っているはずのFBI施設が、異様なほど慌ただしい。
職員たちは走り回り、通信機に向かって何かを叫んでいる。
警備員も普段とは違う場所に配置されていた。
「何が起きてるんだ……?」
誰かが呟く。
調査官は答えない。
ただ、ひたすら先を急ぐ。
やがて大きな扉の前に到着した。
「ここだ」
扉が開く。
「――ッ」
ヒーローたちの足が止まった。
そこは巨大な機械室だった。
配管。
大型の設備。
複雑な制御盤。
そして、その中央。
「……嘘」
ジェシカが呟いた。
巨大な装置が設置されていた。
明らかに訓練用として置かれたものとは違う。
無骨な外見。
複数の装置。
何重にも張り巡らされた配線。
そして、その中央にあるデジタル表示。
05:42:17
数字が一秒ずつ減っている。
05:42:16。
05:42:15。
05:42:14。
誰も口を開けなかった。
さっきまで「どうせヴァンデス先生が何か仕掛けている」と笑っていたヒーローたちの顔から、一気に血の気が引いていく。
「……本物?」
誰かが震える声で言った。
「分からん」
調査官が答える。
「だが、警備側は本物として扱っている」
「ヴァンデスさんは?」
ジェシカが尋ねる。
「分からない」
「……」
「先ほど、テロリストと思われる人間から連絡があった」
調査官は唇を噛んだ。
「ヴァンデスの身柄を預かっている、と」
「!」
ヒーローたちがざわつく。
「ヴァンデスさんが……?」
「要求は?」
「仲間の解放」
調査官は言った。
「そして――軍隊の撤退だ」
「軍隊……?」
「ああ」
「この施設を狙う規模じゃない」
「そうだ」
調査官は大型爆発物を見上げる。
「これは単なる脅迫じゃない可能性がある」
「連中の口ぶりからすると、この建物には六つの爆弾が仕掛けられている」
「六つ!?」
ヒーローたちの間から声が上がる。
「ここだけじゃない」
「この建物のどこかに、あと五つある」
「……」
誰かが息を呑む。
「全部探して、全部止めろってことですか?」
「そうだ」
「警察や爆発物処理班は?」
調査官の顔が歪んだ。
「それが問題なんだ」
「どういうことです?」
「ちょうど最悪のタイミングで、他の爆発物処理班が別の現場に駆り出されている」
「……」
「それだけじゃない」
調査官は声を落とした。
「奴の口ぶりからして、FBI内部に協力者がいる可能性が高い」
空気が凍った。
「内部に……?」
「ああ」
「だから、誰を信用していいのか分からない」
調査官はヒーローたちを見た。
「君たちはヴァンデスの講義を受けていた」
「爆発物の基礎」
「過去の事件」
「犯人の思考」
「現場での判断」
「そして、あいつが何度も言っていたこと」
調査官の声が少し震える。
「『焦るな』」
「『犯人の意図に乗るな』」
「『自分で考えろ』」
ヒーローたちは互いに顔を見合わせる。
「……」
調査官は深く頭を下げた。
「頼む」
「俺たちだけではどうにもならない」
「君たちが希望なんだ」
その言葉は重かった。
ジェシカは大型爆弾を見る。
カウントは進んでいる。
05:38:42
05:38:41
05:38:40
たった数分の間に、誰もが別人のようになっていた。
昨日までなら、ヴァンデスがタイマーを動かしただけで悲鳴を上げていた。
だが今は違う。
誰も笑っていない。
誰も「どうせ偽物だ」と言わない。
それでも――。
「……待ってください」
ジェシカが口を開いた。
「何だ?」
「一つだけ、おかしいです」
調査官が見る。
「ヴァンデスさんです」
「……」
「どうして犯人はヴァンデスさんを誘拐したんですか?」
「分からない」
「でも」
ジェシカは爆弾を見る。
「この爆弾……」
昨日までの講義を思い出す。
ヴァンデスは言っていた。
爆弾そのものだけを見るな。
犯人を見る。
何を目的としているのか。
何を恐れているのか。
何をしなかったのか。
そして――。
相手の意図に乗らない。
「……ヴァンデスさんなら」
ジェシカが呟く。
「こんな時、どう考えるんだろう」
誰も答えない。
調査官が言う。
「今は考えている暇はない」
「五時間以上あります」
ジェシカがタイマーを見る。
「……そうだな」
「なら、まず落ち着きましょう」
昨日の講義で、ヴァンデスが何度も言った言葉。
頭は冷やせ。手は動かせ。
ジェシカは深く息を吸った。
「皆さん」
周囲を見る。
「昨日まで、私たちは先生に何度も騙されました」
「……」
「爆弾があると言われて、焦らされて」
「時間がないと言われて」
「何度も失敗して」
少しだけ笑う。
「だからこそ、今度は騙されないようにしましょう」
ヒーローたちは頷いた。
「まず、この建物の状況を確認する」
「六つの爆弾が本当にあるなら、全部探す」
「でも、ヴァンデスさんが捕まったという話も――」
ジェシカは言葉を止める。
「……それも、確認しないと」
調査官は黙って彼女を見る。
やがて頷いた。
「そうだ」
「君の言う通りだ」
「まずは状況を整理する」
そして――。
機械室の奥で、また電子音が鳴った。
ピッ。
数字が一つ減る。
05:37:58
誰もその音から目を逸らさなかった。
その頃。
FBI本部から少し離れた場所にある小さな倉庫では――。
椅子に座ったヴァンデスが、腕を組んでいた。
「…………」
目の前には、一人のFBI職員。
「本当にやるんですか?」
「やる」
「でも、彼らにはかなり本気で信じ込ませる必要があるとはいえ……」
「だからいいんだよ」
ヴァンデスは疲れた顔で笑う。
「半端な訓練じゃ、いざって時に役に立たん」
「しかし、ヒーローたちが気づいたら――」
「気づくか?」
「……」
「だったら、それも勉強だ」
ヴァンデスは椅子にもたれかかる。
「俺がいない状況で、俺ならどうするか」
「そこまで考えられるようになれば――」
ヴァンデスは目を細めた。
「明日の授業は成功だ」
その口元には、いつもの嫌な笑みが浮かんでいた。
だが、FBI職員にはそれが少し不安そうにも見えた。
「……本当に大丈夫でしょうか」
「さあな」
「またそれですか」
「俺の口癖だからな」
ヴァンデスは肩をすくめた。
「さて」
時計を見る。
「そろそろ、あいつらが本気になる頃だ」
そして――。
FBIの機械室では、六つの爆弾を巡る戦いが始まっていた。
少なくとも、ヒーローたちはそう信じていた。