第二十話 先生、逮捕します
それから、さらに数日が過ぎた。
街は相変わらず騒がしかった。
戦争が終わってから時間が経ったとはいえ、治安が完全に回復したわけではない。
むしろ、戦争から戻ってきた退役軍人たちの中には仕事も住む場所もなく、犯罪へ流れてしまった者も少なくなかった。
そして――。
ヴァンデスにとって、そんな街は別に珍しいものではなかった。
夜。
人通りの少ない裏路地。
街灯の明かりも届きにくい場所で、ヴァンデスは壁にもたれながら煙草を吸っていた。
「……遅ぇな」
疲れたように呟く。
しばらくすると、路地の向こうから男が現れた。
「待たせたか?」
「別に」
ヴァンデスは煙草を咥えたまま答える。
「ブツは?」
「ある」
男が周囲を確認する。
「金は?」
「ある」
ヴァンデスがポケットから金を取り出す。
短いやり取り。
余計な会話はない。
ヴァンデスは渡されたものを確認すると、ため息を吐いた。
「……相変わらず高ぇな」
「嫌なら買わなきゃいい」
「それができりゃ苦労しねぇよ」
男が鼻で笑う。
ヴァンデスが煙草を灰皿代わりの缶に押しつける。
その時だった。
「――そこ!」
上空から声が響いた。
二人が同時に顔を上げる。
「え?」
夜空から、一人の少女が猛スピードで降下してくる。
「ヒーローだ!」
「ちっ!」
売人が走り出す。
「おい!」
ヴァンデスも反射的に走り出した。
「待ちなさい!」
ジェシカだった。
ヒーロースーツを着て、空を飛びながら二人を追う。
「逃げるな!」
「逃げるに決まってんだろ!」
ヴァンデスが叫ぶ。
「ヴァンデスさん!?」
「違ぇ!」
「その声、ヴァンデスさんですよね!?」
「知らねぇよ!」
路地を曲がる。
売人が別方向へ逃げる。
ヴァンデスも反対方向へ走る。
ジェシカは一瞬迷った。
「どっち!?」
その一瞬で、二人は路地の奥へ消えてしまった。
「……!」
ジェシカは空へ飛び上がり、上空から周囲を見渡す。
だが、もう見つからない。
「……逃げられた」
悔しそうに拳を握る。
そして――。
「……」
ジェシカは先ほどの男の後ろ姿を思い出した。
痩せた身体。
妙に疲れた歩き方。
あの声。
そして何より。
「……ヴァンデスさんだったような……」
ジェシカは首を傾げた。
「いや、でも……」
あの人が?
自分たちに爆発物について教えてくれた。
ヒーローとしての心構えまで叩き込んでくれた。
時には厳しく、時には意地悪で、それでも最後には必ず自分たちに考えさせた。
そんな人間が――。
「……まさかね」
ジェシカはそう呟いた。
しかし。
その疑念は消えなかった。
⸻
それから数週間。
ジェシカは、暇があるたびに街の裏路地を見回るようになった。
「……いない」
屋上から路地を覗く。
いない。
別の場所。
いない。
さらに別の路地。
いない。
「……私、何してるんだろ」
自分でも少し馬鹿らしくなってくる。
ヴァンデスが本当に薬物を買っている証拠などない。
あの時見た男が本当にヴァンデスだったのかすら、確信はない。
それでも。
ジェシカにはどうしても気になっていた。
そしてある夜。
「……!」
屋上から見下ろした先。
二人の男が立っていた。
片方は見覚えのある痩せた身体。
くたびれた服。
煙草。
そして――。
「……ヴァンデスさん」
ジェシカの顔が強張った。
間違いない。
今度こそ、本人だった。
ヴァンデスは路地に立ち、目の前の男と何かを話している。
ジェシカは息を潜めた。
そして取引が終わる。
ヴァンデスが何かを受け取った。
「……!」
その瞬間。
ジェシカは飛び出した。
「ヴァンデスさん!!」
「――げ」
ヴァンデスが顔を上げる。
「お前かよ!」
「確保します!」
「待て待て待て!」
ジェシカは一気に降下する。
売人は慌てて逃げ出した。
しかしヴァンデスは逃げ遅れた。
「はい、確保!」
「ちょっと待て!」
ジェシカがヴァンデスの身体を掴む。
「うおっ!」
「逃がしません!」
「お前、俺を誰だと思ってんだ!」
「爆発物の講師をしてる怪しい退役軍人です!」
「余計怪しくなってんじゃねぇか!」
ジェシカはそのまま上昇した。
「おい!」
「暴れないでください!」
「高い!」
「大丈夫です!」
「俺は大丈夫じゃねぇ!」
ヴァンデスは情けない声を上げながら、ジェシカに抱えられて空へ運ばれていった。
