第十五話 「本物の人質」
機械室に集められたヒーローたちは、誰一人として口を開かなかった。
大型の爆発物。
残り時間は五時間三十分ほど。
そして、ヴァンデスの行方は分からない。
その状況だけでも十分に緊迫していた。
だが、その直後だった。
調査官のスマートフォンが震えた。
「……!」
画面を確認した調査官の顔が強張る。
「何ですか?」
ジェシカが覗き込もうとする。
「……ビデオメッセージだ」
「ヴァンデスさんから?」
「分からん」
調査官は一瞬迷った。
しかし、すぐに再生する。
画面に映し出されたのは――。
「……ヴァンデスさん!」
ジェシカが息を呑んだ。
薄暗い部屋。
椅子に座らされたヴァンデス。
いつものくたびれた顔はさらに酷い状態になっていた。
唇の端から血が流れている。
頬にも赤い跡があり、額のあたりからも血が伝っている。
そして、その頭のすぐ横にはライフルが突きつけられていた。
「……!」
ヒーローたちの間から小さな悲鳴が漏れる。
画面の中のヴァンデスは、息を荒くしながらカメラを睨んでいた。
「……FBI……聞こえてるか……」
声は掠れていた。
「全員……退避しろ……!」
調査官の顔が険しくなる。
「ヴァンデス……」
「俺が……今日の訓練用に用意してた爆弾を……連中が流用した……!」
ヴァンデスは必死に叫ぶ。
「各フロアに仕掛けてある! 一つでも吹き飛べば……連鎖的に建物が使い物にならなくなるぞ!」
「嘘だろ……」
「逃げろ!」
ヴァンデスが叫ぶ。
「俺のことはいい! とにかく――」
その瞬間。
画面の外から誰かが近づいてくる。
ヴァンデスの顔が一瞬だけ強張った。
次の瞬間。
ゴッ!
「ッ――!」
ライフルのストックがヴァンデスの顔面を殴りつける。
ヴァンデスの身体が大きく揺れ、椅子ごと倒れそうになる。
「ヴァンデスさん!」
ジェシカが思わず画面に手を伸ばす。
しかし、ヴァンデスは床に崩れながらも動かなかった。
気絶したように見える。
「……」
画面の外から男の声がする。
『余計なことをするからだ』
そして画面の端に、別の人物が現れた。
顔は見えない。
手だけが映っている。
その手には、小さな起爆装置が握られていた。
『要求を飲め』
男は淡々と言った。
『仲間を解放しろ』
『軍を引かせろ』
『さもなければ――』
起爆装置のスイッチがカメラに向けられる。
『この建物を吹き飛ばす』
画面が暗転した。
「……」
誰も何も言わなかった。
しばらくして、調査官が低い声で呟く。
「……くそっ」
壁に拳を叩きつける。
「本当に攫われたのか……!」
ジェシカは呆然としていた。
つい数日前まで、ヴァンデスは目の前でコーヒーを飲みながら、嫌味を言っていた。
爆弾を使って散々脅してきた。
タイマーを見せつけてきた。
何度も自分たちを騙してきた。
だから、今回もどこかで「どうせ訓練だ」と思っていた。
だが――。
「……違う」
ジェシカが呟く。
「今回は本当なんだ」
「……」
「先生、本当に捕まってるんだ……」
その言葉を聞いたヒーローたちの表情が変わった。
さっきまでの戸惑いが消える。
「……だったら」
一人が爆発物を見る。
「やるしかない」
「そうだ」
「先生を助ける」
「この建物も守る」
調査官も頷いた。
「頼む」
「俺たちは今、できる限りの人員を探している」
「だが、現場で動けるのは君たちしかいない」
「分かりました」
ジェシカが答えた。
「やります」
ヒーローたちはそれぞれ顔を見合わせた。
「チームを分けよう」
「うん」
「この機械室を担当する班」
「上階を探す班」
「残りの爆弾を探す班」
「通信と監視を担当する班」
それぞれが役割を決めていく。
ヴァンデスがこれまでの講義で繰り返してきたことを思い出しながら。
――焦るな。
――頭は冷やせ。
――手を動かせ。
彼らはそれを実行しようとした。
最初の爆発物に近づいたヒーローが慎重に周囲を確認する。
「……かなり複雑だ」
「ヴァンデスさんが用意したものを改造したって言ってたな」
「つまり、基本構造は先生の講義で見たものと似ている可能性がある」
「なら、講義の資料を――」
「待って」
別のヒーローが手を挙げる。
「先生なら、俺たちが資料を見て判断することも想定してるんじゃないか?」
「……」
「敵がヴァンデスさんの爆弾を使ったって話が本当なら、先生の知識を使って解除するのが一番早い」
「でも本人はいない」
「だから俺たちがやるしかない」
緊張した空気の中で、作業が始まった。
彼らはこれまで学んだ知識を頼りに、装置を慎重に観察する。
しかし、すぐに問題が発生した。
「……これ」
「何?」
「コード入力が必要だ」
「こっちもだ」
「え?」
別の班から通信が入る。
『こちら二階。こっちも解除にコードが必要になってる』
「三階も同じ!」
「こっちも!」
次々と報告が入る。
「全部コード式なのか?」
「まさか……」
ジェシカが唇を噛んだ。
「先生……」
ヴァンデスの講義を思い出す。
爆弾の構造。
犯人の心理。
そして――。
