第十八話 最終講義――百ドルの教科書
翌朝。
ヒーローたちは、いつもより少し重たい足取りで講義室へ向かっていた。
疲れている。
当然だった。
ここ数日間、朝から晩まで爆発物について叩き込まれ、そのうえ毎日のようにヴァンデスによる悪辣な実践試験が待っていた。
爆弾を見せられ。
タイマーを仕掛けられ。
偽物だと思ったら本物らしきものが出てきて。
本物だと思ったら偽物だった。
そして昨日など、ヴァンデス本人が「誘拐された」という設定まで組み込んで、FBIまで巻き込んだ大掛かりな試験を仕掛けてきた。
精神的な疲労は相当なものだった。
それでも――。
「……なんか、変な感じだな」
廊下を歩いていたヒーローの一人が呟く。
「何が?」
「疲れてるはずなのに……妙に気分がいい」
「分かる」
別のヒーローも笑う。
「昨日、最後に自分たちで爆弾を運び出せたからかな」
「最初の頃なんて、タイマーが鳴っただけで腰抜かしそうになってたもんな」
「ヴァンデス先生に何回騙されたことか……」
「俺、昨日の倉庫で本気で死ぬと思った」
「私も」
「でも……」
ジェシカが前を歩きながら振り返る。
「私たち、自分たちで最後までやりきったんだよね」
その言葉に、全員が頷いた。
そう。
それが何より嬉しかった。
ヴァンデスの悪辣な試験。
何度も騙され、焦らされ、追い込まれ、それでも最後には自分たちの頭で考えて答えを出した。
それは、これまで「能力を使って人を助ける」ことばかり考えていた彼らにとって、大きな経験だった。
「よし」
ジェシカが拳を握る。
「今日が最終日だよ」
「最後くらい、先生をぎゃふんと言わせようぜ」
「無理だろ」
「無理だな」
「即答!?」
そんな会話をしながら、ヒーローたちは講義室へ入った。
「……あれ?」
最初に入ったヒーローが足を止める。
教室の正面。
そこには、大型スクリーンが降ろされていた。
スクリーンの前にはノートパソコン。
そして、その横にはコーヒー。
椅子に座り、優雅にコーヒーを飲んでいる男が一人。
「おはよう諸君」
「……おはようございます」
「随分と疲れた顔だな」
ヴァンデスだった。
相変わらず、やつれた顔。
窪んだ目。
痩せた身体。
寝不足なのか、昨日よりさらに顔色が悪い。
なのに本人だけは妙に落ち着いている。
「先生は元気そうですね」
「俺は講義するだけだったからな」
「……」
ヒーローたちは無言になった。
「冗談だよ」
ヴァンデスは笑った。
「さて」
講義開始時刻になる。
ヴァンデスはコーヒーカップを置いた。
「本日は昨日の講評だ」
「昨日の……?」
「ああ」
パソコンを操作する。
すると――。
スクリーンに映像が映し出された。
「……!」
ヒーローたちが息を呑む。
そこに映っていたのは、昨日の機械室だった。
監視カメラの映像。
爆弾を前にして右往左往する自分たち。
「うわ……」
「これ、全部撮ってたのかよ……」
「当然だ」
ヴァンデスはコーヒーを飲む。
「試験なんだから記録を取るに決まってるだろ」
「恥ずかしい……」
「いいから見ろ」
映像が進む。
爆弾を前にしてパニックになるヒーロー。
役割分担を始めるヒーロー。
コードを探して右往左往するヒーロー。
そして――。
「ここだ」
ヴァンデスが映像を止めた。
一人のヒーローが爆弾をじっと観察している。
「この辺りから、ようやく全員の頭が動き始めた」
「……」
「最初は完全に俺の作った状況に飲まれていた」
映像が再生される。
「ここで一人が『この爆弾は動かせるんじゃないか』と気づく」
ヴァンデスが指差す。
「これは良かった」
「さらに、その後に別の奴がセンサーを見つけた」
「ここも良い」
「一人だけの思考じゃなく、全員で情報を共有できている」
ヒーローたちは真剣に映像を見る。
自分たちがどう動いていたのか。
どこで失敗していたのか。
普段は見えない部分が、映像になることでよく分かった。
「そして――」
映像が進む。
最後の爆弾を防爆室へ運び込む。
タイマーが五分を切る。
全員が必死になって走っている。
「ここまでだ」
映像が止まる。
「七十点くれてやる」
「……!」
ヒーローたちの顔が少し明るくなる。
「やった……」
「七十点!」
「先生に褒められた!」
「まぁ」
ヴァンデスは淡々と言った。
「ここまではな」
「……え?」
ヴァンデスが次の映像を再生する。
港の倉庫。
ヒーローたちがFBIの車から降り、一目散に倉庫へ向かっている。
「……」
「……」
全員の顔から笑顔が消えた。
「そして」
ヴァンデスが映像を止める。
