第二十三話 正式登録はお断り
高層ビルの救助を終えた二人は、地上へ降りた。
ヴァンデスがようやく足を地面につける。
「……」
しばらく何も言わない。
そして、ふらつきながら立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねぇ」
「ですよね」
「お前の飛び方がな」
「でも助かったでしょう?」
「結果論だ」
ジェシカは笑う。
「じゃあ、今から事務所ですね!」
「……は?」
「私の事務所です!」
「いや、もう今日は帰――」
ヴァンデスが言い終わるより早く、ジェシカが身体を掴んだ。
「おい」
「行きますよ!」
「待て!」
次の瞬間。
二人は再び空へ飛び上がった。
「今日は何回飛ぶんだよ!」
「事務所まですぐです!」
「俺は今日一日で十分飛んだんだよ!」
「慣れますよ!」
「慣れるか!」
ヴァンデスの叫び声が、夕暮れの街に響いた。
⸻
しばらくして。
二人はジェシカの活動拠点へ到着した。
そこは、ヒーロー活動のために用意された小さな事務所だった。
表にはヒーロー名の看板。
室内にはデスク。
通信機器。
救急用品。
装備を置くスペース。
壁には活動区域の地図まで貼られている。
「ここが私の事務所です!」
「……へぇ」
ヴァンデスは室内を見回した。
「思ったよりちゃんとしてるな」
「でしょう?」
「もっとこう……子供の秘密基地みたいなのを想像してた」
「なんでですか!」
「お前だから」
「ひどい!」
ジェシカはむくれながら説明を始めた。
「ここが通信設備で、こっちが装備置き場。活動記録はこの端末に入れて――」
「ふんふん」
「それで、バディになった人はここで登録を――」
「……」
ジェシカが一枚の書類を取り出した。
「これです」
「何だ?」
「バディ登録申請書です」
ヴァンデスが受け取る。
紙を見る。
名前。
所属。
身分。
活動履歴。
その他諸々。
そして――。
「……」
ヴァンデスの顔から表情が消えた。
「どうしました?」
「これ」
「はい?」
「国に出すのか?」
「そうですよ」
「……」
ヴァンデスは書類を見つめる。
数秒後。
「馬鹿」
「え?」
「こんなもんに俺の名前を載せられるか」
ヴァンデスは自分の頭を軽く叩いた。
「俺は正式登録されてねぇんだぞ」
「でも、バディとして協力するなら――」
「それとこれとは別だ」
「……」
「国に出す資料に俺の名前が載ったら、俺がどこにいるか全部追えるようになる」
「……」
「軍にいた時の記録だって掘り返される」
ジェシカは黙った。
「それに俺は、昔の連中に顔を見られたくねぇんだよ」
「……分かりました」
ジェシカは書類を引っ込めようとする。
ヴァンデスが止める。
「ただし」
「?」
「バディとして協力すること自体は約束する」
「本当ですか?」
「ああ」
ジェシカの顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、登録はしないけど……」
「必要な時は協力する」
「はい!」
「それでいいだろ」
「はい!」
ジェシカは嬉しそうに書類を片付けた。
「じゃあ、正式登録はしなくてもバディですね!」
「そういうことだ」
「やった!」
「ただし、俺の名前を勝手にどこかへ書くなよ」
「分かりました!」
「本当に分かったんだろうな?」
「はい!」
ジェシカは胸を張る。
「ちゃんと秘密にします!」
「……ならいい」
⸻
その後。
「ところでヴァンデスさん」
「なんだ」
「夕飯、食べていきません?」
「……」
ヴァンデスは時計を見る。
「もうそんな時間か」
「今日は色々ありましたから」
「そうだな」
「作りますよ」
「お前が?」
「はい!」
ヴァンデスは少し考えた。
そして。
「……頼む」
「任せてください!」
ジェシカは台所へ向かった。
ほどなくして、簡単な夕食が完成した。
ヴァンデスは黙々と食べる。
「どうです?」
「……うまい」
「よかった!」
「お前、料理の腕上がったな」
「朝も食べてもらいましたよね」
「朝よりうまい」
「えへへ」
ヴァンデスは食事を続ける。
ふと気づく。
今日は一日、まともな食事をしている。
酒も飲んでいない。
薬も使っていない。
そして――。
「……」
妙な感じだった。
だが、嫌ではなかった。
食事を終える。
「じゃあ帰る」
「送りますよ?」
「いい」
「でも――」
「タクシーで帰る」
「分かりました」
ジェシカは事務所の外まで見送った。
「今日はありがとうございました」
「こっちこそ」
「明日は?」
「明日は仕事がある」
「分かりました!」
ヴァンデスはタクシーに乗り込む。
窓を開ける。
「じゃあな」
「はい!」
「……ジェシカ」
「はい?」
「明日の朝、来るなよ」
「分かりました!」
ヴァンデスは少し安心した。
「――でも明後日は行きますね!」
「お前……」
タクシーが走り出す。
ジェシカは笑顔で手を振っていた。
「……面倒な奴だ」
ヴァンデスは座席に沈み込んだ。
だが、その声には少しだけ笑いが混じっていた。
⸻
翌日。
ジェシカは一人で街を歩いていた。
今日は、以前ヴァンデスの講義を受けたヒーローたちとの近況報告会だった。
会場へ入ると、すでに何人ものヒーローが集まっている。
「ジェシカ!」
「お疲れ!」
「久しぶり!」
「最近どう?」
以前の講義を思い出す。
爆弾。
タイマー。
ヴァンデスの嫌味。
恐怖。
そして最後の試験。
今となっては、全員にとって忘れられない思い出になっていた。
「そういえばジェシカ」
一人が尋ねる。
「最近どうなんだ?」
「私?」
「うん」
「最近、活躍してるって聞いたけど」
「まあまあかな」
ジェシカが笑う。
「そういえば、みんなに報告があります!」
「何?」
「実は――」
ジェシカは胸を張った。
「私、ヴァンデスさんとバディになりました!」
「…………」
一瞬。
全員が固まった。
「……は?」
「本当に?」
「マジで!?」
「ヴァンデス先生と!?」
「うん!」
ジェシカは満面の笑み。
「正式登録はしてないけど、バディとして協力してくれることになりました!」
「お、お前……」
「よくあの人を口説き落としたな……」
「すごい……」
別のヒーローが遠い目をする。
「俺だったら二日で逃げるぞ」
「私は三日」
「俺は初日に逃げる」
皆が口々に言う。
ジェシカは楽しそうに笑った。
「でも、ヴァンデスさんってすごく頼りになりますよ!」
「……」
「この前の高層ビルの事件も、ヴァンデスさんがいなかったら助けられなかった人がいたと思います」
その言葉に、ヒーローたちは顔を見合わせる。
やがて、一人が笑った。
「……なんだかんだで、先生らしいな」
「うん」
「相変わらず性格は最悪そうだけど」
「それは間違いない」
「でも――」
全員が笑う。
「いい先生だったよな」
ジェシカも笑った。
「はい!」
その頃。
そんな噂話をされているとは知らないヴァンデスは――。
自宅のソファで酒を飲みながら、煙草を咥えていた。
「……」
そして何となく窓の外を見る。
「……今日、あいつ来ねぇな」
少しだけ静かな朝だった。