犯人は解除する側を焦らせる。
「……落ち着いて」
ジェシカが言った。
「まだ五時間以上ある」
「そうだ」
「コードが必要なら、まず情報を集めよう」
「でもコードが分からなかったら――」
「先生なら」
ジェシカは装置を見る。
「何かヒントを残してるかもしれない」
「ヒント?」
「私たちが講義で聞いたことの中に」
その言葉に、全員が黙った。
確かに。
ヴァンデスはこれまで、ただ爆弾の仕組みを教えていたわけではない。
過去の事件。
犯人の性格。
思考。
判断。
心理。
そして、相手がどんな人間なのかを考えろと何度も言っていた。
「先生が作ったものなら……」
一人が呟く。
「先生の性格を考えればいい?」
「そう」
ジェシカが頷く。
「先生は面倒くさがり」
「酒好き」
「タバコ好き」
「甘いもの好き」
「……」
「それ爆弾のコードに関係ある?」
「分からないけど……」
ジェシカは真剣だった。
「先生は絶対に、私たちがどう考えるかを見てる」
しかし、画面に表示されたコード入力欄は沈黙したままだ。
「……」
「分からない」
「駄目だ」
「時間が――」
「落ち着け!」
誰かが怒鳴った。
「まだ五時間以上ある!」
「だったら探せ!」
ヒーローたちは再び動き始めた。
機械室の中を調べる。
装置そのものを観察する。
周囲の設備を確認する。
何か手掛かりがないか探す。
しかし――。
「何もない!」
「こっちもだ!」
「コードが分からない!」
焦りが少しずつ広がっていく。
それでもジェシカは、ヴァンデスの講義を思い出していた。
『爆弾魔との戦いってのは、作った人間の性格を考えることが大事だ』
あの時、ヴァンデスは笑いながら言っていた。
まるで冗談のように。
だが今は、その言葉が頭から離れない。
「先生……」
ジェシカは小さく呟いた。
「あなたなら、どうする?」
その頃。
別の場所。
薄暗い倉庫。
椅子に座らされたヴァンデスは、目を閉じたまま微動だにしていなかった。
「……」
向かいにはFBIの職員。
そして、その横には撮影機材。
「……」
職員が恐る恐るヴァンデスを見る。
「本当にこれで大丈夫ですか?」
「……」
ヴァンデスは目を開ける。
「何が?」
「ヒーローたち、完全に信じ込んでますよ」
「それでいい」
「でも、かなり怯えてました」
「だから訓練になる」
ヴァンデスは口元を拭う。
もちろん血は本物ではない。
殴られたように見せるためのメイクだった。
ライフルも訓練用。
そして、先ほどの「犯人」も――。
FBI側の協力者だった。
すべては今回の講義のために用意されたものだった。
ただし――。
ヴァンデスはまだ、それをヒーローたちには明かさない。
「重要なのは」
ヴァンデスは煙草を指先で弄びながら言う。
「本物だと思わせることだ」
「本気で信じなきゃ、本気で考えない」
「……」
「それに」
ヴァンデスは少しだけ笑った。
「俺がいない状態で、あいつらがどこまでやれるか見てみたい」
「なるほど……」
「俺の講義は、俺がいない時に役に立たなきゃ意味がないからな」
そう言って、ヴァンデスはモニターを見る。
そこには機械室で慌ただしく動くヒーローたちの映像が映っていた。
「……お」
ヴァンデスが少しだけ身を乗り出す。
「ジェシカ、いい顔するようになったな」
「成長してますね」
「ああ」
ヴァンデスは少し満足そうだった。
「最初の頃なら、とっくに泣いてた」
「ですね」
「だが――」
ヴァンデスは画面を見つめる。
「まだ足りない」
モニターの向こうで、ヒーローたちが再びコード入力に取り組んでいる。
何人かは互いに意見を出し合い、何人かは過去の資料を検索している。
そして、ジェシカは一人で装置を眺め続けている。
「さて」
ヴァンデスは煙草を消した。
「ここからが本番だ」
一方、機械室。
「……待って」
ジェシカが突然声を上げた。
「どうした?」
「先生、昨日言ってた」
「何を?」
「爆弾は、作った人間の性格を考えろって」
「それが?」
「だったら、このコードも――」
ジェシカは装置を見る。
「先生が私たちに教えたことを思い出して」
全員が黙る。
「この数日間、先生はずっと私たちを試してた」
「だったら……」
ジェシカが少しだけ笑う。
「この爆弾も、きっとそう」
「……」
「先生は私たちに、何を考えてほしいんだろう」
誰かが息を呑んだ。
焦り。
恐怖。
ヴァンデスの誘拐。
六つの爆弾。
五時間という時間。
コード入力。
すべてが一本につながっているように見える。
だが――。
その「つながり」そのものが、果たして本当に正しいのか。
ヒーローたちはまだ知らなかった。
この訓練で本当に試されているのは、爆弾を解除する技術だけではない。
目の前に提示された情報を、どこまで疑えるか。
そして――。
信じている相手でさえ、疑うことができるか。
ヴァンデスがこの数日間、何度も教えてきた「爆弾魔との戦い」の本質。
それを、彼らは今まさに試されていた。
そしてカウントダウンは、静かに時間を刻み続けていた。