やがて――。
二人はビルの屋上へ着地した。
ジェシカがヴァンデスを下ろす。
「……」
「……」
二人の間に沈黙が流れる。
ヴァンデスは屋上の縁から街を見下ろした。
「……高ぇな」
「話を逸らさないでください」
「はい」
ジェシカが腕を組む。
「ヴァンデスさん」
「はい」
「何してたんですか?」
「買い物」
「何の?」
「……」
「何を買ったんですか?」
「……」
「見せてください」
「……」
ヴァンデスは黙ってポケットを探る。
そして――。
「これ」
取り出したものを見せる。
ジェシカの顔が険しくなる。
「……やっぱり」
「何がやっぱりだ」
「薬物ですよね?」
「そうだな」
「認めるんですか!?」
「見りゃ分かるだろ」
「じゃあ、どうして!?」
ジェシカの声が大きくなる。
「先生!」
ヴァンデスは何も言わない。
「私たちに何を教えたんですか!?」
「……」
「犯人の思考を読むこと!」
「……」
「自分を律すること!」
「……」
「冷静になること!」
「……」
「なのに、自分はどうなんですか!」
ヴァンデスは煙草を取り出そうとする。
「吸わないでください!」
「……はい」
ポケットへ戻す。
「お酒も飲んでますよね?」
「飲む」
「煙草も吸いますよね?」
「吸う」
「薬も使う」
「……使う」
「なんでですか!」
「……」
ヴァンデスは屋上の床に座った。
「昔からこうだったわけじゃねぇよ」
「……」
「戦争が終わってからだ」
ジェシカは黙って聞く。
「戦場じゃ、色々やった」
「自分が何をしてるかなんて考えずにな」
「命令されたからやる」
「生き残るためにやる」
「それで何年も過ごした」
ヴァンデスは遠くを見る。
「戦争が終わった」
「なのに、頭の中だけ終わらなかった」
ジェシカの表情が変わる。
「……」
「寝ても起きても、昔のことが出てくる」
「だから酒を飲む」
「眠れない時は薬に頼る」
「それでも駄目なら別のもんに頼る」
ヴァンデスは乾いた笑いを漏らした。
「褒められたもんじゃねぇだろ」
「……はい」
「だよな」
ジェシカはしばらく黙っていた。
そして――。
「じゃあ」
「……?」
「私とバディになってください」
「……は?」
「私、前にも言いましたよね」
「聞いた」
「もう一度言います」
ジェシカはヴァンデスの前に立つ。
「私とバディになってください」
「断る」
「即答……」
「前にも言っただろ」
「でも今回は違います」
「何がだよ」
「先生が何を抱えてるか、少し分かったからです」
「……」
「一人で抱えるの、やめませんか?」
ヴァンデスは顔を背けた。
「……お前、ヒーロー向いてねぇな」
「なんでです?」
「人の面倒に首突っ込みすぎる」
「先生に言われたくありません」
「……」
ヴァンデスが小さく笑う。
「それでも断る」
「そうですか」
ジェシカは頷いた。
「じゃあ――」
ヴァンデスを見る。
「このまま警察に突き出します」
「……」
「薬物を持ってました」
「……」
「現行犯で確保しました」
「……」
「証拠もあります」
ヴァンデスの顔が引きつった。
「お前……」
「はい」
ジェシカはにっこり笑う。
「私、先生に教えてもらったことはちゃんと覚えてます」
「相手を追い詰める時は、相手がどう動くか考える」
「そうでしたよね?」
「……」
「先生」
ジェシカが手を差し出す。
「私のバディになってください」
ヴァンデスはその手を見る。
「……脅迫じゃねぇか」
「交渉です」
「警察に突き出すって言ってるだろ」
「交渉です」
「悪質なヒーローだな」
「先生に鍛えられましたから」
「……」
ヴァンデスはしばらく黙っていた。
そして――。
「……はぁ」
深いため息。
「分かった」
「え?」
「分かったって言ってんだよ」
ジェシカの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか!?」
「ただし」
「はい!」
「俺はお前の相棒としてヒーロー活動する気はねぇぞ」
「え?」
「必要な時だけ協力する」
「それでもいいです!」
「それから」
「はい!」
「俺の生活に口を出すな」
「それは無理です」
「即答かよ」
「バディですから」
「……」
ヴァンデスは頭を抱えた。
「最悪だ」
そう言いながらも。
ほんの少しだけ――。
その顔には、笑みが浮かんでいた。