「ここで全滅」
「…………」
「零点」
「ええ!?」
ジェシカが思わず叫んだ。
「なんでですか!?」
「なんで?」
ヴァンデスは本気で不思議そうな顔をする。
「お前ら、何を考えて倉庫に入った?」
「先生を助けに……」
「そうだな」
「だったら――」
ヴァンデスの顔から笑みが消えた。
「なんで無防備で入った?」
教室が静まり返る。
「初日に教えたよな?」
「相手を焦らせる」
「判断力を奪う」
「人間は焦れば簡単なことにも気づけなくなる」
「そういう心理を爆弾魔は利用する」
ヴァンデスはスクリーンの映像を指差す。
「昨日のお前らは、まさにそれだった」
「『ヴァンデスが捕まった!』」
「『急いで助けなきゃ!』」
「それだけで頭がいっぱいになった」
ジェシカは俯いた。
「……」
「もし俺が本当に死んでたら?」
誰も答えない。
「倉庫の扉に爆薬が仕掛けられていたら?」
「……」
「死体を利用したブービートラップがあったら?」
「……」
「屋根から狙撃されたら?」
「……」
「倉庫そのものが爆弾だったら?」
ヴァンデスが静かに言う。
「お前ら、全滅だったぞ」
その言葉は、これまでの冗談めいた講義とは違った。
真剣だった。
「助けたい気持ちは分かる」
「仲間を救いたいのも分かる」
「だが、それと無警戒に突っ込むことは違う」
「ヒーローってのは勇敢でなきゃならない」
「だが、勇敢と無謀は違う」
ヴァンデスはそこで一度言葉を切った。
「……そこだけは、覚えておけ」
しばらく沈黙が続いた。
やがてヴァンデスは、ふっと息を吐く。
「まあ」
「昨日の本題である爆弾処理については、よくできてた」
「だから――」
口元に少しだけ笑みを浮かべる。
「総評としては、まぁ悪くなかったんじゃない?」
ヒーローたちは顔を見合わせる。
「……」
「先生」
「なんだ?」
「それ、褒めてます?」
「褒めてるよ」
「……分かりにくい」
「俺は昔からこんなもんだ」
ヴァンデスは再びパソコンを操作した。
そして――。
「あと」
教壇の横に置いてあった段ボール箱を持ち上げる。
ドサッ。
机の上に置いた。
「これは?」
「最後の土産だ」
蓋を開ける。
中には、何冊もの分厚い本が入っていた。
表紙には大きくタイトルが書かれている。
――『爆発物取扱・対処概論』
「……」
「俺が書いた」
「え?」
「爆発物について勉強したい奴は買え」
「本当に先生が?」
「ああ」
ヴァンデスは一冊取り出して、机の上に置く。
「一冊百ドル」
「百ドル!?」
「安いだろ」
「高いですよ!」
「俺の生活費になる」
「理由が露骨!」
「講義代だと思えば安いもんだ」
ヴァンデスは平然と本を積み上げる。
「買え」
「買ってくれ」
「俺の生活を助けろ」
「先生、それ授業の最後に言うことじゃないですよ!」
「いや、大事なことだ」
ジェシカが本を一冊手に取る。
「……でも」
表紙を見る。
ずっしりと重い。
「本当に先生が書いたんですか?」
「そうだ」
「これ……かなり分厚い」
「そりゃそうだ」
「内容も難しそう……」
「お前らが今まで三日かけて習ったことの続きだ」
ジェシカは少し考えた。
「……買います」
「お前は偉い」
「ジェシカだけ?」
「いや」
ヴァンデスは残りのヒーローを見る。
「お前らも買え」
「強制!?」
「強制じゃない」
ニヤリと笑う。
「ただ、買わなかった奴は次に会った時に俺が質問する」
「……」
「答えられなかったら?」
「追加講義」
「……買います」
「賢い」
教室に笑いが起こる。
ヴァンデスはそんな彼らを見ながら、最後にコーヒーを飲んだ。
「さて」
空になったカップを置く。
「これで俺の講義は終わりだ」
その言葉に、ヒーローたちは少しだけ寂しそうな顔をした。
数日間。
怖かった。
疲れた。
何度も騙された。
それでも――。
いつの間にか、この奇妙な講義が終わってしまうことを惜しく感じていた。
ヴァンデスはそんな彼らを見て、少しだけ目を細める。
「……まあ」
「悪くなかったぞ」
それだけ言って、彼は椅子から立ち上がった。
「じゃあな」
「先生!」
ジェシカが呼び止める。
「また……講義してくれますか?」
ヴァンデスは振り返った。
「金次第だな」
「……もう!」
笑い声が教室に響いた。
こうして――。
ヴァンデスによる、最悪で、恐ろしく、そして奇妙なほど実践的だった爆発物講義は幕を閉じた。
そしてジェシカたちはまだ知らない。
この講義をきっかけに、彼らとヴァンデスの関係が――。
単なる「教師と生徒」では終わらなくなっていくことを。